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1章 クラウスの日常(1)

 聖王国の貴族たちが仕事場を構えるルーム川沿いの一角。

 クラウス・ウィリアム・エンブリー侯爵の事務所は、パンに挟まれたサンドイッチの具材のように家屋の間に建っていた。

 二階の窓際にある自らの椅子に腰掛けた部屋の主は、窓から見える冬の景色をただなんとなく眺めている。

 対岸のアブリル通りには色とりどりな露店のテントが列をなしてずらりと並んでいる。そのテントの屋根の隙間からは、通りを歩く人々の姿が途切れなく眺められ、人の波が所狭しと道を埋めていた。

 通行人は時折足を止めると露店の品々を眺めながら店主と何やら会話を始めた。そんな商売人と客のやりとりが彼の眼にはいくつも映る。

 けれど、窓を閉めた部屋の中にはその喧騒が虫のさえずりほども聞こえてくることはなく、クラウスの意識を引くような物は何もなかった。


「それで君、つまり他国との戦争を行ううえで、最も重要になる物はなんだと思う?」


 意識の中に降ってわいた声にクラウスはハッとして振り返る。

 そして、視線を向けた先にいた人物を見て、この部屋にいるのが自分一人ではないことを思い出した。

 来客用の椅子に座っている男は試すように足を組み、不敵な笑みを浮かべている。

 まだ年若いその男は、無邪気そうな顔つきをしていたが目は少しも笑っていなかった。


「ミスタークラウスくん、さて、答えはなんだ?」

「ひと、人材であってるかな?」

「まさしくその通り……と、普通の教師なら褒めているところだろう。だが、オレ様の授業中に女の尻を追っているような奴には、正解はやれねぇな」

「はぁ……まったくもって今のは僕が悪かったよ、レオン。いいや、レオン大先生様?」

「けっ、お前に言われると気色悪い。男が猫撫で声を出すんじゃねぇよ」


 クラウスの目の前にいる男、レオン・シン・クロスフォード子爵は、わざとらしく顔を歪ませると下品な声で嘔吐する真似をしてみせる。

 クラウスはその態度にまるで子どもの悪ふざけのようだと思ったが、レオンは脚を組みなおし偉ぶった咳払いを一つすると、すぐさま真面目な顔で自らの職務に帰った。


「人間の数が国力を決め、戦争における戦力差を考えるのは、いわば前提であり最低条件だ。まあ、武器や練度の差はあるだろうが、普通は多勢に無勢じゃどうしようもない。歴史書を読めば、こんなのは一番はじめに書かれているわけだ」

「なら、僕の答えで正解じゃないか」

 クラウスが疑問を投げかけると、レオンは首を縦にふった。

「オレ様が喋ってるんだ、口を挟むなよクラウスくん」

「ああ、悪かったね」

「まったく、貴族様はどいつもこいつも人に教えを乞う覚悟がなっちゃいねぇ。ここからがいい所だってのによ」


 大きくため息をつくと、レオンは小さな声で毒気づく。

 クラウスはその姿を眺め、半ば呆れながらも口を閉ざすことにした。


「まあ、ぶっちゃけるとだ。この国の歴史家を自称する先生方からすると、昔の兵法書と右に同じでは、自らの権威を保てないわけだ。だから何かしら新説を設けたいわけで、この聖王国と呼ばれるオレたちの国の書物には、人よりも優先されるべき物は『食糧』だと明文化されている。物を教える立場からすれば、少数派でも大家のいう事を聞かなくちゃいけないのだから、まったく糞だぜこの国は」

「言葉が過ぎるね、クロスフォード子爵。だけど、その新説が歴史書に記されているのだから、聖王に認められているわけだろう。前の戦争で、それほど聖王国には重要な事柄だった」


 クラウスは言葉の悪い男をたしなめるように持論を返しながら、ちらりと窓の外に視線を向けた。

 この反論に、レオンは口元を手で隠し渋い顔で珍しく沈黙をしてみせた。

 やがて、両手を叩いて乾いた音を鳴らすと、軽薄な笑みを浮かべた。


「けっ、それを先に言われると今日の締めが台無しじゃなぇか。たっく、コミットを呼んでくれ。暖かい飲み物でも貰うか。授業はここまでだ」


 レオンはピンと伸ばしていた姿勢を崩し、緊張が抜けたように椅子にもたれかかると、手すりに肘をついてその上に顎をのせた。

 クラウスは机の上にある鈴を指で二度弾いて鳴らすと、レオンと同じように椅子に背を預け、両腕を組んで大きく伸びをした。


「今日もまた、ためになる授業だったよ。ありがとう」

「そいつはどうも、えらく集中してくれたようで何よりだ」

「……だけどまあ、いつも突然君に予定をずらしてもらって悪いね」

「へっ、別に気にするようなことはねぇよ。侯爵様の頼みとあれば、下っ端貴族が断れるわけねぇだろ?」

 レオンはにやりと口元を歪ませると、手の平をクラウスに向けヒラヒラと手を振った。

「貴族相手の家庭教師なんてものは、授業の内容よりもご機嫌取りの作法を学んだ方が上手くいくわけだ。正しさなんて二の次よ」

「そんなことはないだろう。若い貴族の間では、君はなかなかに人気だという話だが、違うのかい?」

「べつに、違わねぇな。だが、教え子が俺よりも偉い貴族のボンボンってのは、これ以上にないほど皮肉が効いていると思わねぇか?」


 そう答えながら彼は退屈そうにあくびをする。

 そして、膝の上に広げていた小さな教科書を畳むと乱雑に背中と椅子の間にしまい込んだ。クラウスの見たその教科書には、彼の直筆が余白へびっしりと付け足されていた。


「キミのは望まれた天職だと思うけどな。僕からすれば羨ましい限りだよ」

「男にモテる仕事ほど悲しいことはねぇよ。どうせなら女に黄色い声援を送ってもらいたいね」

「そんな仕事があるのかい?」

「てめぇの仕事がそうだろうが。ここ最近はようやく落ち着いたってのは風の噂で聞いたが、どうなんだ。せっかくだから、女にモテる侯爵様には、ぜひともオレ様の将来の花嫁を用意してもらいたいものだがね。そろそろ便宜を図ってもらってもいいんじゃねぇか?」

「それはそれは、仕事の話としてかな。それなら僕も真面目に聞くけど、どうだい?」

「おっと、今のは他愛ない世間話だ。誰が好きだの嫌いだの、ガキの頃にしたようなくだらない話だぜ、幼馴染の友人としてのな。てめぇに財布を握られるのはごめんこうむりたいね」


 レオンは機嫌のいい犬のようにクククと白い歯を見せながら小さく笑った。

 クラウスはその笑いに釣られ、かすかに口元へ笑みを浮かべてみせる。


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