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キール・デリとアジョワンの瑚老人

吸血鬼の住む山城から次の町に向かったキール・デリは、新しい楽器を作ってもらうために楽器職人の瑚老人をたずねる。

そこには吸血鬼公爵の友人達が護衛として瑚老人のまわりにいた。


※前々回からの続きになります。時間軸のぶれはご容赦下さい。

 キール・デリは山を降りてまっすぐにアジョワンに向かった。紹介状があるなら早いうちがいいと思ったし、何よりも楽器がないというのは彼にとって深刻な事態だったからである。六歳で楽器を手にしてからというもの、手元にそれがなかった日はなかった。

 ブラッキィは相変わらず背中のリュックで惰眠をむさぼっていた。だから瑚老人のところについた時も、何が起きているのかまったく理解していなかった。

「ほんとにここか」

 キール・デリは紹介状とそこに記してある住所を見比べた。間違いなかった。しかし本当にこんなところに楽器職人が住んでいるのか疑問であった。

 なにしろ目の前の家は倒壊しているのだった。玄関と思しき扉は破れている。屋根は傾き、安っぽい赤いスレートが地面に落っこちていた。玄関脇に一応呼び鈴らしきものが見えたので、とりあえずキール・デリはそれを押してみた。

「どちらさまですか」

 なんと目の前の崩壊した家屋から、破けた扉を開けて人が出てきた。それも十五、六の少年である。小柄な少年はキール・デリのことを遠慮のない視線で眺め上げた。

「きーる。それ、だれだ」

 目が覚めたブラッキィが、鼻をひくひくさせながらキール・デリの背中越しに顔を突っ込んできた。少年はびっくりした顔になってじっとブラッキィを見つめた。

「うさぎ? しゃべった?」

 ブラッキィが訂正する。

「うさぎじゃない。おれ、ぶらっきぃ」

「ぶらっきぃ?」

「そうだ。おれ、ぶらっきぃ」

 目を丸くした少年に黒うさぎが威張る。そしてきいきい声でこうまくしたてた。

「おまえだれだ。おれはちゃんとなまえを言ったぞ」

「そ、そう」

 少年は若干気圧された感じであった。仕方なくキール・デリはブラッキィにこう言った。

「割り込むな。少し黙ってろ」

 少年はブラッキィからキール・デリに視線を戻した。用件を聞かなくてはならないことを思い出したのだろう。

「どちらさまですか?」

 キール・デリは手に持った紹介状を少年に見せ、やっと本題に入った。とにかく話をしなくては先に進まない。

「楽器を作ってもらいたいんだ。瑚老人に会わせてくれ」

 紹介状を受け取った少年が驚いた顔になった。封蝋とキール・デリの顔をかわるがわる見て、最後にこう言った。

「お名前は?」

「キール・デリ。ヴァイオリン弾きだ。楽器をなくしてしまったので作ってもらいたい。金なら用意できる」

「分かりました」

 こちらへ、と少年はキール・デリを奥へ招いた。キール・デリは背をかがめて、黒うさぎをぶつけないように苦労しながらこわれた家の中に入っていった。

「ルイさんと知り合いなんですか」

 よっぽど気にかかったと見え、少年はキール・デリにこう尋ねてきた。

「ルイさん?」

 キール・デリは思わず聞き返してしまった。少年がやたらと親しげに金髪の吸血鬼の名を呼んだからである。少年は少しばつの悪そうな顔になった。黙って階段を下りたどんづまりの引き戸に手をかけ、「入るよ」と言って中をのぞいた。

 瑚老人は地下室にいた。コンクリートむき出しの壁にずらりと楽器を並べ、その真ん中に丸いテーブルを置いて、ちんまりと座ってお茶をすすっていた。おじいちゃん、と少年が声をかける。

「なんじゃ、ケンタ」

「お客さんだよ。ルイさんのとこから」

 瑚老人は少年から紹介状を受け取り、一緒について来たキール・デリを座ったままじろじろと見た。そして背中のブラッキィに目をとめた。

「なんじゃ、そのウサギは」

「ブラッキィだってさ」

 まあ座れ、と瑚老人はキール・デリに言った。キール・デリは草敷きの床に座るとリュックを下ろし、ブラッキィを開放してやった。ブラッキィはとことことあたりを駆け回るとキール・デリの隣に行儀よく並んだ。

「名前はなんじゃ」

「キール・デリ。ヴァイオリン弾きだ。楽器を壊してしまったので作ってほしいんだ。紹介状もある」

 今度はブラッキィは黙っていた。もっともあたりのにおいを嗅ぐのに一生懸命だったのかもしれない。

「よりによってオラディア公からか。作ってやらないこともないが、何の知り合いじゃい」

 紹介状を検分した老人はあきれたようにキール・デリの顔を見る。キール・デリは今までのいきさつを話した。ケンタと呼ばれた先ほどの少年もその場にいて、彼の話を聞いていた。

「なるほど分かった」

 意外とすんなりと瑚老人は承諾した。

「あらかた仕上がってるのがあるわい。運がいいあんちゃんだ。値段はそれでいい」

 そしてこうも言った。

「流しか。替えの楽器を貸してやるから少し遊んでいけ。そうは言ってもそれなりに時間はかかるでな」


 そこにあった楽器から合いそうなものを選び、キール・デリはアジョワンの街角に立った。足元にはブラッキィ、そしてなぜか正面にはケンタと呼ばれた少年が、彼のほうを向いてちょこんと座っていた。

「なんでそこにいるんだ」

 一等席に陣取るケンタに、キール・デリは言った。邪魔であるし、なにしろやりにくかった。奏者の真ん前、しかも息づかいが分かるほど近くに座るというのはなかなか根性がいる。たいがいの人間は少し下がって正面ではなく脇にずれた位置にいるものだ。子供だからだろうとキール・デリは思ったが、それにしても邪魔だった。

「ぼくこういうの近くでちゃんと見たことないから」

 礼儀正しく、まったく動く気はなく少年は答えた。

「だから見せてもらおうと思って。いいでしょう」

「じゃあさがれ」

「なんで」

「邪魔だ」

 しぶしぶ少年は一歩分だけ下がった。キール・デリはもっと下がるように少年に言った。

「見えないよ」

「なら脇によけろ。俺の邪魔をするな」

「……分かった」

 結局ケンタはふたの開いた楽器ケースの横に並んだ。まだまだ正面だったが、そこなら視界に入っても邪魔にはならない。キール・デリはいつもの調子で勢いよく楽器を演奏しだした。借り物なのでどうかと思ったが、今までと変わりなく弾くことができる。甚だしい違和感を予想していたものの、拍子抜けするぐらい簡単に借りた楽器は彼になじんだ。

(へええ)

 瑚老人という楽器職人について、実はキール・デリは知らなかったわけではない。けれども自分にはまるで関係ない世界の住人だと思っていた。その理由は楽器自体の少なさと、それによるとてつもなく高騰した流通価格にある。彼の友人であるザイナス・カミングも瑚老人のヴァイオリンは持っていなかった。

 借り物のヴァイオリンは壊してしまった楽器以上に彼になじみ、さらにもっと深い音が出た。高音はきしまずゆるやかに流れ、低音は穏やかに響く。その弾き手にあわせて楽器が自在に添う印象をキール・デリは受けた。

 黒山の人だかりができる。何事かと足を止めた人間が、その場に吸いついて動かなくなる。人は人を呼び、さらに人だかりは大きくなっていく。

「あれはできるかい」

 集まった人々からリクエストが飛んだ。こうなればしめたものだ。

「なんなりと」

 有名な、フォークロアの曲名が告げられる。ただし、ヴァイオリン曲ではなかった。もっともキール・デリに弾けない曲はない。彼は楽器を構えなおし、美しいが歯切れのよい旋律を紡ぎだした。聴衆から拍手が上がる。ブランクがあったのにもかかわらず今日は絶好調だった。

「すごいんだね」

 ケンタがびっくりしたように彼を見ていた。足元のブラッキィは様子を見て、楽器ケースのそばまで跳ね飛んでいく。聴衆に小銭を投げさせるためだ。やがてブラッキィの動きに注目した人々が競って小銭を投げ出した。

「本日はこれまでとさせていただきます」

 楽器を肩から下ろし、大仰な身振りで頭を下げる。鼻をひくひくさせた黒うさぎがその隣に並び、後足で立ち上がる。わっ、と周囲から轟音のような拍手が渦を巻いた。キール・デリは下げた頭をゆっくりと上げ、一同のほうを見た。

 視界の隅に、この場にそぐわない表情の男がいた。人ごみからやや下がった、街路樹の影になるように立っている。キール・デリの挨拶が終わる前にその男は懐から何かを取り出し、彼のほうに向けた。

 つい、と正面に座っていたケンタが立った。そして悪ふざけのように手に持った小石を人ごみに向かって投げた。小石はありえない距離を飛び、街路樹の影にいた男の額に当たった。男はそのまま緩慢にその場に崩れ落ちた。

「明日もやるの?」

 ケンタが何事もなかったかのようにたずねた。キール・デリは今見たものと目の前の少年がうまくつながらず、楽器を持ったまま人ごみの中でしばらく呆然と立っていた。


 どうやらこの少年は自分のガードを買って出ているらしい、ということにキール・デリは数日後、気がついた。翌日の演奏中はなかったが、ホテルに戻ると部屋のドアを開けたとたんに首を絞められそうになった。その時はどういうわけかホテルの廊下の隅っこから少年がやってきて、彼の首を絞めている大男をぶん殴って昏倒させ、引きずって外にある非常階段に放り出した。その次の日は商店で買い物をしている時にボールをぶつけられ、むっとして振り向いたところを刺されそうになった。この時は追い払ったにもかかわらず少年が彼の後をついて歩いてきていて、ナイフを持ったごろつきを鮮やかに捕らえて締め上げ、肋骨を骨折させた。ついでに共犯者も見つけ出し、そっちは路地裏に追い込んで結構えげつないやり方で指示した人間を白状させた。

「ふーん。やっぱりそうなんだ」

 共犯の男が白状した名前は、この町の有力者であるらしかった。ブラッキィは今日はいない。どうもあぶないのでそこそこの金額を払って動物病院で世話をしてもらっていた。少年はさらに動機について追求しだした。

「なんでこの人を狙うの」

 手には数粒の小石を持っている。それをもてあそびながら、立てなくなった男に少年は顔を近づけた。キール・デリはその小石がさっきこの男の膝を砕き、背後の木塀に穴を開けて突き刺さったのを見ていた。

「金か」

 疑問に思いつつもキール・デリは尋ねてみた。以前こんなようなことがあったからである。通りを仕切る顔役が彼の所持金を恐喝しに来ることは時々あった。それでも通常はこれほど過激ではない。男が否、と頭を振った。

「じゃあなに」

 冷徹な声で少年が言う。

「そいつを始末しろって言われたんだよ」

 思わずキール・デリは少年の顔を見た。少年は表情を崩さない。

「その楽器はじいさんのところのだろう。それを奪えってね」

「……やっぱりね」

 かがんだ姿勢から少年が立ち上がる。男を始末するつもりなのだとキール・デリは気づいた。そこまでしなくても、と言おうとした時に、彼は少年の口元に光る二本の牙を見つけた。どこかで見た、と思うと同時にそれが何か思い出す。オラディア公と同じものだ。

「しないほうがいい?」

 キール・デリの視線に気がつき、少年はこう言った。

「あまり……気は進まない」

「そう」

 少年は手に持った小石を周囲にばら撒いた。

「命拾いしたね」

 そして最後の一粒を至近距離から男のみぞおちに勢いよくぶつけた。男は低いうなり声を上げ、そこで悶絶した。


 キール・デリは少年とともに瑚老人のところに戻った。路上での演奏はもはや続行不能であることが分かったし、楽器の作り主である瑚老人の安否も気にかかった。ケンタは大丈夫だと言ったが、楽器の製作状況を知りたいというと一緒について来た。

「お前はあの吸血鬼と同族なのか」

 道すがら、キール・デリは少年に尋ねた。そうだよ、という返事があった。

「おじいちゃんは作品がダックスのギャラリーに入るのを拒んだんだ。楽器は弾いてこそのものだと言ってね。それでキールさんの楽器が狙われた」

 ダックスというのはキール・デリを襲撃した男の口から出た名前である。単なる地元の有力者かと思ったらなかなかの野心家で、半端者どもの取りまとめのほか政界に出る準備もしているようだった。その名声の第一歩が高額な芸術品を扱った私立美術館というわけである。瑚老人のヴァイオリンは大道芸人なんぞが弾いてはならないのであろう。

 それ以前にも瑚老人その人の誘拐未遂事件があったらしい。それで瑚老人の家は半壊してしまったとケンタが言った。

「ルイさんはおじいちゃんの安全のためにぼくらに警備するようにって言ったんだ。ルイさんのところの楽器を直せるのはおじいちゃんしかいないから」

「ぼくら?」

 吸血鬼はまだいるらしかった。こっち、とケンタは雑木林を背にして建っている掘っ立て小屋に案内する。中に入ると地下に降りる階段があった。かなり重たい鉄製の扉を開け、ケンタが湿った地下道に下りるように促す。キール・デリはおとなしく後についていった。

「ちょっと出かけてる。もう戻ってるはずだから」

 しばらく歩くと一番最初に案内された、廃屋の中にある通路に出た。そのまま瑚老人がいる部屋の前まで歩いて行く。とんとん、とケンタが引き戸を叩いた。

「入るよ」

 おう、と返事があった。引き戸を開けると部屋の奥で瑚老人が作業をしていた。前回来た時は気づかなかったが、草ぶきの床は奥が板の間になっている。さらにその奥には作業台と削り出し用の機材が見えた。

「遅いぞ、ケンタ」

 部屋の奥まった部分から叱責が飛んだ。見ると長身のごつい男が、黒鞘の長い刀を腰に差して壁に寄りかかって立っていた。三人目であるらしい。着ているものはごく普通だったが、腰に帯びた刀は異国のものだった。飾り気のない、長く反ったシンプルなラインが美しい。円形のつばが見える柄のあたりにだけ、糸でかがられた幾何学模様の刺繍が入っていた。

「そいつが依頼主か」

「あ、ああ。よろしくな」

 まったく気配が感じられなかった。キール・デリは引き戸は閉めたものの、部屋の入口でなんとなく立ちつくしていた。

「まあ座ってろ。特にすることもないからな」

 またずいぶんと雰囲気が違うな、とキール・デリは思いながら、瑚老人が座っていた丸いテーブルの前に同じように座った。ケンタも隣に座る。この少年が一番人がましいようにキール・デリには思えた。吸血鬼公爵は短気だし三人目はまるで幽霊だ。もっとも相手はどれも人ではないのだった。

「楽士か」

「そうだ」

 三人目は部屋の奥から彼のことをじっと見つめた。何かを推し量っているようにも見えた。

「半人だな。最近ちょくちょく見る」

 キール・デリは思わず身を乗り出して奥にいる長身の剣士を見た。まったく予想していない出来事だった。


 半人、と後にキール・デリは自称するがそれはこの時の言葉が元であったと言われる。この吸血鬼公爵につながる二人組については詳しい記述はなく、キール・デリが接触したこの事件と、それに関わる事例にほんの少し名前が出るだけだ。

「なぜ分かった」

 キール・デリの声は緊張していた。彼は今まで一度も外見からはそうと見破られたことはない。それは彼の思考や精神構造も人間と同じであったことを意味する。

「見りゃ分かる」

 対する剣士のほうはのんびりしたものだった。ずっと一人で退屈だったのだろう、あくびをして大きく伸びもした。

「ずいぶんと精巧だ。じいさんのヴァイオリンみたいだな。あんたを組んだやつはよっぽど腕がよかったんだろうよ」

 キール・デリはひどく迷ったが、思い切ってこう剣士に言った。

「……俺を組んだのはエンライ・コーダという技術者だ。何か知っているなら教えて欲しい。俺は自分が誰なのか知りたいんだ」

 ちらっと剣士はキール・デリを横目で眺めた。

「自分が誰か、か?」

「そうだ」

 少し間があった。剣士はつかつかと奥からやってきてキール・デリの近くにあぐらをかいて座った。長い刀が床に放り出される。持っているだけなのかもしれなかった。そしてほおづえを突き、じろじろとキール・デリのことを見た。

「妙なニオイがするんだよな。分かるか、ケンタ」

 少年は首を横に振った。

「ぼくは分からないよ。さっきユキ兄ちゃんに言われてはじめて気がついた」

「そうか」

 へんにのんびりとした空気だった。彼らにとってキール・デリの素性探しは単なる暇つぶしなのだろう。彼の養父の名前も心当たりはないようであった。

「楽器を弾く半人なんて妙なもんだ」

 えらい言われような気もしたが、相手が相手なのでキール・デリは黙っていた。オラディア公の時のようにまた殺されかけたらたまらない。

「何を造るつもりだったんだろうな」

 キール・デリのかわりに少年が疑問を差し挟んだ。

「何って、なに?」

 剣士が説明する。

「異生物だ。使い勝手のいい、おとなしくて、なんでも言うことを聞いて、機械のできないことを専門にやるやつらだ。当然頭は悪い。金勘定もできない。そんな連中だよ」

 この剣士はおかしなことに詳しかった。

「こいつがそんな風に見えるか」

「ううん。すごい普通」 

 自分が普通であることを吸血鬼二人に同意されても、キール・デリとしてはあまりうれしくはない。もっとも詳しそうではあったので、彼はこの剣士にもう少し話を聞くことにした。

「プレートが読めるか」

「あるのか」

 キール・デリはいつも首からさげている金属製の認識票を取り出した。剣士はそれを手に取り、表、裏と返して仔細に眺めた。

「サラティア社か。どうりで、な」

 プレートに会社名は入っていなかった。そしてこの名を以前、キール・デリは違う場所で聞いたことがあった。

「なんで分かるんだ」

「昔これをさげた兵士に追いかけられた。研究材料にしたかったらしい。みんな斬り捨ててやったが、けっこうな数で来てしつこかったよ」

 これでこの剣士が事情通なわけが分かった。キール・デリはそれが何年前なのか聞いてみたい気もしたが、百年単位で以前だったら嫌な気もしたのでやめておいた。

「試作品か。それで分かった」

 剣士はプレートをくるくると回転させ、こう言った。

「普通なら絶対に外部には出てこない。コピーを取って量産するからな。耐用実験もしなきゃならない。あんた、運がよかったな。研究所にいたら悲惨な目にあってたぞ」

「そうなのか」

「それにたいがい早死にだ。いじってあるから体そのものもよくないし、長生きさせる必要もない。データを取ったらさよなら、だ。なにしろ人間じゃないからな」

 彼には知らないことだらけだった。よく生き延びたな、と剣士に言われても一向にぴんとこなかった。 

「二十一年前なら『粛清』後だから、非合法な上に研究所から逃走じゃすいぶん高くついたもんだ。サラティア社じゃ今頃あんたを探し回ってる。気をつけろ」

 そんなことを言われても彼としてはどうしようもない。

「おそらくあんたはサラティア社が望んだものじゃない。プレート持ちには基本、まともな自我がないんだ。だから失敗だ」

「まともな自我?」

 自分に関することとはいえ、どうにも分からないことだらけだった。剣士は彼の目を覗き込み、上から下までじろじろと眺め渡した。

「創る、ってのは人間がやることだ。違うか」

「あ、ああ、そうだな」

 突然そんなことを言われ、キール・デリはとまどった。

「半人には創れない。人ではないからだ。コピーはできる。それこそ本物と見まがうほどの精巧さでな」

 そしてキール・デリに向き直った。

「なんで楽器を弾くんだ」

 あまりに直球な質問に、彼はすぐには答えられなかった。しかし相手は辛抱強く返事を待っている。しばらく考え、キール・デリは答えた。

「俺は、これしかないからだ」

「本当にか」

「ああ。身内はいない。自分が誰かも分からない。どこへ行ったらいいかも分からないし、何が必要かも知らない。俺には何もないんだよ。だけど旋律の中には何かあるような気がする。何か、そう、探している何かだ。そんな気がするんだ」

「何を探している」

「わからない。でも何かがある。そう思うんだ」

 剣士は腕組みをし、彼のことをすがめて見た。なにやら考えているようでもあった。

「プレート持ちはそんなことを考えたりはしない。自分が死ぬようなことになっても悩まない。音楽なぞ解さない。我は、思わない。それがプレート持ちだ」

 あんたはどうみても大失敗だったな、と剣士は言ったが、その言葉には笑いが含まれているようにも思えた。

「けれどどえらい金がかかってる。やつらはそれを回収しにくるはずだ」

「じゃ、どうしたらいいんだ」

 剣士はゆらりと立ち上がった。手にはさっきそこに投げ出してあった刀が握られている。

「自分であることを手放すな。それしか俺には言えん」

 ついで少年もその場から立ち上がる。

「来るぞ、ケンタ」

「わかってるよ」


 引き戸の内側に互いに向かい合わせになるように立ち、剣士と少年が外の様子をうかがう。スッ、と引き戸が開く。少年が素早く銀色の銃を取り出しその隙間に差込み、引き金を引いた。ぎゃっ、と引き戸の外から声が上がる。剣士が引き戸ごと、さらにその奥にいた男を袈裟懸けにした。

「奥にさがってろ!」

 血しぶきが飛ぶ。キール・デリはあわてて瑚老人のいる位置まで下がった。瑚老人はというと、こんな折だというのに作業をやめないでいる。

「じいさん、逃げろ」

 瑚老人はいいや、と言った。

「あいつらが片付けるじゃろ。それにもうすぐ仕上がる」

「じいさん?」

 瑚老人は作業を続けながらキール・デリに言った。

「おまえさんはシャトーブリューンの第一ヴァイオリニストじゃろ。なんだか辞めたとも聞いたが。流しなんぞやってないでこれを持って帰れ。もったいない」

「知ってたのか」

「こんな田舎でも噂は流れてきよる。だいぶん期待されていたともな」

 キール・デリは頭を振った。

「……じいさん、さっきの話は聞いてなかったのか。俺はもうあそこには戻れないんだよ」

 一瞬だけ作業を続ける瑚老人の手が止まった。だがすぐに再開する。

「できるやつはできる。駄目なやつは駄目じゃ。おまえさんが何なのか知らんが、早く楽器を持って戻れ」

 引き戸の先は修羅場と化していた。激しい物音に混じってち、と剣士の舌打ちが聞こえる。戦況に変化があったのだ。

「犬か。いまいましい」

 階段を下って大型犬が何頭も何頭も駆け下りてきた。剣士と少年は犬と対峙する形になる。

「おまえら、人間じゃないんだってな」

 獰猛な大型犬の後ろから一人の男が現れた。

「なんだ、ご本人じゃないか。無理するな」

 剣士が言った。

「もう兵隊がいない。おまえらのせいだ」

「ならあきらめろ」

「そうもいかん。楽器ひとつで億単位だ。これでは独り占めしたくなる」 

 なるほど、単なる町の有力者ではないらしかった。

「これ以上兵隊がいなくなるのも困るからわざわざ用意した。犬ならまた買えばいい」

 少年が不潔なものを見る表情になった。

「そういうの、嫌いだ」

 ダックスは意に介さなかった。

「どこで聞いた」

 剣士が言う。さっきキール・デリと話していたのと同じような、飄々とした声音だった。なに、と男が答える。

「サラティア社のデータベースにお前の写真があった。犬を買った時に担当者が教えてくれたよ」

 思わずキール・デリは耳をそばだてた。

「困ったもんだ」

 のんきに話しているように見えるが、一触即発の状態であった。ぐるるる、と犬が唸る。男は犬をなでながら続けた。

「じいさんと楽器のほかに、そのヴァイオリン弾きももらって帰る」

 気が変わったらしい。キール・デリは殺されなくてよさそうだったが、あまり楽しい話でもなさそうであった。

「なんでも高名なオーケストラにいたそうじゃないか。素晴らしい」

「そうなのか」

「ああ。しかも市民権もないらしいな。表には出ないが業界じゃ有名な話らしいじゃないか。流しにしちゃ毛色が違うんでちょっと調べたらボロボロ出てきた」

 剣士がキール・デリのことを振りかえって見る。

「楽器とセットでお偉方やその奥方に商談できる。うってつけだ」

「本人は嫌なんじゃないか」

 とぼけたことを、とダックスは思ったらしい。ふん、と言ってこう答えた。

「なら従ってもらうまでだ。おまえらといい、まっとうな人間様に逆らおうなんておこがましいんだよ」

「そうか」

 剣士の返事はつまらなそうだった。もう会話に飽きたのだろう。

「いけ」

 号令が発せられる。一斉に犬どもが飛びかかった。

「くっ」

 さっきとは打って変わって、剣士と少年はやりづらそうになった。キール・デリは半分仕上がっている楽器を引っつかんだ。

「こら、まだだ」

 瑚老人にしかられたが、それどころではない。

「これは俺のだろ。ちょっと使わせてくれ」

「だめじゃ」

「弦がついてるじゃないか」

「テスト用だ」

「なら弾かせろ」

「なんでじゃ」

「壊さない、本当だ。このままだとあいつらやられるぞ!」

 しぶしぶと瑚老人が楽器をキール・デリに渡す。キール・デリは弦をはじき、その響き方を確かめた。

「じいさん、すげえな」

 反響を確認する。いけそうだった。楽器を持ち、彼は引き戸の外に立った。場所もここでいいだろう。キール・デリはそこから少し下がり、壁を背にしてどん詰まりの手前で立ち止まった。

「出てくるな!」

 剣士が叫ぶ。その声に犬どもが反応し、立て続けに飛びつこうとする。それを斬り払うが、硬い毛と爪に阻まれ致命傷は与えられなかった。

 キール・デリは弓を構え、キィィィ、と弦を鳴らした。飛びつこうとした犬が一瞬、動きを止める。

「いいぞ」

 そして一息に弓を引いた。とてつもない高音が背後の壁によって反響して増幅され、さらに倍音になり犬の可聴域に届いた。キャウウウン、と情けない鳴き声がいくつもいくつもあたりに響き渡る。

「なっ……」

 犬を連れた男が絶句した。

 その耐えがたい音にそこにいた犬すべてが我先に逃げ出した。キール・デリは弓を持ち替え、追撃を始めた。やがて犬は一頭残らずその場からいなくなってしまった。

「半人のヴァイオリン弾きか」

 剣士の言葉にキール・デリは顔を上げ、昂然と答える。

「そうだ。それが俺だ」

 剣士が黒幕の男に斬りかかる。腰を抜かし、男は助けてくれ、と命乞いをした。

「キールさん、どうする?」

 少年がたずねる。さっきまであれほど傲慢だった男は、いまや必死になってキール・デリと少年にすがりつき、殺さないでくれと泣き喚いていた。剣士は男の喉元に血のついた長刀を差しつけ、その醜態に冷ややかな視線を送っている。

「……俺には分からない」

 迷った末、キール・デリは後ろを向いた。

「好きにしたらいい。俺には答えられない」

 剣士が男の首をはねる。少年は彼の視線をそらせるように、奥にいる瑚老人のもとへと連れて行った。


 完成した楽器を携え、キール・デリはブラッキィを引き取りに動物病院に向かった。後ろにはなぜか吸血鬼の二人組がついてきている。

「なんでついてくる」

 瑚老人の家は現在別の場所に再建中だった。あまりにも後片付けが大変だったので、瑚老人は町外れに広い場所を買い、そこにアトリエ兼自宅を建てることにしたのだった。もう護衛は必要ないのでこの二人は「好きなところへ行っていい」と言われ、毎日街中をほっつき歩いていた。

「ウサギが見たい」

「ひまだから」

 オラディア公のほうがまだよかった、とキール・デリは思った。こんな歩く危険物を引き連れてはどこにも行けない。走って逃げてもすぐ追いつかれるし、なによりもかれらがその気になったら逃げることもかなわないのだ。

 観念してキール・デリは二人を連れたまま動物病院の中に入った。受付の女性がこんにちは、と声をかけてくる。彼は動物病院のカードを取り出し、ウサギを引き取る旨を伝えた。まもなく小さなカゴに入ってきいきい騒ぐ黒うさぎが運ばれてきた。

「おい、きーる。はやくここからだせ」

 運んできた若い獣医師は笑っている。手早く数枚の紙を広げ、キール・デリに説明を始めた。

「健康診断も込みということでしたので、ブラッキィくん自体の検査とコード、チップの埋め込み状態も触診とレントゲンで検査しました。特に異常はないですね」

「はやくしろったら。おれはここはだいきらいだ」

 笑いをこらえながら獣医師は説明を続ける。

「ただ、ご存知かどうか分かりませんが、この子の場合、生体から直接チップの稼動電流を取っています。こういう施術は初めて見ましたが小さい子の場合はいいかもしれません」

 医者に見せてみるもんだ、とキール・デリは思った。獣医師が何かいいたそうだったので、彼はブラッキィは路上で拾ったと言った。

「ひろったんじゃない。いっしょにいくんだ。それよりはやくだせ」

 相変わらずブラッキィはわめきたてている。そうでしたか、と獣医師は言った。

「いや、かなり高額の処置になりますのでどちらでされたかと。動物用の親生体素子はまだ一般に流通してませんので」

「そうですか」

「きーる、はやくしろ。はやくしろったら」

 とうとうブラッキィは入っているカゴをがたがたやりだした。獣医師は笑いをこらえながら最後の注意を彼に言った。

「バッテリーがないので身軽ですが、その分生体に負荷がかかってます。なので運動させないと筋力低下を招きますので注意してください。しかしまあ、よくしゃべるコですね。預かっている間中ずうっとこの調子でしたよ」

「うるさくなかったですか」

 心配になってキール・デリはたずねた。いやいや、と獣医師は言った。

「こんな面白いコは初めて見ましたよ。普通はいじけてるんですけどね。職員や出入りの業者みんなに『おまえは誰だ』って聞いてました」

「そうですか」

 動物病院のスタッフは心が広いのだとキール・デリは思った。獣医師に礼を言うと、彼はカゴを開け、背中のリュックを下ろしてその前に置いた。

「入れよ」

 ブラッキィはカゴから飛び出ると急いでリュックの中にもぐりこんだ。キール・デリはまたそのリュックを背負い、財布を出して金を払った。受付の女性はレシートと一緒にブラッキィの検査報告書も同じ封筒に入れ、彼に渡してきた。

「それでは」

 後ろを向くとぶっそうな二人組が彼のことを見ていた。動物病院を出るとまたついてくる。

「おまえだれだ」

 ブラッキィが剣士にかみついた。剣士は興味深そうに、リュックにもぐりこんでいるブラッキィのことを見ていた。

「なんだ、すごいな」

「おれはぶらっきぃだ。おまえはだれだ」

 キール・デリはブラッキィがかれらの機嫌を損ねたらと思うと気が気でない。とうとうブラッキィに「少し静かにしろ」と言った。

「なんでだ、きーる。じぶんのなまえをいわないのはしつれいだぞ」

「こいつらおっかないんだよ」

 小声で言ったが、ブラッキィにはそんな気配りは通用しない。きいきいとでっかい声を張り上げてこう言ってのけた。

「おれはおっかなくなんかないぞ」

「……黙っててくれ」

 後ろを歩いていた少年がつい、とキール・デリに近寄ってきた。ヴァイオリンを持っていない、手の空いているほうに並ぶ。

「キールさん、血が出てるよ」

 言われてキール・デリは自分の指を確かめた。さっき動物病院でブラッキィのカゴを開け閉めした時に引っ掛けたらしい。人差し指に引っかき傷ができて血がにじんでいた。

「それ、もったいないからさあ……」

 少年が全部言い終わるよりもキール・デリの拒否のほうが早かった。

「絶対ダメだっ!」

「え、いいじゃん」

 にこにこと少年はキール・デリにこう言った。

「ケチなこと言わないでさ、ちょっと分けてよ。ね、ユキ兄ちゃんも少しもらおうよ」

「半人のなぞいらん。腹を壊したくないからな」

 キール・デリがほっとしたのは言うまでもない。

「ほらああ言ってるし、お前もやめたほうがいいぞ」

「ぼく平気だもん。気にしないから大丈夫」

「そういうことじゃない!」

 なんでー、と少年がまとわりつく。

「いや、ダメだ! そんなことできるか!」

 キール・デリは早足になって少年の横からついっと離れた。しぶとく少年が追ってくる。

「え、いいじゃん。ダメ?」

 ブラッキィはリュックからこの騒ぎを眺めていたが、こう口をはさんできた。

「きーる、けちなのか? けちはだめだぞ」

「ブラッキィ、俺はまだ死にたくないんだ」

 少年はううん、と首を横に振った。

「そんなことしないよ。けど寝込んだらごめんね」

 とうとうキール・デリは大事な楽器を胸元に抱えて走り出した。全速力で逃げる彼を少年と剣士が追ってくる。二人に捕まる前にキール・デリはちょうどそこに来た乗合バスに飛び乗った。

「なんだ、行っちゃうの」

「じゃあまたな」

 乗降ステップの途中で大きく息を切らしながら振り向き、そっけなくキール・デリは少年に挨拶をする。少年の後ろで剣士が苦笑いしていた。

「ルイのヤツによろしくな」

「あ、ああ」

 シュッ、と音を立ててバスのドアが閉まった。同時に「次はタラゴンです。お降りの方は……」という録音されたアナウンスが聞こえてくる。キール・デリは揺れるバスの床の上から、アジョワンの町と吸血鬼の二人組を見送った。

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