日常の5 雲母聖良はいつでも刺激を欲している
とある休日の昼、繁華街にて。
「カズピ、ほら笑って?」
聖良さんが自撮り棒を握って、スマホのシャッターを切る。
同じ画角に収まりながら、僕は少しだけ緊張していた。
「むぅ……カズピ、表情が硬いわよ」
「あの、聖良さん。本当にこのお店で食べるんですか?」
聖良さんが頬を膨らませる隣で、僕はおずおずと尋ねた。
僕は視線を店先のノボリに向ける。
――『激辛ラーメン発売中 失神上等! 挑戦者求む!!』
冷や汗が背筋を伝った。
緊張がほぐれない僕をよそに、聖良さんが上品に笑みを湛える。
「もちろんよ。リサベェが急用で来られなくなったのは残念だけど、代わりにカズピが来てくれて助かったわ。ご飯は誰かと一緒に食べたいものね!」
「…そ、そうですね……」
そう、本当なら莉差姉がここにいるはずだった。
僕は莉差姉の代理として、ここに来ることになった経緯を思い返す……。
数時間前。
寝起きの莉差姉が、スマホのRINEを見て大声を出した。
『あっ! 忘れてたぁ……聖良と一緒にランチ食べる約束してたんだった~』
『危なっかしいなぁ。でも莉差姉、今日は珍しく早起きしたから、まだ間に合うよ』
『…………うーん。話半分に聞いてたからテキトーに約束しちゃったけど、よく考えたらアレは食べたくないなあ……』
『??』
『ねえ和博。お姉ちゃん、ちょっと急用できちゃってぇ……わたしの代わりに聖良とランチに行ってくれないかなぁ?』
『? 聖良さんがいいなら、僕は構わないけど』
と、安請け合いしたのが間違いだったのかもしれない……。
今にして思えば、莉差姉の様子はおかしかった。
あれは、なにかずるいことを考えていた時の顔だ。
激辛料理がイヤで逃げたか……逃げたのか。
「楽しみね、カズピ!」
「ア……はい」
でも、楽しそうな聖良さんに水を差すのは気が引ける。
僕は男として覚悟を決めて、聖良さんと一緒に入店した。
幸いなことに待ち時間なく、二人分の小さなテーブル席へ案内される。
「聖良さんは、辛い料理が好きなんですか?」
「うん。よくあっちこっちに食べに行くのよ。ほら見て、写真」
イソスタに投稿した色々な写真を、僕へ見せてくれる。
そこには赤く煮えたぎる料理がたくさん並んでいた。画面越しからも刺激臭が漂ってきそうだ……。
ちなみに、僕は辛い料理は得意じゃない。
でも、冷静に考えてみれば、僕まで一緒に激辛ラーメンを食べなくてはいけない理由はない。普通においしい料理が注文すればいいんだ。
「じゃあ、注文は……えっと、どうやって」
「あ。ここは食券式なの。もう買ってあるわ、激辛ラーメン二つ!」
聖良さんに小さな紙切れを見せつけられた。
ど、どうして二つ……僕の分も!?
「それにしても、カズピも同じ激辛好きとは知らなかったわ」
「ア、どっ……どこからそんな情報を……!?」
「リサベェが教えてくれた」
――り、りっ、莉差姉~~~~っっっ!!
僕に代理を押し付けるために嘘までついて!
しかも、すでに食券を買ってしまっているから訂正しづらい……!?
僕が震えあがっている内に、聖良さんが店員さんに食券を渡した。
数分後。
目と鼻の粘膜がヒリヒリするほど薫り高いラーメンが届いた。
「ん~、刺激的だわ!」
「ソウデスネ……」
料理を様々な角度からスマホで撮影した後で、聖良さんが笑いかける。
「早速いただこうね、カズピ!」
「はい……いただきます」
こうなったら、何食わぬ顔をして完食しよう……。
覚悟を決めたつもりだけど、やはり躊躇してしまう。
そうこうしている内に、聖良さんが箸を持った。
赤いスープが絡んだ麺をすくいあげると、ふぅふぅと息をかける。
透き通った金髪を耳にかけ、上品な挙措で麺を口に含んだ。
小さな口で咀嚼をする。
スープの油で、唇が艶やかに濡れていた。
そして、頬を紅潮させながら、聖良さんが身悶えする。
「ん~~~~! すごい刺激、美味しいぃ……」
幸福感にどっぷり浸るような恍惚とした表情だった。
その美味しそうに食べる顔に背中を押されて、僕も食べ始める。
「ンっ、ごほ、ごほっ!?」
思い切りむせた。
バカな、辛すぎる!!
紙ナプキンで口元を拭いていた聖良さんが、心配そうに眉を下げる。
「カズピ、大丈夫……?」
「は、はい」
もしも僕が正直に辛い料理が苦手だと打ち明けても、聖良さんは嫌な顔を見せないと思う。むしろ、僕を無理に付き合わせたと、自分に非を感じてしまうだろう。
もとはといえば今回は莉差姉が悪い。
だから、聖良さんには良い思い出を残してほしいんだ。
「お……美味しいですねっ」
僕は努めて笑みをつくった。
次の瞬間、聖良さんが瞳を大きく見開く。
その目は星を反射させたように、きらきらと輝いていた。
聖良さんは箸を手放すと、スマホに手が伸びかけて――止まる。
「……ま、いいか。カズピの笑顔は、聖良だけのものってことで……」
「聖良さん……?」
「もー。カズピったら、スープが口の端についているわよ」
聖良さんが心なしかご機嫌に、僕の口元を紙ナプキンで拭う。
丁寧な手つきで、綺麗になるように。
……あれ?
「あ、あの……その紙ナプキン、聖良さんが使っていたやつじゃ……?」
「え? ――あっ!」
聖良さんの顔が一層赤くなる。
紙ナプキンを、くしゃりと握りつぶした。
……聖良さんの唇に触れたものが、僕の唇に当てられていた?
「ち、違うわよっ? これは違うやつだから!」
「そう、ですか?」
「うん……さっ、食べよう。どんどん食べないと冷めちゃうからね!」
聖良さんが早口にまくしたてる。
激辛ラーメンを食べたせいだろうか。聖良さんの肌は首筋まで赤らんでいた。
……その後。
僕は、なんとか激辛ラーメンを完食したのだった。