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第14話 セレーナの錬金初挑戦と味覚変幻の混乱

「お嬢様、本日はいよいよ私の錬金術初挑戦ですね」


朝から張り切っているセレーナ。

昨日『光る教科書』の成功で気を良くした私は、彼女に錬金術の基礎を教えることにしたのだ。


「そうよ! 今日は安全な『味覚変化薬』から始めましょう」

「味覚変化薬……?」

「苦い薬を甘くしたり、嫌いな野菜を美味しく感じさせたりする、とても実用的な調合よ」


私が説明すると、セレーナの目が輝いた。


「それは素晴らしいですね! メイドとしても、お料理の幅が広がりそうです」

「でしょう? まずは基本の材料から——」


実験室に用意したのは『甘露草』『味覚調整石』『香り封じ込め液』『舌苔浄化粉末』。どれも比較的安全な材料だ。


「お嬢様、これらの材料は爆発しませんよね?」

「大丈夫よ! 今回は温和な材料ばかりだから」


私の保証に、セレーナはほっと胸を撫で下ろした。


「それでは、まず『甘露草』を細かく刻んで——」

「このように?」


セレーナが慎重にナイフを動かす。几帳面な彼女らしく、とても丁寧だ。


「上手じゃない! 私なんて最初の頃、草を刻むより指を切りそうになったことの方が多かったわ」

「お嬢様らしいです……」


苦笑いしながら、セレーナは作業を続ける。


「次は『味覚調整石』を粉末にするのね」


私が石臼を用意していると——


「お嬢様、この石、なんだか暖かいのですが……」

「あ、それは正常よ。魔力に反応して体温を感じ取るの」


しかし、セレーナの手に触れた瞬間、石の色が変化し始めた。


「あれ? 虹色に……」

「え? 普通は薄いピンク色になるはずなのに……」


どうやらセレーナの魔力が、以前の実験の影響で変質しているらしい。


「まあ、色が変わっても効果は同じでしょう」

私が楽観的に言うと、セレーナは不安そうに石を見つめた。

「本当に大丈夫でしょうか……?」

「大丈夫大丈夫! むしろ虹色の方が綺麗じゃない」


——ポンッ!


その時、小さな爆発音と共に石から甘い香りが立ち上った。


「きゃあ!」

セレーナが驚いて飛び跳ねるが、害はなさそうだ。むしろ、部屋中に美味しそうな香りが漂っている。


「あら、もう香りが出てるのね。順調順調!」

「これで順調なんですか……?」


戸惑うセレーナをよそに、私は次の工程に進む。


「『香り封じ込め液』を三滴加えて——」

私が瓶を傾けた瞬間、液体が勢いよく飛び出した。


「あ!」


三滴のつもりが、大さじ一杯分くらい混ざってしまった。


「お嬢様の『三滴』は信用してませんでしたが、やはり……」

セレーナのため息が聞こえる中、混合物がぐつぐつと音を立て始める。


「大丈夫よ! ちょっと多めでも——」


——シュワシュワシュワッ!


今度は派手な泡立ちが始まった。鍋から虹色の泡があふれ出し、実験台の上を流れていく。


「あわわわわ!」


慌てて雑巾で拭こうとするセレーナ。しかし、泡に触れた雑巾が甘い香りを放ち始めた。


「この雑巾、チョコレートの匂いがします……」

「あら、意外な副作用ね」


そんな中、最後の材料『舌苔浄化粉末』を加える時が来た。


「セレーナ、今度はあなたが入れてみて」

「私が? で、でも……」

「大丈夫よ。少量ずつ、慎重にね」


セレーナが緊張した面持ちで粉末の瓶を手に取る。そして、本当に少量——ほんの一つまみを鍋に振り入れた。


——ボワーーーン!!


予想外の大爆発。しかし、破壊的な爆発ではなく、美味しそうな香りの爆発だった。


「うわああああ!」


実験室が様々な食べ物の香りで満たされる。チョコレート、バニラ、イチゴ、オレンジ、そして何故かカレーの香りまで。


「何これ、お祭りの屋台みたい……」


煙が晴れると、鍋の中には美しい虹色の液体がとろとろと揺れていた。


「完成……?」

「完成みたいですわね」


いつの間にかカタリナが実験室に来ていた。

いつものように完璧な縦ロールで、蒼い瞳を輝かせている。


「香りに誘われて参りましたの。とても美味しそうな匂いですわね」

「カタリナ! セレーナの錬金術デビュー作よ」

「まあ、セレーナさんの? それは素晴らしいですわ」


セレーナが照れながら頭を下げる。


「ありがとうございます。でも、最後は爆発してしまって……」

「ルナさんの指導を受けていれば、爆発は避けられませんわ」


カタリナの的確な分析に、私は苦笑いする。


「さあ、効果を試してみましょう!」

私が『味覚変化薬』を小さなコップに注ぐ。虹色の液体が美しく輝いている。


「まず私が……」

一口飲んでみる。


「おお! 甘くて美味しい! これは成功ね」

「本当ですか?」

「ええ、とても——」


その時、突然味覚が変化し始めた。


「あれ? 今度は酸っぱい……いや、辛い? え、苦い?」

一秒ごとに味が変わっていく。


「お嬢様? 大丈夫ですか?」

セレーナが心配そうに見つめる中、私の味覚はさらに混乱していく。


「今度は……カレー? なんでカレーの味がするの?」

「カレーって……」


「あ、今度はお花の味……綺麗だけど食べ物じゃない……」

どうやら『味覚変化薬』が暴走して、ありとあらゆる味を再現しているらしい。


「ルナさん、大変なことになってますのね」

カタリナが冷静に観察している。


「でも、面白い現象ですわ。通常の味覚変化薬は一種類の味しか変えられませんのに」

「面白いって言うけど……うわ、今度は土の味がする……」


私が苦しんでいると、実験室のドアが開いた。


「お嬢様、大変です!」


ハロルドが慌てて駆け込んでくる。


「屋敷中の食べ物の味が変わっております!」

「え?」

「パンがチョコレート味になり、紅茶がオレンジの味に、そしてスープが花の味に……」


どうやら『味覚変化薬』の影響が屋敷全体に及んでいるらしい。


「あら、これは大変ですわね」

カタリナが苦笑いしながら言う。


「でも、香りだけでこんなに影響するなんて、すごい効果ですのね」

「すごいじゃ済まされません……」


セレーナが青ざめている。


「私の初作品が大災害を……」

「大丈夫よ、セレーナ! これも立派な実験結果よ」

「慰めになってません……」


その時、厨房からメイドたちの悲鳴が聞こえてきた。


「お砂糖が塩の味になってます!」

「お肉がフルーツの味に!」

「お魚が甘いケーキの味です!」


「うわあ、大変なことになってるわね……」

私が慌てていると、さらに悪いことが起こった。


——ポンポンポンッ!


鍋から小さな泡が飛び散り、それぞれが異なる香りを放っている。

「今度は香りまで変化してる……」


実験室がカレー、香水、焼きそば、花束、そして何故か体育館の匂いまで入り混じったカオスな空間になった。


「体育館の匂いって何ですの……?」

カタリナが困惑している。


「多分、前世の記憶が混じったのね……」


そんな中、思わぬ来客があった。


「失礼いたします」

校長先生が現れた。例の虹色の髪で、今日も若々しい。


「街中で『アルケミ家の屋敷から美味しそうな香りがする』と話題になっておりまして……」

「あ、校長先生! ちょうど良いところに」


私が状況を説明すると、校長は興味深そうに頷いた。


「なるほど、味覚と嗅覚の同時変化ですか。これは研究価値がありますね」

「研究って……」

「はい。感覚の複合変化は錬金術の新分野です」


校長が鍋を覗き込むと、突然彼の表情が変わった。


「この香り……まさか『全感覚統合薬』になっているのでは?」

「全感覚統合薬?」

「味覚、嗅覚、触覚、聴覚、視覚すべてに影響する、伝説の調合薬です」


校長の説明に、私たちは驚愕した。


「そんなすごいものが偶然……?」

「セレーナさんの魔力が特殊だったのでしょう。通常では起こりえない現象です」


そう言われて、セレーナを見ると、彼女の虹色の髪がキラキラと光っている。


「私の魔力が……?」

「恐らく、今まで蓄積された魔力が今回開花したのです」


校長の分析は続く。

「これは学院でも研究したい現象ですね」


その時——


——ドーーーン!!


屋敷を揺るがす大爆発。しかし今度は音の爆発だった。


「♪美味しい〜美味しい〜みんな美味しい〜♪」


何処からか歌声が聞こえてくる。

「あ、音覚にも影響が……」


見ると、屋敷中のメイドたちが楽しそうに歌いながら料理している。


「♪お砂糖はしょっぱいけど〜♪」

「♪お肉は甘いけど〜♪」

「♪みんなで楽しくお料理しましょ〜♪」


「メイドさんたち、楽しそうですのね」

カタリナが微笑ましく見ている。

「でも、お食事はどうするのでしょう?」


確かに、このままでは夕食が大変なことになる。


「大丈夫! 中和薬を作りましょう」

「中和薬って作れるんですか?」

セレーナが希望に満ちた表情で聞く。


「もちろんよ! 『感覚正常化薬』の調合は——」

私が材料を取り出そうとした瞬間——


——パラパラパラッ!


棚から材料の瓶がすべて落ちてきた。『全感覚統合薬』の影響で、重力感覚まで狂っているらしい。


「うわああああ!」


実験室が材料まみれになった。


「これは……もう手が付けられませんわね」

カタリナがため息をつく。


「でも、心配は要りません」

校長が安心させるように言う。


「この手の効果は通常、24時間で自然に消失します」

「24時間……」

「つまり、明日の朝まで辛抱すれば元に戻るということです」


校長の説明に、私たちはほっと胸を撫で下ろした。


「それなら、今日一日は『感覚の冒険』を楽しみましょう!」

「冒険って……」

セレーナが困惑している。


その時、兄が実験室に現れた。

「ルナ、今度は何を——うわあ!」

彼も香りの影響を受けて、突然踊り始めた。


「♪妹の実験はいつも大騒ぎ〜♪」


「兄さんまで歌ってる……」


「♪でも楽しいからまあいいか〜♪」


意外にも前向きな歌詞に、みんなで笑った。


「そういえば、セレーナ」

「はい、お嬢様」

「今回の実験、どうだった?」


セレーナは少し考えてから答えた。


「とても……刺激的でした」

「刺激的?」

「はい。普通のメイドでは絶対に体験できない、貴重な経験でした」


彼女の前向きな答えに、私は嬉しくなった。


「それなら次は『香り記憶薬』を作りましょう!」

「香り記憶薬……?」

「匂いで過去の記憶を呼び覚ます薬よ」


「それは……また大変そうですわね」

カタリナが苦笑いしている。


「でも面白そう!」


「面白いのは確かですが……屋敷が無事かどうか……」

ハロルドが心配そうに呟く。


その後、カタリナは帰宅の準備を始めた。


「それでは、お先に失礼いたしますわ」

「カタリナ、今日はありがとう! セレーナの応援もしてくれて」

「いえいえ、とても興味深い体験でした」


カタリナが優雅に微笑む。


「明日は学院で、今日の実験について詳しく聞かせてくださいね」

「もちろんよ!」


「それから——」

カタリナが振り返る。


「セレーナさん、錬金術の才能がおありのようですわね」

「え? 私にですか?」

「ええ。通常では起こりえない現象を引き起こすなんて、素質の証拠ですわ」


カタリナの言葉に、セレーナは嬉しそうに頬を染めた。


「頑張って勉強してくださいね」

「はい! ありがとうございます」


カタリナが去った後、夕食時の食卓に並んだのは見た目は普通だが、味が全く違う料理の数々。


「パンがチョコレート味……意外に美味しいな」と兄が言いながら首をかしげる。

「スープがお花の味……これはちょっと……」

「お魚のケーキ味は新しい発見かも」


みんなで感想を言い合いながら、不思議な食事を楽しんだ。


「セレーナ、初作品にしては大成功よ」

「大成功って……屋敷中が大混乱ですが」

「でも、誰も怪我してないし、新しい発見もあったし」


私の前向きな評価に、セレーナは苦笑いした。


「お嬢様と一緒にいると、価値観が変わりそうです……」

「それはいいことよ!」

「本当にいいことなんでしょうか……」


——ポンッ!


食卓の上で小さな爆発が起こり、美味しそうな香りが立ち上った。


「あ、まだ効果が続いてる」

「明日の朝まで、この調子ですね」


ハロルドがため息をつく。


「まあ、たまにはこんな夜も悪くないわ」

「お嬢様はいつもこんな夜ですが……」


セレーナの的確なツッコミに、食卓が笑いに包まれた。


翌朝、すべての感覚が正常に戻った時、セレーナは言った。


「お嬢様、次の実験も楽しみです」

「本当に?」

「はい。昨日の体験で、錬金術の奥深さを感じました」


彼女の目が輝いている。


「それなら今度は『色彩変化薬』を——」

「色彩変化薬って……まさか……」


セレーナの不安そうな表情を見て、私は胸を張った。


「大丈夫よ! 今度こそ、きっと——」

「お嬢様の『今度こそ』は……」

「信用できない、でしょう? でも——」


——ポンッ!


まだ実験していないのに、机の上で小さな爆発が起こった。まるで、次の実験を催促しているかのように。


「……明日も大変そうですね」


ハロルドの呟きが、朝の空に響いていく。

平穏な朝は、アルケミ家には今日も存在しない。

でも、それがとても楽しい毎日なのだ。

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