第13話 光る教科書と音楽の大災害
「お嬢様、『光る教科書』の材料をご用意いたしました」
翌朝、セレーナが震え声で報告してくれた。昨夜の「髪が歌う事件」以来、彼女の表情には諦めに似た覚悟が宿っている。
「ありがとう、セレーナ。今日こそ完璧な発明を——」
「お嬢様の『今日こそ』は昨日も聞きました」
彼女の的確なツッコミに、私は苦笑いする。
材料は『夜光苔の粉末』『音響水晶の欠片』『記憶定着インク』『魔力伝導紙』。
そして、昨日から準備していた『自動索引システム』。
「今回は慎重に、少量ずつ混ぜていくわ」
「少量ずつと言いながら、だいたい大さじ一杯入れるのがお嬢様のいつものパターンです」
セレーナの鋭い観察に、ハロルドが深く頷く。
「セレーナが屋敷の生活に慣れてきた証拠ですな」
「慣れるというより、諦めたのです……」
彼女のため息を聞きながら、私は書斎で実験を開始した。
まずは『夜光苔の粉末』を少量——本当に少量——スプーンの先にちょっとだけ取る。
「こんなものかしら?」
「お嬢様、それでも普通の人の三倍くらいありますが……」
「え? これが少量じゃないの?」
どうやら私の「少量」の感覚がずれているらしい。
「まあ、いいじゃない。次は『音響水晶』を——」
私が水晶の欠片を手に取った瞬間、それは美しい音を奏で始めた。
「♪キラキラキラ〜♪」
「わあ、綺麗な音……」
思わず聞き惚れてしまう。この水晶、予想以上に音響効果が高い。
「お嬢様、あまり長時間聞いていると催眠効果が出ますよ」
「え?」
セレーナの警告を聞いた時には既に手遅れ。私の意識がふわふわしてきた。
「あ、あれ……なんだか眠く……」
「お嬢様!」
——ガシャン!
よろめいた私が実験台にぶつかり、すべての材料が床に散らばった。
「きゃああああ!」
セレーナの悲鳴と共に、材料たちが勝手に混ざり合い始める。
『夜光苔』が光り、『音響水晶』が音を奏で、『記憶定着インク』が虹色に変化し、『魔力伝導紙』がくるくると舞い踊る。
「これは……まずいですね」
ハロルドが冷静に状況を把握する。
——ボボボボンッ!
連続小爆発と共に、書斎が幻想的な音楽会場に変化した。
壁からは美しいメロディが響き、天井には光る文字が踊っている。そして、床に散らばった紙切れたちが自分で立ち上がり、空中でページをめくり始めた。
「うわあ、本当に『光る教科書』ができてる……」
意識を取り戻した私が見上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
空中に浮かぶ数十枚の紙が、それぞれ異なる内容を光らせながら表示している。しかも、読みたい箇所を考えるだけで、その部分が拡大表示される。
「♪基礎魔法理論〜第一章〜魔力とは何か〜♪」
「♪錬金術入門〜材料の特性について〜♪」
「♪歴史概論〜古代魔法王国の興亡〜♪」
教科書の内容が美しいメロディに乗って歌われている。
「これは……すごいですわね」
いつの間にかカタリナが書斎に来ていた。いつものように完璧な縦ロールで、蒼い瞳を輝かせている。
「音楽で記憶に定着させる効果まであるなんて……」
「カタリナ! どうしてここに?」
「お屋敷から音楽が聞こえてきましたので……」
確かに、この音楽なら屋敷の外まで聞こえるだろう。
「しかも、とても美しいメロディでしたから、思わず聞きに来てしまいました」
カタリナが空中の教科書に手を伸ばすと、紙が彼女の方に飛んできて、優雅に舞い踊った。
「『魔法薬学応用編』……私の苦手分野ですが、この音楽なら覚えられそうですわ」
「♪魔法薬学〜応用編〜材料の相乗効果について〜♪」
美しい女声が内容を歌い上げると、カタリナの表情が明るくなった。
「本当に理解しやすいですわ! ルナさん、これは素晴らしい発明です」
「でしょう? でも、まだ問題が——」
その時、音楽が突然大きくなった。
「♪LUNA-CHAN SAIKOU! BAKUHATSU SAIKOU!♪」
「あ、昨日の『自動記録ノート』の影響が残ってる……」
空中の教科書たちが、勝手に私を讃える歌を歌い始める。
「♪天才錬金術師ルナちゃん♪」
「♪今日も爆発で大成功♪」
「♪みんなで一緒に歌いましょう♪」
「歌いましょうって言われても……」
困惑している私たちをよそに、教科書たちはますます盛り上がっていく。
——ドンドンドンッ!
太鼓のような音まで聞こえ始めた。
「お嬢様、音楽が屋敷中に響いております」
ハロルドが慌てて報告に来る。
「メイドたちが踊り始めました」
「踊り始めた?」
「はい。どうやら音楽に『強制ダンス効果』があるようです」
確かに、廊下から楽しそうな足音が聞こえてくる。
「あら、本当ですわね」
カタリナも音楽に合わせて、自然に体が動き始めている。
「♪一、二、三、四♪」
「カタリナまで踊ってる……」
見ると、セレーナも音楽に合わせて足踏みしている。
「あ、体が勝手に……」
「これは……音楽の魔力が強すぎるのね」
私も抵抗できずに、リズムに合わせて体が動き始めた。
——そして、決定的な瞬間が訪れる。
「♪みんなで一緒に〜♪」
空中の教科書たちが一斉にクレッシェンドを始めた瞬間——
——BOOOOOM!!!
屋敷を揺るがす大爆発。しかし今度は破壊的な爆発ではなく、光と音楽の大爆発だった。
書斎の窓から虹色の光が噴き出し、音楽が街中に響き渡る。
「うわああああ!」
私たちは爆風で飛ばされ——ではなく、音楽の力で空中に舞い上がった。
「きゃああ! 飛んでますの!?」
カタリナが驚きながらも、空中で優雅にダンスしている。
「これは……『浮遊ダンス効果』ですね」
ハロルドも空中で踊りながら冷静に分析する。
「お嬢様の実験は、いつも想像を超えます」
そんな中、セレーナだけは冷静だった。
「皆さん、あれを見てください」
彼女が指差した窓の外では、街の人々が一斉に踊り始めていた。
「あら、みんな楽しそう……」
「楽しそうじゃありません! 大変なことになってます!」
確かに、パン屋のおじさんも、通りの貴婦人も、馬車の御者も、みんな音楽に合わせて踊っている。
しかも、踊りながら勉強している。
「♪九九を覚えよう〜二×二は四〜♪」
「♪魔法の基本〜精神集中が大切〜♪」
どうやら『光る教科書』の学習効果が街全体に及んでいるらしい。
「ルナさん、これは……」
カタリナが空中で困惑している。
「街全体が学習塾になってますわ」
「学習塾って……」
見ると、本当に街の人々が踊りながら様々な知識を吸収している。子どもたちは算数を、大人たちは実用的な魔法を、お年寄りは歴史を学んでいる。
「あ、でも楽しそう……」
確かに、みんな笑顔で踊っている。苦痛ではなく、楽しんで学習している様子だ。
「♪学ぶって楽しい〜知識は宝物〜♪」
街中から合唱が聞こえてくる。
その時——
「何事だー!」
王立魔法学院の方角から、グリムウッド教授の声が響いた。
「あ、先生たちが来る……」
慌てて窓を見ると、学院の教師たちが魔法の絨毯で飛んでくる。しかし、近づくにつれて彼らも音楽の影響を受け始めた。
「♪これは何という美しい音楽〜♪」
「♪教育効果が素晴らしい〜♪」
「♪生徒たちの学習意欲が向上している〜♪」
先生たちも踊り始めた。
「あら、教授方まで……」
カタリナが苦笑いする。
「でも、確かに教育効果は抜群ですわね」
そうこうしているうちに、校長先生も現れた。例の虹色の髪で、今日も若々しい。
「ルナ・アルケミさーん!」
空中を飛びながら手を振っている。
「今度は何を——」
彼も音楽の圏内に入った瞬間、優雅に踊り始めた。
「♪これは素晴らしい学習システム〜♪」
「♪全市民の知識レベルが向上〜♪」
「♪ノーベル賞ものの発明〜♪」
校長の絶賛する歌声が響く。
「ノーベル賞って何ですの?」
カタリナが首をかしげる。
「さあ? 前世の記憶が混じったのかしら」
そんな会話をしているうちに、音楽はクライマックスを迎えた。
——キラキラキラキラ〜〜〜〜♪
空中の教科書たちが最後の大合唱。
「♪知識は力〜学習は喜び〜♪」
「♪みんなで一緒に〜賢くなろう〜♪」
「♪ルナちゃん万歳〜錬金術万歳〜♪」
そして——
——ポフッ!
突然音楽が止まり、私たちは優雅に床に着地した。
「あ、あれ?」
空中の教科書たちも、ひらりと机の上に舞い降りる。しかし、今度は普通の教科書として機能している。文字が光り、重要部分が音楽付きで読める、完璧な学習ツールになっていた。
「成功……?」
「成功みたいですわね」
カタリナが教科書を手に取る。
「♪魔法薬学、第三章〜♪」
小さな美しい声で内容が歌われ、カタリナの理解が深まっていく。
「これなら音量も適切ですし、学習効果も抜群ですわ」
「やったあ!」
私が喜んでいると、窓の外から拍手が聞こえてきた。
街の人々が、みんな手を叩いている。
「ありがとうございました〜!」
「久しぶりに楽しく勉強できました〜!」
「また機会があればお願いします〜!」
みんな満足そうに普段の生活に戻っていく。
「街の皆さんにも喜んでもらえたのね」
「結果オーライですが、今度からは事前に範囲を限定してください」
ハロルドの苦言に、私は素直に頷く。
「今度からは気をつけるわ」
「お嬢様の『今度からは』も信用できませんが……」
セレーナのツッコミがいちいち的確だ。
夕方、学院から正式な使者がやってきた。
「ルナ・アルケミさん、校長からの伝言です」
「何でしょう?」
「『光る教科書』を学院で正式採用したいとのことです」
「本当に?」
「ただし、使用は校内に限定し、一度に使える冊数も制限するとのことです」
使者の説明に、私は大きく頷く。
「承知しました! 責任を持って改良版を作らせていただきます」
使者が帰った後、カタリナが感心したように言った。
「ルナさんの発明は、いつも最終的には素晴らしい結果になりますのね」
「そうなの! 失敗は成功の母よ」
「あなたの場合は『大爆発は大発明の母』ですわ」
的確すぎるツッコミに、みんなで笑った。
「ところで、セレーナ」
「はい、お嬢様」
「あなた、最近実験の手伝いが上手になったわよね」
確かに、セレーナは材料の特性を理解し始めている。危険の予測も的確だ。
「あの……実は、少し興味があるのです」
「興味?」
「錬金術に、です」
セレーナの目が輝いている。
「お嬢様の実験を間近で見ていると、とても奥深い学問だと感じます」
「本当に?」
「はい。もし可能でしたら……少しずつでも学ばせていただければ」
私は嬉しくなって立ち上がった。
「もちろんよ! 一緒に実験しましょう」
「ありがとうございます!」
「でも、まずは基本から……」
「基本と言いながら、だいたい爆発から始まるのがお嬢様です」
ハロルドの指摘に、私は苦笑いする。
「今度こそ、基本の基本から——」
その時、机の上の『光る教科書』から小さな音楽が聞こえてきた。
「♪明日はもっと素晴らしい実験を〜♪」
「また勝手に歌ってる……」
「『光る教科書』にも意識が芽生えたのでしょうか?」
カタリナの疑問に、私たちは顔を見合わせた。
「まあ、そのうち分かるでしょう」
「その『そのうち』が一番怖いのです……」
セレーナの正直な感想に、屋敷中が笑いに包まれた。
「♪今日も平和なアルケミ家〜♪」
『光る教科書』の歌声が、夜の屋敷に響いていく。
明日はどんな実験が待っているのだろうか。
——答えは、きっと「教科書が歌うよりもさらに驚くべき何か」である。
「お嬢様、明日の学院の準備は……」
「そうそう! 『光る教科書』の改良版を作りましょう。今度は楽器の音も加えて——」
「楽器って!?」
「オーケストラみたいに豪華にするの」
「豪華って……まさか……」
セレーナの青ざめた顔を見て、私は胸を張った。
「大丈夫よ! 今度こそ、きっと——」
「お嬢様の『今度こそ』は……」
「信用できない、でしょう? でも大丈夫!」
——ポンッ!
机の上で『光る教科書』が小さく光った。まるで、明日の実験を楽しみにしているかのように。
静かな夜は、アルケミ家には今日も存在しない。
明日もきっと、爆発と音楽に満ちた一日になるだろう。




