第175話 雪狼との模擬戦
今日の実技演習は、氷雪地帯に現れる幻獣「雪狼」を模したゴーレムとの模擬戦だった。
学院の特別訓練場は魔法で雪景色に変えられ、足元にはさらさらの雪が積もっている。
「うわあ、寒い〜」
息が白くなる中、私は星輝の棍棒を握りしめた。
肩の上のふわりちゃんは寒さで小さく震えているし、ポケットの中のハーブも「ピューイ」と不安そうに鳴いている。
「雪狼は氷の魔法を使い、群れで狩りをする狡猾な幻獣だ。今回は一対一の模擬戦だが、油断は禁物だ」
カンナバール教官の低い声が訓練場に響く。
元王国近衛騎士団長の威圧感は、この雪景色の中でも健在だ。
「ルナさん、雪狼の弱点は火の魔法ですけれど、ルナさんは魔法戦闘が不得意でしたわね」
カタリナが心配そうに声をかけてくれる。
彼女はすでに月灯りの剣を構え、完璧な戦闘態勢に入っている。さすがだ。
「大丈夫!物理攻撃で頑張るから!」
私は星輝の棍棒を振り回してみる。
『星の輝き』で相手の目を眩ませて、それから——
「では、ルナ、準備はいいか?」
「はい!」
カンナバール教官が魔法陣を起動すると、雪の中から白い狼の姿をした大きなゴーレムが現れた。
氷でできた体は美しく、青い光る目がこちらを見据えている。
「うわあ、思ったより大きい」
雪狼ゴーレムは私の身長の倍はありそうだ。
それに、なんだか本物の狼みたいに生き生きとしている。
「ガウルルル......」
低い唸り声を上げながら、雪狼ゴーレムがゆっくりと近づいてくる。
「えーっと、まずは距離を取って——」
私が後ずさりしていると、ポケットから何かがぽろりと落ちた。
「あ!」
それは今朝、お腹が空いた時のために持参したおやつ用のビーフジャーキーだった。
雪の上に落ちたジャーキーを見て、雪狼ゴーレムの動きが止まる。
「あれ?」
雪狼ゴーレムは首をかしげるように私とジャーキーを交互に見つめている。
そして——
「クゥーン......」
まるで本物の犬のような鳴き声を出した。
「え?え?なんで急に可愛い声になったの?」
私が困惑していると、雪狼ゴーレムはそっとジャーキーに鼻先を近づけた。
氷でできた鼻がジャーキーをくんくんと嗅いでいる。
「まあ、なんだか可愛らしいですわね」
カタリナも戦闘態勢を解いて微笑んでいる。
「もしかして、お腹空いてるの?」
私は恐る恐るもう一つのジャーキーを取り出して、雪狼ゴーレムの前に差し出した。
すると——
「クゥーン!」
雪狼ゴーレムは嬉しそうに尻尾を振り始めた。
氷でできた尻尾がぱたぱたと雪を巻き上げている。
「わあ!尻尾振ってる!」
「ふみゅみゅ〜?」
ふわりちゃんも興味深そうに首をかしげている。
雪狼ゴーレムは慎重にジャーキーを口に咥えると、ばりばりと美味しそうに食べ始めた。
氷でできた体なのに、ちゃんと食べられるなんて不思議だ。
「おいしい?」
私がそう聞くと、雪狼ゴーレムは「クゥーン!」と嬉しそうに鳴いて、私の手をぺろりと舐めた。
「わあ、冷たいけど温かい!」
なんだか矛盾してるけど、そんな感じがする。
氷でできた舌なのに、なぜか愛情を感じられるのだ。
「ルナ......これは模擬戦のはずなのだが......」
カンナバール教官の困惑した声が聞こえる。
でも、雪狼ゴーレムはすっかり私に懐いてしまったようで、大きな頭を私の肩に乗せて甘えている。
「うわわわ、重い〜」
でも嫌じゃない。
むしろ、とても愛おしい気持ちになってくる。
「ねえ、もっとジャーキー食べる?」
私が聞くと、雪狼ゴーレムは目をキラキラと輝かせて頷いた。
「クゥーン、クゥーン!」
まるで「お願い!」と言っているようだ。
「はいはい、いい子だね〜」
私は持参していたジャーキーを全部与えながら、雪狼ゴーレムの頭をなでなでした。
氷でできた毛はひんやりしていて気持ちいい。
「ゴロゴロゴロ......」
なんと、雪狼ゴーレムは猫のようにのどを鳴らし始めた。
そして雪の上にごろんと横になって、お腹を見せる。
「わあ!完全に甘えてる!」
「これはもう戦闘ではありませんわね」
カタリナが苦笑いしている。
私は雪狼ゴーレムのお腹をわしわしと撫でてあげる。
するとさらに嬉しそうに足をばたばたと動かして、まるで本物の犬のようだ。
「ピューイ〜」
ハーブも安心したように顔を出して、雪狼ゴーレムを見つめている。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんも私の肩から雪狼ゴーレムの頭にぴょんと飛び移って、一緒にくつろいでいる。
「みんな仲良しだね〜」
そんな平和な光景を見ていると——
ーーボンッ!
突然小さな爆発音がした。
「え?今度は何?」
爆発の煙が晴れると、雪狼ゴーレムの体が虹色にキラキラと光っていた。
「あ!また光った!」
どうやら私の魔力が無意識に雪狼ゴーレムに流れ込んだらしい。
雪狼ゴーレムは光りながらさらに嬉しそうに「クゥーン♪」と鳴いている。
「まあ、美しいですわね」
カタリナが感心している間に、雪狼ゴーレムは立ち上がって私の周りをくるくると回り始めた。
まるでダンスをしているようだ。
「踊ってる!可愛い!」
「......まあ、戦わずに解決できるならそれも学びだな」
カンナバール教官がため息混じりに言った。
「ただし、ルナ、実際の雪狼がすべて友好的だとは限らん。今度は正式な戦闘訓練も行うからな」
「はーい」
私は素直に返事をしたが、正直なところ、この雪狼ゴーレムとはもっと遊んでいたかった。
「クゥーン......」
雪狼ゴーレムも別れが惜しそうに鳴いている。
「大丈夫、また会いに来るからね」
私が約束すると、雪狼ゴーレムは嬉しそうに尻尾を振って、最後にもう一度私の頬をぺろりと舐めてくれた。
演習が終わった後、カタリナと一緒に更衣室に向かいながら、私は今日のことを振り返っていた。
「ねえカタリナ、私って戦闘向きじゃないのかな?」
「そんなことありませんわ。ルナさんには、戦うより先に相手の心を掴む特別な才能がおありになります」
「そうかな?」
「ええ。魔物との意思疎通ができるのも、きっとルナさんの優しさが理由ですのよ」
カタリナの言葉に励まされて、私は少し元気になった。確かに、戦わずに済むならそれが一番いい。
「ピューイ」
「ふみゅ〜」
ハーブとふわりちゃんも同意してくれているようだった。
でも、次の戦闘訓練ではちゃんと戦えるように、星輝の棍棒の練習をしておこう。
そう心に決めながら、私は虹色に光る雪景色を振り返った。
きっとあの雪狼ゴーレムも、また会える日を楽しみにしてくれているはずだ。




