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廃病院の久川さんは諦めない  作者: くろぬか
1/4

久川さんと同行者


 高校2年の夏休み、進学校の真面目な生徒でも無ければ一番危うい時期だと言えるだろう。

 学生の内で最も好奇心旺盛、そして何にでも興味を示してしまうお年頃というやつだ。

 高校生活にも充分に慣れ、急いで先の事を考えるにはまだ早い時期。

 そして学生において最も長い休みの期間、ハメを外して遊び惚ける者の方が間違いなく多い。

 例にもれず、私もその一人だった。


 「ねぇねぇ、今日も泊って行かない?」


 「んー、私は別にいいよー?」


 友人の沙月がベッドに転がったまま声を上げ、それにソファーに転がった唯が答える。

 夏休みの課題を片付けようなんて提案の元、先日私を含めた3人で集まった訳だが……

 まぁこうなるのも、一種のお約束というやつなのだろう。

 テーブルの上にはほとんど手を付けていない3人分の課題が放り出してあった。


 「茜はー? 妹さん達の事もあるし帰る? もしなら妹と弟も呼んでもいいけど」


 相変わらずベッドに転がったままの沙月がこっちに視線を向けた。

 なんともまあダレきっている。

 座椅子に深く座って、殆ど横になっている私が言うのもアレだが。


 「んー、沙月のお家の迷惑にならないなら居ようかなぁ……家事とかは妹の方が出来るし、多分大丈夫」


 「ウチの親は今外泊中だから別に気にしなさんなー。 っていうか優秀な下の子を持つとお姉ちゃんはダラけるねぇ、おぉ怖い怖い」


 なんて話をしている内に、唯のスマホから着信音が響いた。

 もうそれなりに遅い時間だというのに誰だろう? 親御さん?

 なんて考えている内に電話に出た唯が、険しい顔をしながら開口一番に呆れた声を上げた。


 「なんですかー嵐山先輩? 卒業してから悪い噂いっぱい聞いてますよ?」


 嵐山先輩、去年まで同じ部活の先輩だった。

 今では進学して、大学ライフをエンジョイしてるとの噂だ。

 良い意味でも、悪い意味でも。

 そんな彼が、唯に何の用なのだろうか。


 「え? あぁ、はい。 今からですか? はぁ、まぁ沙月と茜と一緒ですけど。 はい、聞いてみますけど……」


 スマホを耳から離した唯が、こちらに振り返った。


 「なんか、肝試し行かないかって。 大学生の男の人何人かで遊んでるんだって」


 何ともまあ唐突なお誘いだった。

 相手が相手だけに、あまり乗り気はしないんだが……

 なんて悩んでいる内に、沙月が元気よく起き上がって手を上げた。


 「はいはい! いいじゃん肝試し、私行きたい!」


 さっきまでのダラけ具合が嘘の様に活気づいた沙月は、ベッドから転げ落ちそうな程身を乗り出しながら賛同の声を送っていた。

 どうしたものか、っていうか私は正直オカルト関係は苦手なので正直御遠慮したい所なのだが……


 「茜はどうする? ちなみに私は賛成派って事で。 ここでダラダラしてても勿体ないしね」


 どうやら二人とも乗り気なようで。

 ここまで来ると私だけ帰ると言うのも雰囲気がよろしくない。

 もはや選択肢はないのだろう。


 「い、行きます……はい」


 こうして私たちの今夜の予定は決まってしまった。

 あまり喜ばしくないが、これもまた思い出作りと思って諦めよう。

 そんな風に考えた私を思いっきりぶん殴ってやりたいと考えるようになったのは、すぐ後の事であった。


 ————


 「やっと着いたわ、遠すぎだろココ」


 「いいじゃんいいじゃん、ここの廃病院って結構ヤバイ噂あるんだろ?」


 「おぉー結構雰囲気あるねぇ、茜大丈夫?」


 「か、帰りたい……」


 あの後嵐山先輩に車で迎えに来てもらい、男3女3という合コンみたいな形になってしまった。

 こういうのは苦手なので、その時点で帰りたくなっていたわけだが。

 目の前に広がるのは明らかに何か居そうな廃病院。

 しかも街はずれの山の中に立っており、周囲の雰囲気も最悪だった。

 こんなものを目の前にしてテンションが上がっている皆の神経がわからない、私はお腹が痛くなってきたよ。


 「もう知ってるとは思うけど、久川さんルールもやるから! そのつもりで!」


 「ここに来たらもちろんやるでしょ! ちゃんとカメラも用意したし、録画準備も完璧!」


 嵐山先輩が良くわかない宣言をすると、周りはわぁっと盛り上がった。

 一人だけテンションどころか、話からも置いてきぼりを食らってしまって、もはや歩いて下山したくなってきた。

 うん、そうしよう。

 帰れば妹と弟がご飯と共に待っている。

 あ、泊ってくるって連絡しちゃったから無いか、私のご飯。


 「あれ? もしかして茜ちゃん”久川さん”の話知らない?」


 嵐山先輩の友人A……とか呼んだら失礼だよね。

 インテリっぽい眼鏡をやけにクイクイ上げる、ビデオカメラが右腕に移植されているのではないかと思える程、常にカメラを回している人が男の人が声を掛けてきた。

 確か名前は……石田 哲也さん、って言ってたかな。

 車の中でもやけに話しかけてきた人だ。


 「えぇまぁ……怖い話とか苦手なんで」


 微妙に距離を取りながらその旨を伝えると、カメラを回しながら再び距離を詰めてくる石田さん。


 「んじゃ歩きながら教えるよ、ホラ行こ? 俺らだけ置いて行かれちゃう」


 出来れば聞きたくないです。

 とはいえ私だけ知らないと不都合があるのかもしれないので、聞いておいた方がいいんだろうか?

 というか皆ズンズン廃墟に向かって進んでいくし、怖くないのだろうか。


 「はぁ……お願いします」


 「おう、任せといて!」


 自信たっぷりに頷く石田さんは、やけに良い笑顔で手を差し伸べてきた。

 それに気づかないフリをしながら、皆の後を追うように彼の脇を通り抜ける。

 流石にこんな場所で知らない人と手を繋ぐのは嫌、という常識くらいは私だって持ち合わせているつもりだ。

 後から追ってきた彼が隣に並んで語り始めた内容を耳にして、帰りたくなる理由がいくつか追加された事は言うまでも無かった。


 ————


 駐車場から廃墟へ向かう道中で聞いた話では、その”久川さん”というのは以前この病院で務めていた看護婦さんらしい。

 何でも間違った薬を患者さんに与えてしまったらしく、患者さんはそれが原因で死に至り、件の”久川さん”も気を病んで自殺したとか何とか。

 そして彼女の霊は未だこの病院に残り、各部屋を周りながら患者さんを探しているらしい。

 更に玄関口近くにあるナースセンターに『患者リスト』なるものが置かれていて、そのリストに自分の名前を書きこんで病室で待っていると、”久川さん”がやってきて呪われるとかなんとか。


 素直な感想を述べるなら「あっ、はい。 そうですか」くらいしか出てこない内容だった。

 余りにも自信たっぷりに石田さんが語るもんだから、どう反応していいものか困ってしまったが、まぁよくある怖い話だろう。

 患者リストがどうとかっていうのは余り聞かないが、それ以外では病院の怖い話の定番中の定番だろう。

 なんだよ間違った薬って、劇薬でもぶっこんだんだろうか。

 流石に気づけよ、ドジッ子にも程があるよ。

 しかも自分のミスで追いつめられて自殺したのに、被害増やすなよ何様だよお前は。


 「ってな感じで、今日の目的はその流れを確かめてみようかーって訳。 面白そうじゃない?」


 テンションの高い石田さんが、カメラをこちらに向けながらニヤニヤと笑っている。

 出来れば勝手に撮影しないで頂きたい、建物を撮りなさいよ建物を。


 「はぁ、まぁ話の流れは分かりましたけど、大丈夫なんですかね?」


 「大丈夫大丈夫。 何人も同じ事やって何事もなく帰ってきてるから。 でも何か映ってたりした方が面白いじゃん? だから今回は撮影しようって話になった訳。 あ、でも心配しなくて大丈夫だよ? ちゃんと俺もついてるし」


 どの辺りが面白くて、どういう風に安心出来るのか理解出来なかった。

 この人は何だろう、ハッピー〇ットのオマケか何かかな? 付いてくると嬉しい的な、そんな感じなのかな?


 などと会話している内に、玄関を潜ってしまった。

 真っ暗な室内、物がそこら中に散らばった床、落書きされた壁。

 もう見るからに心霊スポットだ。


 「遅かったね茜、今ノート探してる所だよー」


 ひらひらと気軽な雰囲気で手を振る唯が言っているのは『患者リスト』って奴の事なんだろうか? 

 目の前にあるナースセンターの中では、4人の男女がガサガサと棚やら机やらを漁っている。

 もう見た目は完全に泥棒か何かである。


 「お、あった! これじゃね!?」


 タンクトップの男性が一冊のノートを掲げながら、受付へと戻ってきた。

 たしかこの人は神田さん……だったかな? 名前は忘れた。

 その手に持っているのは『患者リスト』とデカデカと書かれている赤いノート。

 明らかにそれは肝試しに来た人が用意した物じゃないかなぁ……他の備品と比べてやけに新しいし。

 なんて行った所で皆が止まる訳も無く、カウンターに乗せられたノートを全員で囲んで一枚ずつめくっていく。

 そこには……


 「最初こそそれなりに名前書いてあるけど落書きばっかだな、まぁこんなもんだろうとは思ったけど」


 神田さんが思わず落胆の声を漏らす。

 彼の言う通り、中ほどは完全にボールペン売り場とかに置いてある試し書きノートのソレだった。

 よく分からない絵や、卑猥な言葉、そして誰のかもわからないような電話番号などが書かれている。

 まあそんなもんだろう、予想はしていた。

 やれやれと肩を竦めながら、視線をナースセンターの奥へ向けると、一瞬何か赤い光が見えた気がした。

 石田さんにカメラを向けられすぎて、RECランプが目に焼き付いてしまったのだろうか?

 なんて考える程一瞬であり、視界の端に映っただけなので自信は持てない。


 「どうしたの? 茜」


 「え、あ。 気のせいかもしれないけど、なんか奥で光った気がして」


 「ふーん? 見に行ってみる?」


 なんて会話をしながら、唯が私をカウンターの内側へと招き入れた。

 出来れば可能な限り動き回りたくないんだけど……なんていう訳にもいかず、大人しく彼女と共に歩く。


 「どこー?」


 「たしか、この辺りだったと思うんだけど……」


 記憶にある場所を指さして、少しだけ背筋が冷えた。

 そこには部屋番と入院患者の名前が記載された壁、そして各番号の隣には小さな明かりが灯るであろうプラスチックの板が設置されていた。

 どうみてもアレだ、正式名称なんて知らないが、ナースコールすると光る奴だ。


 「あーそういう、どの部屋だったか分かる?」


 あまり動じて無さそうな友人は、調子に乗って返答用であろうマイクを手に取っていた。

 正直そういう遊びはしてほしくない、本当に何かあったらどうするつもり——


 ——ザ、ザザッ


 極めて短いノイズが、正面のスピーカーから聞こえた。

 聞き間違いかと思える程一瞬だったが、それでも確かに聞こえたのだ。


 「今……何か鳴ったよね?」


 「……うん」


 二人してジリジリと後ずさる様にその壁から離れていく。

 電気がまだ通っている、とは流石に考えられない。

 だとしたら、今起きたのは一体なんだと言うのだろうか。

 信じられない物を見る目で、目の前の患者リストを見る私達は多分同じ気持ちだったのだろう。

 ”もう帰りたい、というか帰るべきだ”

 全身から冷たい汗が噴き出している感覚を覚えながら、引き返そうとしたその時だった。


 「あぁー患者リストってこれじゃね? 入院患者のリストってか、そういう感じで」


 すぐ後ろから嵐山先輩の声が響き、私と唯はわかりやすく肩を震わせた。

 目の前の現象に気を取られ過ぎていたんだろう、後ろに近づいてくるこの人にまるで気づかなかった。


 「多分そうでしょ、流石に廃病院で患者の名前が残ったままってのもおかしいし。 ここに書いてあるのは肝試し来た連中なんじゃね?」


 確かに言われてみればそうだ。

 普通に閉鎖した病院なら、こんな風に患者の名前をそのままにしておかないだろう。

 しかも名前の書かれた欄は、非常にバラけている。

 中には絶対本名じゃないだろうって名前だって記載されているくらいだ。

 だとすると嵐山先輩の言う通り、閉鎖した後ここへ訪れた者たちが勝手に名前を書きこんだのだろう。


 「ってことはさ、ココに皆で名前書きこめばいい訳だ! おーいお前ら! こっちこっち」


 なんだなんだとばかりに、残ったメンバーもゾロゾロとやってくる。

 マジか、書くのか、ココに。

 なんてやっている内に各々名前を書きこんでいくではないか。


 101号室 神田 正人

 106号室 石田 哲也

 109号室 陣野 沙月

 203号室 嵐山 亮

 


 「ほら、二人も早く」


 唖然とする私と唯に、油性マジックを渡して来る石田さん。

 出来れば、非常に書きたくない。


 「……」


 険しい顔したまま、隣に立っていた唯が動く。

 空いているスペースに次々に名前を書きこんでいく彼等と違い、唯は端っこの方に名前を書きこんだ。


 407号室 三上 唯


 「ほら茜ちゃん。 ココ空いてるよ、ココ」


 「え、あ、はい」


 促されるまま、書いてしまった。

 良かったのだろうか? 本当に大丈夫なんだろうか?

 疑問は絶えない。

 光らない筈のランプ、通じない筈のナースコール。

 そして何より……


 宿直担当”久川 涼子”


 その名前をボードの端に見つけた途端、今まで以上に背筋が冷たくなった。


 208号室 黒家 茜 

 

 自身で記入した筈のその名前を、今すぐにでも消してやりたい衝動に駆られてしまった。


 ————


 どうやら”久川さん”というのは、1階から順に病室を回ってくるらしい。

 そして記入した部屋に待機していると、彼女が訪ねてくるらしいのだ。

 やべー! 俺最初じゃん! なんてやけに高いテンションで神田さんが声を聞きながら、私達はそれぞれの部屋へと足を向ける。


 「そんじゃ茜ちゃん、また後でね!」


 「え、あ、はい?」


 よく分からない言葉を残しながら、203号室に名前を記入した嵐山先輩が廊下の奥に姿を消した。

 私の記入した部屋は208号室、階段を挟んで逆側の通路に進むことになる。

 あぁぁもう、帰りたい。

 なんて泣きそうな思いで廊下を歩きだそうとした瞬間、後ろから腕を掴まれた。


 「茜……一緒の部屋にいない? そっちでもいいし、私のほうでもいいからさ」


 心臓が止まるかと思った。

 こんな場所で急に腕を掴まないでほしい、もう一度言うが心臓が止まるかと思った。


 「う、うん。 別にいいけど、どっちのほうが良いかな?」


 「多分、上の方がいい。 ”久川さん”は下から順にって話だから、遅いほうがいいと思う。 それにさっきから嵐山先輩達、なんか変だし……」


 「そ、そっか? なら上に行こうか。 確か407号室だっけ? そこに二人で——」


 「——その隣の部屋にしよう? 馬鹿正直にそこで待ってる必要ないよ」


 「え、あ、うん……」


 よく分からないが、やけに怯えた様子の唯に従って。

 私たちは階段を登り、406号室に身を潜めた。

 こんな事してしまっていいんだろうか? なんて気持ちが無い訳ではないが、彼女の言う通り素直にルールに従う意味も感じないし、まぁいいか。

 私としては一人で部屋に取り残さる事態に陥らなくてラッキーだったし。

 なんてやっている内に、唯はスマホを取り出して電話を掛け始めた。

 こんな状況で誰に?


 『もっしもーし。 沙月でーす、暇でーす。 ゆいーそっちどうー?』


 やけに気の抜けた声が、スピーカーから響いた。

 本人も言っているが、間違いなく沙月の声だった。


 「もしもし沙月? あのさ、ちょっとこのまま通話したままでいいかな? 流石に一人だと心細くって」


 私に対して、シーッと人差し指を唇に押し付けるハンドサインを送る唯。

 とりあえず喋らなければいいのかな?


 『もしかして唯怖いの? ただの廃墟ってだけじゃーん、ちょっとウケる。 そういえば茜も超ビビッてたけどさ、そんなに怖いもんかねー?』


 私が聞いてないと思って好き勝手言ってくれる、何て奴だ。

 まあ確かに超ビビッってますけどね! 一人だったら漏らしそうなくらい怖いですけどね!


 「まぁそう言わずにちょっと聞いてよ沙月。 嵐山先輩達さ、なんか変じゃない? 大丈夫かな?」


 『というと? いつもあんな感じじゃなかった?』


 「あ、いや何て言うかさ……分かんない?」


 『はっきり言ってよー、私そういう回りくどい苦手なんだってばー』


 などと喋っている電話越しの彼女の後方から、コンコンッとノックの音が聞こえた。

 普段だったら何ら気にしないだろう、でもココは普通の場所じゃない。

 そんな音が聞こえる事自体がおかしいのだ。


 『ごめん、誰か来たみたい。 先輩の友達さんかな? ちょっと行ってくるね』


 「まって沙月! 開けちゃ駄目!」


 唯の叫びは彼女の耳に届かないのか、それとも気にしなかったのか。

 ボスッ! とベッドにスマホを放り投げたかのような音が響くと、微かだが向こうの声が聞こえてきた。


 「……やっほー沙月……ん。 遊び……来たよー」


 声からするに、多分石田さんだろう、ずっとカメラを回していたあの人だ。

 でも何故彼が沙月の部屋に? 彼の部屋と沙月の部屋は確かに近かったが、全員指定の場所に留まる予定だった筈だが。

 なんてやっている内に、悲鳴が上がった。

 間違いなく沙月の声だった。


 「え、ちょっと沙月何が——」


 「——茜、静かに!」


 思わず声を上げてしまったが、私の口を唯に抑えられてしまう。

 何だ、一体何が起きた?


 『他の子も今頃楽しんでるって、俺たちも楽しまなきゃ損でしょー』


 『は、放してよ! ふざけんなって!』


 どうやら最初のベッドに戻ってきたらしい。

 スピーカーからは、その場の会話がそのまま聞こえる程鮮明に二人の声が響いてくる。

 これは、アレだろうか。

 幽霊うんぬん言っている場合ではないんじゃ……と思った所で、コンコンッと改めてノックの音が響いた。


 『あぁ? 誰だよ? おいお前らは他の二人の所に行く予定だったろ!? 何しに——』


 ——陣野サン、オ薬ノ時間デスヨ? イラッシャイマスカ?


 その声が響いた瞬間、ゾッと背筋に鳥肌が立った。

 私が聞いた”声”は確かに人のソレだったはずだ。

 だというのに、思い返してみれば所々ノイズが混じっていたり。

 そもそも聞いたソレが声に思えなかったりと、脳内では訳の分からない事になっている。

 なんだ? 今の声は。


 『おいふざけんなよ! 他の二人を使って廊下で楽しんでんのか!? 悪ふざけも大概に——』


 そう言ってズンズンと進んでいく足音、そして扉を開いた音が聞こえた所で、石田さんの声は途切れた。


 『いやあぁぁぁぁぁぁぁ!』


 後に聞こえるのは、ただただ響く悲鳴。

 スマホがノイズと感知して、フィルターで所々除外されてしまうくらいの、沙月の悲鳴。

 大音量の沙月の悲鳴が、スピーカーから聞こえてくる。

 聴覚でしか確認できないその悲劇に、私たちは何も言葉を発することは出来ず、ただただモニターの”通話中”という言葉を眺めていた。


 『来ないで! 来ないでぇ!!』


 ——陣野サン、オ薬ノ時間デスヨ。


 再び、その声が響いた。

 しばらく抵抗するような沙月の声が響いたが、1分もしない内にスピーカーからは誰の声も聞こえなくなってしまった。

 一体何が起きた? 彼女はどうなってしまった?

 そんな事を考えている内に、ガラガラとカートを押す騒音が聞こえてくる。

 何がそこから立ち去ろうとしているのか、私たちには想像する事も出来ない。

 ただ普通ではない何かが、私たちの身に降りかかっている事だけは確かな様だった。


 ————


 通話が途切れて、しばらく経った頃だった。


 「唯ちゃーん? 居るー?」


 隣の部屋をノックする音が聞こえた。

 嵐山先輩だ。

 やけに軽い感じで、コンコンッ、コンコンッと扉をノックする。


 「入るねー? アイツラも順番待ってるだろうし、さっさと済ませちゃおうよー」


 そんな声を上げながら、隣の部屋の扉が開く音が響いた。

 先輩の言う誰が何の順番を待っているのかなんて、とてもじゃないが想像したくない。

 つまる話、私が待つ筈だった部屋には神田って人が訪れているのだろうか?

 その光景を想像すると、体がガタガタと震え始めた。

 いけない、音を立てては隣の部屋に居る彼に存在を知らせる事になる。

 どうにかこうにか体を押さえつけて、唯と一緒に部屋の角に身を潜めていると、その音は聞こえた。

 プルルルル、という電子音の後に、苛立たし気に応える嵐山先輩。


 「んだよ神田、そっちは茜ちゃんとよろしくやってんのか? こっちはそれどころじゃ——」


 『た、助けてくれ!!』


 ハンズフリーで喋っているのか、相手の声もこちらまで響いて来た。


 「は? どしたの神田」


 『居るんだよ! 扉の向こうに! 何度もノックしてきて、それで——』


 ——黒家サン? イラッシャイマスカ? オ薬ノ時間デスヨ。


 また、あの声が聞こえた。

 自分の名前が呼ばれた事に、全身の鳥肌が立って体の震えが一段と増した。


 「はぁ? お前何いって——」


 『だから居るんだよ! ”久川さん”さんが、この部屋に訪ねてきやがっ——』


 ——痛クナイデスカラネ、ジットシテテ下サイネ。


 『あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』


 「は? おい神田!? どうしたんだよ! おい!!」


 どうやらそこで通話は切れてしまったらしい。

 隣の部屋から「あぁクソ!」みたいな罵倒が響き渡ると同時に、そこいらの物に八つ当たりする音が聞こえてくる。

 これは不味い。

 今ではこのおかしな現象を起している”久川さん”も、生きている人間の彼等も脅威にしかなり得ない。

 どうにか沙月を迎えに行って、この場から脱出しないと……

 なんて、考えたその時だった。


 ガラガラとカートを押す音が、廊下から響いて来た。

 来た、彼女が。

 聞き間違う筈がない、この階に”久川さん”さんが登ってきたのだ。

 そう考えるだけで手足は感覚を失い、震えるだけの体は脂汗を垂れ流した。

 まずい、このままでは不味い。


 「あ、茜……」


 小さい呟きを漏らす隣の彼女の体を抱きしめながら、私は恐怖に耐える事しかできなかった。

 ただただ震えながら、廊下に続く病室の小窓を睨む事しか出来ない。

 なんと滑稽だろうか。

 もしも彼女がこの部屋に入ってきたら、私たちはどうなってしまうんだろうか?

 考えても、その先が見えない。

 でもきっと”良くない事”が待っているのだろう。

 そう考えただけで、股下から何かが漏れ始めた。

 こんな事をしている場合ではない事は分かっているが、仕方ないじゃないか。

 だっていくら考えても、”カノジョ”に捕まった後どうなるか分からないのだ。

 ただ彼等と沙月の悲鳴だけが耳に残る。

 あの声から想像すると、どうしたって絶望的な未来しか想像出来ない。


 「なんなんだよ! アイツら何やってんだよ! これじゃ丸つぶれじゃねぇか! 唯の後は茜の所に行く予定だったのによ!」


 事態に気づいていないのか、隣室の彼は騒ぎ続けている。

 っていうか随分好き勝手言っているようだが、今回ばかりはソレが幸いしたと言っていいだろう。

 彼の大きな声に紛れて、私たちの小さな悲鳴や震える物音に気づかず、”カノジョ”が扉の前を素通りしてくれたのだから。


 「ヒッ!」


 「唯、静かに!」


 目の前の廊下を、”久川さん”が通り過ぎていく。

 月明りしかない差さしていない小窓から覗くその影はやけに薄い。

 それでもこの部屋の前を通り過ぎた事だけは確認できた。

 そして……


 ——三上サン、オ薬ノ時間デスヨ。


 「……は?」


 ——少シ、チクットシマスケド、大丈夫デスカラネ。


 『あああああぁぁぁぁぁ!』


 彼の絶叫を耳に残しながら、私たちは406号室を飛び出した。

 目指すは109号室。

 沙月だけは、回収してから逃げ出さないと。


 ————


 結果だけを言えば、私たちは廃墟から脱出することが出来た。

 しかも三人で、だ。

 ただ一人だけ、沙月は虚ろな目をしながら片脚に緑色の下着を巻き付けていたが。

 電話で聞いていた限りは、最悪の事態にはまだ陥ってないのだろう。


 「と、とにかく国道に出よう! もしかしたら誰か止まってくれるかも! 乗せてくれなくても警察は呼んでくれるかもしれないし!」


 正直国道がどっち行けば伸びているのかも分からない、しかも例え辿り着いたとしてもこの時間だ。

 片田舎と言ってもいいこんな場所まで来てしまった以上、車が通るかも分からない。

 それでも、私たちは山道を歩くしかなかった。


 「沙月!? ちゃんと歩いて! どうしたの!?」


 二人して沙月に肩を貸しているのに、さっきから変だ。

 まるで膝に力が入っていない様な様子で、ズルズルと山道を私たちに引きずられている。

 廃人になってしまったみたいに、瞳は開いているのに体を一切動かそうとしないのだ。

 あの病室で、彼女はこの世の者とは思えない程の悲鳴を上げていた。

 何があったのか、それは聞いても話せる状況ではないだろう。

 そしてこの様子を見る以上、彼に何をされたかも、聞くべきではないと思えた。

 

 「茜! 見て! 道が見えてきた!」


 唯が指さす先に、街灯に照らされた国道と思われる整備された道路が見えてきた。

 私たちは迷うことなく獣道を外れ、ガードレールを超えた。

 安心したからなのか、膝の力が抜けて道に三人して倒れ込んでしまった。

 流石に体力の限界……なんて思ったその時、視界の先から車が現れた。

 あ、これ、不味いかも。

 なんて思ったのも束の間、車は急に挙動を変え不安定に揺れ始める。

 そして響くスキール音を奏でながら、私の頭ギリギリの所を車体を横にしながら通り過ぎた。


 「あっぶねぇなぁ!! てめぇら寝るなら場所考えろや!」


 やけに鍛えた体の男性が車から下りてきた辺りで、私の意思は途切れた。

 暗い闇に包まれ、体が軽くなったと思ったその後で、目を開くと真っ白な天井が映った。

 そして周りに囲んでいるのは、白衣と黒いスーツのコントラスト。

 そのウチの一人が口を開いた。


 「お目覚めですか? 黒家 茜さん。 少しお話を聞かせて頂きたいんですが、構わないでしょうか?」


 険しい顔の彼は、そう言って私上半身を抱き起こした。


短編なのでガンガン上げます。

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