第205話 模擬魔物の暴走
「ルナさん、これは一体……」
カタリナが呆れた表情で、私の手元を見つめている。実験台の上には、キラキラと虹色に輝く液体が入った小瓶が並んでいた。
「えっとね、『活性化促進薬』の改良版なんだけど……」
私は少し視線を逸らしながら答える。
本当は『魔物感知薬』を作ろうとしていたのだけれど、なぜか材料の配合を間違えて、とんでもなく強力な『活性化促進薬』ができてしまったのだ。
「ふみゅ〜」
肩の上のふわりちゃんが不安そうに鳴く。
ハーブも私のポケットから顔を出して、「ピューイ」と心配そうな声を上げた。
「大丈夫大丈夫! 今回は爆発しないから!」
私がそう言った瞬間、窓の外から騒がしい声が聞こえてきた。
「うわああああ! 逃げろ逃げろ!」
「誰か捕まえて! あっちに行った!」
「新入生の試験に使った模擬魔物が暴れてるぞ!」
カタリナと私は顔を見合わせた。
「……行きましょうか、ルナさん」
「うん」
私たちは急いで中庭に向かった。すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
ぬいぐるみサイズの小さな模擬魔物――ウサギ型、クマ型、ドラゴン型など、様々な種類が――が、中庭を縦横無尽に駆け回っているのだ。しかも、その動きが異常に速い。
「これは……活性化しすぎですわね」
アリスが息を切らしながら言った。
「入学試験で使った模擬魔物が、突然活性化して暴走を始めたの。グリムウッド教授が保管庫で管理していたのだけれど……」
その時、私は保管庫の窓が開いていることに気づいた。そして、その窓の下には――
「あっ」
私が昨日、窓辺に置き忘れた『活性化促進薬』の試作品が、空になって転がっていた。
「……もしかして、これが原因?」
「ルナ先輩、今は追いかけましょう!」
エミリが弓を構えて叫ぶ。
フランも「マジやばくね〜?♪」と笑いながら、素早く動き回る小さな魔物たちを追いかけている。
「くそっ、素早すぎるぜ!」
カンナバール教官が汗を流しながら、ドラゴン型の模擬魔物を追いかけていた。
しかし、ぬいぐるみサイズの小さな体は、教官の大きな手をするりとかわしてしまう。
「グオオオォォ!」
と、本物そっくりの鳴き声を上げて逃げていくドラゴン型。
その後ろを、私たちの演劇サークルのドラゴンが「仲間だ!」とばかりに追いかけている。
「待って待って! あなたたちは敵じゃありません!」
イザベラ・ハーモニカ先生が、両手を広げて模擬魔物たちに近づこうとするが、彼らは全く気にせず走り去っていく。
「先生、魔物の気持ちを読むのは得意ではありませんでしたの?」
カタリナが心配そうに聞くと、先生は困った顔で答えた。
「これは魔物じゃなくて、魔法で作られた模擬品ですから……心がないんですよ」
「なるほど〜♪ じゃあマジで追いかけっこするしかないね〜♪」
フランが笑いながら、クマ型の模擬魔物に飛びかかった。しかし、クマ型は身軽に転がって逃げていく。
「ちょ、待って〜!」
私も負けじと、ウサギ型の模擬魔物を追いかけた。
ハーブがポケットから飛び出して、「ピューイピューイ!」と仲間を呼ぶような声を上げる。
「ハーブ、君も協力してくれるの?」
「ピューイ!」
ハーブは得意げに鳴いて、ウサギ型の模擬魔物の前に立ちはだかった。
しかし、模擬魔物はハーブを飛び越えて、そのまま花壇の中に突っ込んでいく。
「あっ、私の花壇が!」
ヒルテンズ先生が悲鳴を上げた。薬草学の授業で使う貴重な花が、次々と踏み荒らされていく。
「これは何とかしないと……!」
私は考えた。この模擬魔物たちは、私の『活性化促進薬』を浴びて暴走している。ということは、逆に『魔力鎮静薬』を使えば、おとなしくなるはずだ。
「カタリナ! 『魔力鎮静薬』を使うよ!」
「ルナさん、それは良い考えですわ!」
私は空間収納ポケットから『魔力鎮静薬』と小型の噴霧器を取り出した。
青く光る液体を噴霧器に入れ、模擬魔物たちに向かって噴射する。
しゅわわわわ〜
青い霧が中庭に広がる。
すると、あれほど素早く動いていた模擬魔物たちが、次第にゆっくりとした動きになり、最後にはぺたんと座り込んでしまった。
「成功……?」
私がそう言った瞬間、座り込んでいた模擬魔物たちが、一斉にこちらを見た。
「……あれ?」
そして、彼らは揃って私に向かって走り出した。
「ええええええ!?」
「ルナさん、逃げて!」
カタリナが叫ぶが、もう遅い。
ぬいぐるみサイズの模擬魔物たちが、私の周りに集まってきて、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「これ、どういうこと!?」
「おそらく、『魔力鎮静薬』の効果で、彼らが安心できる存在を求めたのではないでしょうか」
イザベラ先生が、興味深そうに観察しながら答えた。
「つまり、ルナっちが『お母さん』認定されたってこと〜?♪」
フランが笑いながら言う。
「ふみゅみゅ〜」
ふわりちゃんも、私の肩の上で楽しそうに鳴いている。
「ルナさん、どうしますの?」
カタリナが困った顔で聞いてきた。
「う〜ん……」
私は考えた。このまま放っておくわけにもいかないし、かといって無理やり引き離すのも可哀想な気がする。
「グリムウッド教授! この模擬魔物たち、どうすればいいですか?」
「ふむ……通常なら、魔力を抜いて保管庫に戻すのですが……」
教授が顎に手を当てて考え込む。
「ルナ君の『活性化促進薬』を浴びたことで、彼らには一時的に『意思』のようなものが芽生えているようですね。無理に魔力を抜くと、彼らが壊れてしまうかもしれません」
「じゃあ、どうすれば……」
「しばらく、ルナ君が面倒を見るというのはどうでしょう?」
「え!?」
私は驚いて声を上げた。
「彼らは新入生の試験に使われる予定でしたが、まだ数ヶ月あります。その間に『活性化促進薬』の効果が自然に切れるまで、ルナ君が責任を持って管理してください」
「は、はい……わかりました」
私はため息をついた。こうして、私はぬいぐるみサイズの模擬魔物たちの『お母さん』になることになったのだ。
「ルナっち、頑張ってね〜♪」
フランが笑いながら肩を叩いてくる。
「ルナ先輩、何かお手伝いできることがあれば言ってくださいね」
エミリも優しく声をかけてくれた。
「まあ、賑やかになって良いかもしれませんわね、ルナさん」
カタリナが微笑みながら言った。
「ありがとう、みんな……」
その後、私のサークル部屋は小さな模擬魔物たちで溢れかえることになった。
ウサギ型が机の上でぴょんぴょん跳ね、クマ型が椅子を抱きしめ、ドラゴン型が窓辺で「グルル」と鳴いている。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんも、楽しそうに模擬魔物たちと遊んでいる。
ハーブは、ウサギ型の模擬魔物と仲良くなったようで、一緒に転がっていた。
「ルナさん、模擬魔物たちは食事は必要ないはずですけれど……」
カタリナが呆れた顔で私を見た。私の前には、なぜか果物の皿が並んでいる。
「うん、でもなんだか可愛くて……」
私がそう言うと、模擬魔物たちが一斉に私の周りに集まってきた。
「全く、ルナさんは優しすぎますわ」
カタリナは苦笑しながらも、一緒に模擬魔物たちを撫でてくれた。
「でも、大丈夫ですわ。ルナさんならきっと、この子たちとも上手くやっていけます」
こうして、私の奇妙な『模擬魔物育児生活』が始まったのだった。
――翌日、グリムウッド教授から「模擬魔物たちが、ルナ君の影響で『学習能力』を身につけた」という報告があり、学院中が大騒ぎになったのは、また別の話である。
そして、その騒ぎの最中、私はまた新しい錬金術の実験を始めていた。今度こそ、爆発しないように気をつけながら――
――ドォォォン!
「ルナさああああん!」
カタリナの叫び声が、学院中に響き渡った。
……やっぱり、爆発しちゃった。