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旧社屋横赤煉瓦ホール  ――瓦解

キール・デリはしばらくの間、サラティア社の捕獲棟にいた。そこで彼は一日中ヴァイオリンを弾き続け、やがて監視員達の心を掴むようになる。

ある日彼に研究棟への呼び出しがかかる。移動中に見つけた古い音楽ホールで一曲だけ弾かせて欲しいと彼は粘り、その願いはかなうこととなった。

 キール・デリはしばらくの間、サラティア社の捕獲棟にいた。単純に言えば独房である。ものものしい監視カメラが天井から下がり、彼の一挙一動を観察していた。彼はカメラなどかまうことなく、一日中楽器を弾いて過ごしていた。

 朝と夕方には食事が差し入れられる。それを食べたら寝てしまう。ほかに特にすることもなかった。飽きたら起きて楽器を弾く。それだけである。曲のストックはたくさんあったから、もう数週間はこれでいけそうであった。

「まだやってんのか」

「なんだこいつ」

 監視員達が騒ぎ出したのは彼がここに入れられてから十日ほどたった頃である。前評判と違ってだいぶおとなしかったので、彼は何かされることもなくずっと部屋で楽器を弾いていた。

「あっ」

 急に音楽が途切れる。弦が切れたのだ。キール・デリはカメラに向かって手招きをした。何事かと監視員の一人が彼の部屋に向かう。

「なんだ」

「弦が切れた。替えを預けてあるから持ってきてくれよ」

 彼は堂々とそう要求した。

「替えだと?」

「そう。ここに来るときに持ってきたやつ」

 ほどなくして代わりの弦が届けられた。彼は切れた部分を取り替え、残りはまた監視員に預けた。再び音楽が始まる。

「こいつ、いつ出て行くんだ」

「さあ」

 楽器を渡しておけばおとなしいのだ。監視員達はそう思った。ここに来る前にはずいぶんと暴れたようだが、おそらく扱いを間違えたのだろう。それに楽器のほうもかなりの腕前だ。退屈しのぎにちょうどいい。

「#5。リクエストだ」

 監視員の一人がマイクに向かって言った。キール・デリはちらっとカメラのほうを見た。

「いいよ」

 そして言われた通りの曲を弾きだした。監視員達はしばし、その優雅な調べに酔った。


 彼の呼び出しがあったのは三週間後であった。監視員達は固唾を呑み、それからはい、と返事をした。

「とうとうか」

「残念だな」

 キール・デリは毎日毎日、監視員達のリクエストに応え、またそうでないときは勝手に何か演奏していた。彼自身もこんなに楽器を弾いていたのは初めてだった。捕獲棟には彼が捕まってからの間、ずっと途切れることなくヴァイオリンの音が響いていたのだ。

「頼みがあるんだけど」

 彼は呼び出しがあったことを告げに来た監視員に言った。

「社長と営業本部長っているだろ。あの二人に言いたいことがあるんだよ。研究棟に行く前でいいんだけど会わせてほしいんだ。研究棟に行ったら言えなくなるからさ」

 監視員は下を向いた。研究棟で何が行われているのか知っているからだった。

「確約はできないがそう伝えておく。それでいいか」

「いいよ」

 さらに彼はこう言った。

「楽器は持っていっていいよな」

「ああ、いいぞ」

 どうせ弾けなくなる。監視員はそれを思って許可を出した。もし彼が戻ってきたとしても、もう二度と捕獲棟に音楽が鳴り響くことはないのだ。

「明日だ。心残りのないようにしておけよ」

「ありがとう」

 監視員の言葉に彼は少し笑ってそう言った。


 翌日、別の監視員が彼のことを呼びに来た。そして彼の申し出が受理されたことを伝えた。

「社長と営業本部長もお前に話があるそうだ。問いただしたいことがあるらしい」

「げっ」

 おそらくガレオンタークの件であろう。彼の反応を見て、監視員はけげんな表情になった。

「どうした」

「いや、さあ……」

 部屋から連れ出されながらキール・デリは話をする。もちろん楽器を持ってだ。

「俺、ここに来る前に社長と営業本部長をぶちのめしたんだよね」

「えっ」

 監視員は驚いて彼の顔を見た。社内の重役をぶちのめした亜人種など聞いたことがない。

「きっとそのことだ」

 監視員はつい彼にこう言ってしまった。

「何やってるんだ、お前」

「よく言われるんだよ」

 キール・デリはこう返事をした。

「変なやつとかさ。俺は普通なつもりなんだけど、どうしてなんだろうな」

「どうしてって……」

 返事に困りながらも監視員は楽器を持ち、彼を建物の外に連れ出した。規定でキール・デリの両手には手錠がかけられ、逃走しないようにと腰縄が打たれている。痛々しいことだとこの監視員は思った。建物の外で待っていたほかの監視員達と合流し、二百メートルほど離れた研究棟に歩いていく。

 途中、キール・デリは通りかかった古い煉瓦造りの建物の前で立ち止まってしまった。おい、と後ろにいた監視員が彼をつつく。

「あれ、ホールじゃないか」

 動かないので腰縄を引っ張られる。それでも彼はその場から離れようとしない。

「なんであんな音楽ホールがここにあるんだ」

 とうとう先頭にたって歩いていた監視員が彼のところにやってきた。早く連れて行かないと困るからである。

「どうした#5。さっさと歩け」

 キール・デリはひるまず言った。

「俺、あそこでやってみたいんだけど。一曲でいいよ」

「何を言っている」 

 監視員達はあきれかえってしまった。この期に及んで、この亜人種はまだ楽器を弾こうというのである。

「どうせ最後なんだ。あのホール使わせてくれよ」

「無茶を言うな」

 ごちゃごちゃやっているうちに研究棟から誰かがやってきた。先頭は白衣、後ろの二名はスーツ姿だ。彼を待っていた研究者、それに社長と営業本部長であった。あまりに遅いので様子を見にきたのである。

「何をしている」

 いらだった社長の声がした。あっ、とキール・デリはそちらを向いた。

「社長さん、お願いがあるんだけど」

 驚き焦る監視員達を無視し、キール・デリは言った。

「あのホールで楽器を弾かせてくれよ。一曲でいいからさ。そしたら俺、すぐ研究棟に行くよ」

 監視員達があわてる。

「お前、何言ってる」

「あの建物は使用禁止だぞ」

 白衣の研究者も驚きを隠せなかった。

「彼が#5? 本当に亜人種か」

 キール・デリはこう返した。

「よく言われるよ。俺のことを切り刻むんだろ。だったら最後に少しぐらい好きにさせてくれたっていいだろう」

 研究者は絶句してしまった。被験者にこんな風に言われたこともなかったからである。

「なんというか……開発ではどういう扱いだったんだ。これほど生意気なのは見たことがない」

「勝手なことばっかり言ってんじゃねえよ」

 いらだった彼は、研究者に蹴りを入れようとした。監視員達が止める。

「やめておけ」

「#5、暴れるな」

 彼は周囲を見渡し、研究者を蹴り飛ばすのをやめにした。監視員達が心配そうだったからである。

「そうそう、あのホール使わせてくれ。頼むよ。俺、そうしたらすぐ行くからさ」

 話を聞いていた社長が言った。腹を立てたようである。

「ぬけぬけとよくそんなことが言えたものだな。話があるということだったが、そんなことか」

 あっ、と思い出したようにキール・デリは言った。ホールと研究者にかまけていて忘れかけていたのだった。

「そうだ、俺、ソレルでのことを社長さんと営業本部長だっけ、そっちの人に謝ろうと思ったんだよ。あの時はびびっちゃってさ。ごめんなさい」

 手錠と腰縄をつけたまま、彼は二人に頭を下げた。ふん、と営業本部長が言った。

「ずいぶんなことをしてくれたものだったな。しばらく腕が痛くて大変だった」

「分かったからもう行け。それが謝罪だ」

 こちらは社長である。彼が謝ったことでやや怒りが収まったようであった。

「で、あのホール使わせてくれないかな。一曲でいいんだ。あんな見事なホール、使わないなんてもったいないよ」

 社長の態度が軟化したのを見て、キール・デリはねばった。監視員達が顔を見合わせる。とうとう楽器を持った監視員が言った。

「あの、これほど言うことですし、赤煉瓦ホールを開放してやってもらえませんか。その、自分が言うのもなんですが、彼の音楽を聞かないのはもったいないと思うんです」

 監視員達はうなずく。

「我々からもお願いします。研究棟に送る前に、一曲でいいから演奏させてやってください」

 面食らったのは社長と営業本部長である。

「取り壊しにするのならば、最後に少し使わせてやってもいいのではないでしょうか」

 予想外のところからの援護に、とうとう営業本部長が折れた。

「社長、いいですか」

 社長も困った表情だったが、それでことが収まるならという判断をした。

「うるさくてかなわん。それにしてもエンライは一体何をつくったんだ」

 許可が出た。監視員の一人が急いで鍵を取りに行く。

「ただし、一曲だけだ。終わったらすぐに移動する」

 キール・デリは手錠と腰紐姿のままうなずいた。


 この場所には以前、サラティア社の本社社屋があった。事業の拡大に伴い、サラティア社はイノンドに土地を買い、そこに本社ビルと工場を建てて移転した。残ったこの場所は研究所の敷地として使われたが、先代が道楽で本社社屋横に建てた音楽ホールはそのまま残ってしまった。思ったより頑丈に作りすぎていたこともあったが、つい数年前の先代の死まで、誰にも手をつけられなかったことがその主な理由である。

 キール・デリはステージの真ん中に立ち、楽器の調整をしながら一番反響の大きい場所を探っていた。さすがに手錠は両手とも外されていたが、腰縄はまだついたままだった。いくつもある、ホールの客席出入り口には監視員が一人ずつ立っている。逃走防止だ。社長と営業本部長、それについてきた白衣の研究者はSS席に当たる、ステージ正面の五列目あたりに座っていた。

「俺、シャトーブリューン・フィルにいたこともあるんだ」 

 キール・デリがステージの上から言った。ほう、と営業本部長が驚く。研究者はこの言葉を聞きながら頭を抱えていた。亜人種としてみると、キール・デリは彼の常識のはるかに斜め上を行く存在だったからである。いや、ヴァイオリンの調整を始めたときに、この研究者はすでに途方にくれていたのだった。

「プレートのせいで追い出されたけど。よく聴いていくといいよ」

 音楽が始まる。穏やかな、ゆっくりとした旋律がホール中に響き渡った。監視員達が驚く。今まで聞いていたものとはまったく違う音楽だったからだ。営業本部長はただ壇上のキール・デリをにらみすえている。これほどとは思っていなかったのだった。

「見事だ」

 思わす社長の口からつぶやきがもれた。隣に座っている研究者は指の動きと激しく弓に見とれている。どうやったんだ、という声が聞こえた。今の研究所のレベルをはるかに超えている、そう思ったのだった。

 始まって十五分もたったころだろうか、どこからともなく不快な、ブーンという音が曲に混じって聞こえてくるようになった。規則正しく聞こえるその音は楽器からではなかったが、そこにいた全員をなんとなく落ち着かない気分にさせる音だった。

 三十分ほどして曲が終わった。終わったよ、とむきだしの楽器を持ったままキール・デリは言う。ブーン、という音はだんだん大きくなってきていたが、まだ気になるほどではなかった。

「まだやる? それでもいいんだけど」

 営業本部長が言った。

「あきれたやつだ。もういい」

「あっそ」

 ブーンという音とともにカタカタ、という音も聞こえるようになった。ドア付近の監視員達が異常に気がつき、ホールの中央にいるお偉方のほうを見た。ホール全体が揺れている。このままでは危ない。

「連れて行け」

 そう社長が言った時だった。ぐらり、とホールの天井部分が大きく揺れた。しかしかろうじて落下はしてこなかった。

「社長!」

 ステージ上のキール・デリは再び楽器を構える。

「#5、何やってる!」

 監視員の言葉に彼は答えた。

「あんたたち逃げなよ。ここは崩れる」

 そして弓を引いた。しかし聞こえてくるのはメロディーではない。悲鳴のような高音だ。社長と営業本部長、それに研究者は急いでその場から離れて出口に向かおうとした。

「お偉いさんたちは駄目だよ」

 彼が弓を引くごとに天井から煉瓦の塊が落ちてくる。逃げ場をふさがれ、ことここに至って、初めてこの二人は彼にはめられたことに気がついた。

「共振……だな。こんな手を使うとは」

「あたり。よく分かったじゃん。できるかどうかは賭けだったけど」

 営業本部長の言葉に彼はそう答えた。

「フリークスばりに知恵がまわる。本当に亜人種とは思えん」

 社長が言った。キール・デリはその近くに怯えきった研究者を見つけ、彼を開放してやることにした。

「そこの先生は逃げてもいいや」

 白衣をひるがえして研究者が逃げていく。監視員達はもうとっくにいなかった。

「見捨てられたね。仕方のないことだけど」

「やめないか」

 営業本部長が弱々しく言った。彼の楽器は悲鳴を上げ続ける。

「嫌だ」

 きっぱりと拒否をした彼に、社長が言った。

「お前も死ぬんだ。こんなことはやめろ」

 ちらりと彼はステージ上から社長を見る。

「やめてもやめなくてもあんたたちがいる限り、俺は死ぬんだよ。知ってた?」

 くう、と言って社長は黙ってしまった。

「さっき謝ったけど、これから俺、もっとひどいことをするんだ。本当はこんなことなんかしたくない」

 営業本部長がその言葉に青ざめる。

「最初は俺だけでいいと思ってた。俺がいなければウォールナッツ・ブレインの研究は止まるって。でもあんたたちは#11をつくってしまった。だから、俺だけじゃ駄目だと思ったんだ」

 社長も営業本部長も言葉が出なかった。ややあって、しぼりだすように営業本部長が言った。

「どこで知った」

「ファンタジアで。いろいろ聞いたよ」

 瑚老人の楽器を操りながら、キール・デリは答える。全身が総毛立つような、どんな小さな揺れも感知し自在に操る、そんな感触に酔いながら彼は言った。狙った場所に、狙ったとおりに煉瓦の塊が落ちてくる。長い間楽器を扱っていながら、今までまったく知らなかった感覚だった。

 いいや、と彼は思う。その片鱗はあった。ずっと見ないふりをしていただけだ。もう終わりにしよう、そう思った瞬間からその感覚が開放されただけだった。

「#5の能力は振動を司る。こういうことだったんだ」

 すさまじい振動がホールを揺すぶり、そのたびに瓦礫の塊が天井から降ってくる。もはや逃げられなくなった社長と営業本部長は、黙ってその言葉を聞いているほかなかった。

「このホールがなければこんなことは考えつかなかった。じいさんの楽器じゃなきゃ、こんなことはできなかった」

 やがて楽器が奏でるのは悲鳴から音楽に変わった。もう終わったのだ。

「俺、バカだからさ。こんなことしか思いつかなかった。もっといい方法があると思ったけど。あんなにケンタに殺すなって言っておいて、自分がやるんだよ」

 彼は続けた。

「吸血鬼どもに聞いたらもっと違う答えもあったかもしれない。でも俺はああはなれない。だから、あんたたちも道連れだ」

 轟音と土煙を立てて煉瓦のホールが崩れていく。そのただなかで、彼は楽器を弾きつづけた。

「もうやめろ!」

「やめないか、#5! もういい!」

 彼の手が止まった。二人に向かって、彼はこう言い放った。

「#5じゃない。俺はキール・デリだ」

 次の瞬間、高くアーチを描いたホールの天井が崩れてきて、土煙とともにその場のすべてを飲み込み下敷きにした。残ったのは煉瓦を張った石の柱と、その近くに張り出して取り付けられていた、正面入口付近のポーチのみだった。

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