惨夏(ざんか)に塗れるクロリンドウ
100%のホラーは難しいんで、ちょっと別要素ブレンドしてみた
「知ってる?」
街角で妙齢の女性たちが偶然集い、いつもの小話が始まった。
「なんの話?」
だが、今日はいつもと何かが違った。
「あそこのお子さん、人殺しだそうよ」
ありふれた町を伝達していく一つの噂。
それは4丁目の13番地に住む松本一家の長男が、実はある事件の殺人犯ではないかという噂だ。
もちろん、家族も本人もその噂は否定していた。だが、生憎と世間というものは信じやすく疑問を持ちにくい傾向がある。
誰も簡単に信じなかったし、疑うことも少なかった。
事の発端は約一ヶ月前、夏休み中の出来事だった。
地元で有名な進学校だった高校で、2年生だった柴橋と美濃谷という二人の生徒が、休校中の学校でハサミで刺されたり喉を切り裂かれるという残虐極まりない事件が起きた。
現場に指紋はなく、遺留品だったハサミも学校特有のものではなくどこの文房具屋にでも売っている普通のハサミだった。
犯人がなぜ彼らを学校に呼んで殺したのかは未だ不明のままだ。
そんな時、容疑者として浮上したのがクラスメイトであった男子生徒の松本だった。
理由は簡単、彼には二人を殺す動機があったからだ。
彼は前から二人からいじめの標的にされており、担任の知らぬところでかなり陰湿な虐待をしていたと、事件後にクラスメイトたちから証言が取れた。
だから復讐したんだという憶測が蔓延したが、証拠は何一つない。
明日からまた学校か、と憂鬱になりながら松本は洗濯機が回り始めたことを確認して夜の散歩に出かけた。
次の日。
登校の時によく見かけるおばさんを今日は見かけなかった。まあそんな時もあるだろうと気にしなかったが、家の塀の中から聞こえた会話にドキッとした。
「大谷さん金曜から見かけないんだけどなにかあったのかしら」
「知らないの? 昨日お風呂場で倒れて死んじゃってたのよ」
「え!?」
「洗剤を混ぜ合わせちゃってガスを吸ったらしいわ」
「世の中物騒になってきちゃったね・・・」
あのおばさん死んじゃったのか。別に悲しさは微塵もない。あの人は松本を信じなかったからだ。だから排水口クリーナーのガスで死ぬ間抜けな終わり方になったんだ。
とにかく、そんなことよりも学校がある。机に落書きとか、トイレで水を掛けられるとか、そんな令和になっても成長しない稚児みたいなことが起きなければいいなと、淡い期待を胸にアスファルトの上を歩いた。
結論から言えば、幼稚なイジメは流石になかった。腐っても高校生なだけあって、証拠もないのに犯人と決めつけることはなかったようだ。
ため息を吐き出し安心する。
先生も何も言ってくることはなく、そのまま放課後を迎えた。
特に何の部活にも入っていなかった松本は今日も早めに家に帰ろうと帰路についたが、そこで思わぬ邪魔が入ってきた。
今年卒業したOBであり当時不良だった若狭先輩だ。
「松本〜、聞いたぜ? 夏休みにクラスメイトが殺されたんだってな?
お前が殺ったんじゃないかって噂になってっけどよ、そこんところどーなん?」
「まさか、僕が証拠も残さないような徹底ぶりや頭の良さがあると思いますか?」
「・・・・・・チッ、あー確かにな。お前にそんな力なんてあるわけねえか!」
そう言ってバカにした感じで松本の肩を強めに押す。この先輩には在学中にはよく可愛がってもらったものだ。
松本で遊んで満足した若狭は、下品に笑いながら去っていった。夕日によって、彼の伸びる影が松本の足元からずり落ちていく。
今年の夏はなんとツイてないんだ。卒業してやっと解放された先輩とまた因縁を結ぼうとしている。これ以上長く関わるのは良くない。
早く噂が時間によって消えてしまうように、松本も影を引き摺った。
深夜11時、単車に乗って国道を若狭は猛スピードで単車に乗って駆け回っていた。
この国道付近は深夜になると交通量が全くなくなって、人目も気にせず走るには最高の場所だった。
ヘルメットも被らずに風を一身に受ける若狭は、爽快感の中で今日のことを思い出していた。
「松本、俺が卒業してからそんなに経ってないのになんか変わってたな。面白くねえの。今度会ったらまた学生時代のノリでやってやろうかな〜」
いじめっ子時代の嗜虐心が蘇ってきた時、バイクのライトに反射してキラリと前方が光った気がした。
その瞬間、途轍もない衝撃が若さの首元を襲った。何かに当たって吹き飛ばされたのか。そんな疑問が浮かんだが、視界がぐるぐると回り地面に落ちた。そして少し転がった後に若狭が見た景色は、車道に倒れている愛車と首から血をドボドボと溢れ出している自分の身体だった。
そして視界の端にかろうじて見えたのは、空中から滴り落ちる血液だった。
次の日。
朝からニュースは騒然としていた。昨日偶然会った若狭先輩が道路で事故に遭ったらしい。表現がマイルドにされているが、簡単に言うと首が飛んでしまったのだ。
両親は酷い事故に朝からショックを受けている。そこまで近くない道路で起きたこととはいえ、街中で起きたことに変わりはない。
最近いいニュースがないことから、街全体の活気も下がり調子となっていた。
当然、学校の雰囲気も落ち込んでくる。
本当の意味でいじめっ子がいなくなった教室はこれまでの高校生活で一番過ごしやすくなっていた。それは、この数日間ではっきりと実感できる。
もう、噂も段々と鎮火していっていると感じ始めた。
それはそうだ。
いじめっ子も、嫌われ者のおばさんも、不良も、みんないなくなったのだから。
もう何かに怯えなくていい。自由になれたのだ。
松本は、窓からグラウンドを眺めながら微笑んだ。
今日も学校を終えて部屋に戻った松本は、捨てられなかったゴミを処分することにした。明日はちょうど燃えないゴミの日だ。いつものゴミ収集場所じゃなくて、今日は夜の散歩がてら少し遠くに捨ててこよう。
松本は黒いゴミ袋を持って、薄暗く静かな夜へと歩いていった。
それから一週間後、柴橋と美濃谷を殺した犯人が捕まったとニュースで流れた。
別のクラスのいじめられっ子で、未成年だから名前は公表されなかったが、心当たりはあった。彼も松本と同じく彼らに虐められていたと聞いたことがある。
彼の近くのゴミ捨て場から、凶器が入った袋が見つかったらしい。そのゴミ袋の中には、犯人である彼のDNAが付着した件のハサミが入っていたのだ。多分、指紋も付いていることだろう。
噂はガセだと皆が気づき、松本に謝罪を述べていく。松本は「ありがとう」と、健やかな笑みを浮かべて謝罪を受け取った。
それから、松本の学校生活は順風満帆だった。
冤罪を勝ち取った彼は皆から大事にされ、二度と彼にちょっかいをかける人も出てこなくなった。一番の大きい変化は、一つ年下の彼女ができたことだった。
彼女は冤罪だと信じていた数少ない後輩の一人だった。付き合って半月も経っていないが、仲はすこぶる良好だった。
今日も下校の道で、ファミレスに寄り道しようなどと朗らかに会話をしている。
了承した松本が商店街をすぎる時、電器屋の店頭に置かれたテレビに目が走った。
9月に放送される心霊番組の予告が流れていたのだ。
少しすると、演出なのか急にザザッとノイズが走り、一瞬だが画面にびっしりとある文字が浮かんだ。
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
シネ
白の怖めのフォントでサブリミナルみたいに浮かんだ言葉に、ただ松本は何か唯ならぬ恐怖を感じた。
夏の暑さが残っているのに、冷たい汗が背中を伝った。
「大丈夫? そんなにあの番組って怖かったの?」
彼女が横から心配してくれた。
「だいじょうぶ」
松本はできるだけ平常心で返した。せっかく勝ち取った心の平穏を、ありもしない亡霊ごときに脅かされるなんて冗談じゃなかった。
全ては彼らの自業自得、それ以外に真実はない。松本はそう思い切って、さっきの不可解な出来事を無かったことにした。
その日の夜、松本は夢を見ていた。
夜の校舎のいつもの教室で、体の自由を奪われながら立ちすくんでいた。外の音は知覚できず、不気味なまでの静寂が支配していた。
自身の動悸が上がっていく。息も短く浅くなる。
恐怖が芽生えたその時、松本の前には見覚えのある人物が立っていた。
間違いない、男子高校生を二人殺したあの男だ。
外の月明かりだけが教室を照らしているせいで、陰になった彼の無表情が一層怖く感じられた。
彼は歩くこともせず、水平移動するかのように滑らかに松本に近づいてきた。
するといきなり、彼は松本の首を締め上げた。
夢の中なのに、苦しさと手の感触だけは鮮明に感じられた。現実じゃないのに、死ぬという感覚さえ脳裏をよぎった。
苦しみながらも見た彼の顔は、もう無表情じゃなかった。
目は黒く塗りつぶされ、見開いている。その眼を見続けると、深い穴の中に落とされるような危機感を感じた。
口は裂けるんじゃないかと思うくらいに限界まで大きく開かれており、口内は血液が渦を巻いている。
そして、悍ましい声で松本に言い続ける。
「裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り、裏切り」
松本には心当たりがなかった。自分が何をしたというのだ。理不尽に思いながらも恐怖で体は固まったままだが、今度はいきなり場面が変わった。
それは、被害者となった二人が血を流して教室に倒れ伏している場面だ。
そこに、松本の知らない展開があった。誰かが教室に入ってきて、ハサミで二人にトドメを刺していたのだ。
それを見終わった松本はふと後ろを振り向くと、返り血を浴びて赤く変色したワイシャツを着て凶器となったハサミを右手に持っている彼がいた。
そこでようやく、松本は理解した。裏切りとはそういうことか。
彼は本当にあの事件の犯人だったのだ。それを松本が偶然暴いてしまう形で逮捕させてしまったのだ。
それに気付いた松本には、もう恐怖心はなかった。ぐちゃり、ぐちゃりと生々しい足音を響かせながら、恐ろしい形相でハサミを振り翳した彼に、先にハサミを突き刺した。
そのまま、チョキチョキと彼の体内を切り刻んでいく。人とは思えない異形の断末魔が鼓膜を叩いた。
そして心臓まで届いた刃は、松本が力いっぱい握り込んだグリップによって両断された。
苦しみながら傷や目、口からもドス黒い血を大量に吐き出しながら彼は闇の中に溶けていく。
それと同時に、松本の意識も闇に溶けていった。
目が覚めると、松本は自分の部屋にいた。カーテンからは薄く朝日が差し込んでおり、時刻を日の出直後と知らせている。
今までかいたこともないくらいに寝汗が噴き出ており、まだ首を絞められた苦しさが脳に刻まれていた。
ハサミで彼を切り殺した感触も、その手がしっかり覚えていた。
嫌な夢を見たものだと不快に思いながら、目を覚ますために洗面所で顔を洗う。
タオルで顔を拭いてもう一度鏡を見た時に、松本はゾッとした。
首には、両手で絞められた手形がくっきりと残っていた。
今日は土曜日で休みなため、リビングで適当なパンを選んで頬張りながらテレビをつけニュースを見る。
するといきなり、松本にとってはあまりにも非現実的な報道が流れていた。
『本日午前2時頃、男子高校生二人殺人事件の容疑者として留置所に収容されていた少年が、不審死によって亡くなりました。少年は目や口から多量出血して床で倒れており、胸を掻きむしった状態で死亡していました。
簡易的な司法解剖の結果、心臓だけが刃物で切られたかのように裂けていたとの報告です』
心臓がキュッとなった。あの夢はただの夢じゃなかったのか。
偶然なのか、夢で殺したら現実でも同じ死に方となるなんてあまりにもファンタジーだった。
そう言えば、彼女は大丈夫だろうか。心配になった松本は彼女に確認の電話をかけた。
『もしもし?』
『もしもし。ニュースであの事件の犯人が不審死したって聞いて、なんか心配になったからかけたんだけど、大丈夫だった?』
『全然大丈夫だよ。悪い夢とか、不吉なこととかも特になかったし』
松本は安堵の息を吐いた。彼女はどうやら大丈夫だったらしい。思い過ぎかと反省していたら、今度は彼女から提案があった。
『ねえ、今日休みだからデートしようよ。えっと、9時に〇〇公園でどうかな』
デートのお誘いとは嬉しい。松本は快く了承し、部屋に戻ってデートの準備を始めた。
服装もバッチリ決めて外へ飛び出した松本は、集合場所である公園へと上機嫌で向かった。
歩き始めて15分して、公園へと続く横断歩道が向こうに見えた。念の為に30分は早めに着いたのに、彼女はそれよりも早く着いていて松本に手を振っている。
信号はちょうど青になっていたため、急いで彼女の元へと駆け寄った。
その瞬間、松本は違和感を感じた。
ここの信号は確か、自動ではなくボタンを押して初めて青になる手動式だったはず。
それが、なぜ都合よく青になっている?
周りに人は誰もいない。彼女が押したかとも思ったが、信号が変わる制限時間より前から手を振っていた。
違和感の正体に気づいた松本は、再び彼女の方を見た。
だが、そこに居たのは彼女であって彼女ではなかった。
彼女の顔が、夢に出てきた彼そっくりになったのが見えた。
その光景を最後に、松本の世界は黒と衝撃によって閉ざされた。
松本が交通事故に遭って死亡した後、警察は松本の彼女に事情聴取を行った。これは、その会話の一部を抜粋したものである。
「信じられませんでした、私が松本くんに会うために家を出ようとした時に、その知らせがたまたま公園にいた友達から届いたんです。
私があの場所をデータの集合場所にしなければ、そうでなくても親に送ってもらったりとかすれば、こんなことにはならなかったと深く後悔しています。
せっかく冤罪になった彼なのに、こんな終わりはひどく悲しいです。彼の分まで、私は幸せになることを誓います」
ボディブローホラーって感じ