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ファンタジアにて 前編

自分の正体を知るために、キール・デリはファンタジアと呼ばれる亜人種達の巣に足を踏み入れる。

危険極まりないそのエリアで、彼は猫タイプの亜人種、カラットに案内されてサイモン財団遺伝子研究保存センターという場所にたどりつく。

そこで彼は人間による亜人種の使われ方を知る。

 亜人種の巣と名高いファンタジアは、法律違反事例の宝庫でもある。キール・デリがそんな場所に足を踏み入れたのは、とある老科学者の噂を聞いたからであった。遺伝子調査の名手といわれた、ルドワイヤンという名前の博士である。

「またとしよりか、きーる」

「仕方ねえだろ」

 ブラッキィが言うのも無理はない。彼がこの話を聞き込んだのはとある老人会のパーティ会場だった。何か音が鳴ってればいい、という場所ではあるのだが、市職員の担当者によれば実演してみせるというのが大事なんだそうで、はらはらするようなあぶなっかしい手つきの手品師と一緒に、キール・デリは童謡だの懐メロだの大昔の映画音楽だの軍歌だのを二十曲以上も演奏させられた。ギャラはそれほど悪くなかったが、彼としてはもう二度と受けたくない仕事でもあった。

 演奏中だというのに席から立ち上がってきて話しかけられたり、差し入れと称してどっさり蒸かしイモを持ってこられたりしたのである。キール・デリが理由を聞くと「うちの孫が好きでねえ」という返事であった。あげくに機械が壊れたとかで、彼はビンゴ大会のBGMまでやらされた。こんなことは初めてである。しかも会場にいたブラッキィは、「黒ウサギは焼くとうまい」という理由で数人がかりで追い回された。

 あまりにも頭にきたので担当者に文句を言ったところ「年寄りなんで勘弁してやってください」と言われ、彼はもう二度とこの町には近寄らないと心に誓ったのだった。いろんな町を訪ね歩いてきたが、これほどひどい目にあったことはなかった。

 思い出すとイライラしてきたので、キール・デリは周囲の観察に専念することにした。まだ入口なのだが、だんだんと雰囲気が変わっていくのが分かる。なにより歩いている人間が異様だ。いや、普通なのだがよく見るとどこかおかしいのだった。

 今すれちがった男は尻尾が生えていた。まるで童話のようなふさふさしたキツネの尻尾である。彼は思わず振り返ってしまったのだが、相手の男は何ということもなくすたすたと道を歩いていった。

「きーる、ねこだ。へいのうえだぞ」

 ブラッキィはリュックの中で機嫌がよかった。周囲の風景がとてつもなく面白かったのである。路上にはよく分からないものを売っている人間がたくさんいるし、管理されていない動物たちがそこらじゅうを歩いていた。動かない機械がさびだらけで放置されていたり、おかしな風体をあやしいファッションで包んだ人間達も彼の興味をそそっていた。

 一方のキール・デリはひしひしと変わっていく空気に、奥に進むか来た道を戻るか悩んでいた。これ以上進むと危険である。そう彼のカンが告げていた。しかし、目的地はファンタジア最奥の地、旧中央区一番街である。そこに彼の探し人はいるのだった。

「きーる、またねこだ。大きいねこがいる」

「そうかい」

「こっちみろよ、おおきいぞ」

「そうか。少し黙ってろ」

 なんでウサギのくせに猫を見て喜ぶのだろうか、キール・デリはぼんやりとそんなことを考えながら警戒しつつ道を歩いていた。もちろんブラッキィの言う方向は見ていない。というよりも、まともに相手をしていると周囲の警戒ができないのだった。こんなあやしげな界隈では、一瞬の隙が命とりなこともままあるのだ。

「ほんとうにおおきいぞ。にんげんみたいだ。あっ、ちかよってきた」

「人間?」

 ブラッキィの言うことを信用したわけではないが、あまりに騒ぐのでキール・デリは振り返って後ろを見てみた。もしかしてトラでもいたら嫌だな、とちらっと思ったからでもある。もちろんそんなものがいるわけはない。

「はあい」

 真後ろに縞猫そっくりの、茶と黒のだんだら模様の髪をした娘が立っていた。

「ウサギを連れたお兄さん、どこの人? なにしにここへ来たの?」

 確かに人間である。顔立ちも可愛らしい。しかしずいぶんと異相を放っていた。

 頭の上にはピン、と尖った三角形の耳がついており、それがくるくると周囲の音を拾って動いている。上半身はタイトにまとめ、脚は黒っぽいミニスカートだ。最初、キール・デリはロングブーツを履いていると思ったのだが、よく見ると靴部分はくるぶしまでであり、ふくらはぎまでは髪と同じ色の短い毛が生えているのだった。

「こんなところにいるとバラバラにされちゃうよ。まともな連中のいる場所じゃないんだから」

 この娘に言われると説得力があった。キール・デリはうっかりして、よく動く耳をじっと見てしまった。彼女はその視線に気がつき、おかしそうに笑った。

「あたし、パフィキャット。こういうの、見たことない?」

 なくはない。自分だって同じようなものだ。しかし、と彼は思った。

「パフィキャット? どこの亜人種だ?」

 それから指先の出た手袋をしていると思ったのだが、そこの部分も彼女の自前であった。手首から甲まですっぽりと、やはり足と同じような短い毛に覆われている。五本の指は人間だった。爪には濃いオレンジ色をしたマニキュアと白い派手なプリント、そして控え面なラインストーンが施されている。猫耳のついた娘はキール・デリの質問にけらけら笑って答えた。

「残念、ここの自然発生よ。鳥たちとは違うの」

 そして彼をまっすぐ見て、首から下がっているチェーンとその先のプレートに気がついた。

「迷い込んだのかと思ったけど違うみたいね。たまにそういうのがいるからあたしがパトロールしてるんだけど。どっちにしろここは危ないわ。ジェナスのところに連れてってあげる」

 猫耳娘はそういうとすたすたと歩きだした。時々、キール・デリがついてきているかどうか振り返って確認しながら、先にたって歩いていく。

「お兄さん、なんの人? 超普通そうなんだけど」

 キール・デリは手に提げていた楽器を胸の前に抱え込んだ。ひったくりを用心してのことである。

「何って、ヴァイオリン弾きだ」

「へえー、それ楽器なの。初めて見た。名前はなに?」

 ブラッキィも静かにしている。空気が変わってきたのを感づいているようだった。彼を先導している娘の前に、急に男が一人、立ちふさがった。

「それ、どうしたんだ」

 キール・デリのほうを見てあごをしゃくる。

「どうしたって、見つけたのよ」

 男ははっきりとキール・デリのことを値踏みして言った。

「上物じゃねえか。サラサの倍値で買うよ。どうだ」

 ふん、と猫耳のついた娘はその男を軽蔑した目で見た。

「あたしはもうそういうのはやらないの。決めたんだから」

 男はにやにや笑ってそういう娘を見た。

「お前、いつまであのガキの手先をやってんだ。いいかげんしとけよ。ちっともなびかねえじゃねえか」

 娘はむっとしたらしかった。

「タッジー、あんたってくだらないことしか言わないのね。よく見なさいよ、残念ながら売り物にはならないわ」

 タッジーと呼ばれた男はずかずかとキール・デリの前までやってきて、彼の胸元にあるチェーンに目をとめた。彼の許可も取らず、楽器ケースの下に隠れている部分を無理やり引っ張り出そうとする。

「やめろ」

 キール・デリは一歩さがった。その拍子に抱えていた楽器ケースの下から、銀色のプレートが光ってのぞいた。

「なんだ、プレート持ちか?」

「そうよ」

「じゃあ駄目だ。使えねえ」

「そういうこと。じゃあね」

 さらっと猫耳のついた娘はタッジーのことをかわし、歩き出した。キール・デリはあわててその後を追った。

「さっきのは何だ」

「パーツ屋よ」

「パーツ屋?」

「まともなヤツをばらしてあたしみたいな連中に売るのよ。手足を付け替えます、ってね。お兄さんはプレートがあってラッキーだったと思うわ」

 プレートがあってラッキーだったというのは初めてである。

「プレート持ちは何が混ざってるか分からないから、基本、ああいうやつらは手を出さないの。やつらの持ってる計測器は粗いから、高精度の遺伝子パッチをされると継ぎ目も分からない。しかも組み替え遺伝子の含有量が正確に分からないことも多いからね」

 キール・デリはとてつもない情報を聞かされているような気がしたが、娘はごく普通に話を続けていた。おそらくこのエリアの常識なのであろう。

 それにしても、という感じで娘はキール・デリを振りかえった。

「お兄さんは本当にプレート持ち? それ、本当に自分の?」

 けげんそうな表情だ。キール・デリはジャラっと音を立ててプレートを自分の前にかざした。

「本当だ。俺の名前がある」

 うーん、と眉間にしわを寄せて猫耳娘は考え込んだ。

「お兄さん、出身どこ?」

「カプシカムだ」

「そっちじゃなくて、プレートのほう」

 そうっとブラッキィがリュックから顔を出した。目を丸くして前を行く娘の頭についている、くるくる動く耳を見ている。

「サラティア社らしい。俺もよく知らない」

「知らない? そっか、じゃあ分かんないね」

 娘は追及するのをやめにしたようだった。

「まあいいや、ジェナスのところについたわ。このファンタジアの案内所兼避難所よ。お兄さんみたいな人たちのね」

 娘が足を止めた先には、巨大なコンクリート製の立派な建造物が建っていた。そこには「サイモン財団遺伝子研究保存センター」という文字があった。

「入って」

 娘は強化ガラス製の自動ドアの前で彼を呼んだ。

「何か調べに来たんでしょう。ここなら分かると思うわ。とりあえず、ジェナスを呼んであげるから中に入って待ってて。あと、名前は?」

「キール・デリだ」

 娘は少し考え込んだようだった。だがすぐに気を取り直し、彼を奥のロビーに呼んだ。


 キール・デリは言われたとおりに中に入った。いったい何の施設なのか分かりかねたが、彼の探している答えに近そうな場所ではあった。まるで商談室のような机と椅子が並べられた広い部屋に、キール・デリは一人で座って呼ばれた人物が来るのを待っていた。

「きーる、ここ、どこだ」

「さあな」

 いや、一人ではなかった。ブラッキィはしゃれてはいるがあまり使い勝手のよくない丸いテーブルの上で、不満そうにぴょこぴょこ跳ねながらまわりのにおいを嗅いでいた。

「オノミモノヲオモチシマシタ」

 中途半端なキンキン声がすると思ったら、なんとロボットがコーヒーを運んできた。足元はローラーで動くようになっており、背はテーブルまでしかない。客用のコーヒーと砂糖、それにスプーンやミルクといった一式は小さめの盆にまとめられてロボットの頭に載っていた。

「オトリクダサイ」

 盆ごと自分で取るらしい。キール・デリはコーヒー一式を自分でテーブルの上に移動させた。ロボットはついで、テーブルの上をはねているブラッキィに気がついた。

「おまえだれだ」

 ブラッキィがロボットを詰問する。

「リンダK-201デス。ゴヨウハゴザイマスカ」

 ひるむことなくロボットは答えた。ブラッキィはふんふんとロボットのにおいを嗅ぎ、キール・デリのほうに戻ってきた。

「あいつえらい。ちゃんと答えたぞ」

 特に何もないらしいと見て取って、リンダと名乗るロボットはすーっと床を滑って帰っていった。入れ替わりといった感じで、ロボットの帰っていったあたりから若い男が一人出てきた。

「お待たせしました、キールさんですね。僕がここの代表のジェナスです」

 若い男と思ったが、そうではなかった。まだほんの少年である。十七か十八か、たぶんその辺であろう。キール・デリが思ったよりもはるかに若かった。案内してきた猫耳娘も同じくらいだろう。

「ここはなんだ」

 とりあえず彼は今までの疑問を口にした。ブラッキィはテーブルの上で丸くなっている。微妙に警戒しているようだった。

「えっと、カラットは何も説明してないんですか」

「あの猫娘はカラットっていうのか」

 えっ、とジェナスと名乗る少年代表は絶句してしまった。まただー、とつぶやく。

「じゃあ説明します。少し長いので、途中で分からないことがあったら聞いてください」

 以下は少年ジェナスが語ったこの場所、サイモン財団遺伝子研究保存センターと彼についてのあらましである。


 ことの起こりは五十年以上前までさかのぼる。当時、遺伝子研究の権威であったサイモン・リー博士は、助手のミルズとともにこの地にサイモン優性保護センターなるものを設立した。目的はヒト遺伝子情報の収集である。学者二人はまだのんきな空気の中、手当たり次第にサンプルを集めることに没頭していた。

 しかし規制のなかった時代、流行のままに雑多な遺伝子をヒトゲノムに移植することがはびこり、やがて時の政府は「粛清」なる活動を始める。遺伝子検査の後にある一定以上の基準を満たさない、改変の入った者たちを抹殺しだしたのだ。それにより人以外の姿形をした者はほぼ絶滅した。そして「純粋な」遺伝子情報が大量に保存されている場所、すなわちサイモン優性保護センターに目をつけたのだった。以降、この場所は政府直轄の研究機関となる。

「政府はここの遺伝子情報と比べてどこかおかしい塩基配列を持つ者、そういった人間達を排除し、研究の名目でこの近辺に閉じ込めました。それがファンタジアです」

 以降、改変された遺伝子を持つ人間達はある種のタブーとして扱われることになる。また目的に関わらず亜人種の作成、研究に関わる場合は限定された規格内でしか行えないようにした。

「ある程度以上のひとがたであること、一定以上の知能を持たないこと、反抗心・知性の欠如、不稔性、この辺が主なものです。過去には反乱もありましたから」

 ここまで話して、さて、という感じでジェナス少年はキール・デリの顔を正面から見た。

「粛清は三十五年前です。キールさんは何歳ですか」

「二十一だ」

 ジェナス少年は彼の胸元に下がっているプレートを見やった。

「キールさんはおそらくどの規格内にも収まっていません。僕みたいです。でも企業用の倫理コードには例外はないはずです」

「お前もなのか」

「そうですよ」

 少し間があった。ジェナス少年は彼の正面に座り、さっきから話を続けていた。

「僕は、ドクター……ドクター・ミルズの見栄と、ここの技術力の検証のためにつくられたんです。欠損や異形である遺伝子を切り張りして、どれだけ彼らが思うところのヒトに戻せるか。そのための実験です」

 おおかた実験は成功したのだろう。そして、ジェナスがまだ少年なのになんとなく影があるのは、その出自のためなのに違いなかった。

「キールさんは、僕の見たところでは大量生産型のプロトタイプです。だけどよく出来すぎてるし、サラティア社が、こういうと失礼ですけど、まるっきりのひとがた、そうすると愛玩用、みたいになるんですけど、そういうものを造ってるってのも聞いたことがないです」

 ジェナスの顔がかあっと赤くなった。キール・デリはそこで愛玩用、という言葉の意味を理解した。

「なのでカラットが『トラップ』ではないかと言ってましたが……」

「トラップって、何だ」

 説明に苦心している様子がありありと見えた。うーん、と言ったのち、思い切ったように言葉を継いだ。

「なんでもない、ただの人間にプレートが下げてあるんです。企業や大学の開発現場でよくあるんですけど、ひとの研究を盗んで、どこかの誰かをその研究結果として身代わりに立てるんです」

 なかなか強烈な話である。

「たいてい洗脳というか、暗示がかけてあります。見つけた場合は仕方ないんで暗示を解くんですけど……犯罪者だったりとか、一家離散でホームレスとか、そんなんばっかりでけっこう悲惨です。それに検査漬けで体も弱ってます。それらしく見せかけるために変に加工もされてますし……あまり、いいものじゃないです」

 ジェナス少年はここまで言うと、彼のことをまっすぐ見た。

「要望があれば検査します。ここは設備もデータも揃ってます。でも、もしキールさんが『トラップ』ならば、今まで自分がそう思っていたものが全部なくなります」

「全部?」

 ジェナスはうなずいた。 

「全部です。記憶も、家族も、大事なものも、すべてなくなります。そして知りたくなかったことを教えられます。おかしくなる人もいるくらいです」

「なら、違ったらどうなる」 

 そうですね、とジェナスは言った。

「自分の造られた意味が分かるかもしれません。でも、本物のプレート持ちでそれを理解できたのは、今まで一人もいませんでした。できるわけないですよね。規格違反にならないように、脳に退化処理を施すんですから」

 プレート持ちは人ではない。以前、シャトーブリューンでそう言われたことがキール・デリの頭の中で今、じわじわとしみこんできていた。そういうことだったのだ。

「もし、検査をして俺が本物のプレート持ちなら、その退化処理というのをここでするのか」

「いいえ」

 こころなしかジェナスの顔が暗くなった。

「何もしません。ここではできませんし、そんな権限もありません。でも、キールさんはたぶん生きづらくなると思います」

 ジェナスは立ち上がった。そこへさっきコーヒーを運んできたロボットが、キュルキュルと音を立ててやってきた。

「数日待ちます。どうするかその間に決めてください。受けなくてもかまいません。案内にこのリンダをつけますので分からないことは聞いてください。それからあぶないんで、この建物から出ちゃ駄目です。どうしても、という場合は誰か一緒に行きますから声をかけてください。では」

 ロボットがローラーを滑らせてやってきた。キール・デリはロボットに先導され、やたらと清潔な建物内を足音を響かせながら歩いていった。


 施設から出ることはできなかったが、内部ならばどこでも歩き回ることができた。キール・デリはリンダの案内のもと、広めで防音の効いた部屋を探して歩いていた。

「コチラデス」

 リンダが彼を連れて行ったのは小さめの講堂だった。ドアを閉めれば外に音が漏れる心配はない。キール・デリは自分の足音の反響から適当な場所を見つけ、そこで楽器を構えた。リンダはすーっと壁際に下がる。誰かが何かをするときには邪魔にならないようにするよう、回路に仕込まれているのだった。キール・デリはリンダが移動したのを確認すると、大きく弓を引いて演奏しだした。

 軽い練習のつもりだったが、だんだんと興が乗ってきて自然に音が大きくなった。そうなるといくら防音でも、外に漏れて音楽が聞こえてくる。それを聞きつけてドアを開けた者がいた。

「な、なな、な、なんのおとだ」

 声がくぐもっている。発音しにくそうだった。キール・デリは演奏をやめ、入ってきた者のほうを見た。

「う、うう、うるさいぞ。う、うるさいとぼっちゃんにしかられる」

 彼よりもはるかに上背のある、筋骨たくましい男が入口に立っていた。だが、どうもおかしい。三十過ぎくらいに見えたが、視線は定まっていないしなにより雰囲気が幼かった。

「ぼっちゃん?」

「そ、そうだ。う、うるさくしたら、い、い、いけないんだ」

 キール・デリはその男の胸に自分と同じプレートを見つけた。では、これがサラティア社の亜人種なのだ。

「ロッキー、塀の修理を途中にしてなにやってる」

 後ろからこの男を追いかけてきた人間がいた。ジェナスだった。ロッキーは振り返り、怯えた目つきでおどおどと大きな体をすくめた。

「す、す、すいません、ぼっちゃん。い、いま、やります」

「何してた」

 ロッキーはキール・デリのことを見た。

「こ、こいつがう、う、うるさくしてるから」

 ジェナスはロッキーの後ろから中を覗き込み、いいんだ、と言った。

「この人はお客さんだからいいんだ。作業に戻って」

「は、はい」

 ロッキーはすごすごとその場から去っていった。ジェナスは中に入り、ドアをきっちりと閉めた。

「ロッキーをどう思いますか」

 キール・デリは楽器を確認してケースにしまった。もう練習にはならなかった。

「ずいぶん怯えていたみたいだったな」

 ジェナスは壁にもたれかかって彼のほうを見た。

「まるで僕が毎日殴ってるみたいですよね」

 そして大きくため息をついた。

「ロッキーを殴っていたのは前の持ち主です。マン・ダミーが禁止になったのでロッキーはファンタジアに捨てていかれました」

 町のごろつきどもからカラットを通じて、変なのがいるから引き取れと連絡があったのだとジェナスは言った。マン・ダミーらしいというので、彼は通報のあったごろつきから人手と武器を借りて捕獲に臨んだのだが、いたのは廃屋の中で怯えて泣きじゃくる大男だった。

「ロッキーは富裕層向けにカスタマイズされています。だから、僕のことをぼっちゃん、って言います。いつまでたっても直りません。反抗しないように強制暗示が入っているんです」

 ジェナスは暗示を解こうと何度も試みたが、とうとう解けずじまいだった。それで仕方なくロッキーのことはそのままにしてあった。

「あれが、俺なのか」

 キール・デリの一言にジェナスはぎょっとした。

「退化処理というのをすると、ああなるんだろう。ならもう、楽器は弾けなくなるな」

「キールさん」

 何か必死な声に、キール・デリは講堂の真ん中からジェナスのほうを見た。

「僕は、キールさんは検査を受けずにこのまま帰ったほうがいいと思います。どっちにしてもあまりキールさんにとっていいことはありませんし、結果しだいではこのファンタジアから出られません。なんならプレートはここで預かります。しらんふりしてこのまま帰ったほうがいいです」

 キール・デリは講堂の真ん中から、楽器のケースをさげて壁際のジェナスのそばまでやってきた。ヴァイオリンの入った楽器ケースはそのへんの机の上に置き、ジェナスの隣に同じように並んだ。

「じゃあなんでお前はこの場所から動かないんだ。人間と変わらないなら、みんなほったらかしてさっさと逃げちまえばいいじゃないか」

「僕は、動けないんです。ドクターが僕を造るときの条件がそれでした。被創出物は死亡するまでここから出さないこと、それで許可を取ったんです」 

「そうじゃないだろう」

 キール・デリの言葉にジェナスは下を向いた。

「俺はなんであんなやつらの面倒を見ているんだって聞いたんだ。それにお前を造ったやつはどこにいるんだよ」

 通常、亜人種とされる者達に行動の自由はない。様々な理由により、彼らの所有者とされる者が制約をかけるからだ。そして不要になれば金品として売られる。扱いが難しければ処分だ。

「……こんなんじゃだめですね。すぐばれる」

 ジェナスは顔を上げた。

「ドクターは去年、このセンターを去りました。ここにいて、昔のことを知っているのは僕とほんの少しの人間だけです。古いスタッフもほとんどドクターと一緒に辞めていきました」

 壁際でじっとしていたリンダが音もなく近寄ってきた。キュルルル、と信号のような音を出し、ジェナスの返答を待つ。

「分かった」

 ジェナスはロボットに話しかけた。

「でも、カラットには今、会えないって伝えてほしい。僕はしなくちゃならないことがあるからって。そう伝えて」

 リンダK201はローラーを滑らせ、講堂を出て行った。

「ここにいるのはもしかしてあの娘のためなのか、ジェナス」

 キール・デリの言葉にジェナスは赤くなった。

「ドクターがいなくなった理由のひとつはそれです。でも、僕は……」

「なんだ」

 ずっと視線を合わせようとしなかったジェナスは、くるりとキール・デリのほうを向いた。

「僕はいったい何なんです? 何のために、僕はここにいて、どうして生きているんです? ドクターは僕が反抗した時に処分をしないで逃げていきました。そうしなくてはいけなかったのに」

「……何をしたんだよ」 

 少し落ち着きを取り戻し、ジェナスは言った。感情に流された自分を恥じてもいるようだった。

「外に出ました。逃げ出したんです」

 毎日の検査と行き場のない閉塞感に耐えかね、ある日ジェナスはセンターを抜け出した。ドクター・ミルズは彼が従順であり決して逆らわないようにと教育していたが、ジェナスはその刷り込みを押し切り、ドクター・ミルズの手が届かないところへと逃げていった。

「外は危険だと教えられていました。だけど、ここに死ぬまでいるのかと思うと耐えられなかった」

 苦労して追っ手を撒き、ようやく自由になったことを実感したが、同時にまったく自分が外界についての知識がないことにも気がついた。そんな折にカラットと知り合った。

「数ヶ月センターの外にいて、自分がどんな生活をしていたのか知りました。カラットと一緒にいて、ファンタジアがどんなところなのかも分かりました」

 連れ戻されたジェナスはもう被検体としては役に立たなかった。遮断されていない外気をたっぷり吸い、管理されていないものを食べてしまっていたため、今まで取っていたデータはすべて使えなくなっていた。カラットの存在も、ジェナスにそれなりの相手をみつくろっていたドクター・ミルズにとって邪魔になった。研究を中断せざるを得なくなったドクター・ミルズはジェナスにひどい言葉を浴びせ、側近を連れてこのセンターからいなくなった。

 そして、呪縛の解けたジェナスはからっぽになった。

「でも、こんなことなら殺されたほうがよかった。僕が出て行ったのがいけないというなら、自由意志なんかいらない。ロッキーのほうがよっぽどましです」

 道具は道具らしく、そうしなければいけないのだ。亜人種はひとにはなれない。

「カラットは違います。誰かがああいう姿の生き物がほしくて開発したわけじゃない。だからカラットは人間です。でも、このままじゃ僕やロッキーと同じになる。だから僕は……」

 キール・デリは伸びをし、机の上に置きっぱなしだった楽器を取りに行った。

「ちゃんと生きてる意味があるじゃねえかよ」

 ジェナスがはっとした表情になる。

「検査までここを使わせてくれ。もしかしたら弾けなくなるかもしれないからな」

「キールさん?」 

 キール・デリは重い扉を押し開けながら言った。

「このプレートはオヤジの遺品だ。なに考えてんのか分からないクソオヤジのな。だから手放すわけにいかないんだよ」

 彼はそう言い残し、講堂を出て行った。

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