2章 審問会(1)
聖王国で生まれた人間は、その生まれによって生涯の大きな部分を決定される。
肉屋の息子として産まれれば肉切り人に、貴族の嫡男として産まれれば貴族に、そして、人畜と呼ばれる奴隷の下に生まれれば、産んだ親とこの国を呪うしかなくなる。
聖王国の成金貴族、カイン・フォン・エンブリー侯爵の息子として産まれたクラウスは、必然的に恵まれた人生が約束された者であった。そして、彼の父カインが亡きあと、クラウスは二十歳を迎える前にこの国で娼館を開けるたった一人の特権貴族になったのであった。
この国を東西に二分する様に流れるルーム川に沿って南に進み、アブリル通りから中央の広場を抜けて少し行った先に、今日の審問会の会場はあった。
クラウスとレオンは馬車を使わずにステッキを片手に徒歩でやってきたが、入り口にたむろする野次馬の多さに驚き足を止めた。
「たっく、暇な連中ばかりでどうなってやがる」
「これは僕たちも入れるかどうかわからないね。ここはいつもこんなに盛況なのかい?」
「オレ様だって知らねぇよ。好き好んで来るような場所じゃないからな」
「君がそうなら僕だって同じだ」
「違いねぇな」
聖王国で審問会が開かれるのは稀なことだった。
この国では貴族の立場が強く、多くの市民がどこかの貴族の庇護下にある。
そのため、市民間で諍いが起きれば、それを裁くのは市民が仕える貴族の仕事であり義務であった。彼らは日常の些細な業務の一つとしてそれを行いはするが、民衆の無用な関心を得てまで大事にしようとはしない。
今回の事件は、その判断をする貴族が殺されたために、聖王国がその役割を請け負ったものであるとクラウスは推測した。
世間の関心が集まった以上、責任の所在を明確にするためにも市民へ公開する必要もあったのだろう。
もっともそれが表向きの理由だということを知っていた。
これは、一種の見世物であった。噂に聞こえる素性の知れない美しい女がどんな醜態をさらすのか、満たされた生活をしているはずの貴族にも汚点はあったのだ、というような市民の好奇心を満たさせるため。貴族が市民の不満を発散させるために提供する娯楽であった。
「だが、どうするよ。こうも人が多ければ中に入るのも骨だぜ」
「レオン、君は何か当てがあるから僕をここまで連れて来たと思ったのだけど違うのかい?」
「なくもないぜ。ただ、どっかの貴族様が自分の身分を明かすって方法だがな。提案しといてなんだがおすすめはしねぇよ。他の貴族と顔を合わせることになるだろうからな」
レオンは「そっちの方が楽だが」と言葉を付け足したが、気乗りしないらしく渋い顔をした。
クラウスの侯爵としての立場を使う事がもっとも話が早いのは彼も充分に承知していた。けれど、レオンはその恩恵を受けることが癪に障るらしく、クラウスもまた権威を振りかざすやり方が好きではない。
「できればごめんこうむるね。僕もまだ社交の場に慣れているわけでもないし」
クラウスはそう言い訳をすると、まるで自分が弱音を吐いたみたいでふと暗い気持ちになった。こんなとこまでやってきて何をしているのかと、自問したい気持ちにかられる。
しかし、そんなクラウスとは相反してレオンは上機嫌に顔を歪める。
「なら仕方ねぇ……オレ様がなんとかしようじゃねぇか」
レオンは自信満々にそう答えると、人波の最後列に向かってスタスタと歩きだした。
そして、手に持ったステッキをおもむろに掲げると、壁を作っている身分の低そうな市民の足をバシッと叩いた。
叩かれた男は素っ頓狂な悲鳴を上げ、その場に転がりながらも襲撃者を睨む。
けれど、レオンは物怖じせずに睨み返すと、通りのいい声で恫喝した。
「おらっ、道を空けろこの市民ども。貴族様のお通りだぞ! なんだ、なんだなんだお前はっ、貴族様に叩かれてなんて顔をしてやがる。もっとぶたれたいのか?」
周りにいた老若男女の人々の顔がいっせいに集まる。クラウスはその注目を浴びてなお平然としている彼の背中を、目を見開いて見つめた。けれどすぐさま乾いた笑みを浮かべ、レオンが昔から無茶で大胆な行動にでる男だったと思い出した。
「ぶたれたいやつは尻を出しな。貴族様がたんと褒美をくれてやるぜ。それが嫌なら、ぼさっと突っ立ってんじゃねぇ! お上品に道をあけろ。おら、侯爵様もオレさまについてこい」
レオンが一歩を踏み出すと人波は同じ分だけさっと退き、彼の目の前には道が作られた。
わが物顔でその道を歩き始める頼りになる年下の幼馴染に対して、クラウスはその場で少しばかり羨望の眼差しを送っていたが、こちらを見つめている人々の視線に我へと返り、頭を下げて速足で追いかけた。