第192話 凍結葡萄と奇跡のジャム
「お嬢様、アルケミ領から緊急の伝言です」
セレーナが慌てた様子で私の部屋に駆け込んできた。手には父様からの手紙を持っている。
「どうしたの?」
私が手紙を受け取って読んでみると、思わず息を呑んだ。
「大変!冬葡萄が全部凍ってしまったって!」
「ピューイ!?」
ハーブも驚いて跳ね上がった。アルケミ領の葡萄は、私たちの誇りなのに。
「ふみゅ〜」
肩の上のふわりちゃんも心配そうに鳴いている。
「今年は例年になく寒波が厳しくて、葡萄園の葡萄が全て凍結してしまったそうです」
セレーナが心配そうに報告してくれた。
「このままでは収穫ができず、今年の「陶酔の雫」も作れないとか…」
それは大問題だった。アルケミ領の葡萄ワインは王国でも有名で、多くの人々が楽しみにしている。
「すぐに領地に帰りましょう。何とかしなくちゃ」
アルケミ領に到着すると、本当に深刻な状況だった。一面の葡萄園が真っ白な氷に覆われて、美しい光景ではあるけれど、これでは葡萄が台無しになってしまう。
「ルナ!よく帰ってきてくれましたわね」
お母様のエリザベスが心配そうな顔で迎えてくれた。いつもの優雅さの中にも、深い憂いが見える。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
領地の使用人たちも、みんな困り果てている様子だった。
「どのくらいの被害なの?」
「残念ながら、葡萄園全体の九割が凍結してしまいましたの。普通なら、もう手の打ちようがありませんわ」
お母様がため息をつく。でも、私には錬金術がある。
「大丈夫よ、お母様。凍った葡萄を蘇らせる方法を考えてみる」
「本当に?でも、そんなことが可能なのかしら」
「やってみる価値はあるわ。錬金術は不可能を可能にするためにあるもの」
さっそく凍った葡萄園に向かった。近くで見ると、本当に美しい氷の芸術のようだったけれど、葡萄の房は完全に氷に包まれている。
「うーん、普通の方法では溶かせないわね」
氷を溶かしただけでは、葡萄の細胞が破壊されてしまっている可能性が高い。
「そうだ!以前作った『浄化の光』を使えばいいかもしれない」
特製ブドウジュースの実験で偶然できた、心の澱みを洗い流す力のある光の粒子。
あれなら、凍結で傷ついた葡萄を本来の姿に戻せるかもしれない。
「でも、『浄化の光』だけでは足りないかも。『温かい水』も必要ね」
錬金術の準備を始めた。今回は野外での調合になるから、いつもより難しい。
「材料は…『光の花びら』『透明な水晶』『魔力の結晶』…そして『温かい水』」
風除けの結界を張って、調合台を設置する。
「魔力は多めに注いで…」
慎重に材料を混ぜ合わせていく。葡萄園の氷が少しずつ反射して、幻想的な光を放っている。
「温度は…中火で…」
ぐつぐつと煮える音と共に、甘い香りが立ち上ってきた。
そして…
ーードッカーン!
予想通りの爆発が起こった。今度は虹色と金色が混じった煙がもくもくと上がって、葡萄園全体を包み込んだ。
「きゃあ!」
お母様が驚いている。でも、煙が晴れてみると…
「あら…」
葡萄園の氷が、キラキラと光る粒子になって舞い散っていた。そして、氷に包まれていた葡萄が、美しい紫色に輝いている。
「すごい…生き返ったみたい」
実際に葡萄に触れてみると、凍結前よりも艶やかで、甘い香りが強くなっている気がする。
「ルナ、これは奇跡ですわ」
お母様が感動している。
「凍った葡萄が、こんなに美しく蘇るなんて」
「良かった…成功したのね」
さっそく蘇った葡萄を収穫して、ジャム作りを始めることになった。お母様の指導の下、特別な調理法でジャムを作る。
「この葡萄、普通の葡萄よりも甘みが強いですわね」
「そうなの?錬金術の『浄化の光』の影響で、葡萄本来の甘さが引き出されたのかも」
煮詰めている最中も、とても良い香りがする。まるで春の花園のような、心が躍るような香りだった。
「できましたわ」
美しい紫色のジャムが完成した。普通のジャムとは違って、何だかキラキラと光っているように見える。
「味見してみましょう」
小さなスプーンでジャムをすくって、口に運んでみた。
「あ…」
その瞬間、体の中がぽかぽかと温かくなった。まるで暖炉の前にいるような、心地よい温かさだった。
「これは…」
お母様も味見をして、目を見開いた。
「素晴らしいですわ。まるで心の中に太陽が灯ったような感覚」
「ピューイ♪」
ハーブも少し舐めさせてもらって、嬉しそうに鳴いている。
「ふみゅみゅ〜♪」
ふわりちゃんも満足そうだ。
「あなたの錬金術は、ただ物を変化させるだけでなく、心を温めるのですわね」
お母様が優しい笑顔で言った。
「これほど心温まるジャムは、初めて味わいましたわ」
その後、『葡萄ジャム~冬の奇跡~』と名付けられたジャムは、王都で大きな話題になった。食べると心がぽかぽかするという評判が広まって、特に寒い冬の夜には欠かせない一品として人気を博した。
「お嬢様、王都からの注文が殺到しています」
セレーナが嬉しそうに報告してくれた。
「貴族の方々だけでなく、一般の方々からも『心が温まるジャム』として愛されているようです」
「良かった。凍った葡萄から、こんな素晴らしいものができるなんて」
実際、普通の葡萄で作ったジャムよりも、格段に美味しくて心温まる効果があった。災いが転じて福となすとは、まさにこのことね。
「ルナ、あなたのおかげで、アルケミ領の新しい名物ができましたわ」
お母様が誇らしそうに言った。
「今年は厳しい冬でしたが、結果的には素晴らしい年になりましたわね」
王都に戻る日、葡萄園を見回していると、新しい葡萄の芽が出ているのに気づいた。
「あら、もう新芽が…」
普通なら春まで待たなければならないのに、錬金術の影響で葡萄の木も活性化されているようだった。
「来年はもっと良い葡萄ができるかもしれませんわね」
お母様が満足そうに微笑んでいる。
「あなたの錬金術は、本当に奇跡を起こしますわ」
「錬金術だけじゃないわ。みんなの気持ちが込もっているから、奇跡が起こるのよ」
空を見上げると、雪はもう止んでいた。代わりに温かい日差しが葡萄園を照らしている。
「ピューイ」
ハーブも満足そうに鳴いている。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんも嬉しそうだ。
こうして、アルケミ領の冬の危機は、思いがけない奇跡のジャム誕生という素晴らしい結果に変わった。
時々、困難な状況からこそ、最高の宝物が生まれるものなのかもしれない。
そんなことを考えながら、私は故郷の美しい風景を心に刻み込んでいた。
『葡萄ジャム~冬の奇跡~』は、きっとこれからも多くの人々の心を温め続けるだろう。
そして、それが私の錬金術の新しい使命なのかもしれないと、静かに思った。