散歩
夏はこれまで実家介護には自転車で通っていた。
そして父が元気だった3年前までは、よく父と10km歩いて東神楽まで散歩したものだ。
父は、アラスカで原生林を木こりと一緒に歩いて原生林の調査の仕事を昔していたので、歩くのは85歳過ぎても大丈夫だった。
夏は、実家から綾鷹の凍ったペットボトルを持参し、2人でテクテクひとの居ない緑の多い山道を歩いて東神楽のベストムという大きなスーパーまで歩いた。
父は元気で先頭切って歩いて行く。
凍った綾鷹のお茶も夏の暑さで溶けて行き冷たく喉を潤す。
2人で綾鷹を飲みながら畑の草むらで寝転び笑いながら顔を合わせたものである。
山から山へと山道を転ばないよう注意深く歩を進め木の枝に帽子を取られたりした。
ベストムまで出るとお昼だとアルティモールまで行きケンタッキーフライドチキンを食べた。
歩いてお腹空いていたから2人ともフライドチキンを美味しいと感じた。
肉をムシャムシャ食べた。
私にはその頃お金が無かったが、父の介護費から出して街の三光舎に時々行きステーキランチを食べたこともある。
その頃はまだ値上げして無く2,700円で黒毛和牛のステーキにジャガイモとトウモロコシのサラダとアスパラのひと皿に、生野菜サラダと、ライスと、食後にホットコーヒーが付いた。
ジュワッと鉄板の皿から音がして醤油の味のステーキは、美味かった。
ベストムからタクシーで街まで行き三光舎で父とステーキを食べた。
三光舎は個室でこじんまりとしていて、ステーキランチの後は、畳に座布団敷き2人で昼寝した。
給仕の女の子もよくわかっていて時間いっぱいまで私達親子を昼寝させてくれた。
帰る頃にLINEでタクシー運転手のお姉さんに連絡して来てもらい、眠い目をこすりながらタクシーに乗りいい気分で実家に帰った。
父との思い出は幸せでのどかだ。
東神楽の新しい綺麗な住宅街は、歩くと気持ち良かった。
私は団地に住みながら夏は実家の冷房に当たり快適な暮らしをしていた。
夜8時頃介護を終え涼しい夜道を自転車で走ると風が爽やかで気持ちがいい。
父の介護は、下の世話も無く、ただ料理を作って出しお風呂に週一回入れてあげるだけで料理の後片付けや掃除や父の血圧測定や服薬などで楽な介護だった。
可愛い父と実家に居るのは楽しかった。
今では自分の料理を食べ「美味しいね」と父が言ってくれない環境に居るのが寂しくてたまらない。
幸せは過ぎ去ってからわかるものだと感じる。
父とのほっこり笑いながら過ごした時間は幸せで貴重だった。
愛おしい父だ。
母との介護は短く、あまり母にはしてあげられなかったのが悲しく悔しくてたまらない。
母はコロナ禍の施設で家族に会えずに、1人寂しく逝ってしまった。
可哀想で思い出すと涙が頬を伝う。
自分を育ててくれた両親の世話をすることは義務と言ったらおかしいが当然のことだと思う。
父とは介護の時間が長いから父が居てくれるありがたさを強く感じる。
今は父は入院しているが、退院したら私の団地の近くの施設に入居して欲しいと思っている。
今は病院で面会も週一回と決まっていて寂しくてたまらないが、施設入居したら毎日のように施設に通いたい。
父には長生きしてもらいたいと思う。
でももしもだが、父が亡くなったら実家は弟のものになる。
私はずっと団地に住みたいので、団地に住むには実家を所有したらいけないのだ。
実家を継ぐなら団地を退去しなくては、ならない。
団地には他に家を持ってはいけないと言う決まりがあるのである。
住む家に困窮していなければ団地には住めない。
団地の他に住む家や貸す家があったら当然所得があるのだから団地には住む権利が無いのである。
団地には低所得者だけが住む。
団地に入ってから所得が増えたら団地の家賃が収入によって上がる仕組みになっている。
が、住む家は1軒だけ団地だけだ。
111号室の前の住人は、社長になったから社長が団地に住んでたらまずいだろうと出て行った。
団地は生活に困窮している人が住むところである。




