勇者「風評被害だし理不尽!」
この世界では一人一人に女神の祝福が与えらえる。
成人した年に教会へ行き女神の祝福を授かり、その祝福はスキルと呼ばれていた。
スキルというよりは役職と言う方が適切ではないか? という声もあがっていたが、呼び名が変わる事もなく昔からずっとスキルと言われ続けてきた。
そのスキルによっては自分が望まぬ職業に就く事もあるが……ここ最近はそれだって些細な不満程度であった。
望んでいた職業よりも与えられたスキルを活かした職の方が稼げる、だとかそんな感じ。
だがしかし、その不満が本当にささやかで可愛らしいものだと思える出来事が起きてしまった。
魔王の復活である。
かつて勇者に倒されたはずの魔王は、しかし完全に消滅していなかったらしく長い年月を経て復活してしまった。
魔王を倒すべく、新たな祝福を授かる者の中から勇者が現れた。
そして勇者と共に戦うだろう仲間になりそうなスキルを与えられた者たちもまた、現れたのである。
名もなき小さな村で、成人を迎えスキルを授かった者の一人は賢者だった。
今の今まで魔法とは縁がなかったはずの、学もそこまであるとは思っていなかった少女は与えられた祝福に大いに驚いた。賢者とはありとあらゆる魔法を使いこなす者と言われている。かつて、勇者と共に魔王を退治した仲間の中にもいたとされるため、少女もまた勇者の仲間となり魔王を倒す事になるだろうという期待が寄せられた。
魔王の脅威は既に名もなき辺境の村にまで轟いていた。だからこそ、その期待も当然のものだったのかもしれない。
勇者となった者は既に王都にいるのだそう。
そして仲間が集まり次第、ある程度の訓練に励みそして魔王討伐の旅に出る。
かつての勇者もそうだった。それらの軌跡をなぞる事で、再び魔王に打ち勝つのだという願いを込めているのかもしれない。
賢者のスキルを持つ者が現れた事は教会から王都へ知らされ、近々迎えの馬車が来るらしかった。
だからこそ、村人たちは賢者でもある少女を盛大に送り出そうと宴を開いた。
ある者は魔王討伐に対する激励を、ある者はどうか無事にという祈りを、心からの願いを少女に伝え、少女もまたその願いに応えようと気を引き締めた。
「ね、私、頑張るよ。魔法とか正直使いこなせる気がしないけど、でも、頑張って魔王倒すから」
「うん……」
「帰ってきたらさ、その時は……えぇと、その時はね?」
「待ってる」
「っ! うん、うんっ!」
寄りそうようにしていた少年に、少女は不安を隠しきれない口調でそれでも精一杯の虚勢を張った。少年もまた少女のその不安に気付いていたのだろう。ともすれば素っ気なく聞こえるものであったが、それでもその言葉に少女は喜色満面に頷いた。少年の表情が沈んでいた事に気付かないまま。
二人は幼い頃からの恋仲であった。
将来は結婚しようと約束した仲でもあった。
それはこの村の者たち公認と言っても過言ではない。
そんな二人の最後の逢瀬を、周囲にいた村人たちは微笑ましく見守っていたのだ。
宴の翌日、迎えの馬車に乗り村を離れていく少女は、馬車についてる窓から村が見えなくなるまでずっと手を振っていた。村の者たちもその姿が見えなくなるまで声援を送った。
よくある、といってしまえばそれまでの旅立ちの一幕であったと言えるだろう。
――月日は流れ五年後。
とうとう魔王を倒したという報せが世界中に広まった。それは賢者の故郷でもある名もなき小さな村にも届いた。
五年。
長いと見るか短いと捉えるかは人それぞれだ。かつて勇者が魔王を倒した時の事が伝承となってでも残っていたからこそ、五年でどうにかできたと言っても過言ではない。その情報がなければ魔王を倒すまでにもっと時間がかかっていたに違いないのだ。
「……ここが貴女の故郷ですか、賢者」
「うん。なんにもない所でしょ? でも私はここが好きよ」
何も変わってなくて懐かしいな、と言わんばかりに周囲を見ている賢者の瞳はどこまでも穏やかだ。
あの辛く苦しい戦いを乗り越えて、ようやく帰ってきたのだからさもありなん、といったところか。
賢者に声をかけたのは剣聖のスキルを授かった青年だった。外見だけを見ると穏やかそうな青年で、到底剣の腕が凄いとは思えない。どちらかといえば公園のベンチに腰掛けて詩集でも読んでいるのが似合いそうな雰囲気があった。
村へ続く道を進み、賢者の足取りは自然と軽くなる。
帰ってきた。
帰ってきたのだ。
五年という歳月は彼女にとってとても長く感じられるものだった。
途中、何度も手紙を出した。
村で待つ恋人に、それこそ些細な出来事だとかを事細かに。どういう風に生活しているか、というのを彼女なりに教えておこうと思ったからだ。
例えば訓練であったり、道中の魔王配下の魔族たちとの戦いであったり、その合間に起きたちょっとした微笑ましい出来事だったり、痛ましい事件であったり。
こちらは各地を移動していたために手紙を出す事も多かったが、村から返された手紙はあまり多くはなかった。それは単純に手紙という物資が村になかったというのもあるが、配達するための料金がそれなりにするから、というのもあっただろう。
賢者が手紙を出して五通に一通返ってくればいい方であった。
各地を旅している勇者一行に手紙を届けるとなれば、それこそ配達スキルを持った者が頼りの特別郵便料金がかかる。細々と自給自足の生活をしている村で、その料金を何度も捻出するのは流石に厳しいというのも、賢者は理解していた。彼女がこまめに手紙を送るのは、彼女の自己満足とも言えたのだ。
離れていても思いは変わらない。けれど、言葉にしなければ伝わるものも伝わらない。賢者はそれを理解していた。
五年という期間で賢者はもう少女とは呼べない年齢へと成長した。けれどもかつて、村で過ごしていた頃の面影がなくなったわけでもない。
村で待つ恋人は気付いてくれるだろうか?
彼女なりに精一杯オシャレして、賢者は故郷への道を歩んでいた。
まぁ、オシャレといっても装飾品の類はあまり身に着けていない。どちらかといえば魔除けのアミュレットだとかタリスマンだとかだし、着ているものだってシンプル極まりない。けれども、村で過ごしていた頃と比べればオシャレと言えない事もない……かな? と言ったところだろうか。
「事前に手紙は出したんだったな。じゃあ、帰ってくるってわかってるんだろ?」
「うん、無事に届いてたら、だけど」
賢者にそう声をかけたのは勇者だった。
彼もまたとある小さな町出身の、元は平凡な少年だった。今は青年と呼ぶ方が適切だろう。出会った当初は正直あまり強そうには見えなくて、本当に大丈夫だろうか……? なんて思っていたが、それはこの場にいる仲間全員に言える話だった。
勇者の隣を歩いていた女はぼーっと周囲の自然を眺めている。
町の中でやんちゃ坊主と言われていた少年は勇者となり、教会で働いていたシスターだった女は聖女となった。けれど勇者はスキルを得るまで戦闘経験などなかったし、聖女も基本的に教会の中では雑用をこなすだけで、魔法なんて使った事すらなかったのだ。
剣聖もまた、ちょっとした護身で剣を習ってはいたけれどあくまでも護身レベル。スキルを得る前までの彼の腕前は正直可もなく不可もなく……と言われる程度のものでしかなかった。
そして魔法とは無縁だった賢者。
完全に素人集団でしかない。
スキルが授けられた後はめきめきとその能力を発揮できるようになったけれど、それだって事前に王都で訓練をしないまま外に出されていたら、魔王討伐までにもっと時間がかかったかもしれないし、最悪途中で死んでいた可能性もあった。むしろその状態で五年で魔王討伐に至ったのだからスキルというものの力が凄いと言うべきなのかもしれない。
村に続く道を通り、そうして村に辿り着いた一行はぐるりと周囲を見回した。
よく言えば平和で長閑な、悪く言えばマジでなんもねぇな、としか言えそうにない村。
特徴らしい特徴がなさすぎて、そりゃ村の名前もないわけだよ……と思えてしまう。
むしろ名前がなくてもどうにでもなっていた、という時点でお察しと言うべきか。
「みんなー、ただいまー!」
賢者が近くで農作業をしていた村人たちに声をかける。勇者たちからすれば単なる村人A~Eとかだが、賢者からすれば懐かしい顔ぶれだ。おじさんたち皆変わりないようで良かった、というのが声に出ている。
だがしかし声をかけられた村人たちは声がした方を見て、そして声の主が賢者であると気付いた途端各々農具を取り落としていた。
ざわっ、とした空気が流れる。
「え、え、嬢ちゃん……なんで」
「帰ってきたのか!? いや、無事だったってのは聞いてたけれども!」
「魔王倒したんだろ? 平和になったのはありがてぇけど、どして戻ってきた?」
「え……?」
思っていた反応と違って賢者は思わず戸惑った。
まるで帰ってくる事なんてなかったと思われている反応。
「え、だって、ここ私の故郷」
なんだろう、何でかイヤな予感がする。
まるで帰ってきてはいけなかったのに、と言われているような雰囲気。どうして?
私村を出る前に何かしたっけ? スキルをもらう前の生活を思い返してみるが、特に思い当たるものはない。
おじさんたちはと言えば、どこか気まずそうに視線を合わせ、小声で何やら話始める。
そのうちの一人がふらっと村の奥へ移動するのが見えたが、賢者はそれに気付いていない。気付いたのは賢者以外の三人だったが、恐らくは村長だとか誰か他の人を呼びに行ったのだろうと思えば呼び止める必要性がない。
何が何だかわからないけど、賢者としては村の入口にずっといるのもな、と思って、
「父さんと母さんは? 手紙にあまり書かれてなかったけど、元気?」
なんて言って更に奥へ進もうとした。だがそれを慌てて村人たちは押しとどめる。
「えっ? えっ、何?」
「あああああの、いや、あのだな、ちょっと聞きたいんだが」
「魔王を倒して、王様から褒美もらったんだろ? そんで王都で暮らすとかそういうやつじゃなかったのか?」
「え? いや確かにもらったけど、でも私帰ってくるって言ったじゃない。帰ってきたら彼と結婚するって」
「わー! わー!! そうだったな、そうだったんだけどもな!?」
慌てふためく村人に、勇者たちも何となく嫌な予感というか、何か不味い事になってるんじゃないか? というのだけは薄々感じ取っていた。けれど、下手に口を挟むのもな……と思って中々何かを言うタイミングが掴めない。
そうこうしているうちに、村長と思しき老人と、先程立ち去っていった村人、そしてその他の村人がやってきた。
農作業をしていた村人たちの妻なのか、年のいった女が数名と、あとはたまたま暇をしていたからやってきたらしき雰囲気の村人が数名、それから、その中でも年若い――それこそ賢者と同年代くらいだろうか――男女が一人。
賢者はやってきた村人たちを見て、ぱっと顔を輝かせた。
「ただいま! 帰ってきたよ。皆元気そうで良かった!」
ついさっきまでの村人たちの反応が気になるところだが、それでも懐かしい顔ぶれがこうも勢ぞろいしているのだ。帰ってきたという挨拶は大事だし、その中に会いたくて仕方なかった存在がいれば、ちょっとした些細な事などどうでもいいと思えてしまう。
だがしかし、賢者の言葉にやってきた村人たちもどこか表情が暗い。
「あれ? 父さんと母さんは? お仕事中?」
そう言ってみたものの、だとしてもこうして皆が勢ぞろいしているのなら一度切り上げてここにいてもいいような気がするのだが。きょとんとした表情の賢者に、厳しい顔をした青年が一歩前に踏み出した。
「おい」
「うん。あっ、ただいま。約束通り魔王倒して帰ってきたよ!」
記憶にある姿よりも成長しているが、それは紛れもなく賢者が将来を誓い合った男であった。かつての幼さは消え、農作業などで鍛えられたのか体格もしっかりとしている。彼のスキルは確か剣士であったので、恐らくはそれも影響しているのだろう。その隣にいる女も見覚えがある。同年代で、賢者も村を出る前はよく一緒になって遊んだのだから。彼女は確か治癒術師……だったか。
皆が元気そうなのも、仮にこの村が魔物に襲われても剣士がいるし、普段は農作業やってるおじさんたちだって戦えるスキル持ちであるからだろう。万一怪我をしても瀕死の重傷でもない限りは治癒術師によって治される。村はド田舎といって過言ではないし、魔王軍だってこんな辺鄙なところわざわざ狙わないというのもあって、精々たまに訪れる魔物くらいしか脅威はなかったんだろうな、と賢者は思った。
魔族は魔王に従っていたが、魔物は全部が全部そうというわけでもない。多分野良が時々、程度であれば村が壊滅するような事もそうなかっただろう。とは思っていたものの、それでも不安は常にあった。だからこそ賢者はこまめに手紙を送り続けたのだ。送った手紙が戻ってきたりすれば、それは最悪村の滅亡を意味する。
だからこそ魔王を倒した後、故郷へこれから帰るという手紙を送った時も無事届いた事に安堵したのだ。魔王を倒しても、たまたま村の近くに現れた魔物に滅ぼされる、なんて可能性もあったのだから。魔王を倒した後すぐさま平和になるかと言えばそうでもない。魔王関係ない魔物あたりはそもそも魔王復活前から活動していたし。それでも、以前よりは大人しくなるはずだ。
「何で今になって帰ってきた?」
「えっ?」
青年の言葉に賢者は思わず素っ頓狂な声を出した。
「なんでも何も、魔王倒したからだけど」
最初からそのつもりだったじゃないか。
勿論旅の途中で死ぬかもしれないという事は何度もあった。けれど、魔王を倒して故郷へ帰る、というのは賢者として魔王退治の旅に出る前から言っていた事だ。
そして魔王を倒して凱旋パレードはあったとはいえ、それでもすぐに帰ってきたのだ。今更、と言われる程の年月が経過したわけでもない。
「そいつらは?」
「仲間だよ。彼女が聖女、こっちが剣聖、でこの人が勇者」
賢者の仲間紹介に村人がかすかに騒めく。ではこの方々が……みたいなことを呟いてるのもいた。勇者がいるという話を聞いても、直接顔を見るわけではない。だからこそ名前は知ってるけど……というのがどこへ行っても大抵の反応だった。
そして勇者の見た目は割と平凡なのだ。圧倒的に光り輝くイケメンだとかそういうわけでもない。ちょっと冴えない気がするけど、よく見ればこれはこれで有り、みたいな反応をされる事が多かった。
正直剣聖の方が女性ウケする容姿をしている。
青年は剣聖を見てしばし呆然とした表情になっていたが、何かを振り切るように顔を振って賢者へと向き直る。
「お前さ、恋人は?」
「え、何言ってるの。貴方に決まってるでしょう。魔王倒して、帰ってきたらその時は結婚しようねって約束もしたじゃない。何でそんな事言うの?」
ここにきて賢者は何となく不穏な空気を感じ始めていた。勇者たちはとっくに感じているというのに賢者だけがワンテンポ遅れている。
そして冗談でもなんでもなく本気で賢者はそう言っている、と理解した村人たちの多くはどこか悲痛な声を出した。剣士である青年と、そのすぐ近くにいた治癒術師の表情もまた青ざめていた。
「そんな……」
「え? え? どうしたの?」
がくり、と音がつきそうな勢いでその場に崩れ落ちた剣士と、同じようにへたり込んだ治癒術師に賢者は何事かと二人の元へ駆け寄った。
そして咄嗟に治癒魔法を使うが、特に効果はない。
「その、なんだ……お前さん、勇者と恋仲だったのではないのか?」
「えっ!? 何それなんでそんな話になってるの!?」
「まてまてまて、俺の恋人はこっちだこっち!!」
村長の震える声に賢者は声を裏返らせつつも聞き返した。そして唐突に巻き込まれた勇者は聖女をぐいっと引き寄せて俺たちが恋人ですけど!? と言わんばかりのアピールをし始める。急に引き寄せられた聖女は少しばかり驚いていたが、それも一瞬ですぐさま勇者の胸元に顔を寄せ恥じらうような表情を浮かべた。付き合い始めてまだ間もないです、みたいな初々しさすらある。
「では、勇者が二股をかけたりは」
「するわけないだろそんな不誠実な!!」
突然の風評被害に咄嗟に叫ぶ勇者。いやそりゃ確かに勇者ってだけで何かモテたりもしたけど。各地で暴れまわる魔族を倒したらそりゃもうきゃーきゃー言われたけれども。だがしかし、それだって一過性のもので勇者本人がモテたというよりは、地元を荒らす魔族が倒された解放感とかそういうのもあったはずだ。
大体勇者を育てた両親はしっかりしていたので、お天道様に顔向けできないような事はやるんじゃないよとそれはもう幼い頃から言われ続けてきたのだ。
確かにたまにやんちゃな事をしたりもしたが、それだって若気の至りで笑って許される程度の事しかしていない。やらかしても精々父親が拳骨一発落として終了とかそこら辺のレベルだ。
基本真っ当に生きてきたというのに、どうしてこんな自分に縁も所縁もない土地でそんな風に思われているのだ。
勇者からすれば今まで人類の為に戦ってきたというのにその人類から唐突に、でも勇者って裏で魔王と手を組んでたんでしょ? とか言われる並の言いがかりだった。名誉棄損で訴えるぞ。
「俺が愛を誓ったのはこの人だけです!」
そう叫べば村人たちは何故か顔を青ざめさせた。
「で、ではそちらの」
「あ、私故郷に婚約者がいますので」
村長が震える指で剣聖を指し示せば、彼はさらりと言ってのけた。
「おぉ……おぉ……何という事じゃ……」
村長はふらりとよろめいた。あまりにもふらふらしたせいで倒れるのではないかと思われたらしく、近くにいた村人が支えている。
「あ、そんな……それじゃ、俺たちがした事は……」
「だって、だってそんなつもりじゃ……」
剣士と治癒術師もまた、へたり込んだままそれぞれそんな風に呟いている。ぶつぶつとしばらく何かを言っていたが、あまりの小声に何を言っているかまではわからない。けれど、やがて剣士はふらつきながらもどうにか立ち上がり、勇者へ指を突き付けた。
「何で寝取ってないんだよ!?」
「突然の言いがかり!? 何でそうなる!?」
「勇者っていうのはだって、女とみれば食い散らかす存在だろ!?」
「勇者って言葉からそれが想像できるとかあり得ないだろ!? そもそも色狂いとかそういう風に言われるならまだしも、それと勇者イコールってどんな認識だよ!?」
マジで名誉棄損で訴えるぞ!? と叫ぶ勇者ではあるが、無理もない。
魔王を倒して世界平和に貢献したというのにどうしてこんな言いがかりをされねばならないのか。そりゃあ、確かにきゃーきゃー言われたりもしたけれど、だからってそこで女食い散らかす展開にはなるはずがない。
中にはハニートラップですか? と聞きたくなるような迫り方をしてきた者もいたけれど、その頃には聖女の事が気になっていたので勇者はそれらお近づきになりたい女性の誘いを全部断っていた。
それでなくとも常に共に行動しているのだ。そんな相手の目に映る自分は誠実であろうとなるのは当然とも言える。他に目もくれず聖女だけを好きだと伝えたからこそ勇者は聖女とのお付き合いができるようになったのだ。もし途中で別の誰かに目移りしていたら。その場の勢いに流されて他の女と事に及んでいたら。
きっと聖女は自分に見向きもしなかっただろう。
だというのになんでそんな言われようをされなければならないのか。ホント風評被害なのでやめてほしい。
というかだ、村人たちの様子を見ると、どうも何かおかしな認識をされてる気しかしない。そうじゃなければ故郷に錦を飾り帰ってきた賢者に対する態度だとか、勇者たちに向ける目だとか、明らかにおかしいのだ。
賢者はまだ何が起きているのかわからずに「え? え? 皆どうしちゃったの? 大丈夫?」だとか言っている。賢者と言うわりにこの女、魔法の使いどころは悪くないけれど、普段の様子を見る限りそこまで賢く見えないのが難点だった。いや、心根の優しい人物ではあるのだ。聖女も自分が聖女に選ばれなければきっと賢者が聖女になっていたかもしれない、とか言ってたし。
このままじゃあ多分話が進まないなと判断した勇者は、旅の中で培ったリーダーシップでもって「一体どういう事なんだ?」と問いかけた。それがきっと賢者にとってあまり良くない事だと思いながらも。
「――うわああああああん! そんなのってないよおおおおおお! なんで!? なんでぇええええ!? 私頑張ったのに! それなのに! それなのにいいいいいいい!!」
勇者が問いかけた事にこたえたのは村長だった。そしてそれを聞いて賢者はギャン泣きした。マジ泣きである。いい年した女がその場に座り込んでわんわん大声で泣くなんて滅多にない。幼子のように泣きじゃくる賢者に向けられる目線はどれもこれも同情というか、気まずさが多分に含まれていた。
賢者が結婚の約束までした剣士、なんと結婚していた。相手は隣にいる治癒術師である。
魔王討伐なんていう、下手したら旅の途中で死んでる可能性もあったものを成し遂げていざ帰ってきてみれば待っていてくれるはずの恋人はとっくに別の女と結婚しているとか、更にそのお相手の女は幼馴染であるだとか、賢者からすれば酷い裏切りであった。
これが例えばお互い連絡を取らずに勝手に自然消滅したと思われて、だとかであればまだ、お互いに言葉が足りなかったねで賢者も諦めがついたのだ。魔王を倒す旅は過酷で、途中で故郷の村の事など思い返す余裕もない、だとかで数年連絡も取らない間の出来事であったなら、まだ諦めもついた。
だが賢者は旅の途中、それはもうマメに手紙を書いて出していたのだ。故郷へ。旅の途中で得た金銭は仲間たちである程度分けていた。勿論必需品などの購入分は置いて、その余りを分配する。旅の中でのちょっとした――それこそ酒場で酒を飲むだとか、甘いお菓子を買うだとかの嗜好品はそういったところから各自で払っていたのだ。賢者は故郷では見る事もないようなお菓子に目を奪われてもいたけれど、それでもそれらを諦めて頻繁にレターセットを購入しては手紙を書いて出していた。
レターセットだけではない。手紙を届けるための料金もそれなりにかかるので、旅の中での賢者はほとんど贅沢らしい贅沢なんてしていない。聖女が見かねて自分が食べようと思って買ったお菓子を半分こにして分け与えたりしたことも何度かある。
旅の中、宿に泊まれず野宿をする事もあった。
そういった時にそれぞれの事を話してお互いに理解し合おうという事もあった。
その時に賢者が話した内容は大体が故郷の事で、村の皆が優しい事だとか、恋人の好きなところだとか、聞いていてイヤに思うような事は言わなかった。父親が厳しい事だとかは苦手だなと思っていたらしいが、それだって自分のためを思ってあえてそうしてくれているから、苦手だけど好き、とか魔王倒して帰ったら、自慢の娘だって褒めてもらえるかなだとか、まぁなんというか、賢者は勇者たち一行の中では全員の妹的ポジションであった。もしくは子犬。
捻くれる事もなく真っ直ぐな賢者を育てた村というのは、ド田舎とはいえさぞ素敵な所なんだろうなと勇者たちは思っていたというのに……まさかの裏切り。賢者から聞いていた話と大分違うのではないか? と思えてしまって勇者と聖女、剣聖の村人たちへの反応はやや悪い、という方へ傾いた。
大体とても頻繁に手紙を送っていたのだ。それに対しての返事が毎回でなかったのはまだわかる。これだけ田舎だとレターセットとかあるようには思えないし、ましてや旅をして移動している勇者一行への手紙の返信など料金もかさむ。裕福ならいざ知らず、基本自給自足っぽい村で賢者が出した手紙の分だけ返すのは無理だとわかる。
だが、それだけ頻繁に近況報告してるんだから、賢者の事は何があったかわかるだろうに。
仮に何か心変わりするような事があって結婚する事になったのだとしてもだ、せめてそれを手紙で伝える事はできたのではないだろうか。
勇者から見れば言葉足らずのすれ違いなんて話ではない。賢者は充分できる事をしていた。彼女の方に責はない。悪いのは恋人でありながら、きちんとした別れの言葉も言わずに別の女と結婚した剣士である。しかも他の村人たちの誰もそれを賢者に知らせていないとか、村ぐるみでやらかしてるのでこの村に対する好感度は現在進行中でダダ下がりだった。
例えば賢者に何か不満があって、そのうち別れ話をしようとか思ってたにしてもだ。魔王討伐の旅に出る事になってこれ幸いと思ったにしてもだ。最低限の筋は通すべきだろう。勿論、その言葉によって賢者のモチベーションが下がって魔王討伐とかどうでもいい、と投げやりになる可能性はある。だが、下手に夢を見せたまま最後の最後で突き落とす程の事を彼女がしただろうか?
人間性が劣悪な女であれば、村を出た時にこれ幸いと厄介払いをしたような気持ちになったかもしれない。けれど、賢者の人間性はどちらかと言えば善性。正直勇者よりも善人では、と勇者本人が思う程だ。本当に……よくこれだけ真っ直ぐに育ったものだよ……と時々感心する程には。
多分世の中の人間の大半が賢者みたいになっていたら、世界はもっと平和だと思う。
以前うっかりそんな事を聖女に言った事があるし、その時の聖女は即座にそれな、と頷いたものだ。
それだけではない。
何と賢者の両親を、この村の連中は追い出したというのだ。
家族のため恋人のため村の皆のため、といった感じで今まで戦いとは無縁だった少女は魔王を倒すという旅に出たというのに、辛いのも怖いのも痛いのも我慢して頑張った結果が恋人の裏切りと両親の追放とか、一体賢者が何をした、と勇者は思わず叫びそうになる。こんないい子他にいないぞお前らそんな相手に何て仕打ちを、という気持ちで一杯だった。
気分はすっかり賢者の兄か父親である。年代ほとんど変わらないのに。ちなみに聖女もまた賢者の姉か母ポジションを自称しているし、剣聖に至ってはでは私は親戚のお兄さんで、とか言う始末。
旅をしている途中で自分にもこんな娘がいたらなぁ、とか言われる率ダントツナンバーワン、それが賢者だった。ついでに旅の途中、剣聖の故郷に立ち寄る事もあって剣聖の婚約者とも賢者は会っている。そして剣聖の婚約者は賢者に対して「お姉さまとお呼びなさい」とか言っていた。それはもうぐいぐい迫っていた。
娘、もしくは妹ポジションは不動であった。
そんな賢者に対してこの村の連中が仕出かした仕打ちよ……
聖女と剣聖からは不穏な気配が漂っている。いざとなったらこいつら潰す、という内心の声が聞こえてきそうだった。
「なんで手紙で教えてくれなかったの。私のどこが悪いとかそういうのはもうさ、いいよ。でもさ、結婚したのはせめて教えてよ、お祝いとか、ぐすっ、うぇっ、お祝いとかぁ……」
ぼろぼろと涙を零す賢者に、勇者は思わず剣士と治癒術師を睨みつけてしまった。
そうだ、賢者は一見するとちょっとおバカっぽくも見えるが、別に本当に頭が悪いわけではないのだ。
もし剣士が心変わりをして賢者の今まで気にならなかった悪い部分が受け入れられなくなったとしても、既に治癒術師と結婚している以上そんなのを言われたって今更だ。だが、それでも好きな相手が選んだ相手との結婚。事前に知っていたらここに帰る前にお祝いの品を用意した事だろう。心が泣きたいくらい辛くても、それでも笑顔を浮かべて祝福するくらいの気持ちではいたようだ。
勇者がちらっと聖女を見れば、彼女の視線は道端に落ちてるう●こにたかるハエを見るような目だった。
修道院暮らしであった事もあってか、彼女は割と潔癖な部分がある。そして妹のように可愛がっている賢者が話していた素敵な恋人が、実はこんな不誠実野郎と知ればまぁ、そうなるのも無理はない。
神の裁きを受けなさい! とか言って聖魔法で攻撃していないだけまだ穏便であるけれど、それもいつまでもつかはわからない。
そこに更に両親を追放したとかいう追加情報。
魔王直属の部下を倒したと思った矢先更に別の役職持ちの魔族が強襲してきた時並に嬉しくないお知らせだった。魔王側は敵だからまだしも、味方だと思ってた人類側からのこの仕打ち。魔王倒す前にこんな目に遭ってたら闇堕ちも辞さない。そんな気持ちであった。
どうして両親を追放したのか。何か悪事でも働いたのかと問えば、村人たちは一層気まずそうに視線を逸らした。ぷるぷる震えながら答えたのは村長だ。
曰く、賢者の両親だから――
そんな理由だった。
そんな、そんな理由で。何故追放されなければならない。
しかも追放したのは二年前。丁度魔王軍との戦いが厳しくなってきた頃だ。
勇者たちは元々戦闘の素人だった。だからこそ最初に城で兵士たちに混じっての訓練をした。城には兵士や騎士、魔術師などがいたので、勇者たちに戦いのいろはを教えるには打ってつけであったのだ。
そこで一年程修行のような形で様々な事を叩きこまれ、実際に魔王討伐の旅に出たのが四年前。
丁度、旅の半分を迎えた頃と言われて勇者は顔を顰めるしかできなかった。
魔王軍もあのあたりから本気を出してきて、様々な刺客が襲い掛かってきた。明らかに戦いが激化したと実感できるのが、まさにあの頃だ。勇者たちを直接倒せそうにない魔族たちは他の人間たちの街や村を襲い、それらを討伐するために勇者たちは実に各地に駆り出される事となった。足止めとしてはまさにこれ以上ない程と言ってもいいし、嫌がらせとしても充分すぎる程に効果はあった。
辺境の田舎まではその猛威が襲い掛かる事はなかったようだが、しかしそれでも魔物たちも大分活性化していた。そんな最中に村を追い出されたとなれば、他の場所へ行くだけでも途轍もなく大変な事だっただろう。
生きているかどうかも……そこまで考えて勇者は頭を振った。やめよう、最悪な想像は。もしそれが本当の事になっていたら、流石に自分も冷静さを保っていられない。下手をすればこの村の連中を血祭りにあげるかもしれない。正直八つ裂きにしてもいいのでは? と思っているが、そんな事をすれば賢者が悲しむ。ましてや犯行動機が自分のせいだなんてなれば、別の意味でギャン泣きするのが目に見えている。
卑劣な罠を用いてきた魔族相手にもとんでもなく怒りを覚えたけれど、今抱いている感情はそれに近い。勇者は必死にその衝動を抑え込んだ。とはいえ、殺意はどうにか抑えても怒りは抑えきれていないのか、村人たちは怯えたように数歩後退った。
その様子に苛立ちを感じたが、勇者は何も言わなかった。口を開けばまず「何被害者面してんだてめぇら」とかいうガラの悪い言葉しか出てきそうになかったもので。
――と、その時ガラガラと車輪が回る音が聞こえてきた。同時に蹄が地面を蹴る音もかすかだが聞こえる。
あ、そういえば、と勇者はそこで思い出した。
聖女と剣聖も音がする方へと視線を向ける。
馬車。
それもやたら豪華な馬車が数台、村にやってくるところだった。
旅の行商人ではない。時折地方にはそういった行商の商人が訪れる事もあるが、豪華な馬車を数台率いてやってくるような行商人はいない。それだけの規模の馬車を率いて商売に来るにしても、こんなド田舎では有り得ないのだ。
馬車には小さな旗が立てられていた。その紋章を見て村人たちは驚愕の表情を浮かべる。
この辺り一帯を治める領主。その家の紋章であったからだ。
領主と直接顔を合わせた事のある者はこの村にはいない。領主からの報せは大体その部下の役目であり、こんな何もない村にだってそういうのは滅多に訪れない。精々税に関する事で報せが時々来る程度だ。
「感動の再会は済んだか?」
村の入り口で馬車が止まる。そうして馬車から身を乗り出してそんな事を言ったのは、何と領主本人である。鋼鉄の女と呼ばれる女傑であった。
彼女が馬車から降りる直前、その中に積まれていた品がちらりと見えたのか、数名の村人が息を飲んだ。少なくともこの村でお目にかかれないような品々だ。
動きやすい服装の女領主は、ちらりと視線を周囲に向ける。感動の再会、と自分で言っておいてなんだが、とてもそういう雰囲気ではなかった事には即座に気付いた。何事か、と問うよりも先に人当たりの良さそうな笑みを浮かべて一歩近づいたのは勇者である。
「お疲れ様です領主さま。これってあれですよね、例の」
「あぁ、そうだ。賢者の」
「それなんですけど。残念ながら賢者の故郷なくなっちゃったんですよ」
「なんだと?」
勇者の唐突なセリフに女領主は眉を顰めた。
「いや、ほら、賢者が故郷に帰るっていうから結婚祝いとか領主さま直々に届ける事になったわけじゃないですか」
「そうだな」
「でもこの村じゃなかったんですよ。数名知り合いはいるようですが……故郷、ではないですね」
「そうなのか?」
「えぇ、ここには賢者を健気に待ち続けている恋人なんていないし、ましてや賢者のご両親もいないんです。それなのに故郷だ、なんて大手を振って言えないでしょう? 結婚祝いの品だって、ねぇ?」
「確かに、そう、だな?」
何となく何があったのかを把握しつつある領主であったが、しかしそれを堂々と口に出すのは憚られた。だってそれは、それを口にすれば賢者が傷つきやしないだろうか。そう思えるだけの分別は持ち合わせている。いくら自分が冷徹で血も涙もない鋼鉄の女と呼ばれていようとも。
「なので俺たちそろそろここおいとまする予定なんですよ。賢者の故郷で一泊してから帰ろうかと思ってたんですけどね、残念です」
「そうか。窮屈だが馬車に乗るか? 何があったか詳しく知りたい。一晩泊まるならうちに来るといい」
「ありがとうございます助かります」
「さ、行きましょうか。あまり長居しても仕方ないし」
「え? でも」
「大丈夫だ。領主さまに頼んで君の両親を探してもらおう」
聖女が優しく賢者の肩に手を置いて、そのまま馬車へ誘導しようとする。事態が飲み込めていない賢者はその場で足に力を入れて踏みとどまろうとしたが、剣聖に言われた言葉に目的の優先順位が変わったのだろう。
「あっ、そうだ。お父さんとお母さん」
「よくわからんが、詳しい話は館で聞こう。それに、以前世話になったからな。その時の借りを返すべく力になろう」
領主も完全に事情を把握したわけではないが、それでも何となくは理解している。だからこそそう言えば、賢者は「ありがとうございます」と言ってそのまま馬車へと乗り込んだ。そうして勇者たちが馬車に乗り、あれよあれよという間に馬車はくるりと進路を変えて引き返していく。
それを見て顔を青ざめさせていたのは村人たちだ。何を言う間もないうちにあっという間すぎて、呼び止める隙すらなかった。いや、下手な事を言えば領主に対して不敬であるととられるのもあって、どちらにしても口を挟む余裕などなかったに違いない。けれど、勇者たちが領主の館でここで何があったのかを話せば。
ほんの僅かな時間ではあったが、勇者たちはここいら一帯を治める領主と面識があるようだったし、尚且つ何やら領主の助けとなったらしい。しかもあの馬車に積まれていたのはどうやら賢者の結婚祝いのための品であるとも察せられた。
そして、勇者たちは領主の館へ行きそこで何があったかを話すのだろう事もわかりきっている。
「おぉ……おしまいじゃ……この村はおしまいじゃぁ……」
足の力がすとんと抜け落ちて村長が崩れ落ちた。他の村人たちもガタガタと震えている。
いくらド田舎といえど、ここは領主の治める土地で、領主が許可しているからこそこの村の存在を許されている。名前をつけるまでもないようなちっぽけな村ではある。名産のようなものもない、特筆すべきものもない。正直無い方が領主としては余計な手間が省けると思っている節すらあるが、それでも滅ぼすまではしなかった。税を上げて重くすれば、こんな村あっという間に潰れるがそれすらしない状態だった。
だが、その結果としてこの村からは世界を救う英雄の一人となった賢者が現れた。
領主としてはそれを含めてこの村を役立てようと考えただろう。だがしかし、勇者が述べたように確かにここは賢者が生まれ育った村だけれど、今はもう故郷と果たして呼べるかも疑わしい。
彼女を育てた両親は村人たちにより追放され、彼女を待っているはずだった恋人は既に別の相手と結婚している。では、賢者が果たしてこの村に戻る意味はあるだろうか? 両親を追放した時点で賢者の家も取り壊されている。彼女の居場所は既にこの村にはないのだ。
「な、なんとか……なんとかするしか……」
震える声で呟いたのは剣士だった。
「そうね、今から急げば明日には領主さまのお屋敷に……」
治癒術師がやはり震える声で言う。
こちら側の事情を話せば……とは思うが、恐らくは事情というよりは言い訳だとしか思われないだろう。けれど、それでも。
何もしないわけにはいかなかった。
――さて翌日。
大急ぎで領主の館があるところまでやってきた剣士と治癒術師は、兎にも角にも領主への目通りを望んだ。もしかしたら追い返されるかもしれない。それでも、できるだけの事はしなければならない。
昨日の今日だ。
まだ賢者たちはこの中にいるだろう。追い返されたとして、それでもここで粘れば勇者たちと会う事はできるかもしれない。昨日はマトモに話もできなかったけれど、それでもせめて――
そう望んだからか、案外すんなりと二人は領主の館の中へ案内された。
豪華な椅子に座ってこちらを見ている領主はさながら一国の女王のような風格すら漂っていた。実際この領地に住む者たちからすればその認識は間違ってはいないのだろう。
二人はとにかく賢者への謝罪がしたいと言う以外なかった。
「大体の調べはついている。お前らがくだらない情報に惑わされた事もな」
ふん、と鼻を鳴らして言う領主に、二人は「あ、終わったな」と思った。恐らく既に賢者にもその話は通っている。領主だけではなく、少し離れた所には勇者たちが座っているのだ。こちらを見るその表情はなんとも言えないものだった。
事の発端、と言っていいかはわからないが、剣士と治癒術師は何も賢者を陥れようとして結婚したわけではない。魔王軍の侵略が未だ続いていた二年前、より少し前、ロクに旅人も来ないようなド田舎の村に、旅芸人が訪れたのだ。吟遊詩人を伴ったその一行は、日々魔王軍の噂くらいしか聞こえてこないその村で一時、心の慰めとなった。
吟遊詩人が語る英雄譚に胸躍らせたし、旅芸人たちの芸は暗くなりがちであった村の雰囲気を一時とはいえ和ませた。人の心を救う者が英雄と呼ばれるのであれば、彼らもまた英雄だったのだろう。
時折届く賢者からの手紙には、魔王軍のこういうの倒しただとか、どこそこの街を取り戻しただとかが書かれていたが、あまりにも遠くの地の出来事すぎて実感がなかったのだ。
だからこそ、訪れた旅芸人たちの話の方がより身近に感じられてしまったのかもしれない。
ある程度の芸と、歌。それらをたっぷり披露してくれた彼らは、しかし最後にとんでもない爆弾を落としていった。
それはかつて、今復活したとされている魔王が封印される前。先代勇者によってもたらされた悲劇。
今と同じようにスキルによって勇者として選ばれた若者と、その仲間たち。
彼らもまたお互い力を合わせて魔王を倒すべく旅に出た。
そこまでは、世間一般で知られている英雄譚と同じであった。
しかし違ったのはここからだ。
生まれた時から使命を背負っていたわけではない彼らは、しかし激しい戦いの中で精神を疲弊させていた。故郷で待つ者たちの事を思い頑張ろうと奮起しても、救うばかりで自分たちは救われない。そうして勇者たちはその重圧に負け、やがて身近にいる者たち同士で慰め合うようになってしまった。
そうなっても仕方がない、と吟遊詩人は歌っていた。
だって元はただの平民たちだ。崇高な使命を背負って生まれたわけでもなく、ある日授けられたスキルでそうなってしまった者たち。世界の命運というそれは、ただの平民にとってどれだけ重圧であった事だろう。
勇者は仲間たちと睦み合い、そうして魔王を倒すに至った。
だがしかし、その頃には勇者と関係を持った仲間たちは故郷で待つ婚約者たちの事を捨てる決心を抱いてしまった。自分たちが辛く苦しい時に、手を差し伸べる事もできなかった彼らに見切りをつけたのだ。
そうして勇者の仲間であった彼女らは、故郷にて待っていた彼らへ決別を告げる。
これは、英雄譚の裏側だと、実際にあった出来事なのだと旅芸人たちは語ってみせた。
これだけ聞けば悲劇だろう。
信じて待ち続けた者たちへの裏切り。
それはまさしく今現在の剣士と同じ状況とも言えた。
魔王退治に向かう賢者は手紙で近況を知らせているが、果たして本当にそこに書かれている事がすべてだろうか? もしかしたら心の支えにもならない自分に愛想を尽かせて勇者と慰め合っているのではないだろうか。
そんな疑いが芽生えてしまった。
勿論、旅芸人と吟遊詩人の言葉を何もかも信じたわけじゃない。
作り話ではないのか、悲劇的な内容であればそれだけで大衆は悲劇に見舞われた側へ感情移入する。そうなってしまえば、本当だろうと嘘だろうと、観客からすればそこはどうでもよくなるのではないか。だって面白ければそれで芸としては間違いないわけなのだから。
そんな風に疑ってかかった剣士に、しかし吟遊詩人は言った。
これは本当にあった事で、私はその捨てられた者の子孫なのだと。
ご先祖様の手記が残っていると。
すっかり古びてボロボロになりつつあるそれを、剣士は見せられた。
吟遊詩人の語りはまだマイルドであったのだと思える程の内容が、そこにはあった。
古びた手記。随分と昔のものであるなとは剣士も思った。これだってもしかしたらその内容に信憑性を持たせるだけの作り物かもしれない、と疑っていたけれど、そこに書かれた内容はとてもじゃないが作り物とは思えない程リアリティに満ちていた。
勇者たちと故郷へ戻ってきたかつての婚約者。
しかし彼女から突き付けられた別離の言葉。
既に心だけではない。身体も勇者のものになったのだと言われた時の、筆者の絶望感。
信じたくない。だが目の前の現実はそれが嘘ではないと嫌でも突き付けてくる。
そしてあっさりと捨てられた男。
その後の後悔、苦悩が綴られたそれは、作り物にしてもあまりにも悲壮感が溢れすぎている。
それから随分後にそんな自分を支えてくれた伴侶との出会い。生まれた子供への愛おしさ。
もし、もしいつかまた同じような人類に対する脅威が現れた時、自分に近しい誰かが勇者やその仲間として旅立つかもしれないという恐れ。
離れ離れになった時の事を考えれば、こんな自分の恥でしかない過去でも何かの役に立つかもしれないと、この手記は子孫へ残す事にしたという締めくくり。
あまりにも赤裸々なそれを見て、剣士は想像してしまったのだ。
魔王を倒した賢者が村に帰って来て、そこで昔からの約束で自分と結婚するのではなく、勇者とくっついたからという別れを伝えにきた時の事を。
まるで汚物でも見るような目を向けて、恋人であった事すら汚点だと言い放つ賢者の姿を。
想像しただけで耐えられなかった。
冷や汗なのか脂汗なのかもわからない汗がどっと出て、捨てられる自分という未来の姿を想像したら目の前が真っ暗になった。
自分が一体何をしたというのだろう。
できる事なら自分だって賢者と共に旅に出たかった。けれども自分は剣士で、きっと魔王軍との戦いでは足手纏いにしかならない。それならこの村に残り、時折訪れる魔物を退治して村を守ろうと決めたのに。
彼女が帰ってくるこの場所を守るのだと決めて残った事は賢者も知っている。旅立つ前にお互いにそう話したのだから、賢者がその事を知らないなんて事もない。
けれどそれでも、それだけでは駄目だというのなら、どうすればよかったのだ。
無理にでもついていって、旅の途中で彼女を庇って死ねばよかったのか。
そうして、結局役に立たなかったと後で蔑まれなければならないのか。
賢者はそんな事をしないと思いたくとも、手記に書かれたそれがあまりにも生々しくて剣士はすっかりその雰囲気に呑まれてしまっていた。だが、その事実に剣士はその時気付いてすらいなかった。
最早これは未来の預言書のようにも思えてしまったのだ。遠くない未来に確実に自分に訪れるものだと思い込んでしまった。
そしてまた、その場にいた村人たちもその手記を見て、あまりの内容に誰もが言葉を飲んだ。
あんまりよ! と叫んだのは治癒術師だった。
どうして剣士がこんな目に遭わなければならないの!? と髪を振り乱して言うその姿は、いっそ鬼気迫っていた。これはあくまで過去の遺物だというのに、治癒術師もまたこの通りの事がいずれ起きるのだと信じ込んでしまっていた。
華やかな英雄譚の裏側での悲劇。
英雄譚が憧れを抱く内容であったばかりに、その裏側の悲惨さが際立ってしまった事もあるのだろう。
娯楽慣れしていない村人たちはすっかりそれに飲み込まれてしまっていたのだ。都会で観劇や演劇などの娯楽に慣れていれば、まだ完全に信じ込むまではいかなかっただろうに。
旅芸人たちが舞台の上ではなく、村人たちと割と近しい距離でこれらを語ったのもその雰囲気に呑まれる原因だったのかもしれない。遠くの舞台でやっていれば、まだこれも一つの演目だと思い込めただろう。けれどもあまりにも近い距離で語られ、直に手記を見せられたのが悪かった。悲劇の舞台に彼らは知らず上がっていたのだ。旅芸人たちがどこまでそれを計算してやったのかはわからない。
だがしかし、村人たちが信じ込んでしまった事に変わりはない。
このままでいられるか。
村人たちの視線は賢者の両親へと向けられていた。
賢者の両親は、確かにその手記に書かれている事が事実なら酷い話だと思えたが、だからといって自分たちの娘がそうなるとは到底思えなかった。そんな、道理も何もないような人間に育てた覚えはない。いくら辛く苦しい旅路であったとしても、あの子はきっと役目を果たして帰ってくる。そして恋人と結ばれるのだと信じていた。
だが、そう信じていたのは両親だけで、それ以外の村人たちはそうではないと思い込んでしまっていた。今まで、この村で過ごした賢者となった少女の事を極悪人のように話しているその姿に、両親は反論したけれどそれが聞き入れられる事はなく、あっという間に村から追い出されてしまった。
賢者の両親のその後の行方は村人たちの誰も知らない。知ろうとも思わなかったからだ。
次にやらかしたのは賢者たちが暮らしていた家を取り壊す事だった。
こんな奴らの家など残しておく必要がない! そう、思い込んだ結果だった。もっと冷静に考える事ができていればそんな事をしなくても済んだだろうけれど、村人全員がその場の雰囲気と勢いで行動していた。
これで賢者がここに戻ってきた時、奴が仮に居座る場所などありはしない。
手記を読んだ後はすっかり賢者が勇者とくっついてここには剣士との決別のためにやってくるものだと思い込んでいたけれど、それでも頭の片隅で賢者が普通にこの村に戻ってくる可能性も考えてはいた。とはいえ、大半が無意識であったのだが。
勇者とくっついたから、あんたとの結婚の約束なかった事にしてちょうだい、なんて賢者が言い出した時に無様に縋りつくような真似は剣士もしたくなかった。
勇者がどんな顔をしているかはわからないが、それでも世界を救った英雄だ。そんなのと村を守るだけで精いっぱいだった自分とを比べたとして勝ち目なんてあるはずがないではないか。
その時にお前がそんな女だったとは思わなかったよ、なんて吐き捨てるように言ったとしても負け惜しみにしか聞こえないだろう。
そしてこれもまた勢いだった。
治癒術師が剣士に結婚しましょう私たち、と持ち掛けたのだ。
治癒術師は元々剣士の事を少なからず想っていた。けれど賢者と剣士がお互い思い合っていたからこそ身を引いた。けれど、もし。
もし、賢者が勇者とくっついて裏切るのであれば。
それならば。
貴方がそんな事を言いだす前に既にこっちは結婚したのよ、とでも言えばいい。
捨てたのではなく、捨てられたのだと突き付けてやればいい。
そんな黒い思いが渦巻いていた。
しかも相変わらず手記の内容引きずってる村人たちはそれはいい案だとばかりに祭り上げてしまった。
そうしてあれよあれよという間に二人は結婚したのだ。
剣士にしても治癒術師の事は長い付き合いだ。そして村に残された者同士、時に魔物を追い払ったりしてなんだかんだ過ごす時間が増えていたのも作用したのかもしれない。
結婚に至る理由が愛だとか恋だとかではなかったけれど、それでも同じ思いを抱えた者同士、何だかんだ上手くいってしまった。
その後は賢者からの手紙を見てお互いに白々しい……なんてもう既に勇者とくっついてるのだろうと思い込んだ感想を零したり、戻ってきた時にビシッと現実を突き付けてやろうな、なんて話したりもしていた。
旅芸人と吟遊詩人たちは一通りの演目を終わらせた後は速やかに別の町へ行くと言っていたので彼らと過ごした時間は思っている以上に短い。けれど、あの一件ですっかりこの村の者たちは賢者は剣士を裏切ったのだと信じてしまっていた。
月日が経過して魔王が倒されたという報せが届いても、いよいよか……としか思わなかった。
そして賢者が帰ってきた時、仲間たちを連れていたのを見て彼らは思う未来がやってくるのだと信じて疑ってすらいなかった。
だがしかし実際は……賢者は剣士を裏切ったりなどしていなかったし、勇者も賢者と一線を越えたりはしていない。
かくして、結果は村人たちがとんでもない仕打ちを仕出かしたという事実が残ったのである。
あの旅芸人と吟遊詩人が村に来なければ……と領主の館に来るまでに剣士も治癒術師も思わなくもなかった。だが、あの時は村の暗い雰囲気を明るくしてもらったのだ。あのままずっと魔王が倒されるまであんな空気であったのなら、別の意味で精神的に病む者が出ただろう。
旅芸人たちは過去に実際にあった悲劇を伝えただけで、お前らもそうなると明確に言ったわけじゃない。あいつらが悪いんだと言い切るには無理があった。
結局の所、雰囲気に呑まれてやらかした村人たちが悪い、となるのだ。
そういった事情を話せば、賢者はふんふんと頷いていた。
勇者は「過去にやらかした勇者のせいで俺までそういう人間だと思われるの心外なんだけど。じゃあ何か、過去に仲間見捨てまくった剣士がいたとして、お前も剣士だからそういう人間なんだって言われたら肯定すんのか、しないだろう。それとこれとは別ってなるだろ」などとのたまって、言い返せない剣士と治癒術師はひたすら身体を縮こませるしかない。
「そうだな。今となっては何を言ったって言い訳にしかならない。だがこれだけは言わせてほしい。
本当にすまなかった!!」
がばりと頭を下げて剣士が、そして治癒術師が「本当にごめんなさい」と上辺だけではないとわかる謝罪をする。二人はこれだけの事をしたのだから、許してもらえなくても仕方がないと思っていた。ただ、これだけの事をして謝罪の言葉一つしないというわけにもいかない。結果はどうあれそれはもう村全体で受け止めるしかないのだ。
賢者の両親を追い出したのは事実だし、ましてや結婚の約束をしていた相手を信じる事なく別の――それも賢者とは友人であった治癒術師と賢者に何の報せもなく結婚までしたのだ。
もし自分が賢者の立場なら、許せるはずもない。
この場で殺されたって仕方がないと剣士は思っていた。
まるで夢から醒めたように、今まで賢者を悪だと思っていた感情は綺麗に消えていた。そして残されたのは自分の方こそ悪であるという意識と、どうしようもない程の罪悪感。
そんな二人の謝罪に、聖女は一体どうするのだろうとはらはらしながら賢者を見た。
昨日、酷い裏切りに遭ってギャン泣きした賢者ではあるが、今はそんな事もなかったとばかりに大人しい。
まるで嵐の前の静けさのようだ、と思ってしまった。
「まぁ、仕方ないよね。その程度だったんだから」
これといった感情が浮かんでいない声。
それがどういう意味で言われたものなのか、いまいち理解できずに剣士と治癒術師は賢者を見た。その表情には怒りも憎しみも浮かんでいない。道端で誰かとすれ違った時のような、興味も何も抱いていない表情だった。
「私はさ、いっぱいお手紙出したわけじゃない。でも、それも疑われてたんでしょう? 隠れて勇者と、なんて思われてた。生まれてからずっと一緒だった私の言葉は信じられなくて、たまたま村に立ち寄った旅芸人と吟遊詩人の言葉の方が信じられると思っちゃった。一緒にいた時間なんて意味がなかったんだよね、今までの思い出も無駄でしかなかったんだよね。じゃあさ、もうどうしようもなくない?
私の帰る家はあの村にはない。待っててくれるはずだった両親はいない。結婚の約束をした大好きだった人もいない。
私の故郷はなくなっちゃったから、もうない。私の故郷とよく似た村の人、貴方たちは私に何の用なんですか?」
冗談でも何でもなく、本気でそう言っていた。
もう賢者の目の前にいる剣士も治癒術師も、賢者にとっては見知らぬ他人も同然だった。
他人が、なんでかわざわざ領主さまにお目通りして何故か私に謝罪をしてくる。変なの。
本気でそう思っている顔だった。
「あ……あ、ぁ……」
「ごめん、ごめんなさい……」
今までもわかったつもりではいた。自分たちが賢者に酷い事をしたというのを。
しかし、そうじゃなかった。
わかった『つもり』でしかなかったのだ。
自分たちのやらかした行いは、賢者の心を壊してしまった。
そう気づいた剣士と治癒術師はびっくりするくらい顔を青ざめさせたまま、ただひたすら謝罪する事しかできなかった。だがその謝罪の言葉も賢者にとっては意味がない。赤の他人が、どうして関りもない自分に謝ってくるのか。理解できない。そんな態度の賢者には、どれだけの言葉を尽くしたところで伝わるはずがないのだ。
埒が明かないと思われた領主によって、剣士と治癒術師は館から追い出された。
これからあの二人は重い足取りで故郷の村へ帰り、そしてこの顛末を村人たちに伝えるのだろう。
伝えない、という可能性もあるが村の人たちだってどうなったかを知ろうとするだろうし、最終的に二人はどうあってもここでの出来事を言わされるはずだ。
魔王が倒れ、世界は平和になったはずだけど。
あの村だけはきっと真の平和は訪れないのだろうな。
聖女は憐れみに近い感情を抱きつつも、けれど本気で可哀そうだとは思えなかった。
心が壊れたと思われた賢者だが、別にそういう事はない。
賢者は基本的に人懐っこく普段は小型犬みたいな愛嬌を振りまくタイプだが、根っこの部分は思った以上にドライである。好きな相手には愛嬌たっぷりに接するし、今までは村の人たち全員がその対象だったから気付かれなかっただけだが、どうでもいい相手にはびっくりするくらいドライなのだ。そして、賢者の中では家もなくなったし両親もいないし好きだった恋人がいなくなってしまったという認識のあの村の人たちに関して一気にどうでもよくなった。ただそれだけの話だ。
勇者たちはその圧倒的ドライな賢者を見ていたため別段驚いたりはしない。
魔族との戦いで最初に見た時はまぁ、驚いたけれども。
とはいえ賢者はそういう奴なのだ、と理解してしまえばどうという事はない。
だが、そんな一面を見る事のなかった村の連中からすれば、そういうわけにもいかなかったのだろう。
精々無駄に罪悪感を抱えてこれから先生きていけばいい。
勇者も聖女も剣聖も、あの村の連中に同情などしない。
自分たちが一体何のために必死こいて戦ったと思ってるのだ。そりゃあ、あの村の人のため、とかいう思いはなかったけれど、魔王が勝利していた場合人類はほとんどが死ぬ。生きていても魔族に隷属して生きていくしかないだろう。そうなれば、自分の大切な誰かが悲しむ事になる。世界を救うのは巡りまわって自分のためで、自分の大切な誰かのためで、大切な誰かの更に大切な人のためだ。
そうしていざ故郷へ凱旋して裏切られていたらと考えると、勇者ならば確実に新たな魔王として人類を滅ぼそうとか考える。しかも裏切られた原因が直接自分にあるわけじゃないのであれば尚更だ。
「賢者……お前これからどうするんだ?」
こうなってしまった以上、その質問は当然の流れであった。
「どうって言われてもなぁ。帰る場所なくなっちゃったし……折角だから、あちこち旅をしてみるのもいいかもね。今までは魔王を倒すためだったけど、今はもうそんな事しなくていいし。ゆっくり世界を見るのも有りかなって」
「……うち、来るか?」
「そうですよ、賢者一人くらいなら全然問題ありませんよ。うちの妹になればいいと思います」
「新婚さんのお家に早々お邪魔するのはちょっとなぁ。私邪魔したいわけじゃないんだよ」
「邪魔なわけあるか! うちのおふくろだって喜ぶから! むしろ俺みたいな息子より賢者みたいな娘が欲しかったとかいうくらいだし!」
「そうですよいっそ養子として私たちの子になればいいじゃないですか!」
「同年代の両親はちょっと……」
困ったように眉を下げて笑う賢者に、領主が「何ならうちで暮らしてもいいんだぞ」とか言っていたがそれはスルーされた。
というか思った以上に聖女の圧が強い。このままでは妹か娘にされてしまう。実際の年齢は賢者の方が数か月程ではあるが上だというのに。
「賢者、本当にいいのか? 何ならあの村領主権限でぷちっと潰すくらいはしてもいいんだぞ? どうせあの村からの税収ほとんど無いし。あの場所に人がいても防衛面でも特に何にも貢献してないし、正直無くても困らないくらいだからな」
改めて領主が問いかければ、賢者はうーん、と首を傾げた。
本来ならば、あの村を勇者の仲間である賢者の生まれ故郷として大々的に知らしめるつもりだったのだ。英雄の故郷、となればまぁ、何もなくても観光に訪れる者は出るだろう。素朴で長閑な村、というそれだけで、そこで暮らしていた英雄の人となりを勝手に想像するだろうし、観光地として何らかの商品でも開発しておけば折角来たのだ。記念にと買う者はいるだろう。
そうやって多少なりとも儲けが出れば……などとも考えてはいたのだ。
あの村の連中が台無しにしてくれたわけだが。
流石に賢者が住んでた家もなく、血縁でもある家族もいない、では話にならない。
結婚の約束をしていながら裏切った男がいる、とか言われてもどうしろと言うのだ。そんなの観光の目玉にもなりやしない。
というか、外聞が悪すぎるので正直あの村の存在まるっとなかった事にしたい。
賢者以外の仲間や勇者の故郷だって恐らくは観光地とされるだろうし、そうなれば各地で多少なりとも経済効果が見込めたはずなのに……自分の領地だけこれとか精神的に赤字である。
「あの村は潰す必要ありませんよ。それよりも、お芝居にしちゃいませんか?」
「芝居?」
領主の目論見を賢者は察していた。普段はあまり賢いような感じじゃないくせに、妙なところで察しの良さを発揮するのはどうなんだろう。
「はい。旅芸人の人たちもご先祖様のあれこれを演目にしたわけじゃないですか。じゃあ、今回の魔王討伐から故郷への凱旋までをお芝居にして各地でやっちゃえばいいんです。
魔王を倒して英雄と讃えらえた人が、その後の人生幸せに暮らしたかと思いきやまさかの悲劇。
その悲劇の根幹にはかつての勇者の悪行があった。けれどもその時の勇者と今の勇者は別物で、こっちに非はなかったわけでしょ? その悲劇性を上手く演じられれば、そこそこ盛り上がるんじゃないですか?
皆人の不幸好きでしょ? 悲劇のヒーローヒロイン、大いに結構。
でも、その悲劇は誰にでも起こり得るかもしれない。だって、スキルや役職でそうみられてしまったわけなんだから、いつまでも他人事でいられるはずもない。
魔王は倒したけど、あれとは別の魔王がひょっこり数年後に生まれ出るかもしれないわけでしょ? そうならないに越した事はないけど。なら、次の勇者様ご一行がおかしな風評被害に遭わないためにも今のうちに草の根活動しておくべきかな、って」
「言われてみれば勇者ってだけでやたら女に言い寄られてたけど、あれもしかしてその旅芸人とか、それ以外のところで前の勇者のあれこれが広まってたからか……? だから女食い散らかすとか思われてた……ふざけんな風評被害だし俺からすれば理不尽極まりないぞそれ」
大体勇者のスキルを授かったからといっても、生まれてくる子が同じように勇者になるとは限らない。というか、その可能性はとても低い。
優れた遺伝子とかそれ以前の話だ。別のスキルを授かるかもしれないのだし。
優秀な両親から生まれても、スキルがしょぼかったら色んな意味で残念な事になる、なんて話もよく聞くのだから。
賢者の提案を聞いて領主はしばし考え込んだ。
正直あの村の存在は今となっては邪魔でしかない。とはいえ、一方的に潰そうとしてもそれはそれで面倒な事になる。
だが、賢者の言う通り今回の出来事をそのまま演劇にして各地で公演してしまえば……?
魔王を倒した英雄たちのその後の話なんて、中々知る事もない。身近なところで暮らしているとかであればまだしも、そうでない土地の人間からすれば多少なりとも興味は引けそうだ。
劇の最後はさよなら私の故郷……とかいう感じで賢者は一人放浪の旅へ……みたいな事にしておけばどうにかなる気がする。というか実際今まさにそんな感じになりそうなわけだし。
この演劇が人々の間で広まれば、あの村の連中はますます肩身が狭くなるだろう。
そうして勝手に義憤に駆られた者が何やら暴走して結果あの村が消えたとしても、領主としては特に痛むものはない。やりすぎであればこちらも兵を動かす必要はあるかもしれないが、そうして村が滅んだとしてもまぁ、それはそれで一つの悪は滅んだとかそういうオチにしてしまえばいい。
領主の中では既にその案はほとんど決定されていて、知り合いの脚本家に話をつけるところまで予定に入っている。
本当にいいんだなと念を押せば、賢者はぺかっと輝かんばかりの笑顔で頷いた。どうでもいい村の存在がどうなったとしても、心底どうでもいいという心の表れであった。
――結果としてこの演劇はブレイクした。
魔王を倒した勇者たちのその後の話、となれば興味がないわけではない。
四人は幸せに暮らしました、というハッピーエンドだろうと高を括って観に行った者たちは予想外の展開に何て救われない……と賢者へ同情票が鰻登り。なんで魔王倒した英雄なのに幸せになれないの……? と嘆くのは当然の流れ。
勇者と聖女は結ばれたようだし、剣聖も故郷の婚約者と結ばれたというエピソードがさらっと語られたというのに賢者だけがひたすらに報われないのだ。
行方知れずの両親。
居場所を失った故郷。
裏切った婚約者。そして友人であった女。
その原因は先代勇者が仕出かした行いが原因であるとなり、元凶は既に大昔に死んでいるという時点で怒りの矛先を向ける場所がない。
そんな話を広めた旅芸人や吟遊詩人が悪かと言われれば、彼らもまた被害者ではあるのだ。先祖の無念を晴らそうとしている、と言われれば否定はできない。
演劇を見た後、大半の者たちは今どうしているのかわからない賢者の幸せをそっと祈った。
そして賢者の故郷であった村についてだが。
そちらは緩やかにではあるが衰退していった。
まず以前は時々ではあったが訪れていた行商人がぱたりと来なくなった。金になれば多少あくどいことでも平気でできるという商人はいるけれど、この村に旨味はない。だというのにそんな所と関われば、自分にまで悪評がつくのではないか、と考えれば立ち寄りたいとも思えなかった。損得で考えればこの村との商売は損にしかならない。金があるわけでもないので、商品を高額で吹っ掛けても売れないのもわかりきっている。
村は自給自足ではあったけれど、それでも足りない物はある。そういう時は他の町や村まで行って商品を入手していたが、あの村から来た、というだけで関わろうとする者たちが減った。
世界を救った英雄相手にあんな真似ができるなんて……一体どんな風になればあんな酷い人間になれるんだろうねぇ……実はあいつら人間じゃないのではないか? 魔族の血を引いていたりして……無責任な噂は無責任のままどこまでも広まった。
ロクに商品を売ってもらえず、外に出てきても関わりを拒絶される。
緩やかに困窮していき、恐らくそう遠くないうちに村は滅びるだろう。
村を出ようとした者もいたけれど、他の町や村で新たな生活をしようとしても、あの村出身、だとかあの村で暮らしていた、というだけで無責任な噂は常に付きまとった。
賢者の両親は村から追い出されたが、今度は彼らがこの世界という居場所からつま弾きにされる事になったようだ。
領主に助けを求めた村人もいたようだが、領主は見限っている。こうなった原因は村の連中の自業自得だ。
彼らが現状を打破するには、村の中だけで生活を完結させるしかない。外と関わらなければ、まだ穏やかな日々が約束されているのだから。だがあの村だけで充分な暮らしができるかは難しいところだ。
村はあと数年もてばいい方だろう。
――旅に出る、と言っていた賢者だが。
実際彼女はそのつもりだったが旅に出る事はなかった。
その切っ掛けは剣聖の言葉だった。
「そういえば一年ほど前に婚約者の家で新たな使用人を雇ったそうなんですよ。秘書のスキルを持つ女と執事のスキルを持つ男。二人は夫婦でしてね。娘が一人いるのだとか。遠い地で暮らしていたようですが、ある日村をほとんど言いがかりのような事で追い出されてしまったようで。行くアテもないまま放浪して野垂れ死にそうになってたところを婚約者が拾ったようです。
どうです? 一度顔を合わせてみては」
賢者の両親のスキルを、娘であった賢者は幼い頃に一度だけ聞いていた。
母は秘書。父は執事。だというのにあんな辺鄙な村で暮らしていたのはどういう事だろうと思ったが、何か事情があるのだろうと思い深くは聞かない事にしていた。だが村を追い出されたと聞いて、もっと事情を深く聞いておくべきだったと賢者は内心で後悔していたのだ。
探そうにも何の手がかりもないまま。アテもなく探すなんて、土台無茶な話だ。
「私も、その話を思い出したのは割と最近でして。聞いた時はなんとも思いませんでしたが、ご両親が村を追い出されたと聞いてもしかして、と思いまして」
そうだ。旅の途中、賢者たちはお互いの事を理解するべく色んな話をしていた。
その時に親の事だって話していたし、だからこそ剣聖はそれを覚えていた。
まさか両親が村を追い出されていたなんて知るはずもなかったので、婚約者が人を新たに雇ったと聞いた時はその二人がそうだ、なんて思いもしていなかった。
中々に有能ですのよ、なんて言っていた新しい使用人がまさか妹認定している賢者の両親だなんて、婚約者も思っていなかっただろう。
結果として、賢者は案外けろっとしていた両親と無事再会する事ができた。
できたけれど、その事実を公表する事はなかった。自分たちをネタにした演劇で更なるネタを追加させても蛇足だろうと思えたし、だったらわざわざ知らせる必要はないなと思ったのだ。
あの演劇で、賢者が幸せになれますようにと祈る者は増えた。
その祈りが届いたのかもしれない。だが、賢者が両親と出会えたことで、それを知った村人たちが戻ってこないか、なんて言いだす可能性もあった。あの村は衰退していく真っ只中で、どこかへ逃げ出したくても逃げられない状況に陥っている。それをどうにかするためには、賢者たち一家が戻ってくれば解決するのではないか、なんて思われたら。面倒ごとの予感しかない。
両親はもうあの村に戻るつもりはないようだし、賢者もそれは同感だ。
現在の賢者は両親と同じく剣聖の婚約者の家でメイドとして働き始めた。
賢者としてのスキルはあまり役に立たない仕事ではあるけれど、中々に充実した日々を過ごしている。
勇者と聖女の結婚式にも参加したし、剣聖とその婚約者の式だってその日だけはメイドとしてではなく友人枠で参加させてもらった。自分の親しい人たちが幸せそうなのを見て、賢者にとってはそれで充分だったのだ。
自分はもう結婚とかそういうの縁ないだろうなー、なんて思っていた。出会いがそもそもない。剣聖の妻となった人の家では独身男性がいないわけでもなかったが、恋人がいたり年が離れすぎていたりで恋の予感も何もあったものではない。
とはいえ。
この更に数か月後、剣聖の妻に、
「わたくしの母の弟の妻の妹の息子さんとちょっと会ってみませんこと?」
とか言われて若干混乱しつつも会ってみた結果、何だか気付いたら自分も結婚する事になるだなんてのは。
この時点での賢者には知る由もない事なのである。
演劇で世界中に悲劇のヒロインのように知られていた賢者のその後の人生が、概ね幸せに満ちていた事は――公然の秘密というやつであった。