熱心なプロポーズ
書き溜めを連続投稿のため、初投稿です。
アラームの音で目が覚める。
久しぶりに嫌な夢を見たなと思いつつ二度寝をしないために布団を蹴り飛ばし部屋を出る。いつもの日課を終えて朝食を胃袋に押し込んでいるとキッチンにいる母から声が届く。
「一輝、部活入るか決めたの?」
「まだ悩み中。バイトもしたいから緩めのにしようかなって思ってる」
「部活に打ち込まないなら勉強もしっかりやりなさいよ?」
あの日、二年目の全国大会が終わってから俺は陸上を辞めた。家族は何も言わなかったが、勉強だけはやれと言われたのを思い出す。
打ち込むものが無いなら勉強をしろというのが両親の口癖になったのはその頃からのように思う。
その後も他愛ない会話を続けながら身支度を整えて自転車に跨り高校へ向かう。
陸上を辞めた俺のもとへ何校か推薦入学の話が来ていたが、全て断りギリギリ自転車で通える公立の高校へ俺は進学した。
地元の同期は誰も選んでいない偏差値も普通、校風も普通の学校だが部活に力を入れていないところが気に入って入学した。
入学式も始業式も終えた今、クラス内ではいくつかのグループが誕生しているのだが俺はどこにも所属はしていないが誰とでも会話が出来る程度のポジションに収まっている。
もっとも、今日から部活の体験入部が始まるので部活仲間同士という新しいグループも誕生すればボッチになるのだろうなとぼんやり考えていると話しかけられる。
「前田は部活入るの?」
相手は横の席に座る佐山直哉。吹奏楽部出身だそうで軽音部か吹奏楽部に入るつもりらしい。
「悩み中。出来るならバイトが出来るところで考えてる。」
「だったら一緒に軽音やらね?楽器弾けると将来何かと便利だぞ?」
確かに趣味として楽器をやるのは悪くない。でも、そこまでの熱量を持てるのか些か自身が無い。
「三木はどうよ?」
「前田と同じ感じ。バイトと部活の両方やりたい。」
三木と呼ばれた男子生徒は元野球部だそうで、勝手に野球部に入ると思っていたのだが
違うらしい。
「野球はしないのか?」
「…ここまで髪を伸ばしたのに坊主にするのは嫌だな。」
確かに三木は毎日セットを変えて自分に一番似合う髪型を試行錯誤しているようだ。俺はセットに時間をかけるのは無駄だと思いジェルを使って清潔感が出る程度にしている。
「なるほどねぇ。三木も前田も軽音部、考えといてくれよな」
そう言ってギターケースを抱えた佐山は教室を出ていく。三木も部活を見て回るらしく出ていき、気づけば教室に残る生徒はまばらになっていた。
俺もどこか部活を見ていくかと考えた矢先、窓から見える向こうの校舎に人影が見える。
いや、人影が見えるのは何もおかしくないのだが、屋上に人が居るのだ。今時屋上が解放されているなんてアニメや映画くらいで現実では施錠されているはずだ。
でも、屋上に誰かが居るのは間違いない。
「…気にならないって言うと噓になるな。」
今思えば正直、浮かれていたと思う。
高校一年生の春に屋上で見知らぬ誰かと出会うというシチュエーション。何かが始まるのではないかと期待してしまうのも無理はない。
あの日、心が折れてから灰色一色だった俺の視界にその人物はどうしてか、輝いて見えたのだ。
気づけば俺は荷物を纏めて教室を出て走り出していた。目的地は勿論、向かいの校舎屋上だ。
校内案内の記憶を頼りに渡り廊下を抜け、階段を上り続けると屋上へと繋がっていると思われる扉の前までやってきたが屋上への侵入防止としてか、内側にサムターンは無く鍵穴が設けられている。
ダメ元でドアノブを回すと抵抗もなくすんなりと回り施錠されていないことが分かったので勢いよく扉を開ける。
古い扉だったからかガタンと丁番が音を立てて開き目の前には青空とフェンスに囲まれた屋上の景色が広がっている中で一人の女子生徒が立っている。
長い黒髪は日光を反射して艶があり女子にしては少し高めの身長。背をこちらへ向けているため顔は見えないが佇まいにはどこか雰囲気があった。
「誰?」
振り返った女子生徒の顔は少しきつめの印象を与えてくるが美人と言える容姿をしており、たった一言であったが、その声は透き通っており俺は一瞬で引き込まれた。
「…もしかして、前田君?」
「えっ?ああ、そうだけど。…アンタは?」
名前を知っているからクラスメイトか?と逡巡したがこの容姿を持ったクラスメイトなら忘れる訳がないので、向こうが俺を知っている理由が思い浮かばなかった。
「…ごめんなさい。中学の時大会で何度か見かけたことがあったから。私は上野菫。どうしたのこんな所へ。」
「いや、屋上に人が居たから気になって。解放されてるなんて校内案内でも聞いた記憶がなくてさ。」
そう言うと上野は納得したと言わんばかりに頷くと微笑みながら話し出す。
「ここはね、演劇同好会の活動場所になる予定なんだよ。」
演劇同好会。部活を纏めた紹介冊子には書いていなかったから今年から出来たのだろうか。
「アンタが作ったのか?」
「正確には違うかな。新任の棗先生が作るって聞いてね。興味があったから参加したの。」
「そうだったのか。」
「何?天文学部だと思った?」
「いや、そんなこと考えてなかった。いいなって思っただけで、気づいたらここへ来てた。」
俺の返事が予想外だったのか、上野は暫く沈黙した後小さく笑った。
「いいねそういうの。説明できない気持ちに任せて行動するの、凄く良いよ。」
瞬間、春風が強く吹いて上野の長い髪とスカートを揺らす。
「前田君さ、私と演劇をしない?」
その言葉を理解するのに少しの時間を要した。
「演劇ってあれだろ、ロミオとジュリエットとかの。」
「そう!棗先生は凄く熱意があるの。そこらの文化祭だけやったりコンクールに記念参加するお遊び演劇部じゃない。総合芸術としての演劇を本気でやれる部活を作ろうとしてる。私はそれに感銘を受けた。」
確かに、パッと聞いてイメージしたのは上野の言っているような文化祭で披露する演劇部だ。こう言っては何だけどオタクがとりあえず参加する漫研とかと近い雰囲気を想像してしまう。
「吹奏楽部と同じで演劇にもコンクールがあるの。ブロック分けされた地区大会、県大会、地方大会、そして全国大会がある。プロも使用する本当の劇場で何百、何千の観客の視線を集めて太陽みたいに眩しくて熱い照明を浴びる中で芝居をするの。想像してみて、真っ暗な舞台の上で自分だけに照明が当たって全員が自分の一挙手一投足、言葉の一音一音に集中している景色を。」
目を輝かせて語りだす上野には妙な説得力と惹きつけられるナニカがあった。
「今は夏休みに予定されている高校生を対象にした演劇祭への参加を計画しているの。そのために人手を集めているのだけどクラスメイトには断られていてね。ここで会ったのも何かの縁だし前田君、やってみない?」
ここで誘いに乗れば何かが変わるのかもしれない。浮かれてのこのこやって来てトントン拍子に話が進んで明日から新しい自分になれるのだろう。
でも、俺に芝居の才能があるかなんてわからない。ここで上野と演劇を始めてもコンクールで大恥をかくのかと思うと二の足を踏んでしまう。
「上野の説明で楽しそうだなって思ったけど、俺芝居の経験なんて無いし興味もないんだけど。折角誘ってくれたのに申し訳ないけどさ。」
「陸上、もうやらないんでしょ?」
ああそうだよ。
「中学の三年目、大会に出てないでしょ?まだ走ることに未練があるの?」
無いと言ったら噓になる。先頭で走り抜ける快感と達成感を知っているから。
「負けることがそんなに嫌?」
好きなやつがどこにいるんだよ。
「さっきも言ったでしょ。演劇は芸術なの。確かにコンクールで勝ち負けが出るけどそれは本質じゃないよ。お客さんにナニカを届ける。自分たちの伝えたいことを客席へブン投げる!それでいいんだよ。勝手なことかもしれないけど、前田君は一度スポーツから離れて芸術に触れるのも良いと思う。」
黙りこくる俺に向けて続けて上野は言う。
「それに演劇部の大半は高校生から始めるの。中高一貫校とかたまに中学で演劇部がある学校もあるけど、ほとんどが未経験!そこから才能ある子が出てきて芸能人になる人が沢山いるんだよ。騙されたと思って、やってみない?」
どうして上野は碌に話したこともない俺を熱心に誘うのだろうか。
それに、このまま断って帰ることは正しいのだろうか。散々逃げて何か良いことがあったのか?変われたのか?いや、そんなことは自分が一番分かっていることだ。
ただ。
「ここまで熱心なプロポーズをされて受けないってのはダサいよな。」
「っ!?じゃあ。」
「やってみるよ。とりあえずその演劇祭ってやつが終わるまでは。」
目の前に降って湧いた、変われるかもしれないキッカケを手放すことはしてはいけないと心のどこかで思ってしまったんだ。
「よろしく頼む、上野。」
「こちらこそ。ようこそ演劇同好会へ、前田君。」
差し出された手を握った上野の手はとても冷たかったことはいつまでも忘れることはないだろうなと、この時俺は思った。
「じゃあ早速で悪いけど、部員集めよろしくね。」
「は?」
「私のクラスメイトは全滅だし、知らないクラスにも声掛けするけどさ。前田君のクラスは任せるから最低でも三人は欲しいかな。」
待て待て待て!
「勧誘しろって何をするか知らないんだぞ俺は!」
「大丈夫だって。ここへ連れて来てくれたら私があの手この手で入部させるからさ。五人いれば部に昇格して部費も貰えるし棗先生も動きやすくなるんだよ~。」
コイツ、性格が変わってないか?
「部長命令です!前田一輝副部長、明日三人のクラスメイトを連れてきなさい。では、本日は解散しまーす。ほら、施錠するから出てった出てった。」
そう言うや否や俺の背を押し校舎内へ戻った上野は施錠しバイトがあるからと言い足早に帰ってしまった。
あまりの豹変ぶりに付いて行けなかった俺は取り残されてしまったが、誰かに振り回されるなんて経験が無かったので少し楽しいなと思ってしまったのは内緒だ。
「てか、バイトしてるのなアイツ。」
明日は誰に声をかけたものかと考えつつ俺は家路についた。
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