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あの夏を忘れる唯一の方法  作者: Amit Tsu
あの夏を忘れない
9/11

針千本飲ーます


 夏が終わろうとしていた。


 蝉の声は遠くなり、風が少しずつ乾いてゆく。

 駅前の広場に面したベンチで、俺はぼんやりと空を仰いでいた。

 もう何人目かもわからない、“夕とは違う誰か”との別れを経て、気づけば、またひとりだ。


 スマホの画面に触れて、何度か名前を呼び出しかけてはやめる。

 沙耶。

 俺の寂しさに付き合ってくれた、優しくて、少しだけ子どもっぽい女の子。


 彼女の笑顔が頭に浮かぶ。だけど、次の瞬間には、同じくらい鮮明に――いや、それ以上に――夕の顔が重なる。


 やっぱり俺は、変わってなんかいなかった。


 変わろうとした。忘れようとした。前を向こうとした。

 それでも、心の奥にある影だけは、どれだけ光を当てても薄れなかった。


 少し歩こうと思って、海沿いの道を辿った。

 遠くに夕焼けの海が見えてくる。あの日、夕と指切りをした海だ。


 俺たちがまだ無邪気で、恋なんて知らなくて、

 それでも誰よりも強く、お互いを信じていた頃の――。


 波の音が近づくたび、胸がぎゅっと締めつけられる。


 あの時の俺は、ただ信じていた。

 隣の家に住んでるから、きっと大人になっても一緒にいるだろう。

 ずっと変わらないものがあるんだと、何の疑いもなく。


 ……でも、違った。


 人は変わる。心も関係も、約束でさえも。


 だけど――。


「……あの時、嘘ついたのは俺の方だな」


 ふいに口からこぼれた言葉に、自分でも驚く。


 「ゆびきった……嘘ついたら、針千本飲ーます!」

 あの日、夕がそう言って、無邪気に笑って、俺に小指を差し出した。

 迷いもなく指を絡めた。なんの疑いもなかった。


 でも今になって思う。


 嘘をついたのは、夕じゃなくて、俺の方だった。


 「好きじゃないふり」

 「忘れたふり」

 「誰かをちゃんと好きになったふり」


 そのすべてを、俺は自分に対して続けてきた。


 海を見下ろす防波堤に立って、風を受けながら深く息を吸い込む。

 針千本なんて飲めやしない。でも、

 嘘の数だけ、確かに俺の中に刺さったまま残っている。


 ――なら、どうする?


 あの夏を、夕を、指切りの記憶を、

 すべてなかったことにして、まっさらな自分に戻ることができるなら。


 ……それができないから、俺は苦しかったんだろう。


「忘れられないなら、忘れなくていい」


 風に押されるように、そう呟いた。


 夕のことを抱えたままでも、いい。

 好きだった記憶も、届かなかった想いも、

 無力だった自分も、傷つけた誰かも、全部ひっくるめて――。


 それでも前を向ける自分になりたい。


「あの夏を忘れる唯一の方法は……忘れないこと、なのかもしれない」


 胸の奥で、何かがやっとほどけていくのを感じた。


 針は、もう飲まない。

 嘘をつくのも、やめよう。

 ただ、真っ直ぐに。痛みごと、自分を抱きしめながら。


 海は、静かに揺れていた。


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