第109話 侯爵領と錬金術師の春休み
「ルナさん、今度の春休みに私の実家に遊びに来ませんこと?」
王立魔法学院の廊下で、カタリナが縦ロールを優雅に揺らしながら私に声をかけてきた。
蒼い瞳がきらきらと輝いている。
「本当!?ぜひお邪魔したい!」
私は飛び跳ねんばかりに喜んだ。
肩の上のふわりちゃんも「ふみゅ〜♪」と嬉しそうに鳴いている。
ポケットの中のハーブも「ピューイ」と賛成の声を上げた。
「それでしたら、実家の錬金術工房もご案内いたしますわ。港町ならではの珍しい材料もございますのよ」
錬金術工房!珍しい材料!私の目がきらきらと輝く。
「カタリナ、それって実験してもいいってことですか!?」
「え、えぇ、もちろん……って、あら?ルナさん、その表情は危険な予感がいたしますわ」
カタリナがわずかに後ずさりする。
私の実験がどれほど派手になるか、彼女はよく知っているのだ。
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そして春休み、私はローゼン侯爵領へ向かう馬車の中にいた。
隣にはセレーナが座っており、いつものように私の実験道具が散らからないよう整理整頓してくれている。
「お嬢様、到着でございます」
セレーナの声で目を覚ますと、窓の外には美しい港町が広がっていた。
青い海に白い帆船がいくつも浮かんでおり、港には大きな倉庫群が立ち並んでいる。
石畳の街並みは整然として、さすが侯爵領という威厳を感じさせる。
「わあ、素敵!」
私が感嘆の声を上げていると、隣でセレーナも「確かに美しい港ですね」と微笑んでいた。
ローゼン侯爵邸の門が見えてきた。
海を見下ろす丘の上に建つ白い石造りの館は、まるでお城みたい。
「ルナさん!よくいらっしゃいましたわ!」
カタリナが玄関で出迎えてくれた。
後ろには威厳のある男性——アルフォンス・ローゼン侯爵と侯爵夫人が立っている。
「お父様、お母様、ご紹介いたします。ルナ・アルケミでございます」
「おお、噂の錬金術師殿ですな。娘がいつもお世話になっております」
侯爵は温和な笑みを浮かべて私に会釈をしてくれた。
「こ、こちらこそ!いつもカタリナ様にはお世話になっております!」
私は慌てて深くお辞儀をした。
ふわりちゃんも「ふみゅ〜」と挨拶している。
「さあさあ、まずはお部屋にご案内いたしますわ。明日は港と工房を案内いたしますわ」
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翌朝、私はカタリナと一緒に港を歩いていた。
「この辺りは魚市場ですわ。あちらが造船所、そしてあそこが貿易商たちの倉庫群ですの」
港は活気に溢れている。漁師たちが大きな魚を運んでいたり、商人たちが珍しい品物を並べていたり。
異国の香辛料の匂いが鼻をくすぐる。
「あ、あれは何?」
私が指差したのは、虹色に光る貝殻を売っている店だった。
「あら、それは『光貝』ですわね。夜になると美しく光るんですの。装飾品として人気ですけれど……」
「錬金術の材料にもなりそう!」
私の目が輝く。カタリナが「あらら」という表情になった。
「お、お嬢ちゃん、錬金術師かい?だったらこっちも見てみなよ」
店主のおじさんが奥から珊瑚のような物を持ってきた。
「これは『歌珊瑚』っていってな、風が当たると美しい音を奏でるんだ」
「わあ、素敵!これとこれと……あ、あの青い粉も!」
私はあれこれと材料を選び始めた。カタリナが慌てて止める。
「ル、ルナさん、あまり買いすぎては……」
「大丈夫!きっと面白い実験ができるわ!」
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午後、ローゼン侯爵邸の錬金術工房にて。
「それでは、早速実験を……」
私は購入した材料を並べていた。
光貝の粉末、歌珊瑚の欠片、それに青い海藻粉。
「ルナさん、一体何を作るおつもりですの?」
「『海の記憶を蘇らせる薬』よ!きっと港町の歴史が見えるはず!」
私は自信満々に言った。もちろん、適当である。
「はぁ……それでは、念のため防護結界を……」
カタリナが魔法陣を描き始める。
その時、工房にアルフォンス侯爵が入ってきた。
「実験の様子はどうかな……おや、随分と本格的ですな」
「お父様、少し離れていた方がよろしいかと……」
カタリナの忠告も虚しく、私はすでに材料を混ぜ始めていた。
「まずは光貝の粉末を……次に歌珊瑚を……そして海藻粉を……」
ぐるぐると混ぜていると、液体が美しい青色に変化した。
「おお、綺麗な色ですな!」
「でしょう? 次は魔力を込めた火で加熱して……」
その時だった。
ーーボンッ!
小さな爆発が起こり、工房が青い煙に包まれた。
と同時に、どこからともなく波の音と船乗りたちの歌声が響いてきた。
「きゃあ!」
「うわあ!」
「これは……」
煙が晴れると、工房の中に半透明の海の幻影が浮かんでいた。
古い帆船や、昔の港の様子、そして若い頃のアルフォンス侯爵らしき人物まで!
「お父様、あれはまさか……」
「お、おお……私の若い頃ではないか!初めて貿易船で海に出た時の……」
侯爵が目を見開いている。
幻影の中の若い侯爵は、船の上で嬉しそうに笑っていた。
「すごい!本当に海の記憶が見えてる!」
私は大喜びだ。
ふわりちゃんも「ふみゅみゅ〜♪」と感動している。
「で、でも……なぜ私の記憶まで……」
「きっと侯爵様の思い出の詰まった工房だからですよ!」
私が説明していると、幻影はゆっくりと薄れていった。
代わりに、さわやかな潮の香りが工房中に広がった。
「これは……素晴らしい実験でしたわ」
カタリナが感嘆の声を上げる。
「うむ、見事なものだ。まさか自分の若い頃を見ることができるとは……」
アルフォンス侯爵も満足そうに頷いた。
「成功してよかったです!」
私がにっこりと笑っていると、工房の扉が勢いよく開いた。
「お嬢様!爆発音が聞こえましたが……って、あら?」
ジュリアが短剣を構えて飛び込んできたが、平和な光景に拍子抜けしていた。
その後ろからセレーナも慌てて入ってきた。
「お嬢様、ご無事でしたか?今度は何色の煙でした?」
「今回は青い煙だったよ、セレーナ!しかも海の記憶まで見えたの!」
セレーナは慣れた様子で「それは素晴らしい成果ですね」と微笑んだ。
「ジュリア、今度は成功でしたのよ」
「そ、そうですか……それは良かったです」
彼女はほっとした表情で短剣をしまった。
セレーナも「お嬢様の実験も随分と安定してきましたね」と安堵していた。
「それにしても、港町の材料は面白いですね!明日はもっと違う実験を……」
「ル、ルナさん……少し休憩をとりませんこと?」
カタリナが苦笑いを浮かべる。
でも、その目は優しかった。
「お茶でもいただきながら、今の実験について詳しく聞かせてくださいまし」
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その夜、私たちは港を見下ろすテラスでお茶を飲んでいた。
夜の海に漁船の明かりが点々と浮かんでいて、とても幻想的だった。
「今日は素敵な一日だったね」
私がつぶやくと、カタリナが微笑んだ。
「明日はもっと港を案内いたしますわ。きっと面白い材料が見つかりますの」
「楽しみね!」
私の肩の上で、ふわりちゃんが「ふみゅ〜」と満足そうに鳴いた。
こうして、ローゼン侯爵領での楽しい春休みが始まったのだった。




