どこまでいっても幼なじみ
夜の潮風は、昼よりも優しかった。
花火大会のあとの静けさを取り戻した浜辺には、人影もまばらで、波の音だけが聞こえていた。
「やっぱり、ここ落ち着くね」
夕がそう言って、サンダルを脱いで砂の上に立った。
月明かりに照らされた海は、あの頃と何も変わらない。
俺たちが毎年のように遊びに来ていた、夏の記憶の中の場所。
まさか再び、こうして二人で並んで立つ日が来るとは思っていなかった。
夏祭りで夕と偶然出会ったとき、彼女は二人の女友達といた。
「ちょっとだけ離れてくる」と言って抜け出してきたらしい。
あの頃の夕と違って、誰かと一緒にいる姿が自然で、少しだけ胸がざわついた。
「こっち、覚えてる? 昔、崖のとこから飛び込もうとして止められた海星」
「……ああ。お前が泣きながら止めたんだよな」
「だってあんな高いとこ、普通に無理でしょ」
笑い合う。その瞬間だけは、たしかに昔に戻ったような気がした。
でも、次の瞬間にはもう、違う現実が波のように押し寄せてくる。
俺は、まだこの人のことが好きだ。
どれだけ時間が経っても、いくつの季節を過ぎても、忘れられなかった。
でも、それでも——わかってしまった。
この人は、絶対に俺のもとには来ない。
今も、夕は俺を見て笑っている。だけどその瞳にあるのは、懐かしさであって、恋じゃない。
かつて俺たちが指切りをしたこの海辺も、ただの「思い出の場所」にしかなっていない。
——もし、あの夏。
ちゃんと気持ちを伝えていたら、何かが変わっていただろうか。
手を伸ばすことを怖れなければ、もっと違う未来があっただろうか。
けれどそんな仮定も、もう意味がない。今の俺たちは、こうして並んで立つことさえ奇跡のような距離にいる。
「……海星」
ふいに、夕がこちらを向いた。
風に髪がなびき、月光の中でその表情が淡く揺れる。
「ありがとう。……あのとき、何も言わずにいてくれて」
その一言に、心臓が強く打った。
ああ、やっぱり——夕は気づいていたのだ。
俺の想いを。あの夜、何も言えなかった気持ちを。
そして、それが迷惑だったのだということも。
「……別に、何もなかったし」
ようやく絞り出した言葉は、自分でも情けないほど空虚だった。
けれど、それ以上言えば、なにかが壊れてしまう気がした。
「優しいよね、海星は。……昔からずっと」
夕はそれだけ言って、波打ち際に視線を向けた。
どこまでいっても、俺たちは幼なじみだった。
どんなに想いを募らせても、超えられない境界線がそこにあった。
足元に寄せては返す波のように、想いは静かに、消えていく。