春の夜会の妖精は
会場に足を踏み入れた途端に感嘆の溜息が出た。
あまりの豪華絢爛さ、美しさに流石は栄華を誇る侯爵家だと
気後れさえ感じてしまう。
「セシル、そんなにビクついているとまた、クロードにいじめられるぞ」
エスコート役の兄、エドワードが苦笑しながら背を屈め、セシルを覗き込みながら
からかうように頬に手を添えた。
「だって、お兄様、今日はいつも以上に凄いわ・・・・」
セシルは伏せていた視線を上げると、優しい瞳のエドワードを見上げる。
頬に触れる温度にホッとはするが、気後れを感じるのは変わらない。
「いつもお邪魔している侯爵家と変わらないさ、今夜は少しばかり装飾が
過多なだけさ」
「それはそうだけど、私は場違いな気がしてしまうわ」
「場違い?セシルはいつも通り、柔らかそうで可愛いよ」
「もう!お兄様はいつもそう。それは兄の欲目みたいなものよ」
見上げたまま少しむくれてしまったセシルの頬をからかい交じりに軽く突っつくと
エドワードは悪戯っぽく笑った。
「さぁ、ウェイザー侯爵と侯爵夫人に挨拶に行こう。その髪飾りは夫人からの誕生祝いだろう?
お披露目しないと夫人が拗ねてしまうよ、夫人はセシルがお気に入りだから」
「分かったわ、私もこれを身に着けてもう一度、お礼を言いたいの」
セシルは幾つもの小振りな白い百合を模し、真珠を散りばめた繊細な銀細工の
髪飾りにそっと嬉しそうに触れた。
その髪飾りは先日、18歳になったセシルに侯爵夫人から贈られたものだった。
エドワードとセシルはウェイザー侯爵家の屋敷の隣に位置するマイヤー伯爵家に
生まれ、たまたま兄のエドワードが侯爵家の令息と同い年だったために幼い頃から
この屋敷に出入りし、侯爵夫妻とも親しいのだ。
特に侯爵夫人は自身が女児に恵まれなかったからか、セシルを娘のように
可愛がってくれているのだ。
「さぁ、行こうか」
エドワードが腕を差し出し、侯爵夫妻のいる少し奥まった場所へと向かう。
ちょうど人の波が途切れたのか、セシルたちは侯爵夫妻の元へ辿りついた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。春の宴に相応しい絢爛さですね。
セシルはあまりに美しいので怖気づいていますが・・・」
エドワードの言葉にセシルは頬を染め、恥ずかしそうに俯いたが、すぐに侯爵夫人に
手を取られた。
「まぁ、セシル、怖気づくことなんてないわ。貴方はとても可愛いのだから。
その髪飾りもよく似合っているわ。まるで春の妖精ね!」
侯爵夫人の手放しの誉め言葉にますます恥ずかしさが増していくが、
セシルは柔らかく微笑んだ。
「あ、ありがとうございます。私には勿体ないくらい素敵な贈り物をいただいて」
「見た瞬間にセシルにぴったりだと思ったのよ。
そう思うでしょ?クロード」
セシルは侯爵夫人の視線の先、自分たちの背後へと驚きのまま振り返った。
そこにはシャンパングラスを二つ手にした侯爵家令息、クロードが憮然とした面持ちで
立っていた。
「そうですね」
侯爵夫人の問いかけに否定も肯定もしない言葉を不機嫌そうに返すクロードに
セシルは思わず逃げ出したくなった。
隣にいたエドワードは親友の登場に満面の笑顔を浮かべていたが。
「クロード、今日はお招きありがとう」
ニコニコと笑うエドワードに連れられるまま、セシルは侯爵夫妻の前を辞して
クロードに向き合った。
本当は侯爵夫妻のそばにいたかったが、主役を何時までもセシルたちが独占している
わけにもいかない。
「楽しんでくれ、エドワード」
クロードはエドワードに薄く微笑んだ。
同じ空間にいるセシルもクロードに声をかけないわけにはいかなかった。
例え、全く望まれていなくても。
「お招きいただき、ありがとうございます。クロード様」
恐る恐る見上げた先のクロードはすっかり先ほどの微笑みは影を潜め、
不機嫌そうに眉間に皴を寄せている。
「セシル嬢、今宵は楽しんでくれ」
クロードはそう言うと手にしていたグラスの片方をセシルに差し出してくれた。
「あっ、ズルいな、セシルだけ」
「レディファーストだろう」
「ちょっと取ってくるから乾杯は待てて」
エドワードは給仕を探したがグラスを持つ者は生憎、近くにいなかった。
二人を置いて、背を向けて歩き出してしまう。
「私が行くわ・・・」
セシルの声はエドワードには届かず、彼は行ってしまった。
セシルは思わず、背中に冷や汗が流れていくような気がした。
「春の妖精ね」
小馬鹿にしたようなクロードの声色に、始まった!とセシルはビクつく。
見上げた先のクロードは案の定、セシルを嘲っていた。
「妖精を気取るなら、もう少し慎み深くするんだな」
揶揄するようなクロードの視線の先はセシルのいつも以上に空いたドレスの
胸元にあった。
18歳になり、成人を迎えたセシルに大人びたデザインをと張り切った母親が
選んでくれた春の夜会に相応しい淡いラベンダー色のドレスは少しだけ胸元が
今までのドレスより深めに空いていて、肉付きのいいセシルの柔らかい胸元を
推し押し上げている。
いつもより大胆なデザインに戸惑いはしたが、成人もしたし、何よりこのドレスは
この髪飾りによく似合っていた。
ぽっちゃりしていて、幼く見られがちなセシルは似合うだろうかとドキドキしながら
会場に入ったのだが、クロードの言葉に冷や水を浴びせられたような気がした。
「似合いもしない大人びた恰好をして何の意味があるんだ?
慎み深い淑女を見習うべきだな、セシル」
クロードの視線の先には会場に華を添えるご令嬢たちがいた。
誰もがセシルより大胆な胸元のデザインだが、セシルより細く、肉感的ではないため
程よい色気に収まっている。
(どうせ私は太り気味よ!)
クロードはいつもそうだ。
幼い頃からセシルのことが気に入らないのだ。
小さい頃は兄のエドワードと一緒になってセシルをからかってきた。
セシルは虫が苦手なのに庭で遊んでいる時に背中にダンゴムシを入れられて
大泣きしたこともあった。
肉付きのいいセシルの丸い頬をからかい交じりにしつこく突っつきまわされたりもした。
エドワードが成長し、妹をからかう悪癖が鳴りを潜めセシルを庇い始めると、直接の
嫌がらせはなくなったが、不機嫌そうに嫌味ばかり言われることが多くなった。
「それに・・・他の男どもが・・・」
急にボソボソと小さな声になってセシルにははっきりと聞き取れなかったが、これ以上、
嫌味を言われ、傷つけられるのはセシルには耐えられなかった。
「やっと見つけたよ、盛況過ぎて給仕が見つからなくてさぁ」
エドワードが戦利品のようにグラスを掲げて戻ってきた。
これ幸いとばかりにセシルはこの場から逃げ出すことにした。
「お兄様、私、お花摘みに」
「えっ、セシル、乾杯は?」
不躾だと思いながらも聞こえないふりをして逃げ出してしまったのだった。
背後で兄の呆れたと言わんばかりに交わされる会話には気付かずに。
☆☆☆
「クロード、君って馬鹿なの?」
「学園を首席で卒業したと知っているだろ」
「知っているよ、次席は私だから。
そういう意味の馬鹿ってことじゃないよ」
「・・・」
「はぁ、あのさ、うちの可愛いセシルを泣かせるなら別の男を当たるけど?」
「駄目だ!」
「駄目だって、君ねぇ、いい加減にしっかりと口説きなよ。
意地悪ばっかり言っていても、セシルに逃げられるだけだよ。
初恋拗らせている君のことを思って他の縁談を止めているんだからね。
何時までも止められるものじゃないよ、セシルも18歳だしね」
「わかっている」
「わかっているなら何とかしてくれる?
と言うか、今すぐ追いかけてフォローしなよ。
セシルは可愛くて、気立ても良いから手に入れたいって男は君だけじゃ
ないんだからね」
「絶対に他の男には渡さない」
「それを言うのは私にではなくて、セシルにね」
「あぁ」
エドワードは足早に立ち去るクロードに向けてグラスを掲げた。
「結局、乾杯できなかったじゃないか・・・。
まぁ、健闘を祈るってことで。
ラストチャンスだからね、クロード」
そして、クイッとグラスの中身を飲み干したのだった。