感情なんて曖昧なものは、
契約結婚ものが書いてみたいってだけで書き始めたのでふわふわした設定ですが、暖かい目で見ていただけますと幸いです!
今日、私は結婚した。
お相手はシエンハルト・エルハーベン公爵閣下。
齢23歳という若さで公爵家当主と国立騎士団の副長を務めている国王陛下からの信頼も篤いエリート。
絹のようにさらっとした艶のある銀色の髪の毛、瞳は菫青石を彷彿とさせる青紫色、すっと通った鼻筋、シミひとつない美しい肌、精巧な人形のような冷たさをも感じさせるその美貌と人間離れした強さで、世の令嬢達の心を鷲掴みにしている、とてもすごい人。
対する私の名前はヴィオレット。先日18歳になった。顔はそこそこ良い方だと自負しているが、絶世の美女と言える程ではなく、スタイルもやや身長が高めなだけの平均的体型。この国の建国当時から続く由緒あるエルフェ伯爵家出身ではあるが、由緒ある伯爵家とは名ばかりで、今は吹けば飛んで消えてしまいそうな貧乏貴族の娘。
そんな私と、数多の令嬢達の心を鷲掴みにしてる閣下がなぜ結婚したのかと言えば、それは燃え上がるような恋の末に………なんてロマンスは一切ない、ただの契約結婚だ。
先程、我がエルフェ伯爵家は吹けば飛んで消えてしまいそうな貧乏と言ったが昔は一般的な伯爵家と同様かそれ以上に裕福だった。だけど、不運なことに数年連続で災害や冷害などに見舞われた。
災害が起きた初めの年は蓄えもあったので大きな問題にはならなかったけど、流石にその後に連続して何年も災害が起きることは想定していなかったし、どれもこれも自然災害で防ぎようもなかった。本来なら災害が起きても翌年などに被害分を取り戻したり災害が起きた際の対策を講じたり出来るけれど、状況を改善する間もなく災害が起きたため、我が家は私財をなげうって領民を援助を行うことにした。領民ありきの領主だからね、私財を手放して領民を助けたことに我が家の誰も後悔はしていない。結果的に伯爵家の体裁を保つのもギリギリなほど貧乏になってしまったけどね。
沢山いた使用人には紹介状を書いて他の貴族家へ行ってもらい、我が家はオールワークスのメイド2人と執事だけを雇い手の回らないところは自分達でなんとかしながら生活をしてる状況だ。平民から貴族になったばかりの新興貴族や領地を持たない男爵家ならいざ知らず、伯爵家としては有り得ないことだろう。
父や兄が必死に建て直しをはかっているけれど、想定していたよりも経済状況の改善は見込めなかった。無い袖は振れない、建て直すにも元手がいるのだ。
そんな状況にどうしようかと考えあぐねているところに、エルハーベン公爵家から3年間で経営状況を改善できるだけの資金援助をする代わりに私を娶りたいという内容の書状が届いた。
接点がなかった公爵家からの申し入れに父は困惑した。私が嫁ぐだけで資金が(それも書いてあった金額がすごかった)手に入るのだ、しかも本来なら用意すべき持参金も無し、侍女も生活に必要なものも全てあちらで用意してくれるという破格の条件が書かれていた。
流石に条件が良すぎて怪しいと思ったが、公爵家が我が家と縁を結ぶことは政治的派閥のバランスを崩さずこれ以上力を持ちすぎないためにもちょうど良いのだと、公爵家にも我が家にも理がある政略のための契約結婚だということであった。
まあ、私的にはこの求婚は、政略っていうよりも周りから婚姻をせっつかれたり令嬢達から言い寄られたりするのに辟易した閣下が、たまたま我が家の状況を知って、資金と引き換えに契約として私を妻として娶れば一時的にでも煩わしさから解放されると思った結果じゃないかと考えてる。私はあまり詳しくないけど、閣下には狂信者がいるって聞いたことあるし。
多分、資金提供という理由があるから、私自身が煩わしいことをしてくることはないだろうと考えてるんじゃないかと思ってるんだけど、多分当たらずとも遠からずだと思うわ。
それに持参金も用意できない貧乏貴族なら公爵家に対して余計なことは出来ないだろうし、貧乏とは言え由緒ある伯爵家だから爵位の釣り合い的には男爵や子爵家から嫁を娶るよりは外野がうるさく無いだろうからね。
政略結婚と聞いて、貴族にしては珍しく恋愛結婚だった父は私の幸せが…と考え悩んでいたようだけど、私が婚姻を承けるべきだと伝えると、家のためにすまないと言い申し訳なさそうに謝っていた。
私には好きな人もいないし公爵家に嫁げるなんて玉の輿だし、我が家にも利があるなんていいこと尽くしなんだから気にしなくても良いのにね。
とにもかくにも、こうして私はエルハーベン公爵閣下と結婚することが決まったのだ。
そして、今日、私はエルハーベン公爵閣下と結婚式を挙げた。
結婚式の前に公爵家から派遣されたメイド達にそれはもうピカピカに磨き上げられ、繊細なレースをふんだんに使った美しいウエディングドレスを着せられた私は、教会の赤い絨毯を父と歩き公爵閣下の前に辿り着く。
閣下とは夜会ですれ違ったことや、遠目から見たことはあるがちゃんと向かい合うという意味では初対面だった。流石に初対面が結婚式当日なんて有り得ないと思うけど、閣下と私のスケジュールがすれ違いまくり、そうなってしまったのだ。本当なら式の予行では対面できるはずだったけど、その日は閣下にどうしても外せない急な仕事が入ってしまい別々で予行することとなったから結局事前に顔合わせが出来なかった。
まあ、とにかく初対面であることと、結婚式本番ということもあり、ものすごく緊張した。
父から公爵閣下の元へ行き、閣下の顔を見上げて………あまりの美しさに時が止まるかと思った。熱狂的なファンがいるのも頷ける美しさだった。
一瞬固まった私だったが、神父様の誓いの言葉に意識を取り戻しなんとか段取り通りに式を進める、そして後は誓いのキスだけだ。
………閣下は私にはキスをしなかった。
正確にはキスをした振りをしたから、参列者にはキスしたように見えてるだろうが、本当にスレスレのところで寸止めだった。これは契約結婚だものね、きっとそういう触れ合いはしないつもりなんだろう。ただ、一生に一度であろう結婚式で誓いのキスをできなかったことは、ちょっとだけ残念に思った。
式が終わり、私は家族に別れを告げついに公爵家へ足を踏み入れた。公爵家の使用人達はみな私を歓迎してくれた。予想以上の歓迎ぶりで少し驚いたくらいだ。
そして夜。結婚式を終えた日の、夜。そう、初夜だ。
結婚式のキスすらしなかったんだから初夜であれこれをするとは思わないけど……そんなことは知らないメイド達にまたしてもピカピカに磨き上げられ、大きなベットがある豪華な部屋…まぁ夫婦の寝室と言うやつに放り込まれたわけだけど……。
これはあれかな、あの市井で流行ってる物語で良く見る、初夜の場での「お前のことを愛するつもりはない」とか「俺に愛されようと思うな」とか!!あれが聞けるんじゃないかしら?
俗っぽいけれど、ああいう物語を読むの大好きなのよね。自分が体験する側になる可能性があるとは思ってなかったけど!
そんなことを考えつつ、ヒラヒラとした薄手のネグリジェの心もとなさにソワソワしながらうろうろしているとコンコンコンと寝室のドアがノックされる。
「…私だ。入っても問題ないか。」
低すぎない心地の良いテノールの声。公爵閣下の声だ。私はびっくりしながら返事をする。
「ひゃい!」
あ、噛んだ。恥ずかしい。
「失礼する……っ…!」
そういって入ってきた公爵閣下は私の姿を見て一瞬目を見開きスッと反らす。あ、あ、あ、ネグリジェ…このネグリジェ…薄いからね…透けてますもんね。どうしよう、恥ずかしい。
「すまない、……このガウンを着てくれ」
そう言って、公爵閣下は自分が着ていたガウンを渡してくれる。無表情のままだけどちょっと気まずそうに見える。
「は、はい。ありがとうございます。」
いそいそとガウンを着る。ブカブカだが、身体を隠すにはちょうど良い。
「その、だな。これからのことを話に来たのだ。」
「これからのこと、でございますか?」
これはやっぱり愛するつもりはない宣言かな?
結婚式の為に用意されたドレスとか今ここに至るまでの扱い的に、ぞんざいに扱われることは無さそうな気はするけど、婚姻してから豹変するパターンもあるらしいからね。
「君も知っての通りかと思うが、これは契約結婚だ。君が我が家に嫁ぐ代わりに、我が家はエルフェ伯爵家へ援助をする。」
「はい。存じております。」
「資金援助の件は我が公爵家の名のもとに必ず履行するが、その他の細かい契約内容を君と決めさせてもらいたいと思っている。」
「はい。」
「まず、この契約結婚は白い結婚とさせてもらいたい。」
やっぱりね。白い結婚とは、つまり夫婦の営みはしないということだ。誓いのキスの件からも察していたので驚きはない。
「はい、問題ありません。」
「そして、契約期間は3年間だ。貴族同士の婚姻は離縁をするには手続きが煩雑だが、3年間子が出来なければ正当な離縁の理由となるため、3年とする。」
「はい。そちらも、問題ありません。」
「…ただ、子が出来なければ君になにか問題があると言ってくる奴もでてくるだろう。」
まあ、それは仕方ない。貴族夫人として跡継ぎの子が産めないと言うのは致命的だ。私が不妊だと思われた場合、再婚を望むなら支障がでてくるが、再婚予定はない。
そもそも公爵閣下からの縁談の申し入れがなければ私はどこにも嫁げなかっただろう。なんせ、持参金が出せないし、嫁入り道具も用意できないから。
もともと結婚せずに働きにでることを考えてたので、離縁した後は働きにでもでよう。そんなことを考えつつ曖昧に頷く。
「離縁の際には私の方に問題があると、君には非がないと極力フォローをしての円満な別れだとする予定だが、もし、なにか言ってくる奴がいれば言ってほしい。離縁した後であったとしても私が何とかしよう。」
あら、優しいわ…仮の夫婦なのに。それにしても何とかって…物理で潰すとかじゃないよね…?
「ありがとうございます、何かありましたら相談させていただきます。」
「あぁ。次に、婚姻関係にある3年間の間も公爵夫人としての仕事はしなくて良い。公爵夫人に割り当てられる予算内で自由にしていいし、茶会などを開くことも構わないが、予算を越えるような散財はしないでくれ。」
ちなみに公爵夫人に割りあてられてる予算はこれくらいだ、と見せてくれた金額があまりに大きくて予算以上に散財するなんてありえないと思った。
「次に、公の場では仲睦まじい夫婦を演じてもらいたい。この屋敷の中では気にしないで良いが、夜会に出た時などに頼む。あと、3年間は愛人は作らないようにしてほしい。もちろん私も愛人は作らないと誓おう。」
これも問題ない。
聞いたところ、やはり公爵閣下は寄ってくる令嬢達に辟易としてるらしく、仲睦まじい夫婦姿を見せて諦めてもらう算段とのことだ。
「ここまでで、なにか問題は?」
「とくに問題ありません。」
「そうか。」
ここまでは想定の範囲内の内容だ。
「最後になるが…」
ついにくるかしら?
「私は君を愛していない、」
お、愛してない宣言きた!
続く言葉は、愛されると思うな?愛を求めるな?どっちかしら!
「君も私を愛している訳じゃないだろう。」
おっと、なんか…予想と違うわ…?
「もし、私もしくは君が心変わりした際の契約についてなんだが」
「心変わり?」
「あぁ、例えば私が君のことを愛した場合」
「あ、愛しっ…!?」
「私が君のことを愛してしまった場合、そして、君がそれを受け入れてくれる場合、先程の契約条件は全て破棄や変更をする。もしくは契約自体を無くすことを検討したい。」
こ、これは予想外だわ!
契約結婚の条件変更に関して言及されると思わなかった。
「そ、それは…例えば私や公爵閣下が他の方を愛してしまった、という場合はどうなるのです…?」
「その場合は互いに妥協点を見つけた契約内容に変更したい。3年待たずに離縁という形になっても致し方ない。だが、その場合でも君の家への支援は3年間行うことを約束する。」
「なるほど…」
「3年の間に契約に変更が生じる可能性がある点については問題ないだろうか?」
「もちろん問題ありませんが…」
「が…?」
「い、いえ。なんでもありません。」
「なんだ?仮にも夫婦になったんだ、遠慮せず言えば良い。」
「いや…その、意外だったものですから。」
「意外?」
「…契約結婚であることは理解しておりました。公爵閣下が女性達からの求婚に辟易しているとお噂も…ですから、てっきり…あの、私が閣下に思いを寄せないように、もしくは閣下が私を好きになると勘違いしないようにと契約内容にいれるのかと…」
「……なるほど。君の中で私はずいぶん冷たい人間のようだ」
そう言って苦笑する公爵閣下。
ずっと真顔だったけど、こんな顔もするのね……じゃなくて!
「申し訳ありません!お気を悪くさせてしまい…」
「いや、別に気にしていない。…まあ初夜の場で白い結婚を伝えてるのだから、冷たい人間という評価はあながち間違いではないしな。……それはさておきだ、人間の気持ちは完全にコントロール出きるものではない。生憎、私はいままで誰かを好きになったことは無いが、これから君を好きになる可能性や君が私や別の誰かを好きになる可能性は防げない。今の君に私を好きになるなと言ったり、私が君を好きになることは無いなんて言っても、未来のことなどわからないだろう?」
「はぁ。」
「これは契約結婚だ、だから互いにあらかじめ納得してから始めねばならない。契約は一方的であってはいけない。感情なんて曖昧なものを契約で縛ることは出来ない。」
「そう…ですね。」
「それでは、契約内容の話しは以上だ。この部屋は君が使ってくれればいい。隣は私の部屋に、逆の部屋は君の部屋に繋がっているが、私が勝手に入ることはしない。」
「あ、ありがとうございます。」
「そろそろ失礼する。…あぁ、ひとつ言い忘れていた。私達は仮とは言え夫婦になったんだ。私のことは公爵閣下ではなくシエンハルトと呼んでくれ。」
「シエンハルト様…?」
「あぁ。おやすみ、ヴィオレット。」
「お…やすみ…なさいませ。」
休みの挨拶を告げ、シエンハルト様は寝室を出ていった。残された私はというと突然の名前呼びにドキドキしてる。あの顔で優しくされたらころっと好きになってしまいそうだわ……。
それにしても、私ったらとても失礼だったわね…。
公爵閣下の人となりも知らずに、一方的に愛するつもりはないと言われるんじゃないかって考えてたなんて。物語とはちがうんだから、これからはちゃんと閣下の人となりを知っていければいいな、私の気持ちも考えてくれる閣下とだったら仮の夫婦でも仲良くやっていける気がする。
そう考えながら、私は眠りに就くのだった。
◇◇◇◇
あの初夜からあっという間に2年が経った。
この2年の間にいろんなことが起きた。シエンハルト様に懸想した令嬢に私が襲われかけたり、シエンハルト様を逆恨みする令息に拐われかけたり。王都で起きたちょっとした事件に巻き込まれて2人で解決したりなんていうこともあったわ。なんだかトラブルが多いけれど、そうじゃないことも沢山あった。
シエンハルト様は辛いものと甘いものがお好きで、私と味の好みが似ていたから月に数回は必ず一緒に街に出掛けて美味しいものを探しに行くようになったし、それぞれが過去に読んで面白いと思った本を持ち寄って交換して読んでみたりもしたし、今日あった出来事など些細なことを話す時間を寝る前に15分ほど設けるようになった。
互いの好きなものについて話したりもして、私は刺繍が趣味だと言ってハンカチに刺繍をして渡したら、なぜか後日シエンハルト様が真剣な顔で刺繍に挑戦していて、完成してからお返しだとプレゼントしてくれたのはとても可愛くて嬉しかったわ。
そして、そろそろ3年になろうかというある日。
「ヴィオレット。」
「なぁに?シエンハルト」
「契約を、変更しないか?」
「…それは、どんな風に?」
「それはもちろん、この婚姻を3年ではなく永遠に。もうわかってると思うが、私は君を愛している。自惚れかもしれないが、君も僕を愛していると思っている…私と本当の夫婦となって欲しい。」
「……契約変更には条件があるわ。」
「私に出きることであればなんでも聞こう。」
「まず、2人だけでまた結婚式をしたい。そこで、誓いのキスをして欲しいの。今度は寸止めじゃなくて、ちゃんと。」
「お安いご用だ。」
「それに、週に1回…いや、月に1回でいいから今みたいにちゃんと言葉にして愛してるって言って欲しい。」
「私が君と共にいる日は毎日言おう。」
「毎日?喧嘩した日でも毎日?」
「君と喧嘩することは想像は出来ないが、約束しよう。」
「感情なんて曖昧なものだから、いつか心変わりしてしまうかもしれないわ。それは私かもしれないし貴方かもしれない。」
「確かに未来のことはわからないけれど、それでもきっと私は君を愛するよ。そうありたいと願っている、愛してもらえる努力する。」
「私、子供は2人欲しいわ。」
「2人でも3人でも共に育てていこう。」
私の言葉に柔らかに微笑み答える貴方。結婚した当初はほとんど無表情だったのに、表情豊かになったなぁ、なんて思う。
「……ねぇ、シエンハルト、愛してるわ。」
「私もだ。ヴィオレット、君を愛してる。」
こうして、契約を変更した私達は本当の夫婦になった。
シエンハルトは宣言通り毎日愛を伝えてくれた。私が永久の眠りに就くその日まで、とっても幸せな契約結婚だったわ。
Fin.
契約内容はよく確認して、
互いに納得できるのがいいですよね。