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あの夏を忘れる唯一の方法  作者: Amit Tsu
あの夏を忘れない
10/11

君を知らなければ


 陽の傾きかけた砂浜に、ひとり立っていた。


 潮風が髪を揺らし、乾いた砂が足元でかすかに鳴く。焼けた砂浜の匂い。波の音。セミの声は、もうほとんど聞こえなかった。


 この海辺に来るのは、何年ぶりだろう。


 足を踏み出すたび、懐かしい感覚が胸の奥をくすぐる。あの夏の日、夕と並んで走った浜辺。つま先だけ海に浸けて、くすぐったそうに笑っていた横顔。あの時の俺たちは、何も疑わずに、ずっと一緒にいられると思ってた。


「……ずっとなんて、ないくせに」


 声に出したくなって、思わず呟いた。


 それでも、俺はずっと、あの時の“約束”に縛られていた。小さな小指を絡めたあの瞬間が、俺の中で永遠になってしまっていた。


 ——君を知らなければ、もっと楽に生きてこれた。


 そんなこと、何度も思った。

 苦しかった。惨めだった。

 ずっと誰かと比べて、誰かに甘えて、それでも満たされない自分に自己嫌悪して。


 でも、今ははっきり言える。


 ——君を知らなければ、俺は俺じゃなかった。


 初めて誰かを好きになって、うまく言えなくて、でも確かに大切だった。

 振り返るたびに思い出す笑顔も、名前も、声も。

 全部、俺を作ってきた一部だった。


 忘れようとして苦しんで、それでも忘れられなくて。


 だからもう、忘れなくていい。

 このまま、思い出として抱えて生きていく。


 砂浜に足跡を残しながら、海を背にして振り返った。

 駅へと続く坂道の先で、見慣れた後ろ姿が見えた。


 淡い色のワンピース。細い腕。軽く揺れるポニーテール。

 夕だった。

 手を振る友達と並んで、笑っていた。


 俺に気づくこともなく、彼女はゆっくりと歩いていく。

 その背中が、少しずつ遠ざかっていくのを、俺はただ黙って見送った。


 何も言わず、何も求めず、ただその背中を見つめていた。


 かつて、あの小さな小指で誓った「ずっと」は、叶わなかった。

 けれど、俺の中には、あの日の記憶がちゃんと残っている。

 あの夏の、夕の笑顔も。

 子どもみたいに叫び合った声も。

 全部、もう過去になったけれど。


 ふと、風が頬をなでた。


 ——それでも、出会えてよかった。


 その言葉だけを、心の中でそっと呟いた。

 そして俺は、背を向けて歩き出す。


 夏はもう、終わっていた。


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