第17話 学院祭前夜と奇跡の装飾薬
「お嬢様、学院祭まであと三日ですが……」
セレーナが心配そうに実験室を見回している。
机の上には『装飾薬』『光沢増強液』『花香付与剤』『持続力強化粉』の材料が並んでいるが、どれもまだ手つかずの状態だ。
「大丈夫よ! 三日あれば十分」
「お嬢様の『十分』は経験上、全く足りません……」
セレーナの的確な指摘に、私は苦笑いした。
確かに、これまでの実験を考えると、三日で準備が整うとは思えない。
「でも今回は学院祭用の実演だから、絶対に成功させるわ!」
「その意気込みは毎回同じなのですが……」
そんな会話をしていると、実験室のドアがノックされた。
「失礼いたします」
現れたのはグリムウッド教授だった。いつものように厳格な表情で、手には大きな巻物を抱えている。
「教授! 学院祭の件でいらしたのですか?」
「その通りです。実演展示の安全確認のためです」
教授が巻物を広げると、そこには細かな安全規則がびっしりと書かれていた。
「『実験による爆発音は60デシベル以下』『煙の発生範囲は半径3メートル以内』『色彩変化は24時間以内に自然消失すること』……」
延々と続く規則の数々に、私とセレーナは顔を見合わせた。
「あの……教授」
「何ですか、ルナ・アルケミ」
「この規則、全部守れるでしょうか……?」
「守れないとおっしゃるのですか?」
教授の鋭い視線に、私は慌てて手を振った。
「い、いえ! もちろん守ります! 絶対に!」
「よろしい。それでは本日、事前確認の実験を行ってください」
「事前確認?」
「はい。本番で使用する調合薬を実際に作って、安全性を確認するのです」
教授の要求に、私は内心冷や汗をかいた。これまでの実験で規則を守れたことなど一度もない。
「分かりました……頑張ります」
「期待しております。では、始めてください」
教授が椅子に座り、観察体制に入る。その厳格な視線に緊張しながら、私は『装飾薬』の調合を始めた。
「まずは『装飾薬』から……」
基本材料の『美花エキス』を鍋に入れる。透明感のある薄紫の液体が、鍋の底で静かに揺れている。
「今のところ正常ですね」
教授が記録を取りながら呟く。
「次に『光沢増強液』を三滴——」
慎重に瓶を傾けて、一滴、二滴、三滴……
——ポタッ!
あ、四滴目が落ちてしまった。
「ルナ・アルケミ、分量を正確に」
「はい! すみません!」
慌てて謝りながら、次の工程に進む。しかし、一滴多かった影響で、液体が薄っすらと光り始めた。
「お嬢様、もう光ってますが……」
「大丈夫よ! このくらいなら——」
——キラキラキラッ!
光がどんどん強くなっていく。
「60ルクス以下でお願いします」
教授がメーターを見ながら注意する。
「はい! えーと……光を抑える方法は……」
必死に記憶を探りながら、『光量調整粉』を少し加えてみる。
——パッ!
今度は光が一瞬で消えた。暗すぎる。
「今度は暗すぎますね」
「すみません! 調整します!」
慌てて今度は『微光粉』を加える。すると——
——ピカピカピカッ!
まるでディスコボールのように激しく点滅し始めた。
「これは……まずいですね」
その時、実験室のドアが開いた。
「ルナさん、お疲れ様です」
カタリナが現れた。完璧な縦ロールを揺らして、蒼い瞳で点滅する鍋を見つめている。
「あら、とても派手な光ですのね」
「カタリナ! ちょうど良いところに。助けて!」
「もちろんですわ。何をお手伝いしましょう?」
カタリナの申し出に、私は嬉しくなった。
「光の調整を手伝って! あなたの方が器用だから」
「承知いたしましたわ」
カタリナが優雅な手つきで『光量微調整液』を取り出す。
「このくらいの量で……」
彼女が一滴だけ加えると——
——ふわっ……
光が美しく安定した。まるで月光のような優しい輝きだ。
「さすがだわ!」
「いえいえ、基本通りに行っただけですの」
カタリナの謙遜を聞きながら、教授が記録を取っている。
「現在の光量、45ルクス。基準値以下、合格です」
「やった!」
喜んでいる場合ではない。まだ調合は続く。
「次は『花香付与剤』を……」
瓶の蓋を開けると、バラの香りが実験室に広がった。
「良い香りですわね」
「でしょう? これで装飾に香りも加えられるのよ」
私が説明しながら液体を加え魔力を注ぐと——
——ブワァァァ〜
突然、実験室が様々な花の香りで満たされた。バラ、百合、菫、桜……
「うわあ、たくさんの香りが……」
「これは『香り暴走』の状態ですね」
教授が冷静に記録を取っている。
「香り暴走って……」
「複数の香りが同時に発生し、制御不能になる現象です」
説明を聞いている間に、香りはどんどん強くなっていく。
「このままでは来場者が香りで気分を悪くしてしまいますわ」
カタリナの心配はもっともだった。
「『香り中和剤』はありませんか?」
「あ、あります!」
慌てて棚から瓶を取り出し、中身を鍋に注ぐ。
——シュワシュワシュワッ!
泡立ちと共に、香りが一つに混ざり始めた。しかし——
「あれ? 今度は変な香りに……」
混ざった結果、何とも形容しがたい奇妙な香りになってしまった。
「これは……靴下の香り?」
「靴下って……」
セレーナが困惑している間に、教授が立ち上がった。
「ルナ・アルケミ、香りの基準値を大幅に超過しています」
「すみません! 今すぐ何とかします!」
必死に『香り完全除去液』を探していると——
——ポンッ!
鍋から小さな爆発が起こり、今度は無臭になった。
「あ、香りが消えました」
「完全に消えすぎましたわね」
カタリナが苦笑いしている間に、教授が記録をまとめている。
「現在までの評価:光量は合格、香りは不合格。音量と煙の発生はまだ確認していませんが……」
その時——
——ドーーーン!!
最後の材料『持続力強化粉』を加えた瞬間、大爆発が起こった。
「うわああああ!」
実験室が美しいキラキラした煙に包まれる。しかし、その音量は明らかに60デシベルを超えている。
「音量78デシベル、基準値超過です」
教授が冷静に記録を取る中、煙の範囲もどんどん広がっていく。
「半径5メートルに拡大中……基準値超過です」
「すみませーん!」
私が謝っている間に、煙はさらに広がって実験室の外にまで及んだ。
「廊下にも煙が……基準値大幅超過です」
教授のため息が聞こえる中、煙がゆっくりと晴れていく。
そして現れたのは——
「うわあ、綺麗……」
鍋の中に、まるで宝石のように美しく輝く『装飾薬』が完成していた。七色に輝く液体が、まるで生きているかのように揺れている。
「これは……見事な出来栄えですわね」
カタリナが感嘆の声を上げる。
「確かに美しいですが……」
教授が記録用紙を見せる。
「安全基準をすべて超過しています。このままでは展示許可は出せません」
「そんな……」
落ち込む私を見て、セレーナが提案した。
「お嬢様、もう一度作り直してみませんか? 今度はもっと慎重に」
「でも、材料が……」
「大丈夫ですわ」
カタリナが微笑んだ。
「私が追加の材料をご用意いたします。一緒に頑張りましょう」
「カタリナ……」
友人の優しさに感動していると、教授も立ち上がった。
「明日、もう一度確認試験を行います。今度こそ基準を守ってください」
「はい! 必ず!」
教授が去った後、私たちは反省会を開いた。
「今回の失敗原因を分析しましょう」
カタリナが提案し、セレーナが記録を取る。
「まず、分量の管理が甘かったですわね」
「はい……計量をもっと慎重に」
「それから、工程の順序も重要ですわ」
「順序……確かに、適当にやってました」
「『適当』は禁物ですのよ」
カタリナの指導を受けながら、私は反省した。
「明日こそは、完璧な『装飾薬』を作るわ!」
「お嬢様の『完璧』も不安ですが……」
セレーナの心配そうな呟きを聞きながら、私は決意を新たにした。
翌日、再挑戦の日がやってきた。
「今度こそ慎重に……」
材料を前に、私は深呼吸した。
「お嬢様、落ち着いて」
セレーナが励ましてくれる。
「私も一緒に確認いたしますわ」
カタリナも隣に立って、心強い。
「それでは、始めましょう」
グリムウッド教授が時計を見ながら合図する。
「まずは『美花エキス』を正確に50ml……」
メスシリンダーで正確に計量して、鍋に注ぐ。
「次に『光沢増強液』を正確に3滴……」
今度は数えながら、慎重に落とす。一滴、二滴、三滴。完璧だ。
「順調ですわね」
「今のところ問題ありません」
教授も満足そうに頷いている。
調合は順調に進み——
「最後に『持続力強化粉』をほんの少量……」
今度は本当に少量、耳かき一杯程度を加え魔力を注ぐ。
——ポンッ
小さな音と共に、美しい『装飾薬』が完成した。
「音量45デシベル、合格」
「光量40ルクス、合格」
「香りは適度、合格」
「煙の範囲2メートル、合格」
教授が次々と基準をクリアしていることを確認する。
「すべて基準値以下です。展示許可を出します」
「やったー!」
私とセレーナで抱き合って喜んだ。
「おめでとうございますわ、ルナさん」
カタリナも嬉しそうに微笑んでいる。
「これで学院祭の準備は完璧ね!」
「ええ、きっと素晴らしい展示になりますわ」
しかし——
——ポポポポンッ!
完成した『装飾薬』から小さな光の粒が飛び出し、実験室を美しく飾り始めた。
「あら、自動装飾機能まで……」
「これは予想外の効果ですね」
教授が興味深そうに観察している。
「でも、とても美しいですわ」
確かに、光の粒が描く模様は息をのむほど美しい。
「これなら学院祭で大成功間違いなしね!」
「お嬢様の『間違いなし』が一番危険ですが……」
セレーナの心配をよそに、私は学院祭への期待で胸を膨らませた。
「明日からは展示ブースの準備よ!」
「また大変そうですわね……」
カタリナの苦笑いが、夕日の実験室に響いていく。
学院祭まで、あと二日。
果たして、本当に無事に迎えられるのだろうか——。




