日常の2 莉差お姉ちゃんは甘えるためなら嘘もつく
とある休日。時刻は正午。
「和博。お昼ご飯できたから、お姉ちゃん呼んできてー」
「わかった」
母さんに頼まれて、僕は莉差姉の部屋まで向かう。
莉差姉は昼過ぎまで眠りこけていることが多々ある。
誰かに起こしてもらわないと平日の通学もままならない。だから、学校がある日は僕が毎日起こしている。
それが、一莉差という僕の姉だ。
部屋のドアをノックして、数秒待つ。
やっぱりまだ寝ているのか、ノックしても何の返事もない……。
――ガタンッッ!
「……っ!?」
部屋の中から大きな物音が聞こえた。
僕は恐る恐るドアを開いて、隙間から部屋の中を覗く。
すると、莉差姉が掛け布団を身体に巻き付けて、床に寝転んでいる姿が見えた。
早足で歩み寄って、安否を確認する。
「り、莉差姉。大丈夫?」
「……痛ぁい……」
「ひょっとして、寝返りしてベッドから落ちた?」
「頭、たんこぶできちゃったかも~……」
莉差姉は涙目でめそめそ泣きごとを漏らしていた。
その頭を撫でて慰める。寝癖のついた黒髪から良い香りがした。
「大丈夫。怪我はないよ」
「和博ぉ……ありがとう。あとついでに、わたしをベッドに戻して……」
「ダメだよ。母さんがご飯つくってくれたから、起きないと」
「寝かせてぇ、あと五分だけ……和博、お願い~~……!」
普通に考えれば無理がある……高校二年生にもなって昼まで眠ってベッドから転げ落ちれば涙ぐみ、あまつさえ弟に介抱されている、この体たらく――ではなくて。
中学生の腕力で、はたして莉差姉を持ち上げられるのか?
莉差姉はよく寝ているだけあって発育が良い。
年だって僕と三つも離れているし、僕よりも身長が大きいんだ。
「莉差姉、やっぱり無理――」
「……すぅ……すぅ……」
……嘘だろ?
莉差姉が寝息を立てている。
ベッドじゃなくて固い床の上でも眠れるのか……どこでもいいのか。
感心と呆れが混じった気分で、僕は莉差姉の頭からつま先まで眺めた。
「……意外と持ち上げられるのかな?」
胸にこみ上げてきた好奇心のまま、莉差姉の脇と膝裏に腕を差し込む。
しっかりと床を踏みしめて、ぐっと両腕に力を込めた。
「……ア、アゥ、重ッ……!?」
普通に無理だった。
単なる筋力不足と、僕の身体の使い方が下手なのかもしれない。
いずれ莉差姉に本格的な介護が必要になった日に備えて、身体を鍛えるか……?
なんて検討をしていると、莉差姉が寝返りを打った。
それも、身体を持ち上げようと密着していた僕を巻き込んで。
おかげで僕まで床に横倒しになり――莉差姉の両手両足にがっちりと挟まれた。
僕は手足が動かないくらい、きつく抱きしめられてしまう。
「ん……抱きまくら、ちょうど……いい……」
「……い、息が……!?」
あやうく莉差姉の胸で窒息しかける。
熱いくらいの体温で包まれていた。
柔らかい胸。その奥にある心音に、鼓膜をくすぐられる。
「り、莉差姉……莉差姉!」
押し付けられる胸の谷間で、どうにか息継ぎをして名前を呼んだ。
けれど、莉差姉は穏やかな顔で唇をもにょもにょさせるばかりだ。
こうなったら、多少手荒になっても、やむを得ない。
僕は、莉差姉の脇腹をくすぐった。
「……ふっ、う、ン、ああっ……んふふふ、あんっ!」
さらに念入りにくすぐった。
「あ、ああっ、あはっ……まっ、かずひ、ひひ、あはは、起きた、起きたから!
くすぐるのはもうやめてぇ……!」
ハァハァと息絶え絶えになって、莉差姉は瞼を持ち上げた。
僕もようやく解放されて、息を整える。
先に立ち上がると、莉差姉の腕をぐいーっと引っ張って立ち上がらせた。
「ほら。お昼ご飯いくよ」
「わかったよ、もぉ~……和博、今度はちゃんとわたしを持ち上げてよねぇ……」
「はいはい。――はい?」
僕は違和感に気がついた。
なんで莉差姉は、僕が持ち上げに失敗したのを知っている?
「莉差姉。もしかして本当は起きてて、寝たフリでやり過ごそうとした……?」
「…………和博」
莉差姉がこちらへ振り返った。
目を細めて、不満げに頬を膨らませている。
「言いそびれたけど、女の子に『重い』は禁句だから。二度と言っちゃ、めっ」
「……」
無言で立ち尽くす。
そんな僕を置いて、莉差姉は目元を擦りながら部屋を出ていった。
莉差姉は自分がラクをするためなら人を欺くし、それを悪びれない。
人に甘えるには、多少のズルさが必要ということだろうか。
そう考えると、やっぱり莉差姉は甘え上手なのかもしれない。
「でも、あれは真似ちゃあダメなやつだ……」
良くないお手本から、僕は新たに学びを得たのだった。