第14話 アネモネ
転がった衝撃で体のあちこちが痛む。だがここは空の上ではなく、公園の向かいの歩道だ。
一華を抱きかかえた僕は勢いを殺さず反対側の歩道まで転がり、間一髪でトラックに轢かれずに済んだのだ。
「一華!怪我は無い?」
「びっくりした……もう、こんな事しなくたって私達死んでるのに」
そういえばそうだった。デジャヴと一華が傷つく恐怖で思わず体が動いてしまったが、もしかして無駄なことをしてしまったのだろうか。
「でも、死ぬほどの衝撃を受けたら実体化が解けてデートの続きができなくなっちゃうから、助けて貰えてよかったわ。その、ありがとうね」
そういうと一華は、腕を僕の体にまわしてぎゅっと抱き返してきた。地面に寝転がりながら抱き合っている状態だ。傍から見れば凄く恥ずかしい恰好だが、今は幸せでいっぱいだった。今度は自分も好きな女の子のことも守れたのだ。
「それに、名前」
「名前?」
「やっと一華って、言ってくれた……」
抱きしめる力を一段と強くしながら、一華は僕の肩に顔をうずめた。
「あれ?そういえば言った……かも?」
「なんで疑問形なのよ!言ったわよ!このままさん付けで終わるんじゃないか心配だったんだから!」
「そ、そんなに気にしてたの?」
騒いでいた時にこちらを睨みつけていた目がはっと見開かれて、そのまままた顔をうずめてしまった。なんだか巣穴に隠れる小動物みたいだ。
「だってそりゃあ、呼び捨ての方が仲良しって感じじゃない。好きな人には名前で呼ばれたいじゃない……」
好きな人、と言われたことで思考が硬直しかけた。これは、成功したということだろうか?しかも――
「呼び捨てがどうこうって話、割と始めの方にしたよね……えっ、その頃から……好き、だったの?」
「すすす好きっていうか!?子供の身代わりになるなんて格好良いことするじゃないとは思ってたし、話してて楽しいし優しいし、でも気弱だし、かと思えば恥ずかしいこと言ってくるし、放っておけないというか見ててやんなきゃって気持ちになって……」
しばらくもじもじとした後、一華はちらりとこちらを向いた。上目遣いである。いろいろと僕には刺激が強すぎる。
「こんな気持ちになったの初めてだから,、よく分からないわ……」
「実は僕も、初めてだから確証はないんだけどね……」
おどけてみせると、一華は「なんだそりゃ!」と言いながら笑顔で軽く胸のあたりを小突いてきた。
互いに人と触れ合う経験に乏しく不器用で、でもだからこそ仲良くなれたのかも知れない。だとしたら、今までの人生を『チキン』で過ごしたのも無駄ではなかったようだ。
「ありがとう、一華」
「こっちこそ、ありがとう……真大」
「ど、どうしてこれでうずくまるの?」
「あまりにも自然に呼び捨てするようになったからよ!呼ばれたいとは思っていたけれど、これは恥ずかしくて私がもたないかも……」
いちいち顔を隠すしぐさが可愛くてずっと見ていたくなるが、流石にいつまでも道に寝転がってはいられなかった。
名残惜し気にゆっくりと手を離し、僕は立ち上がって服についた土を払った。
「そういえば花束、どこに飛んで行ったんだ?」
「そうだ!アネモネ!」
ばっと飛び起きた一華と共に、あたりを見回した。
赤い花弁は分かりやすく、すぐ目に飛び込んできた。僕たちが轢かれそうになった道路の上に、無残に散らばっていた。
茎の部分も、たった今通り過ぎた車に轢かれてすりつぶされてしまった。
「あ……私が掴み損ねたから……」
「そんな!一華は悪くないよ、しっかり握ってなかった僕が悪いんだし」
余程ショックだったのか、らしくなく凹んでいる一華の言葉を否定して、こう続けた。
「それに、ぼ、僕のアネモネが無事だったから」
「……ふふ、それ格好良く言い切らないと滑稽よ?」
「うう、だって恥ずかしくて」
「やっぱり見ててやんなきゃ、頼りなくて駄目ね!ほら、そろそろご飯食べにいきましょ」
「うん」
今度こそ手から離れないように、互いの指をしっかり絡めて歩き出した。
辺りは薄暗くなり、街灯が灯り始める。明かりに照らされている繋がれた手は、薄っすら透け始めていた。
一日が終わろうとしていた。




