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12/24

最終日から翌日にかけて

アルピニアの祭りでの最終日、サラティア社の捕獲部隊を撃退したキール・デリは友人のザイナスやギター弾きのリックラックとともに酒場に行き打ち上げをする。

いいかげん酔いも回った頃、彼はリックラックから「ソレルの音楽ホールに化け物がいる」という話を聞き、一度断ったソレルの仕事を請け負うことにする。

 キール・デリとリックラック、それにザイナス・カミングの三人は、石畳の広場から地下にある酒場に場所を移した。店はリックラックの選定である。ブラッキィも一緒だったが、自分のテーブルから出さないということで店側と話がついた。キール・デリは黒うさぎをしょったまま皆と一緒に店内に入り、ふーん、とまわりを見渡した。

「いいじゃねえか」

 店内は若者ばかりで賑やかである。テーブルの上にあるメニュー表から三人は適当に飲み物とつまみ、それにブラッキィ用の野菜スティックを頼んだ。紙ナフキンと飲み物が運ばれてくる。キール・デリは紙ナフキンを広げ、その上にブラッキィを乗せた。

「いいだろ。ここはよく来るんだ」

 リックラックは嬉しそうに言った。一方、ザイナスはメニュー表をにらみすえている。気になってキール・デリは声をかけた。

「どうしたんだよ」

 ふう、とザイナスはため息をついた。

「なんでこの値段でこの酒が出るんだ。俺が今まで行ってた飲み屋はなんだったんだよ」

 キール・デリのほうは大笑いである。リックラックはえっ、駄目ですか、とザイナスに聞いてしまった。

「お前は払いすぎなんだよ」

 つまみと野菜スティックが来た。グラスに立ててあったのでキール・デリはそれを全部テーブルに広げる。ブラッキィが手近なセロリの軸を拾ってかじりだした。人間もその間を縫ってつまみに手を伸ばす。

「そういやさあ」

 キール・デリが話を振った。

「聞いたんだけど、ザイナス、お前一回のギャラが五千万超えたってほんとか?」

 リックラックが目をむく。本当だ、とザイナスは言った。

「道端なんかでやってていいのかよ。今日は多いけど、それでもぜんぜん額が違うぞ」

 ザイナスは通りかかったホール係をつかまえてもう一杯注文した。何かおもしろくなさそうであった。

「いいことを教えてやる」

 来た酒を一口含み、ザイナスは言った。

「五千万のうち三千五百万が税金だ。マネージャーとスタッフの払い、それに移動なんかの必要経費が一千万。残りの五百万が俺の取り分だ。一割だぞ、一割。キール、俺、何か悪いことでもしたか」

「それでも五百万ですよね。いいじゃないですか」

 リックラックはそう言ったが、キール・デリは違った。

「もしかして、それじゃ全然足りないな」

「そうだ」

 ザイナスはちらっと置いてある自分の楽器を見る。キール・デリは言った。

「その金食い虫やめたらいいじゃねえか。一回のメンテに千二百万くらいかかるんだろう。俺と違っていっぱい楽器持ってるんだしさ」

「いっせんにひゃくまん? ほんとうに?」

 リックラックがひっくり返った声でたずねる。ふう、とザイナスはもう一口酒を飲んだ。

「弾いても弾かなくても同じだけかかる。なら弾いたほうがいい」

「じゃあ手持ちを少し売れよ」

「嫌だ。売ったら戻ってこない」

 それより、とザイナスはキール・デリの楽器ケースを横目で見た。うらやましそうである。

「お前、その楽器をどこで手に入れたんだ」

 さっきまで騒がしかったキール・デリがいきなり静かになった。

「……見た?」

「見た。置いてあったからな」

 キール・デリは黙って酒をあおった。こうなれば酔ったもん勝ちである。

「お前いっぱい楽器持ってるからいいじゃん。俺、これしかないんだし」

「どこで手に入れたんだよ」

 ザイナスの目がすわってきていた。やばい、とキール・デリはあわてて言った。

「まあ作ってもらったんだけどさ、俺、前のやつ壊して紹介状もらったんだよ。それ一個しか楽器がなかったからさあ」

「また壊したのか。なんで壊すんだよ」

 荒れ城で女吸血鬼と戦ったからだとはさすがに言えない。そんなことを言ったら昼のことを含めてザイナスは卒倒してしまうであろう。しかし矛先が違うほうに向いたので、キール・デリは少しほっとした。

「ヴァイオリンってそんなに壊れるんですか」

 リックラックが質問してきた。

「こんなに楽器を壊すのはこいつだけだ」

 ザイナスが言った。楽器を蒐集する彼にとっては信じがたいことでもある。おそらくこの瑚老人のヴァイオリンもそのうち壊してしまうだろう、ザイナスはそう踏んでいた。そしてこの読みは当たってしまう。

「壊す前に俺によこせよ」

「いやだね」

 子供のように二人は楽器ケースに入ったヴァイオリンの取り合いを始めた。店員がこちらを見る。リックラックはまあまあ、と店員が来る前に仲裁に入った。


 二軒目はザイナスがおごると言った。落ち着いた雰囲気のバーで、三人はカウンターに並んでいた。

「キール、俺こんなところに来たことないよ」

「こいつが選ぶとこうなんだよ」

 お値段もそれなりである。目の前の一杯は最初の店の三倍した。その代わり、寡黙なマスターがすぐそこでシェイカーを振ってくれる。

「ザイナスさん、聞いていいですか」

 キール・デリが席を外した時のことである。ブラッキィはリュックの中でもう寝てしまっていた。まだ当日の午後ではあったが、時間もだいぶ遅くなっていた。

「#5ってなんですか」

「#5?」

 リックラックは言った。

「昼に変なやつらが来たときに、キールに向かってお前は#5だろう、って言ったんです。キールのやつは知らないって言ってましたが、何のことか分かりますか」

 ザイナスは考え込んだ。リックラックは何も知らない。だからキール・デリはあの場所から動いた。そしておそらく、昼に会ったケンタという少年はキール・デリについて何か知っているのだろう。

「そんなことを言ってたのか」

 リックラックはずっと気になっていたらしい。ザイナスは言った。

「あいつが知らないなら知らないんだろうよ。俺も分からない」

「そうですか」

 キール・デリが戻ってきた。二人はこの話を打ち切り、リックラックはザイナスに明日の予定について質問をした。


 三軒目は適当に、目についた店に飛び込んだ。かなり夜更けになってしまったせいもある。ただし場所はザイナスのホテルの近くになった。明日はザイナスのマネージャーがホテルまで迎えに来るからである。

「送迎付き? いいなあ」

「だから高いんだ」

「どこまで行くんだよ」

 かしこまった店ではなかったので、三人とも騒ぎつつ飲んでいた。もうだいぶ遅い。そのことに気がついてキール・デリは言った。

「ザイナス、こんな時間まで飲んでて平気か。明日も弾くんだろう」

 当のザイナスはかなり酔っていた。ぽやーん、とした目をしている。

「弾くのは午後。午前中は移動だ。それもホールの慣らしだからまじめにやらなくていいんだ」

「どこまで行くんです」

 リックラックがたずねる。

「ソレル」

 あれか、とキール・デリは言った。

「もう完成したのか。こけら落としをお前がやるんだろ」

「よく知ってるな」

 ザイナスが意外そうに言った。

「音響テスト用のヴァイオリン弾きの話がきた。断ったけど」

「なんでやらないんだよ」

 ザイナスは不服そうに言った。

「やるやつがいなくて結局俺が行くんだ。お前が受けてくれりゃよかったのに」

「本当に? けっこう金よかったぞ」

 ああ、とザイナスは言った。

「ホールのほうで何人か雇ったが、なぜか誰もいつかないんだ。バケモンが出るなんていうやつもいる始末らしい。古い建物ならともかく、できたばっかりのホールに化け物なんか出るか」

「あ、それ聞いたことあります」

 リックラックが口をはさんだ。

「地下のミキサー室の奥に化け物がいるって。壁で仕切ってあるんだけど実は続き部屋で、奥の間には変な、でかい玉ねぎみたいな形の化け物が檻に入っているって」

「なんだそれ。いるわけないだろう」

 ザイナスは一笑に付した。

「玉ねぎみたいな化け物?」

 キール・デリは、かなりしつこかったはずの酔いが一瞬で吹き飛んでしまった。

「リック、それどこから聞いたんだ」

「え……どこって」

 急に言われてリックラックは酔った頭で必死に思い出そうとした。 

「確か、バイトで行ったやつが言ってて……そう、工事のバイトで行ったやつが変な設計だったって言ってたんだ。それで、奥の間にバケモンがいるって。なんか見たらしい」

「見た?」

 ああ、とリックラックはうなずいた。

「思い出した。忘れ物を取りに夜、現場に戻ったらでかいトラックがついてて、その中から檻に入った化け物が運ばれてきたって。でかくて、玉ねぎみたいな変な形で、目があって全身に黒い点々みたいなやつがついてて、すげえ気持ち悪かったって。次の日に見たらミキサー室の奥が閉じられてて、そこにいるんじゃないかって、そいつが言ってたんだ」

 まさか、という思いが去来する。しかし特徴はホーバーが彼の断片からつくりあげたものと同じだ。語られている形状は伯爵が教えてくれたものとそっくりだった。

「キール、顔色悪いぞ。飲みすぎたか」

 言われてキール・デリははっと我に返った。確認しなくてはならない。

「ザイナス、明日俺も連れてってくれよ」

「なんだ、急に」

 すっかり酔いがさめてしまったので、そこにおいてあった酒をすする。しかし味がしなかった。

「音響テスト用のヴァイオリン弾きがいないんだろう。なんなら俺がやるよ。金いいし」

 ザイナスはそうか、と言った。

「なら助かる。むこう一週間は来てくれって言われてるんだ。正直そんなに時間取れないんだよ」

「じゃ、成立だな。ホールに話を通してくれよ」

「分かった」

 キール・デリは味のしない酒をすすった。そのうちに空になったが、やはりなんの味もしなかった。


 翌日、キール・デリはザイナスのマネージャーが運転する車に同乗していた。シートは堅いが足回りはかなりよい。けっこうなでこぼこ道でも減速せず、しかもろくに揺れずに走っていくのだ。一度だけ跳ねたが、そこはトラックが舗装に大穴を開けたところだった。

 ブラッキィはキール・デリの膝の上にいる。さっきまでは後部座席の後ろ側、リヤガラスの真下にいたが戻ってきた。シートよりも揺れるからである。彼はキール・デリに膝の上から外を見せろと言った。

「めんどくせえな」

 文句を言いつつ、キール・デリはブラッキィをリュックの中に入れ、立てて抱えた。ブラッキィは前足をリュックのへりにかけ、機嫌よく後足で立ち上がった。

「よくみえるぞ、きーる」

 マネージャーがちらっと後ろを見る。ザイナスのマネージャーはキール・デリではなくブラッキィのほうが気になっているようだった。

「お前もよくそいつの面倒を見てるよな」

 ザイナスが言った。

「うるさいんだよ。実験動物だったくせに」

「実験動物?」

 キール・デリは以前言われたことを思い出して言った。

「口が悪いのはそのせいだってさ。サラティア社がこういうのをやってるって聞いたことがあるんだ。そこから逃げたんじゃないかって」

「ふうん。そうなのか」

 ザイナスはよく知らないのでそう返事しただけだった。二人とも二日酔いである。車内はかなり酒臭いのだが、マネージャーは特に何も言わなかった。キール・デリについても少し驚いたようだったが、ザイナスが忙しいのでホールの仕事を頼んだと言ったら、そうですか、と言っただけだった。

「ザイナス、ホールの調整って何をするんだ」

 キール・デリが言うとザイナスは頭痛で顔をしかめながら答えた。

「俺も知らない。こんな依頼は初めてだ。システムをなじませるためだって言うんだが、そんな話は聞いたことがない」

 ホールの担当者によると、本来ならばあらかた仕上がっていて、それこそリハーサル時にやればよい作業なのだが、その調整役のヴァイオリニストがいつかないために期限までに仕上がらず、直接ザイナスの音を採ってこけら落としに間に合わせることにしたのだと言う。実際は二、三日あればいいのだが、ホールの担当者は予備日も含めてザイナスに一週間を要求してきたのだった。

「とりあえずステージで何時間か適当に弾けばいいらしいんだが、毎日なんて無理だ」

「そうだよな」

 それだけなのになぜ人がいつかないのだろうと不思議に思いながら、キール・デリはぼんやりと外を眺めた。すると視界に入るものがある。白いドレスだ。小さい古物屋の店先に、彼が売り飛ばしたものがそっくりそのまま、売った五倍の値段をつけて売られていた。

「あのオヤジ、値がつかないって言ったくせに。足元見やがったな」

 叩かれたことに気がついた彼としては憤懣やるかたない。ついうっかり口から出てしまった。

「何かあるのか」

「きーるのふくだ」

 ザイナスがそれを聞いて窓の外を見た。街中に入ってきたので車はかなり減速しており、ザイナスはゆっくりと問題になっているドレスを見ることができた。

「キールの服って、ないぞ」

「言うな、ブラッキィ」

 あわてるキール・デリを尻目にブラッキィが答える。

「あのしろいどれすだ。きーるがみせでもらったんだ」

「いい、しゃべるな」

 キール・デリの制止もむなしく、ザイナスは店頭に置かれている真っ白なドレスを見つけてしまった。ついでに金額とそこに書かれている文字も見てしまった。

「……女装セットって書いてあるぞ。お前、あれ着たのか?」

 ザイナスの表情がだんだんと険しくなっていく。いや違うんだ、とキール・デリが言うそばからブラッキィが補足していた。

「いっかいきたんだ。それで、おれもきらきらしたのをもらったんだ。な、きーる」

 何か言おうとしてザイナスは思いとどまった。頭痛がひどくなったからである。

「お前さ、おかしなところは行くなよ。昨日といい一体何してるんだ」

「普通にやってるだけだよ」

 その普通がザイナスとキール・デリでは大幅にずれているのだった。

「なんだよ。俺、何も悪いことしてねえよ。あれだって着せられたんだ」

 もはや開き直ってしまったキール・デリに、ザイナスはため息をつきながら言った。

「金がないって言ったって少しは仕事を選べ。あんなの着て、男に酒を注いで歩くなんてプライドってものはないのか」

 いくら相手がザイナスといえども、キール・デリはこのもの言いにはかちんときた。

「そんなことしてないって。確かにそういう店で仕事をしたけど、俺がやってたのはステージ演奏。そっちはそういうのなかったんだよ」

「じゃあなんであんな服を持ってたんだ」

「よこされたんだよ」

「なら着たんだろう」

「着たけどそうじゃない」

 堂々めぐりである。

 ザイナスのマネージャーが聞き耳を立てていた。が、口をはさむこともなく車は交差点を曲がり、市街地を抜けてガレオンターク音楽ホールに向かっていった。


 ホールの担当者とは最初の二日間をザイナスが、残りの五日間をキール・デリがやるということで話がまとまった。その後はキール・デリが残るつもりなら、引き続き調整係としてやってほしいとのことだった。

 さて、ということでキール・デリはザイナスがステージに上がっている間に、ブラッキィと楽器を置いてホールを抜け出した。リックラックから聞いた話を確認するためである。設置されたばかりの館内の案内板を見ていたが、さすがにミキサー室の案内はない。しかしうろつきまわっているうちに、ステージ横にミキサー室と書かれた鉄製の扉を見つけ出した。場所は二階である。階段があるのだろう。

「今は無理かな」

 中を覗き込んでいるとザイナスのマネージャーに会った。やあ、と声をかけてくる。キール・デリはあ、どうも、と意味のない返事をした。

「ミキサー室に何か用でも」

「いや、ちょっと探検してみようと思って。ここ広いし」

 なるほど、とマネージャーはキール・デリのことを見た。何か不思議なものを見る目つきである。

「スミスさん、何ですか」

 思わず彼はそう言ってしまった。いやいや、と敏腕そうな年かさのマネージャーは言った。

「キール君だったっけ。少し意外だったからね」

「意外? なにが?」

 じゅうたんの敷かれた通路の真ん中でキール・デリは聞いてしまった。ホール中にザイナスの楽器の音が響く。彼とは違う、優しくて穏やかな音色だ。

「ザイナスさんが忙しい中、わざわざ休暇を取って会いにいったのも意外だったし、二日酔いの彼もスタッフは見たことがないし、あんなふうに車中で騒がしい姿も見たことがなかった。いつでも気を使って無理難題も言わなくて、やりやすいって言えばいいが、本人はどうなのかと。ま、そう言ったら分かるかな」

「そうなんですか」

 ザイナスらしい、とキール・デリは思った。彼は彼なりにいっぱいいっぱいなのだ。自分だけではない。

「あいつ、この後どんなスケジュールなんです」

 マネージャーは答えた。

「あさってとしあさってはタイベリーで音楽番組の収録、その後はまた呼ばれてメリッサまで移動。そこから二ヶ月は空かないよ。もうしばらく休暇はないだろうね」

 あまりにも優しい音に、彼は不意に泣きそうになった。楽器くらいくれてやってもいい、そうとすら思った。

「それでも弾くんだな」

 自分とは違う意味で、ザイナスにもまた音楽しかないのだ。どちらもぎりぎりの位置で、楽器一つを抱えて立っている。立っている場所は違っていても崖っぷちには変わりがない。

「スミスさん、俺、戻ります」

 キール・デリはそう言ってじゅうたんを踏み、通路を歩き出した。ああ、とザイナスのマネージャーはその場から手を振った。


 サラティア社の本社ビルでは、営業本部長のスミノフ・ブルーアイスが別室で報告を受けていた。聞くうちにだんだん苦虫を噛み潰したような顔になっていく。無理もない。内容は差し向けた捕獲部隊が袋小路に誘い込まれ、返り討ちにあったというものだった。五人もいてたった一人のプレート持ちに全滅させられたのだ。

「本当なのか、それは」

 亜人種とは思えない、瀕死で救い出された捕獲部隊のリーダーはそう言ったという。仲間がいて自分ではなく、そちらにやらせていたようだとも言った。しかし#5である確認は取れた。

「エンライめ、何をつくった」

 軍用品として開発されていたことを伏せていたのはスミノフなのだが、それとて特に訓練をしなければただの強靭な種族で終わる。録画映像からはそんな様子には見えなかったので、彼は通常程度の人選で捕獲部隊を構成させたのだった。それでも退化処理がされていないだろうことは予想がついたので、対人部隊に近い構成でのぞんだのである。その結果がこれであった。そしてもうアルピニアにはいない。

「どこへ行ったか探せ。見つけたら生け捕りにしろ。なるべく傷つけるな」

 そもそも亜人種であるかどうかから確認しなくてはならないのではないか、スミノフはそう思いながらも指示を出した。しかし#5であるということは亜人種である。ウォールナッツ・ブレインのひとがたというのはこれほど手強いのだろうか。だが、ウォールナッツ・ブレインとは神経系制御に特化した形の亜人種のはずだ。

「楽器を持っていたな」

 亜人種に楽器は扱えない。音楽など解さない。コピーはできるが創造はできない。それが常識だったはずだった。それをすべてひっくり返して、#5のプレートをつけた青年が彼の前に現れた。

「いったい何をつくったんだ」

 もしかして人間なのではないか、そういう思いはぬぐえない。しかし、二十二年前に見せられた発生初期のそれは、確かに異形の生物だった。作成に必要な遺伝子コードもそれだった。そしてそれ以降、エンライ・コーダは処理槽に沈めるまで、誰にも自分の作り出した生物を見せなかったのだ。

「まさか……」

 スミノフはあることに思い当たった。当時、エンライは社内きっての技術者だった。研究所ならどこでも入れたし、実験場も書類さえ出せば好きなだけ使うことができた。エンライが薬品やら器具やらを使ってしまった後に、クリストファー・リンデンバウムが後を追いかけて書類を作っていたのである。

「総務の倉庫につなげ」

 ほどなくして三階倉庫の壁掛け電話に繋がった。スミノフは担当者に二十二年前の研究所の書類とデータチップを探し出すように指示した。

「ものすごい量ですが……全部ですか」

 困惑した担当者にスミノフはたたみかけた。

「かまわん。全部だ。エンライ・コーダとクリストファー・リンデンバウムの名前がついているものを全部持ってきてくれ」

「分かりました。台車でお持ちします」

 もし彼が思った通りならば、エンライはとてつもないトラップを仕掛けたことになる。事実、エンライはウォールナッツ・ブレインとその使用目的には反対であり、プロジェクトから外してくれと申し出たこともあった。

「……やられたな」

 膨大な量の書類が届けられてきた。スミノフは自分自身で、それをひとつずつ確認する作業に入った。

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