日常の1 姉の友達に甘やかされている
お茶請けを載せたトレーを片手に、僕は姉の部屋の扉をノックする。
しばらく待った。
……けど、無反応。
正面の扉越しに、賑やかな喋り声が届いてくる。
友達とのお喋りが盛り上がっていて、僕のノックが聞こえていないみたいだ。
仕方なく、ドアノブに手を掛けた。扉を開く。
すると、部屋に踏み入った僕へと。
そこで談笑していた三人が視線を向けてきた。
「あっ――和博~。お菓子運んできてくれて、ありがと~」
「莉差姉……またそんなだらしない恰好して。もう高校二年なのに」
「和博は中二なのに大人だね。でもお母さんみたいにうるさい小言は禁止ぃ~……」
僕が呆れ顔で見下ろす先で、莉差姉はカーペットにあぐらをかいていた。
莉差姉はオーバーサイズのシャツを一枚。その下にはスポーツブラとショートパンツを着ているだけだろう。いつもそんな服装で過ごしている。
重度の面倒くさがりで、人目をちっとも気にしない。
今みたいな薄着でも平気で外出できてしまうズボラだ。
なのに、人使いは荒くて、今みたいに雑用は弟である僕任せ……困りものだ。
――姉曰く、姉にかなう弟などいない。
莉差姉は僕が逆らえないと思っている節がある。けど、そんなことはない。
姉に威厳なんて無い。たとえ厳しく言い聞かせても、姉が本当にマジで全然活動しないということを、母さんが手を焼く姿を見ているから知っている。
姉が動かない分、迷惑をこうむるのは、残念なことに姉以外の人たちだ。
その周りの人達への迷惑を少しでも減らしたくて、弟として僕がしっかり動かざるを得ないだけなんだ。
けど――。
「莉差。和博くんに甘えるの、『やめな』って前に注意したよね?」
「ああ~……まこふぁん、いふぁい、いふあぁい~……!」
横から伸びてきた手に、莉差姉は頬をぐぃーっと引っ張られていた。
莉差姉を叱ったのは、姉の友達の一人、御手洗真心さんだ。
真心さんは男の僕から見ても、格好いいお姉さんである。
ウルフカットというらしい髪型も綺麗で、大人っぽい。
美容院に行くのも面倒くさがって髪を伸ばして、今も寝癖すら直していない莉差姉とは違う。
黒いマスクをつけていて表情は見えづらいし、ピアスや指輪を何個もつけていて、黙っていると若干の圧を感じる外見だけど、真心さんは優しい人だ。
僕が莉差姉にこき使われていると、こうして味方になってくれる。
「真心さん。ほっぺが柔らかいのが姉の数少ない取り柄なんです。そこばかり攻めないであげてください……」
僕はお茶請けを真心さんの近くへ置いた。正座もした。
真心さんは溜息をつき、莉差姉の頬を解放する。
続いて、どういうわけか、その手で僕の頭を撫でてきた。
――さすさす。なでなで。
――さすさすさす。なでなでなで。
「? あの……?」
「和博くんが本当に嫌になったら、あたしが莉差と代わるから」
「僕じゃなくて莉差姉とですか?」
真心さんはたまに難しいことを言う。
僕も莉差姉の頼みで高校の宿題を手伝うことが多くて、中学生のわりには勉強ができるつもりだけど……本当に立派な年長者には深い考えがあるのかもしれない。
されるがまま頭を撫でられていると、僕の背中に誰かがもたれかかってきた。
驚いて、そっちに顔を向ける。
――カシャリ。
スマホのシャッター音が鳴った。
こちらを覗き込むレンズがどけられると、白く澄んだ美貌が現れる。
「うん、カズピは今日も綺麗な顔しているわね」
「聖良さん。勝手に人の写真撮ったらいけません。犯罪です」
「うふふ。聖良が悪ってこと? それは刺激的ね……!」
そう無邪気に笑うのは、姉の友達の一人、雲母聖良さんだ。
白金に近い色合いの金髪が腰丈まであって、姿を見る度に『上品』とはこのことかと思うほど綺麗な人だ。
「これ、イソスタに上げていい? カズピの写真、フォロワーの食いつきがいいの」
人に変なあだ名をつけたり、スマホに依存していたりは、あんまり良くないけど。
「いいですよ。聖良さん、インターネットでちやほやされるのが好きですもんね」
「ん~~~~? 聖良、ディスられてる?」
「え? そんなつもりじゃなかったです……ごめんなさい」
聖良さんが渇いた笑いで固まってしまったので、思わず詫びた。
でも、聖良さんはすっかりご機嫌斜めみたいだ。
冷たい汗を流す僕に、聖良さんがより深く腕を絡めてくる。
聖良さんは再びスマホを構えて、内カメラで自撮りの体勢。
そして、僕に頬をくっつけた。……聖良さんの頬、少し熱い。
二人一緒に画角に収まったままスマホのシャッターを切った。
「罰として、これはイソスタに上げてあげないわ」
「は? ん? あ、はい」
それは僕にとっての罰になっていないけど、いいのか……?
でも、聖良さんは一転して満面の笑みを浮かべているから、いいのか。
聖良さんに抱きかかえられながら、どこかスッキリしない気分だった。
そんなとき。
莉差姉がジト……と半眼になって、大きめの声を上げる。
「ちょっとぉ、和博は姉のぉ~! 真心も聖良もベタベタ触るの禁止!」
「別にいいでしょ。和博くんとも古い付き合いなんだから」
「カズピは小柄で収まりがいいから、つい抱っこしたくなる」
真心さんが意義を唱える一方で、聖良さんは意味不明の感想を述べていた。
どうも居心地が悪くなり、僕は立ち上がる。
ドアの手前まで移動し、振り返った。
「もうお茶請けは届けたから。お邪魔しました」
ぺこりと会釈して退室する。
直後、扉越しからまた騒がしい声が届いてきた。
部屋の前から遠ざかると、それも聞こえなくなる。
「そういえば、今回は珍しく、佐月さんと佑陽さんは一緒じゃなかったな……」
姉はいつも仲良し五人グループ。今日はその内の二人しかいなかった。
それでよかったかもしれない。
姉の友達が勢ぞろいしていたら、もっと騒がしくなっていただろうし。
「――……ハァ……どきどきした」
姉の友達に甘やかされる状況には、いつまで経っても慣れない。
だらしない姉を反面教師に見てきたから、僕は昔からしっかり者になろうと努めてきた。
そうしているうちに、僕はいつしか他人への甘え方がわからなくなっていた。
他人に甘やかされると、どう反応していいのやら。思考が止まってしまう。
さっきも多分、不愛想だったと反省する。ヤな感じの態度は取りたくない。
「……もし、上手な甘え方があるなら……」
誰かを頼ることに鈍感な僕でも、それを知ることができるのかな。