第168話 図書館での秘密の眠り
「読書週間かぁ〜。せっかくだから図書館でお勉強しようっと!」
秋も深まり、王立魔法学院で読書週間が始まった。
私は肩に乗ったふわりちゃんと一緒に、図書館へ向かって歩いている。
「ふみゅ〜?」
ふわりちゃんが首をかしげながら鳴く。
「ピューイピューイ♪」
足元でハーブも嬉しそうに鳴いている。薬草の本がたくさんあるので、楽しみなのだろう。
図書館に入ると、いつもとは少し違った雰囲気だった。
秋らしい装飾が施され、あちこちに色とりどりの椅子が追加されている。
「あら、ルナさん。読書週間の特別展示はいかがですか?」
図書館司書のミスト・リアーナ先生が、嬉しそうに迎えてくれた。
「特別展示?」
「ええ、今年は『秋限定・魔法仕掛けの読書椅子』を各所に設置したのです。座ると最適な読書環境を魔法で作り出してくれる優れものですよ」
ミスト先生が指差す先には、確かに見慣れない豪華な椅子がいくつか置かれていた。
深みのある茶色の革張りで、とても座り心地が良さそうだ。
「わあ〜!素敵〜!」
私は早速、錬金術の参考書を何冊か選んで、一番近くにあった読書椅子に向かった。
「お嬢様、何か調べ物でもあるのですか?」
セレーナが心配そうに尋ねてきた。
彼女も一緒に図書館に来てくれたのだ。
「うん!最近の実験で使った材料の組み合わせについて、もう少し詳しく調べたいの。きっと新しい発見があると思うのよ」
私は意気込んで椅子に腰を下ろした。
その瞬間だった。
「あ…あれ…?」
椅子に座った途端、何とも言えない心地よさが体を包み込んだ。
まるで雲の上に座っているような、ふわふわで温かい感覚だ。
「ふみゅ〜?」
ふわりちゃんも私の肩の上で、うっとりとした表情を浮かべている。
「これは…いい椅子ね…」
本を開いてページをめくろうとするが、手がなんだかだるい。
目も重くなってきて、文字がぼんやりとかすんで見える。
「お嬢様?大丈夫ですか?」
セレーナの声が遠くに聞こえる。
「だいじょうぶ…ちょっと…眠いだけ…」
私はそう答えながら、意識がだんだんと遠のいていく。
本を抱えたまま、深い眠りに落ちてしまった。
「ふみゅ〜…」
ふわりちゃんも一緒に眠ってしまったらしい。
ー
気がつくと、私は不思議な場所にいた。
周りには巨大な本棚が立ち並び、本のページが蝶のようにひらひらと宙を舞っている。
「ここは…どこ?」
「ようこそ、夢の図書館へ」
振り返ると、そこには美しい女性が立っていた。長い銀髪に青い瞳、透明感のある肌をしていて、まるで絵画から抜け出してきたようだ。
「あなたは…?」
「私は本の精霊、ティナ。この図書館に住まう全ての本の守り神よ」
ティナと名乗った女性が、優雅に微笑む。
「本の精霊…?」
「そう。あなたが座った椅子は特別な魔法が掛けられているの。真剣に学ぼうとする者の心を読み取って、最適な知識を与えるためにね」
「えー!そんな仕組みだったの?」
「ふふふ、驚いたでしょう?でも安心して。あなたの探求心は本物よ。だから私があなたに特別な本を紹介してあげる」
ティナが手をひらりと振ると、一冊の古い本が宙に浮かんで現れた。
「『時空錬金術の真髄』…これはあなたが以前封印した技術について、より深い理解を得るための本よ」
「え!時空錬金術の本なんてあったの?」
「この本は通常、図書館には置かれていない。特別な許可を得た者だけが読める秘蔵書なの。でも、あなたなら大丈夫」
ティナが本を私に差し出す。
「ただし、これは夢の中でしか読むことができない。現実に戻ったら、内容は記憶の奥に仕舞われて、必要な時にだけ思い出すことになるでしょう」
「そんな…覚えておきたいのに」
「大丈夫よ。本当に必要な知識は、きちんとあなたの中に残るから」
私は恐る恐る本を受け取った。ページを開くと、そこには見たこともない錬金術の図式と、古代文字で書かれた説明が並んでいる。
「これは…すごい…」
時間の概念そのものを錬金術で操る方法、空間を歪ませる技術、そして時空を安定させるための安全装置…。どれも私が実験で偶然発見した現象の、理論的な裏付けが詳しく書かれていた。
「あなたの直感は正しかったのよ、ルナ・アルケミ。でも、この知識は慎重に使わなければならない」
ティナが真剣な表情で言う。
「時空錬金術は諸刃の剣。使い方を間違えば、取り返しのつかないことになりかねない」
「うん…だから封印したの。でも、いつかは正しく使えるようになりたくて」
「その気持ちがあれば大丈夫。あなたには優秀な仲間たちもいるし、何より純粋な探求心がある」
ティナが微笑みながら続ける。
「それから、もう一つ。あなたの実験で生まれた『特製ブドウジュース』の光の粒について」
「あ!そうそう、あれは一体何だったの?」
「あれは『浄化の光』よ。あなたの錬金術が偶然生み出した、とても貴重な現象なの」
「浄化の光?」
「そう。心の澱みを洗い流し、魔法的な汚染を取り除く力がある。ただし、効果は短時間だけれど、正しく応用すれば素晴らしい薬が作れるでしょう」
私は夢中でティナの話を聞いていた。すると、だんだんと周りの景色がぼやけ始める。
「あ、もう目覚めの時間ね」
「え?もう少しお話ししたいのに」
「また会える日が来るわ。それまで、学びを続けなさい」
ティナが手を振ると、私の意識は現実へと引き戻されていった。
ー
「お嬢様!お嬢様!」
セレーナの心配そうな声で目が覚めた。
「あ…セレーナ?」
「良かった!もう二時間も眠っていらしたのですよ。図書館の方も心配していました」
私は慌てて体を起こした。
すると、膝の上に見慣れない本が乗っているのに気づく。
「あれ?この本…」
それは夢の中でティナから渡された『時空錬金術の真髄』だった。
「お嬢様?その本はどこから…」
「え?え?なんで現実にあるの?」
私は慌てて本を調べてみる。
確かに実在する本で、ページを開くと古代文字がびっしりと書かれている。
しかし、夢の中であれほど鮮明に読めた内容が、今はまったく理解できない。
「ミスト先生!」
私は慌てて司書の先生を呼んだ。
「どうされましたか、ルナさん?」
「この本、図書館の蔵書ですか?」
ミスト先生が本を見て、驚いた表情を浮かべた。
「これは…『時空錬金術の真髄』!まさか、禁書庫の鍵が…」
先生は慌てて奥の扉を確認しに行く。
しばらくして戻ってきた時、その表情は困惑に満ちていた。
「不思議ですね。禁書庫はしっかりと封印されているのに、なぜこの本が…」
「えーっと…夢の中で本の精霊さんに会って…」
私が説明すると、ミスト先生は興味深そうに頷いた。
「なるほど、ティナ様に会われたのですね。それは稀有な体験です」
「え?本当にいるんですか?」
「ええ、図書館に長年住まう本の精霊です。時々、特別な学習意欲を持つ生徒の前に現れると言われています」
ミスト先生が優しく微笑む。
「この本は確かに危険な知識が含まれていますが、ティナ様があなたに託されたということは、いずれ正しく使える時が来るということでしょう」
「でも、読めないんです…」
「それで良いのです。今はまだその時ではない、ということですね」
先生は本を丁寧に受け取ると、特別な布で包んだ。
「この本は私が保管しておきます。あなたが本当に必要とする時まで」
「ありがとうございます」
私はほっとした。確かに、今の私にはまだ早すぎる知識だったのかもしれない。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが小さく鳴きながら頭を振る。
この子も一緒に夢を見ていたのだろうか。
「ピューイ?」
ハーブが首をかしげながら私を見上げている。
「それにしても、魔法仕掛けの読書椅子って、こんな効果もあるのね」
「ええ、予想外でした。来年はもう少し調整が必要かもしれませんね」
ミスト先生が苦笑いする。
「でも、良い経験をさせていただきました。ティナ様に会えるなんて、滅多にないことですから」
セレーナがほっとした表情で言う。
「お嬢様が無事で良かったです。でも、次回はもう少し普通の椅子に座った方が良いかもしれませんね」
「そうね…でも、また会えるって言ってたから、きっとまた機会があるわよ」
私は窓の外を見上げた。
秋の夕日が図書館に差し込んで、本棚を暖かく照らしている。
「今度はちゃんと起きている時に勉強しましょうか」
「うん!でも今日はもう帰ろう。なんだか頭がぼーっとする」
私たちは図書館を後にした。
廊下を歩きながら、私は夢のことを思い返していた。ティナが教えてくれた浄化の光のことや、時空錬金術の理論…記憶の奥にしまわれているけれど、確実に私の中に残っている気がする。
「お嬢様、今度図書館に行く時は、普通の椅子を選びましょうね」
「うん…でも、たまにはあの椅子も悪くないかも」
セレーナが苦笑いしながら頭を振った。
「ふみゅ〜♪」
ふわりちゃんも満足そうに鳴いている。
きっと、良い夢を見られたのだろう。
今日もまた、予想外の一日だった。でも、新しい知識と素敵な出会いがあって、とても充実していた。
きっと、いつかティナと約束した通り、また会える日が来るだろう。
その時までに、もっとたくさんのことを学んでおきたい。
秋の風が頬を撫でて、私たちを優しく包んでいく。




