恋の始まり
整えられたベッドと長椅子の横にはサイドテーブルが置かれ、水差しとグラスが
置かれていた。
クロードはセシルを抱いたまま室内を横切り、長椅子の上に、そっとセシルを降ろした。
そして、そのままセシルの前に跪くと抱きしめた。
「無事で良かった・・・」
肩口に顔を埋められ、ホッとしたように漏れた吐息が首筋をくすぐる。
抱きしめられている状況に驚き、身を捩るがクロードの腕は緩まなかった。
流石に、嫌われていても幼馴染なのだから心配してくれたのだろうか。
間近にある熱に混乱しながらも、心の片隅に喜びを感じしまう。
しかし、幼馴染としての心配から何時までも抱きしめられているわけにもいかない。
付添人もおらず、ドアもしっかりと閉じられた現況は褒められたものではない。
「あ、あの、クロード様、もう大丈夫ですので」
言外に離してくれないかとお伺いを立てるが、クロードは離してくれるどころか
腕の力を込めてしまう。
「ク、クロード様!?」
緩まない拘束にセシルの頬が赤く染まっていく。
同時に。クロードはどうしてしまったのだろうと不安になってくる。
そんな中、クロードはポツリポツリと話し出した。
「君が会場に入ってきた時から、妖精だと思っていた」
「えっ?」
セシルにはクロードの言葉を直ぐには理解できなかった。
「でも、近くで見て、あまりに可愛くて、他の男どもも君を見ているかと思うと
素直に褒めることもできなくて、あんな風につっかかってしまった。
本当にすまない」
「えぇっ!?」
耳に飛び込んでくる単語の一つ一つは理解できるのに、その内容を文体として
理解できないでいた。
更に混乱し始めるセシルを尻目にクロードの独白は続いていく。
「さっき、あの男に君が触れられるのを見て、怒り狂うところだった。
君の肌に触れるあの男の手を切り落としてしまいたかった」
耳元で囁かれるクロードの言葉が異国の言葉のように上滑りしていく。
聞こえているのに理解が追い付かない。
「でも、その時、唐突に悟った」
「えっ?」
セシルを抱く腕にさらに力がこもる。
その腕の力に戸惑いながら、彼は何を悟ったのだろうかと疑問に思う。
「いつまでも君に対し、素直になれず、思いを告げずにいれば、そう遠くない未来に
ああやって他の誰かが君を攫っていくのだと。
そして、私にはそんなことは絶対に許せないし、耐えられないと」
クロードは肩口に埋めていた顔を上げると、セシルをジッと見つめた。
「セシル、君を愛している、ずっと君だけを見ていた。
お願いだ、私と結婚してくれないか?」
セシルは驚きに目を見張った。
目の前にいるはずのクロードは、今までの彼とまるで別人でその言葉をにわかに
信じることが出来ない。
「結婚?」
「あぁ、まずは婚約からになるが」
「でも、貴方は私を嫌って・・・」
「嫌ってなどいない!」
「でも、幼い頃は意地悪ばかりだったわ。
それに最近は不機嫌そうで、嫌味ばかり・・・」
「幼い頃は君の泣き顔が可愛くて、それを見たくてからかってばかりいた。
だから、エドワードが君をからかうと、私も便乗しては君を泣かせていた。
そして、その内にエドワードは君が泣き出すと母上たちに叱られるからと
君を放置して屋敷に戻るようになったから私が君と手を繋いで屋敷へと戻る
ようになった。君と手を繋げることが嬉しくてからかうことを止められなくなった」
「嘘・・・」
「不機嫌で嫌味ばかりだったのは、君を見ていると自然と顔が
ニヤけてしまうから、わざと眉間を寄せて不機嫌に見えるようんしていた」
「わざと、あんな・・・」
「嫌味は・・・何時も君が可愛くて、愛おしいと思っていたのに素直に
言葉にできなかった。私が言葉にできないのに他の男どもは君を容易く
口説こうとするから、苛立って、その苛立ちを君にぶつけてしまった。
本当にすまない」
「可愛い・・・私が?
こんなに太っているのに・・・」
「私は君が太っているなんて思ったことはない。
柔らかそうで、触り心地が良さそうで・・・隙あらば触れたいと思っていた」
信じられないと首を振るセシルの前で、クロードの耳は真っ赤に染まり、
その頬まで赤く染まり出したので、真実味を増し始めた。
「今日だって、無防備に晒された首筋や露になった鎖骨に喰いついて
しまいたくて仕方がなかった」
「くっ、喰いつく・・・」
あまりの内容にセシルも頬を赤く染めて、恥ずかし気に俯いてしまう。
異性との接触もなく、幼い頃から一緒だったクロードの態度も冷たいものだったので
セシルにはこんなことに対する免疫が全くなく戸惑うばかりだ。
「今も頬を染める君に触れたいし、赤く染まった耳を食んでみたい。
これでも必死に理性を働かそうとしている」
「ひぃっ・・・」
セシルは思わずビクつき、後ずさるようにお尻を動かすが、クロードの腕は
相変わらずビクともしない。
「怯えないで、セシル。
私はもう二度と君を傷つけたりしない。
ずっと大事にする、これまでのことも償う。
だからどうか、君を愛させて欲しい」
そっと視線を上げると、クロードはセシルを見つめたままだった。
その瞳は真剣で、真っ赤になった顔も合わせて、嘘を言っているようには、
見えなかった。
「・・・もう、嫌味は言わない?」
「絶対に言わない、セシルが止めてくれと言っても心のままに愛しさを
口に出し続ける」
「もう、不機嫌にならない?」
「心の感じるままにいたら、君に微笑み続けてしまうな。
人は可愛いものを見ると、頬が緩むものだから」
目を合わせ、言葉通りに甘く微笑まれ、その笑顔の甘さに胸が高鳴っていく。
そして、セシルもクロードを信じてみようと思えるようになった。
「ずっと、ずっと好きでした。
今でも、意地悪されても好きでした」
「セシル・・・」
更に引き寄せられ、二人の距離は鼓動が聞こえるまでに近くなる。
「ありがとう、セシル。
結婚、してくれるね?」
「はい、喜んで」
「マイヤー伯爵夫妻には改めて、ご挨拶に伺うよ。
私の両親にはこれから報告で良いかな?」
「これからですか?」
「もう、待ちきれないからね」
展開の早さについていけず、セシルは頷くことしかできなかった。
☆☆☆
会場であるホールに戻った際に、歩き進める度にざわめきが起きている
気がした。
ウェイザー侯爵夫妻はちょうど、エドワードと歓談の最中だった。
歩み寄る二人に気付くと侯爵は苦笑し、夫人は満面の笑みを浮かべ、
エドワードはやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「まあまあ、二人ともどうしたの?
仲良く手を繋いで登場なんて」
夫人が楽しそうに見つめる先のクロードとセシルの二人はしっかりと
指を絡めながら手を繋ぎ、セシルは気の毒になるくらいに頬を真っ赤に
染め上げ、対するクロードは今まで見たことのないくらいに甘い笑みを浮かべ
上機嫌であることが窺えた。
「父上、母上、マイヤー伯爵家ご令嬢のセシル嬢に求婚し承諾して
いただきました。どうか父上、母上にもご了承いただきたい」
「やっと素直になったか、クロード。
もちろん賛成するよ、セシル嬢は我が家の娘同然だから」
「もちろん、賛成よ。
嬉しいわ、貴方が私の本当の娘になるなんて!」
両親の賛成を得て、クロードの笑みは深くなる。
そんなクロードを見て、エドワードが生温かい笑みを浮かべる。
「拗らせが振りきれると恐ろしいな、クロード」
「素直になっただけだ、エドワード。
マイヤー伯爵家には改めて、ご挨拶に伺う」
「あぁ、そうしてくれ、両親は首を長くして待っていたからな。
素直になったついでに全て話してしまえよ、クロード」
「何のことだ?」
「とぼけるなよ、クロード。
今、セシルが着ているドレスはお前からの成人の祝いだろう?」
「その髪飾りもクロードからね」
「えっ?でも・・・」
「ごめんなさいね、セシル。
長年の初恋を拗らせた息子がどうしても貴方に贈りたいけど
自分の名前では贈れないとうじうじしていたから、私の名前を貸したの」
「ドレスも同じくだ。
その髪飾りに合わせた色と意匠で贈りたいのに贈れないと訴えられた
両親が折れて、名前を貸したのだよ。
ちゃっかり色まで合わせてきているだろう?」
セシルはエドワードに言われて、初めてまじまじとクロードの服装を見た。
確かに控えめではあるが、ジャケットの裾にはラベンダー色の刺繡糸で
縁取りがされており、胸ポケットのハンカチーフはラベンダー色だ。
驚きに目を見張るセシルにクロードは頬を染め、目線を逸らした。
「ずっと君に贈りたいと集めた物が他にも沢山ある。
素直になれずに、贈る機会を逃してばかりだった」
クロードが目を逸らしたのはセシルを見るのが嫌なのではなく、照れくさくて
目線を合わせられないのだとセシルにも分かってきた。
頬を染め、耳まで赤く染まり、そんな言葉を告げてくれたクロードの想いが
じわじわとセシルには実感できた。
だから、セシルも素直に怯えることなく言葉にできる。
「髪飾りも、ドレスもありがとうございます、クロード様。
どれも大人になれたようで嬉しかったです」
「君は美しい淑女だから、当然だ。
良ければ、私の部屋にある贈り物も受け取ってほしい」
「・・・今度、お伺いしても?」
「あぁ、勿論だ。
君のご両親にご挨拶に伺ったらら直ぐに
招待するから、必ず」
頬を染め、互いに照れながら約束を交わす二人を侯爵夫妻と
エドワードには優しい目をして微笑ましそうに見ていた。
春の訪れを祝う豪華絢爛な夜会はまさに今が盛況。
人々の楽しそうな喧騒の中で見つめ合う二人の恋は始まったばかりだった。