第114話 魔王城のボタニカルガーデンと観光客騒動
「魔王城に行ってみない?」
春の陽光が差し込む居間で、私はカタリナに提案した。
彼女はお茶を飲みながら、興味深そうに眉を上げた。
「魔王城ですの?確か、観光地になったとか……」
「そうそう!セレスティアから手紙が来てて、春になったらすごく綺麗になったって書いてあったの」
私は魔王セレスティアからの手紙を取り出した。
丁寧な字で『ルナさんへ。魔王城のボタニカルガーデンが素晴らしく美しくなりました。ぜひ一度見にいらしてください』と書いてある。
「魔王様からお手紙なんて、すごいですわね」
「きっと困ったことがあるんじゃないかな」
「困ったこと?」
「だって、『ぜひ助けて』って書いてないけど、なんとなく困ってそうな雰囲気が……」
私の直感に、カタリナが「ルナさんらしい発想ですわね」と微笑んだ。
「それでは、お邪魔してみましょうか」
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魔王城への道のりは、以前とは全く違っていた。
昔は暗くて怖い森の道だったのに、今は整備された石畳の道が続いている。
道の両側には色とりどりの花が植えられ、まるで遊歩道のようだ。
「まあ、本当に観光地になってしまったのですわね」
カタリナが感心している。
確かに、あちこちに案内看板が立っていて、『魔王城ボタニカルガーデンまで500メートル』なんて書いてある。
「すごい変わりよう!」
そして、魔王城が見えた瞬間、私たちは言葉を失った。
「これが……魔王城……?」
城の外壁は相変わらず虹色に光っているけれど、それを囲むようにして広がっているのは、息をのむほど美しい庭園だった。
色とりどりの花々が幾何学的に配置され、噴水や小川が園内を縫うように流れている。
まるで王宮の庭園のようだ。
「ボタニカルガーデンって、こういうことだったのね」
園内には大勢の観光客がいる。
家族連れ、カップル、学者らしき人たち。みんな庭園の美しさに見とれている。
そのとき、虹色スライムが一匹、ぷるぷると震えながら近づいてきた。
「あ、虹色スライムちゃん! 元気だった?」
スライムが嬉しそうにぷるぷる震えている。
意思疎通で「セレスティア様が大変」という気持ちが伝わってきた。
「セレスティアが困ってるの?」
確かに、よく見ると庭園の至る所で観光客が質問をしている。
植物の名前を聞いたり、写真を撮らせてもらったり。
「セレスティアは今どこにいるの?」
虹色スライムがぷるぷる震えて、中央の大温室の方向を指すように動いた。
どうやらあそこにいるらしい。
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中央の大温室に向かう途中、私たちはバルトルドに出会った。
「おや、ルナ様!お久しぶりでございます」
いつものように完璧な礼装のバルトルドだが、少し疲れた様子だ。
「バルトルド!久しぶり!セレスティアは大変そうだね」
「はい……観光客の皆様は素晴らしい方々なのですが、数が……」
彼が困ったような表情で大温室を指差すと、そこには長蛇の列ができていた。
「セレスティア様への質問攻めが止まりませんで……」
「そっか、困ってるのね」
私は考え込んだ。
観光客は悪い人じゃないけれど、セレスティアが疲れてしまうのは困る。
「何か手伝えることはない?」
「実は……」バルトルドが申し訳なさそうに言った「お客様に植物の説明をしてくださる方がいればよろしいのですが……」
「植物の説明?」
「ルナさん、薬草学が得意でしたわね」
カタリナが思い出してくれた。確かに、薬草についてなら詳しい。
「よし!私が案内役をやってみる!」
「本当ですか!ありがとうございます!」
バルトルドがほっとした表情を見せた。
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大温室の中は、まさに植物の楽園だった。
熱帯の花々、薬草、珍しい魔法植物まで、ありとあらゆる植物が美しく配置されている。
そして中央には、観光客に囲まれて困ったような表情のセレスティアがいた。
「あの、この花の名前は……」
「この薬草の効果を教えて……」
「写真を一緒に……」
質問攻めにあっているセレスティアを見て、私は立ち上がった。
「皆さん、植物の案内でしたら私がいたします!」
大きな声で宣言すると、観光客たちがこちらを振り返った。
「私はルナ・アルケミ、薬草学が専門です!」
「おお、薬草の専門家!」
「それは心強い!」
観光客たちが私の周りに集まってきた。
セレスティアがほっとした表情で私を見ている。
「それでは、この温室の植物について説明しますね!」
私は一番近くにある光る花を指差した。
「これは『月光花』という薬草で、夜に美しく光ります。不眠症に効果があるんですよ」
「へえ、面白い!」
「光る花なんて初めて見た!」
観光客たちが興味深そうに聞いている。
「こちらは『歌草』です。風が吹くと美しい音を奏でるんです。心を落ち着ける効果があります」
実際に歌草に息を吹きかけると、美しいメロディーが響いた。
「すごい!本当に歌ってる!」
「魔法植物って不思議ね!」
みんな大喜びだ。私も楽しくなってきた。
「あ、これは『笑い苔』ですね。触ると笑いたくなるんです」
「え、本当?」
一人の観光客が恐る恐る触ってみると、突然「あははは!」と笑い出した。
「本当に笑ってる!」
「私も触ってみたい!」
温室が笑い声に包まれた。
そのとき、私は面白いアイデアを思いついた。
「そうだ!『植物体験ツアー』をしてみない?」
「植物体験ツアー?」
「実際に植物に触れたり、香りを嗅いだりして、五感で楽しむツアーです!」
「それは面白そう!」
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私の植物体験ツアーは大盛況だった。
観光客たちは『香り薔薇』の芳醇な香りに感動したり、『音楽蔦』の奏でるハーモニーに聞き入ったり。
「これは『温かい苔』です。触ると心がぽかぽかしますよ」
「本当だ!なんだか幸せな気分になる!」
「こちらは『虹色菌』。見てると心が洗われる気分になります」
色とりどりに光る美しい菌類に、皆が見とれている。
そんな中、私は気がついた。
温室の隅で、一人の小さな女の子が泣いていることに。
「どうしたの?」
近づいてみると、5歳くらいの女の子がママとはぐれてしまったらしい。
「ママがいない……」
「大丈夫、すぐに見つかるよ」
私は女の子の手を取った。
でも、これだけ大勢の人がいる中で探すのは大変だ。
「そうだ!いいことを思いついた!」
私は『歌草』の前に女の子を連れて行った。
「この草に『ママ』って呼びかけてみて。きっとママに聞こえるから」
「本当?」
女の子が歌草に向かって「ママー!」と呼びかけると、歌草が美しい音色でその声を増幅した。温室中に響く美しい『ママー!』の声。
すると、すぐに「あなた!ここにいたの!」というお母さんの声が聞こえた。
「ママ!」
母娘が再会を果たす光景に、周りの観光客も温かい拍手を送った。
「ありがとうございました!素敵な解決方法ですね」
お母さんがお礼を言ってくれる。私も嬉しくなった。
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夕方、観光客が帰った後、私たちは静かになった温室でセレスティアとお茶をしていた。
「ルナさん、今日は本当にありがとう。とても助かりました」
セレスティアが心から感謝してくれる。
「どういたしまして!でも、毎日こんなに大勢だと大変でしょう?」
「そうなんです。嬉しいことなのですが、一人では対応が……」
「それなら、定期的に植物案内ツアーを開催するのはいかがでしょうか?」
カタリナが提案した。
「植物案内ツアー?」
「はい。決まった時間に専門ガイドが案内するんです。そうすれば、セレスティア様への質問も減るでしょうし、観光客の方もより楽しめますわ」
「それはいいアイデアね!」
私も賛成した。
「でも、ガイドをお願いできる方が……」
「私がやる!」
私は手を上げた。
「春休みの間だけでも、定期的に来るよ!」
「本当?ルナさん……」
セレスティアの目が潤んでいる。
「友達でしょう?困った時はお互い様!」
「私もお手伝いいたしますわ」
カタリナも協力を申し出てくれた。
「ありがとう、二人とも……」
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その夜、魔王城の客室で私たちは今日の出来事を振り返っていた。
「今日は楽しかったですわね」
「うん!植物の案内って意外と面白い!」
「お嬢様の説明、とても分かりやすかったです」
セレーナも褒めてくれた。
「明日からは定期ツアーの準備をしなくちゃ」
私は早速計画を練り始めた。
ふわりちゃんも肩の上で「ふみゅ〜」と協力的な声を上げている。
「でも、せっかくだから実験もしてみたいな」
「実験?」
「植物を使った新しい薬とか! 観光客の人たちにも喜んでもらえそうなやつ!」
「お嬢様……まさか魔王城で爆発実験を……」
セレーナが青ざめた。
「大丈夫、大丈夫! 今度は安全第一で!」
「それが一番心配なんです……」
でも、セレーナの表情もどこか楽しみにしているようだった。
窓の外では、ライトアップされた庭園が美しく光っている。
明日もきっと大勢の観光客がやってくるだろう。
私にできることで、みんなが楽しめる魔王城にしていきたい。




