2章 審問会(4)
眼前では事件の詳細がつらつらと読み上げられている。
議長は毅然とした態度で職務を全うしようとしていた。けれども審問会は荒れに荒れ、騎士たちが彼女を守るように四方を囲う。
アイビスは終始、溌溂とした声で質疑に答えていた。
それはある種の好感を持てる態度であったが、彼女が嬉々として主人を殺したという事実を口にするたびに、周囲の観衆は恐怖におののいた。
審問会の内容を売ろうとする情報屋が、絶えず会場に入っては口伝で仲間から情報を受け取ると忙しなく外へ出て行く。おそらく会場へ入ることを許されなかった市民に対し、語りをやっているのだろうと考えられた。
クラウスの脳裏では、記憶にあるアイビスと眼前の彼女の姿が川に落ちた果物のように浮き沈みし、交互にちらついていた。
歳月の過ぎた今、特別な感情が残っているわけではなかった。肌に残っていた彼女の残り香はとっくに消え失せ、法廷を仕切る柵の外にいるクラウスは他の傍聴人と変わらない。他者の所有物となった娼婦に対し、貴族としても彼個人としても労力をかけるほどの利益も気力も持ちえていなかった。
彼はただ冷めた双眸をアイビスに向けていた。
やがて、審問会はいくつかの波乱を生んだものの、よくできた見世物のように人々の期待と興奮を最高潮へと向かっていく。それはつまるところ、罪人が法の裁きを受け残酷な運命をどう受け止めるのか。言い換えればどんな醜態をさらすのか。安全な場所から眺めるそれは、これ以上にないほどに悪趣味な娯楽であった。
クラウスにとって審問会の内容は概ね彼の知る中では平凡な結末を辿る物だった。それはもちろん彼女にとって最悪のシナリオである事に違いないが、紛れもない事実であった。
ルチアーノ伯爵の死体は彼の寝室のベッドに倒れていた。その死体を見つけたのは彼の娘と屋敷の従者たちであり、発見時には伯爵はすでにこと切れていた。その場にいたアイビスの手は血で汚れ、伯爵の腹には銀色のナイフが刺さっており、凶行が行われたのは誰の目にも明らかであった。
もっとも、発見当時の状況から彼女が犯人であるかどうかは定かではない。
けれども駆け付けた騎士たちに向かってアイビスはただ穏やかな微笑を浮かべ「私が主人を殺した」と告白した。騎士の一人は、落ち着き払った態度からさすが貴族の女だと感心していたがその言葉を聞いて顔を青ざめさせた。
だからこそ、審問会とは名ばかりの見世物が出来上がり、観客は筋書きの分かりきった観劇を楽しむために我慢して立ち続けていた。そして、いよいよその苦労が報われる瞬間が訪れる。
「静粛に、静粛に。被告人アイビス、判決前を告げる前最後に何か申し開きはないな?」
「ありませんわ。私は逃げも隠れも致しません。最初におっしゃった通りですから」
「よろしい。それならばこれより判決を言い渡す」
「ただ、一つよろしいでしょうか議長様。私は貴族として死にたいのです」
審問会の途中で度々、アイビスは手前勝手な発言と要求を繰り返した。
それは大抵が「椅子が欲しい」だの「喉が渇いた」だの子どものようなわがままであったが、たまに語る質の悪い冗談は退屈に溺れそうな傍聴人を喜ばせた。
しかしクラウスは、この提案が今までの物とは異なることに気づく。
「被告人よ、もしかすると貴族であれば刑を免れると考えているのか?」
「いいえ議長様、そんな事は少しも考えておりません。罪には罰を、これは当然のことです」
「わかっているならば余計な発言は控えるがいい。審問会は粛々と行うものだ、我々はただ公平な判断に従うだけなのだから」
アイビスは「でも……」と追いすがろうとしたが、騎士たちが彼女の言葉を遮る。そして、この時初めて彼女の顔に恐怖の色がはっきりと現れた。
議長はただ機械的に、重々しい間を空けてからそれを告げる。
「グレゴリー・エル・ルチアーノ伯爵を殺害した被告人アイビス、貴殿は断頭台による斬首の刑に処す。貴族に仇なした行為は許しがたく、聖王国で最も重い法の一つを破った。これより三日後、聖王の法に従い公開処刑を執り行う」
悲鳴にも似た感嘆の声が上がる。
それがアイビスなのか観客の物なのか、クラウスは判別できなかった。
ただ、顔を真っ青に染め上げ、唇を噛みしめわなわなと震わせている彼女の様子を見て、ここに来て初めて胸の内が騒めいた気がした。
議長は木槌を叩き、長い時間をかけて観客たちを黙らせる。今日一番の最高潮を越え、興奮の熱が徐々に下がり始めると、残るのは項垂れた罪人とそれに向けられる冷笑であった。
クラウスは自分がどんな顔をしているのか判別つかなかった。この場に鏡が無く、誰一人視線を合わせる者がいなかったのがはたして幸いだったのだろうか。彼女の俯いた横顔を眺めながらそっと自らの胸に手を当ててみても、胸を打つような衝動は一向に湧き起らない。
そして、議長は傍聴人たちに視線を送ると、いよいよ終の問いを投げかけた。