第142話 炎竜と氷竜
春から夏へと移り変わる頃、セレヴィア王国の王都では色とりどりの花が咲き誇っていた。
王立魔法学院の錬金術実験室で、ルナは新しい薬の調合に没頭している。
肩には手のひらサイズの真っ白でふわふわなふわりちゃんが「ふみゅ〜」と眠そうに鳴いていた。
「『氷結保存薬』が完成したら、氷竜さんの子供たちにも喜んでもらえるかしら」
そう呟きながら、『氷の結晶』と『保存の石』を慎重に混ぜ合わせていると、突然実験室の扉が勢いよく開かれた。
「ルナさん!大変です!」
息を切らしたカタリナが駆け込んでくる。その表情は明らかに慌てふためいている。
「カタリナ、どうしたの?」ルナが振り返る。
「氷の洞窟の方から、ものすごい魔力の波動が感じられますの!しかも炎の魔力も混じっているんです。氷と炎の魔力が激突しているような……」
ルナの顔色が変わった。氷竜は大切な友達だ。何か危険が迫っているのかもしれない。
「すぐに向かいましょう!エリオットは?」
「既に準備して待機していますわ」
三人は急いで王都郊外の『氷の洞窟』へ向かった。
普段は静寂に包まれた洞窟の入り口付近で、明らかに異常な光景が広がっていた。
洞窟の周りの草花が枯れ、一部では氷が溶けて水蒸気が立ち上っている。
空気中には氷の冷気と炎の熱気が入り混じっていた。
「これは相当な魔力の衝突ですね」エリオットが眉をひそめる。
「氷竜さんが危険に晒されているかもしれませんわ」カタリナが杖を握りしめる。
ルナは『魔物感知薬』を取り出した。薬は二つの強大な魔力反応を示している。
一つは馴染みのある氷の魔力、そしてもう一つは炎の魔力だった。
三人は慎重に洞窟内部へ進んだ。奥から聞こえてくる低い唸り声と、氷が砕ける音。
洞窟の最奥部に着くと、信じられない光景が目に飛び込んできた。
青白い美しい氷竜と、真紅の鱗を持つ巨大な炎竜が向かい合っている。
二匹の間には緊張感が漂い、氷竜の子供たちは洞窟の隅で震えていた。
「氷竜さん!」ルナが駆け寄ろうとすると、炎竜がこちらを振り返った。その瞬間、ルナは炎竜の瞳に宿る複雑な感情を感じ取った。怒り、悲しみ、そして懐かしさ。
『人間よ』炎竜の重厚な声が心に響く。『この氷の愚か者に何を教えた?』
「教えるって?」ルナが困惑していると、氷竜が前に出た。
『兄さん……久しぶりだな』氷竜の声は静かだったが、どこか緊張している。
『弟よ』炎竜が氷竜を見つめる。『お前が人間と親しくしていると聞いたときは信じられなかった』
「兄弟なんですか?」カタリナが驚く。
『そうだ』炎竜が答える。『だが、この愚かな弟は昔から人間に甘すぎる。人間など信用できるものか』
『兄さん』氷竜の声に悲しみが混じる。『……人間にも心優しい者がいる。この子たちを見てくれ』
氷竜は子供たちの方を見た。
小さな氷竜たちは怖がりながらも、ルナたちを信頼するような眼差しを向けている。
ルナは一歩前に出た。「炎竜さん、私たちは氷竜さんと友達になりました。最初は確かに怖かったけれど、話してみると本当に優しい方だったんです」
『友達?』炎竜が嘲笑うような声を出す。『人間とドラゴンが友達だと?』
「そうです」ルナは堂々と答える。「種族が違っても、心を通わせることはできます」
肩のふわりちゃんも「ふみゅ〜」と同調するように鳴いた。炎竜はふわりちゃんを見て、少し驚いたような表情を見せる。
『その小さな生き物は……まさか、浄化の守護者?』
「ふわりちゃんを知っているの?」
『古い伝説で聞いたことがある。愛と友情を広める存在だと』
カタリナが静かに口を開いた。「炎竜さん、あなたは本当は氷竜さんとの関係を修復したくて来られたのではありませんの?」
炎竜が驚いたような表情を見せる。
「ずっと氷竜さんのことが気になっていらしたのでしょう?」
『な、何を……』
エリオットも続けた。「古代の記録によると、ドラゴンは家族の絆を何より大切にする種族です。兄弟で離れ離れになった辛さは、計り知れないものがあったでしょう」
炎竜の炎が少し弱くなった。『確かに……弟と離れているのは辛かった。だが、私には……』
『兄さん』氷竜が優しい声で呼びかける。『もう一人でいる必要はない』
「そうですよ」ルナが明るく言った。「今度は仲良し兄弟に戻る番です!」
「そうだ!」ルナの目が輝いた。「炎竜さん、氷竜さんの子供たちと遊んでみませんか?」
『子供たちと?』
氷竜の子供たちは最初怖がっていたが、ルナが「大丈夫よ」と声をかけると、そっと近づいてきた。一番小さな子竜が「キュルル♪」と鳴いて、炎竜の足元にちょこんと座った。
『なんと……』炎竜が困惑する。
「子供は正直ですから」ルナが微笑む。「炎竜さんの中にある優しさを感じ取っているんです」
子竜が炎竜の鱗に小さな氷の結晶を作って、プレゼントのように差し出した。
『これは……』
炎竜の瞳に涙が浮かんだ。炎竜の涙は小さな宝石のようにきらめいている。
『弟よ、すまなかった』炎竜が頭を下げる。『私は……兄として、お前を一人にしてしまった』
『兄さん』氷竜も涙を流している。『私こそ、兄さんを怒らせるようなことをして申し訳なかった』
二匹のドラゴンが額を寄せ合う光景は、とても美しく感動的だった。周囲の氷と炎の魔力が調和を取り、洞窟内に虹色の光が踊った。
「わあ……綺麗」カタリナが感嘆の声を上げる。
「ふみゅ〜♪」ふわりちゃんも嬉しそうに羽ばたいている。
『ルナ』氷竜がルナに向き直る。『君のおかげで、兄弟の絆を取り戻すことができた。本当にありがとう』
『そうだな』炎竜も頭を下げる。『人間を見くびっていた。申し訳なかった』
「いえいえ!家族が仲良くなってくれるのが一番です」
ルナはポケットから新しく調合した『友情促進薬』を取り出した。
「これ、良かったら二人で飲んでください。友情を深める効果があります」
二匹のドラゴンは薬を飲み、より一層親密な雰囲気になった。
そのとき、ルナが「あ、そうそう」と思い出したように別の薬を取り出した。
「これは新作の『兄弟絆強化薬』です!」
「ルナさん、ちょっと待って……」カタリナが慌てたが時すでに遅し。
ルナが薬を調合し始めた瞬間、大爆発が起こった。
ーードカーーーン!!
「きゃー!」
爆発と共に色とりどりの煙がもくもくと立ち上がり、全員が色とりどりに染まってしまった。
ルナは虹色、カタリナは薄紫、エリオットは緑色に。
『これは……』炎竜は真っ青になり、氷竜は真っ赤になっていた。
「あはは、色が逆になっちゃった」ルナがケラケラ笑う。
「ルナさん!」カタリナが呆れたように叫んだ。
でも、その光景があまりにも滑稽で、最初は困惑していた兄弟ドラゴンも笑い始めた。
『ははは!弟が赤いぞ!』
『兄さんこそ青じゃないか!』
洞窟内は笑い声で満たされ、色とりどりの煙の中で新しい絆が生まれた。
それから数日後、夏が本格的に始まった頃、氷の洞窟では定期的に炎竜と氷竜の兄弟が楽しそうに過ごしている光景が見られるようになった。
子竜たちも最初は戸惑っていたが、今では炎の叔父さん(?)が大好きになっている。
「キュルル♪」と鳴きながら、炎竜の周りで氷の芸術作品を作って見せる子竜たち。
炎竜も小さな炎の花を作って、子竜たちを喜ばせている。
「微笑ましい光景ですわね」カタリナが感慨深げに呟く。
「こうして見ていると、家族って本当に大切なんだなって思います」エリオットも同意する。
ルナは新しく調合した『温度調節薬』を氷竜に渡した。
「これで、お兄さんが来ても洞窟の氷が溶けすぎることはありません」
『ありがとう、ルナ。君は本当に素晴らしい錬金術師だ』
夏の夕暮れ、王都東の村では相変わらず週一の「エビバデタイム」が開催されていた。
今日は特別ゲストとして、小さくなった炎竜と氷竜の子竜たちも参加していた。
「キュルル♪」と鳴きながら氷の結晶を舞い散らす子竜と、小さな炎の花を咲かせながら踊る炎竜(子供サイズ)。
「本当に平和な光景ですわね」カタリナがピアノを弾きながら微笑む。
「ええ。みんなが笑顔なのが一番」ルナも満足そうに頷く。
空には夏の星座が輝き始め、ふわりちゃんが「ふみゅ〜♪」と鳴きながら星空を舞っていた。
平和な夏の夜。兄弟ドラゴンの仲直りから始まった新しい日常は、今日もにぎやかで温かな笑い声に包まれていた。
そんな中、ルナはまた新しい実験のアイデアを思いついて、目を輝かせている。
「明日はどんな発見があるかしら」
そんなルナを見て、カタリナとエリオットは苦笑いを浮かべる。
きっとまた、爆発と共に新しい一日が始まることになるだろう。
でも、それもまた楽しい日常の一部だった。