第106話 日常は勝手に爆発する
戦争から一週間が経ち、王都で行われた勝利記念式典も無事に終わって、私はようやく普段の生活に戻ってきた。
「ただいま〜」
アルケミ伯爵家の屋敷に帰ると、いつものようにのハロルドが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。式典、お疲れさまでした」
「ありがとう、ハロルド。でも、あんなに大げさにしなくても…」
式典では国王陛下から直接感謝状をいただいたけれど、正直なところ、あの堅苦しい雰囲気は苦手だった。
特に、貴族たちがずらりと並んで拍手している中でのスピーチは緊張した。
「お嬢様の書斎に、お手紙が山積みになっております」
「手紙?」
書斎に向かうと、確かに机の上に大量の封筒が積まれていた。
「これは…」
「全国各地の錬金術師の方々からです。『多層効果薬』の調合法についてのお問い合わせや、弟子入り希望の手紙が大半でございます」
セレーナが苦笑いを浮かべながら説明してくれる。
「弟子入り?私はまだ14歳なのに…」
「それと」セレーナが続ける。「シルバーブルーム錬金術工房からも連絡が。エリオット様のお父様が大変お困りのご様子で」
私は首をかしげた。何かトラブルでもあったのだろうか。
「ふみゅ〜♪」
ふわりちゃんが私の肩で嬉しそうに鳴いている。
小さなふわふわの姿で、私の帰宅を喜んでくれているようだ。
「ピューイ」
ハーブも私のポケットからひょっこりと顔を出した。
実験台の上には、戦場で拾った虹色の花びらを入れた小さな瓶が置かれている。
あの美しい花びらは、まだほんのり魔力を帯びているのだ。
コンコン
部屋のドアがノックされた。
「ルナさん〜!ごきげんよう!」
カタリナが優雅に部屋に入ってくる。
相変わらず完璧な縦ロールだけれど、どこか嬉しそうな表情をしている。
「カタリナ!式典、本当にお疲れさま」
「こちらこそですわ。それより、聞いてくださいな!」
彼女が興奮した様子で話し始める。
「あの戦争のことが王都の新聞に載りましたのよ。『天才錬金少女の奇跡』って大見出しで!」
「え?新聞に?」
私が驚いていると、エリオットも息を切らしながら駆け込んできた。
「ルナさん!大変です!」
「どうしたの?」
「シルバーブルーム錬金術工房に、全国から注文が殺到しているんです!『多層効果薬』や『祝福の花火薬』の製造依頼で!」
「祝福の花火薬って…私、まだ作ったことないんだけど……?」
「それが問題なんです!父が『ルナ様が開発した薬だから作れるだろう』って勝手に請け負ってしまって…」
エリオットが頭を抱えている。
「あらあら、大変ですのね」
カタリナが優雅に微笑む。でも、その目は明らかに面白がっている。
「ルナさん、どうなさいますの?」
「えっと…とりあえず、基礎研究から始めましょうか」
私がそう言った瞬間、屋敷の中から大きな爆発音が聞こえた。
ーードーン!
「あ」
みんなの視線が私に集まる。
「私じゃないわよ!今日はまだ何も実験してません!」
慌てて弁解したけれど、みんなの表情は「本当に?」という感じだった。
「調べてきます!」
セレーナが部屋を飛び出していく。
しばらくして戻ってきた彼女の表情は困惑と少しの呆れに満ちていた。
「お嬢様…厨房で爆発がありました」
「厨房?」
「はい。どうやら、料理長がお嬢様の『友情促進薬』を参考に、『料理美味化薬』を作ろうとして…」
ああ、そういうことね。私の戦場での活躍が話題になって、屋敷の使用人たちも錬金術に興味を持ち始めているのか。
「大丈夫そう?」
「はい、怪我人はいませんが…厨房が虹色になっています」
「虹色?」
みんなで厨房に向かうと、確かに厨房全体が虹色に染まっていた。
壁も天井も調理台も、全部虹色だ。
「これは…」カタリナが呆然としている。
「綺麗ですけれど、お料理に支障が出そうですわね」
厨房の中では、料理長と使用人たちが困った顔をしていた。
「お嬢様…申し訳ございません」
料理長が恐る恐る謝罪する。
「これ、元に戻せますでしょうか?」
「えーっと…」
私は『魔力中和薬』を取り出した。これで虹色は消せるはずだけど…
薬を一滴垂らした瞬間、今度は厨房全体がピンク色になった。
「あれ?」
もう一滴加えると、今度は緑色に。
「ルナさん…」エリオットが苦笑いを浮かべる。
「どうやら、単純な中和では無理のようですわね」
「大丈夫!きっと方法があるはず!」
私が空間収納ポケットから別の薬を取り出そうとした時、セレーナが慌てて止めた。
「お嬢様!今度は慎重に!まずは小規模実験からお願いします!これ以上爆発させないでください!」
「あ、はい…」
セレーナの突っ込みが的確すぎて、思わず苦笑いしてしまう。
結局、厨房の色を元に戻すのに三時間かかった。
その間に、庭師が『植物成長薬』を真似して作った薬で薔薇が巨大化するという事件も発生。
「私の実験って、そんなに真似したくなるものなのかしら?」
「お嬢様の実験は見た目が派手ですからね」セレーナが苦笑いしている。「でも、基礎をすっ飛ばして真似するから危険なんです」
夕方になって、ようやく一息つけた時、セレーナが夕食を持ってきてくれた。
「お疲れさまでした、お嬢様」
「ありがとう、セレーナ。あなたも大変だったでしょう」
「いえいえ。でも…」
セレーナが少し呆れたような表情をする。
「お嬢様、明日学院で新しい実験をされる予定でしたら、今度は爆発させないでくださいね。グリムウッド教授から『実験用防護結界』を最強レベルに設定するって連絡がありましたから」
「最強レベル?」
「はい。『ルナ・アルケミ特別仕様』だそうです」
私は苦笑いした。確かに、最近の実験は予想外の結果が多すぎる。
「分かりました。気をつけます」
「本当ですか?」
セレーナの疑いの視線が痛い。
「本当よ!」
こうして、戦争という非日常から日常に戻った私を待っていたのは、新たな責任と、そして相変わらずの実験トラブルだった。
式典での表彰は嬉しかったけれど、やっぱり屋敷での実験が一番楽しい。
セレーナの的確な突っ込みも、カタリナとエリオットとの友情も、戦いを通してより深まった気がする。
「ふみゅ〜♪」
ふわりちゃんが私の肩で満足そうに鳴いている。
きっと、平和な日常が一番だと言っているのだろう。
「そうね、やっぱり屋敷での実験が一番楽しいわ」
ハーブもピューイと同意するように鳴いた。
明日からまた、いつもの学院生活が始まる。
今度はどんな発見が待っているかしら?
そんなことを考えながら、私は虹色の花びらを眺めて微笑んだ。
戦いは終わったけれど、私の実験はまだまだ続く。
次は『祝福の花火薬』の開発に挑戦してみよう。
きっと、また面白いことが起こるに違いない。
「お嬢様」セレーナが心配そうに言う。「『また面白いことが』って顔をされてますが、今度こそ爆発させないでくださいね」
「…努力します」
「努力って…」
セレーナの溜め息が聞こえたけれど、私はもう次の実験のことで頭がいっぱいだった。




