第170話 魔法演劇サークル・秋公演
「ルナさん、ごきげんよう」
放課後の廊下で、カタリナが上品な笑顔で声をかけてきた。
いつものように完璧に整えられた縦ロールが美しく揺れている。
「カタリナ。今日の魔法理論の授業、難しかったね」
「そうですわね。でも、今日はお話があって参りましたの」
彼女の後ろから、見慣れない上級生が現れた。
濃い紫の髪をポニーテールにまとめた、凛とした印象の女性だ。
「初めまして、ルナ・アルケミさん。私は魔法演劇サークル部長の3年、ヴィリア・レインクです」
「あ、はじめまして」
魔法演劇サークル。
確か学院でも人気のサークルの一つで、魔法と演劇を組み合わせた華やかな公演で有名だったはず。
「実は、来月の秋公演でお願いがあるのです」
カタリナが口を開く。
「今年の演目は『炎竜王の伝説』。セレヴィア王国の建国神話を題材にした壮大な物語ですわ」
「それで、大道具の錬金術をお願いしたくて」
ヴィリア先輩が説明を続ける。
「特に、クライマックスで登場するドラゴンの人形なのですが、迫力のある演出にしたいんです。でも安全性も重要で…」
「ルナさんなら、安全で素晴らしい魔道具を作れると確信していますの」
カタリナの信頼に満ちた言葉に、私の心は躍った。
「分かりました!お手伝いさせてください」
ー
翌日から、私は演劇サークルの部室に通うようになった。
台本を読んで、どんなドラゴンが必要かを詳しく聞く。
「炎を吐く場面があるんですが、本物の炎は危険ですよね」
「もちろんですわ。観客の安全が最優先です」
カタリナが頷く。
彼女も今回の公演で主役の王女役を演じることになっていた。
「それなら、『幻影の炎』を使いましょう。見た目は本物そっくりだけど、熱を持たない安全な炎です」
私は前世の記憶と錬金術を組み合わせて、安全な演出用の魔道具を設計した。
材料は『火の石』『安全の結晶』『幻影の粉』。
これらを特別な比率で調合すれば、迫力があるのに安全なドラゴンができるはず。
「実験は私たちのサークルの実験室でやりましょう」
モーガン先生が『実験用防護結界』を設置してくれた教室で、私は慎重に作業を始めた。
「ふみゅ〜」
肩の上でふわりちゃんが応援してくれている。
ハーブもポケットから顔を出して「ピューイ」と鳴いた。
錬金術の炎で材料を溶かしていくと、美しい金色の光が立ち上った。
「いい感じ!」
次に、ドラゴンの形を作る『造形の土』と『意志の欠片』を加える。
これで人形に簡単な行動パターンを覚えさせることができる。
「安全第一、安全第一…」
私は何度も確認しながら、慎重に調合を続けた。
ところが、最後の仕上げで『幻影の粉』を入れた瞬間、予想外の反応が起きた。
ーーぽんっ!
小さな爆発と共に、虹色の煙がもくもくと立ち上る。
「あれ?色が変わった!」
出来上がったドラゴンの人形は、当初の設計より一回り大きくなり、鱗が本物のように輝いている。
そして何より、その瞳には知性の光が宿っていた。
「ふみゅ?」
ふわりちゃんが首をかしげる。
「大丈夫かな…試してみよう」
私がそっと人形に触れると、ドラゴンは目を開けて「グルルル…」と低く鳴いた。
「わ、わあ!生きてる!」
でも攻撃的な様子はない。
むしろ私を見つめる瞳は穏やかで、まるで挨拶しているようだった。
「よしよし、君は演劇で活躍する子なのよ」
私が優しく話しかけると、ドラゴンは嬉しそうに小さく炎を吐いた。
あれ、これって『幻影の炎』のはず…でも妙に暖かい。
「まあ、きっと大丈夫でしょう!」
ー
公演当日。学院の大講堂は観客でいっぱいだった。
「緊張しますわ」
楽屋でカタリナが衣装を整えている。王女の衣装が彼女の美しさを一層引き立てていた。
「カタリナなら絶対大丈夫よ。いつも完璧だもの」
「ありがとうございます。でも、ルナさんのドラゴンの方が心配ですわ」
確かに、リハーサルでドラゴンは予定以上に迫力のある演技を見せてくれた。
でも少し…予想外の行動も多かったかも。
「大丈夫!私が舞台袖で見守るから」
いよいよ開演。
カタリナの演技は本当に素晴らしかった。
王女役にぴったりの気品と優雅さで、観客を物語の世界に引き込んでいく。
「さすがカタリナ…」
私は舞台袖で見とれていた。
彼女のセリフ回しも完璧で、共演者たちとの息もぴったり合っている。
そして、いよいよクライマックス。
炎竜王が登場する場面だ。
「出番よ、ドラゴン君」
私が合図すると、ドラゴンの人形は勇ましく舞台に躍り出た。
「おおお!」
観客から驚きの声が上がる。
ドラゴンは威風堂々と翼を広げ、リアルな咆哮を響かせた。
「グオオオオォォ!」
そして、口から炎を…
「あれ?」
『幻影の炎』のはずなのに、本物のような赤い炎が噴き出した。
しかも予定より遥かに大きい。
「きゃあああ!」
観客席がざわめく。
「ルナさん!あれは本当の炎では!」
カタリナが舞台上で冷静に状況を判断し、すぐに防護魔法を展開した。さすがの判断力だ。
「でも大丈夫!危険はないはず…多分」
ドラゴンは確かに本物の炎を吐いているが、なぜか観客席の方には向かない。
まるで舞台演出を理解しているかのように、空に向けて炎を噴いている。
「すごい…本物のドラゴンみたい!」
「こんな迫力の演劇、初めて見た!」
観客の驚きは感動に変わっていった。
カタリナは動揺することなく、予定通りのセリフを続ける。
「炎竜王よ、もうこの国を苦しめるのはやめて!」
するとドラゴンは、まるで彼女の演技に応えるように悲しそうな鳴き声を上げた。
台本にはない、完全な即興だ。
「グル…グルル…」
その鳴き声があまりにも感情的だったので、観客席からすすり泣く声まで聞こえてきた。
カタリナは咄嗟の判断で台詞を追加する。
「あなたも、きっと寂しかったのですね…」
彼女がドラゴンに優しく手を差し延べると、巨大なドラゴンは静かにその手に頭を寄せた。
「うわああああ!」
観客席が割れんばかりの拍手に包まれる。
舞台袖では、顧問のメルヴィン副校長が冷や汗を流していた。
「あ、あれは一体何なんじゃ…本物のドラゴンが出てきておる…」
でも観客の反応を見て、すぐに顔を輝かせる。
「だが、これは史上最高のエンターテイメントじゃああ!」
ー
公演は大成功に終わった。
カーテンコールでは、ドラゴンまで一緒におじぎをしていた。
「ルナさん、あのドラゴンは一体…」
楽屋でカタリナが尋ねる。
「えーっと…安全第一で作ったはずなんだけど、なぜか本当の炎を吐くドラゴンに進化しちゃって…」
「はあ・・・でも、本当に素晴らしい公演になりましたわ。ルナさんのドラゴンがいたからこそ、あんなに感動的な場面が生まれたのです」
カタリナの寛容さに、私は救われた思いがした。
「それに、カタリナの機転で危険を回避できたし、即興の演技も完璧だった」
「あら、それはお互い様ですわ。ルナさんのドラゴンも、まるで本当の役者のように演技していましたもの」
後日、この公演は「学院史上最も迫力のある演劇」として伝説になった。特にカタリナの演技力と、予想外の事態への対応力は「完璧な王女様役」として語り継がれることになる。
そして私のドラゴンは、正式に演劇サークルのマスコット兼特別団員として迎え入れられた。
「今度は台本通りに動いてよね」
私がドラゴンにお願いすると、彼は「グルル」と返事をして小さく炎を吐いた。
どうやら彼なりに「了解」の意味らしい。
でも、その炎がいつもより大きかったのは、きっと気のせいだろう。




