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お前はカフカで、僕はマックス・ブロート

作者: 柿井優嬉

「俺が死んだらさ、未発表の小説を印刷した束が部屋にあるから、それを焼き捨ててくれ」

 と、楠木は言った。

「ああ?」

 こいつ、カフカ気取りか、と、僕は荒っぽい返事の声を発した。

 楠木の発言の意味するところは、文学が好きならわかる人は多いだろう。

 著名な小説家であるフランツ・カフカは、生きている間にデビューこそしていたものの、ほとんど評価されていなかった。それが現在の高い地位へと導いたのは、彼の友人で、こちらは当時有名な作家だったマックス・ブロートに、自分が死んだら焼却処分するよう頼んだ未公表の作品群を、ブロートが言われた通りにせず世の中に出したことによる。

 つまり楠木は暗に、「俺が死んだら、まだ世に見せていない自分の作品を発表してくれ。そしたら俺はカフカと同等のステータスを獲得するだろう」と言っているわけだ。

 ブロートがなぜカフカの望みに従って原稿を焼き捨てなかったのか、そこまでのことは僕は知らない。作品が素晴らしかったのもあるだろうが、二人の友情が強く「廃棄なんてとてもできない」と思ったからかもしれない。

「お前がカフカで、僕がマックス・ブロートで、それを発表しろってことかよ。僕はそんなにお人好しじゃないぞ」

 電話の向こうの楠木に言ってやった。

 だいたい、己がカフカと肩を並べるほどの実力があると考えていやがるなんて、思い上がりもいいところだ。調子に乗んなよ。

「さすが元栄明高校文学部部長の永川くん。よくぞ俺っちの魂胆を見抜いたね」

「誰でもわかるわい、そんなもん」

 今、楠木が口にしたように、僕は文学部の部長だった。といっても、僕と楠木の二人だけの文学部。それも、活動らしいことなんて何もしなかった、小説が好きで読むのと書くのをひたすらするだけの文学部。

 けれど一方で、その二人のみだった高校の文学部員の両者ともにプロになれたのだから、すごいと言えるに違いない。

 僕は暗くて友達など本当に数えるくらいしかいない生徒だったが、書く小説はザ・エンターテインメント。かたや楠木は、ユーモアがあって社交的でたくさん友人がいてみんなに慕われていて、文学なんてまったく興味がなさそうだったのに我が部に入ったうえに、執筆する作品もイメージと異なるザ・純文学。それはずっと変わらない。

 プロになった現在、本の売れ行きは僕が楠木を圧倒しているが、実力よりもそのジャンルの影響がほとんどだ。娯楽作品のほうが多くの人に手に取ってもらえるのは小説になじみがなくても想像がつくだろう。

 それが、カフカとマックス・ブロートが生前と死後で評価の上下が逆転したように、楠木が未発表の小説を世に出せば、あいつも僕を追い抜くと思っているわけである。まあ、僕の筆力などたかが知れてるから可能性はないどころか十分過ぎるほどだけれど、なぜに僕が自身に何のメリットもないそんなことをせにゃならんのだ。また腹が立ってきた。

「くだらん電話をかけてくるなら、アイデアの一つでも考えたらどうなんだ?」

「アイデア探しなんてしんどいよ。ま、嫌でもしちゃう、てか、せざるを得ないんだけどさ」

「そんなにしんどいなら、作家なんて辞めちゃえよ。お前なら他の仕事でいくらでも食っていけるだろ」

 僕は違う。小説家がいいというより、それしかできない駄目人間だ。

「きみ、付き合い長いのに、本気でそんなこと思ってんの? 俺だって小説家としてしか生きていけないよ」

「嘘つけよ」

「嘘じゃない。部長ー、そんなに人を見る目がないんじゃ、今後の作家人生も知れたものですな」

「うっさい、ボケ。切るぞ」

「あ、ちょ……」

 僕は通話をやめた携帯を布団の上に放り投げた。

 ったく。原稿の締め切りがあるのわかってるはずなのに、しょうもないことを言うためだけに電話をかけてきやがって。あいつも相当煮詰まってるのか?


 あのとき、電話を切ったりするんじゃなかったと、僕は後悔した。

 楠木が大病に侵されているなんて思いもしなかった。


 楠木は冗談をよく言う奴だったけれど、電話で言っていた通り、印刷された束の状態の公表されていないいくつもの作品が部屋にあった。

「マジかよ……」

 僕はそれらを読んで愕然とした。ものすごく面白い、最高級のエンタメ小説だったのだ。これを世に出せば、さすがにカフカには届かないまでも、たくさん売れるし、作家としての地位も格段に上昇することは間違いない。

 なぜあいつは生きている間にこれらを出版しなかったのだろうか? その点に関しては予想がつく。楠木は書ける能力はあっても、こうした作品は好みではなかったのだ。

 ではどうして、わざわざこれらを執筆して、僕に存在を知らせたのか? せめて死後くらいはカフカのように世間に認められたかったのだろうか? 僕ならマックス・ブロートと同じようにしてくれるだろうと考えて——。

「ん?」

 封筒が出てきた。

 ……あいつ。

 封筒の中に僕宛てのメモがあって、「気に入らない部分は変えて、きみの小説に使うといい」と書かれてあった。そういえば、どの作品も僕テイストだ。

 そう、僕の本のほうが楠木より売れてるといったって、小説全体が例えば漫画と比べたら微々たる売り上げしかないし、そのなかで僕らは下層に属する、どんぐりの背比べもいいところの話だった。「こんな稼ぎじゃ老後苦しむよー」「まあ、しょうがないよね。好きなことを職業にできただけ幸せに思いなよ」「お前のほうが売れてないのに、偉そうに慰めるな!」という会話が僕たちの間で年中行われていた。

 あいつ、僕のために、本来まったく書きたくないこれらの小説の執筆に時間を割いてくれたのか? 自分の人生のリミットが迫っていることがわかっていながら。

 バカ野郎。僕が喜んでお前の作品を使用するなんて本気で思ったのかよ? 見損なうな。

 ちゃんと発表するよ、決まってんだろ。

 お前はカフカで、僕はマックス・ブロートなんだから。


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