第111話 造船所と海風と止まらない船
三日目の朝、私たちは港の造船所に向かっていた。
石畳の道を歩いていると、遠くから大きな槌の音が響いてくる。
「あそこがローゼン造船所ですわ、ルナさん」
カタリナが指差した先には、巨大な木造建築物が見えた。
その中では、職人たちが大きな船を作っているようだ。
「わあ、大きな船!」
造船所に近づくと、さらに迫力が増した。
まだ完成していない船の骨組みが、まるで巨大な魚の骨のように組み上げられている。
職人たちが汗を流しながら、丁寧に木材を削ったり組み立てたりしていた。
「こちらが造船所の親方のブラウンさんですわ」
カタリナが紹介してくれたのは、日焼けした逞しい中年男性だった。
「おお、カタリナお嬢様。こちらが錬金術師の?」
「はい!ルナ・アルケミです!船作り、すごいですね!」
私が感激していると、ブラウンさんが誇らしげに胸を張った。
「ありがとうございます!この船は王都への定期便用でしてね。特別な木材を使っているんですよ」
「特別な木材?」
「ほら、あの青っぽい木材です」
彼が指差したのは、確かに普通の木とは違う、青みがかった美しい木材だった。
「あれは『海風樫』といいまして、この地方でしか取れない特殊な木なんです。海の魔力を吸って育つので、船に使うと風を受けやすくなるんですよ」
「海の魔力を吸った木!」
私の目がきらきらと輝いた。隣でセレーナが「また始まりましたね」という表情をしている。
「ルナさん、まさかその木で……」
「『船を早くする薬』!海風樫の木屑があれば、きっと作れる!」
「あはは、面白いお嬢さんですね!木屑ならいくらでもありますよ」
ブラウンさんが豪快に笑った。
「本当?ありがとうございます!」
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造船所の隅で、私たちは木屑を集めていた。
海風樫の木屑は、普通の木屑と違って潮の香りがする。
「この香り、なんだか懐かしい感じがするね」
「海の記憶が込められているのかもしれませんわね」
カタリナが木屑を手に取りながら言った。
「それに、昨日買った材料と組み合わせれば……」
私は持参した錬金術道具を取り出した。携帯用の小さな調合セットだ。
「お嬢様、造船所で実験するんですか?」
「うん!船の近くで作った方が、きっと効果が上がるよ!」
セレーナが慌てて防護結界を張り始めた。
その様子を見て、職人たちが興味深そうに集まってきた。
「おお、錬金術の実験かい?」
「船を早くする薬を作るんです!」
「それは面白い!ぜひ見せてもらいましょう」
ブラウンさんも期待に満ちた表情だ。
「それでは始めますよ!まずは海風樫の木屑を……」
私は小さな蒸留器に木屑を入れた。
次に、昨日買った光貝の粉末と、新たに港で購入した『風呼び草』を加える。
「今度は風の力も借りるのですね」
「そう!海風樫の海の力と、風呼び草の風の力を組み合わせれば、船がびゅーんって早くなるはず!」
私が手をひらひらと動かして説明すると、職人たちが「ほうほう」と頷いた。
「次に、魔力を込めた火で……」
蒸留器の中で材料がぐつぐつと煮え始めた。
すると、不思議なことに蒸留器の周りに小さな風が起こった。
「おお、風が……」
「これは期待できそうですわね、ルナさん」
カタリナが興奮している。
液体の色も、美しい青緑色に変化していた。
「いい感じ!もう少し……」
その時だった。
ーープシュー!
今度は爆発ではなく、蒸留器から勢いよく蒸気が噴き出した。
その蒸気に触れた木材が、ふわりと浮き上がったのだ。
「うわあ! 木が浮いてる!」
「これは……浮遊効果ですか!?」
職人たちが驚愕している。
蒸気が収まると、調合器の中には透明な液体が残っていた。
「成功! これが『船足向上薬』だよ!」
「お嬢様、今度は何も光りませんでしたね」
「代わりに物を浮かせる効果があるみたいだね!」
私が小瓶に液体を移していると、ブラウンさんが興味深そうに近づいてきた。
「これを船に塗ると早くなるんですか?」
「多分! 試してみない?」
「おお、ぜひ!」
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造船所の桟橋で、私たちは小さなボートを使って実験することにした。
「このボートに薬を塗ってみますわね」
カタリナが船体に液体を塗り始めた。
すると、ボートがほんの少し水面から浮き上がった。
「浮いてる!本当に浮いてる!」
「これで海に出てみましょう」
私たちがボートに乗り込むと、いつもよりもスムーズに進んだ。
それどころか、風もないのにどんどん加速していく。
「きゃあ!早い早い!」
「ルナさん、これはすごいですわ!」
カタリナが興奮している。
セレーナも「確かに効果は抜群ですね」と感心していた。
「でも、止まり方が分からない!」
そう、ボートはどんどん加速して、もはや普通のボートの速度ではなくなっていた。
「お嬢様、『減速薬』とかは作らなかったんですか?」
「あ……忘れてた」
「忘れてたって……」
その時、桟橋からブラウンさんの大声が聞こえた。
「お嬢さんたち!港の外に出ちゃだめだー!」
「えー!でもボートが勝手に……」
私が慌てていると、ふわりちゃんが「ふみゅ!」と鳴いて小さな翼を広げた。
すると、ボートの周りに柔らかい光の膜ができて、急にボートが減速し始めた。
「ふわりちゃん、ありがとう!」
「助かりましたわ」
こうして、私たちは無事に桟橋に戻ることができた。
「いやー、驚きました!本当に船が早くなるとは!」
ブラウンさんが感激している。
「でも、減速装置も必要ですわね」
「そうだね。今度は『ブレーキ薬』も作ってみよう!」
「お嬢様の実験は、いつも一長一短ですね」
セレーナが苦笑いしていた。
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その日の午後、私たちは造船所で職人さんたちと一緒にお茶をしていた。
港を見渡せる休憩スペースで、海風が心地よく吹いている。
「それにしても、面白いお嬢さんたちですね」
「ブラウンさんも面白い船をたくさん作ってるじゃないですか」
私がそう言うと、彼は照れたように頭を掻いた。
「いやいや、でもあなた方の錬金術には敵いませんよ。まさか本当に船が早くなるとは」
「次は大きな船でも試してみたいですね」
「お、それはいいアイデアだ!でも今度は『減速薬』も忘れずに」
皆が笑った。
「そういえば、明日は何をなさる予定ですか?」
「うーん、まだ決めてないけど……」
私が考えていると、カタリナが提案した。
「それでしたら、明日は市場を案内いたしますわ。きっと珍しい材料が見つかりますの」
「本当?楽しみ!」
「お嬢様、今度は市場全体を光らせたりしませんよね?」
「大丈夫、大丈夫!多分……」
「また多分って……」
セレーナが頭を抱えた。
でも、その表情はどこか楽しそうだった。
ふわりちゃんが肩の上で「ふみゅ〜」と鳴いて、海風に小さな翼を広げている。
ハーブもポケットの中で「ピューイ」と心地よさそうに鳴いた。