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短編集

ロールケーキは甘くない

作者: 巫 夏希

「結婚するんだ」


 十年ぶりに出会ったクラスメイトに、喫茶店でそう言われた。

 それを言われた俺は、アイスコーヒーを一口啜りながら「……そう」と言った。それしか言えなかった。


「変わったね、この町も。卒業したのって、もう何年前だっけ?」

「十年前だろ。俺もお前も、年を取るわけだよ」

「やだ。何よ、その表現」


 あいつは、そう言って昔と変わらない笑顔で答える。

 ガムシロップを開ける。もう三つ目だぞ。


「……相変わらず、甘党だな」

「そうかな。……そうかもしれないね」


 そう言って結局四つのガムシロップ、三つのミルクを入れた。もうそれ、カフェオレだぞ。そうツッコミを入れるのは、きっと学生時代だけの話になると思う。今なら、そんなことはしない。野暮だから。


「ロールケーキでございます」


 そう言って店員が持ってきたロールケーキを見つめる。

 フルーツと生クリームが入った、ごく普通のロールケーキだ。今思えば昔はこれを高級品と思っていたのだが、それもとても懐かしい思い出の一つに数えられている。

 店員は俺とあいつの前にそれを置いた。


「いやあ、懐かしいねえ。まさかまだこのお店、ロールケーキ販売しているなんて」

「……そうだな。俺も知らなかったよ」


 卒業してから十年間。あまり訪れることのなかった店。

 理由は――もう考えたくなかった。


「町も、お店も、どんどん変わっていって……でも、ユウくんは全然変わらないね」


 フォークでロールケーキを一口大に切って、それを口に入れるあいつの顔はとても幸せそうだった。

 そういえばこのロールケーキ、生クリームがとても甘かった記憶がある。甘党のあいつにはお似合いだ……そんなことを笑いながら話していた。そんなこともあった。

 学生時代なんて、あっという間。

 むしろ、それからのほうが気の遠くなるほど長い。


「……どうしたの?」


 あいつの声を聴いて、俺は我に返った。


「……ん。いや、とてもロールケーキを美味そうに食べるもんだから」

「だって美味しいんだもん。久しぶりに食べたからかもしれないけれど、それでもここのお店のロールケーキ、絶品だよ。都会にもいろいろとおいしいロールケーキ屋さんはあるけれど、中でもここは絶品。何というか素朴な感じがするよね」

「それ、褒めているのか?」


 俺も、食べることにしよう。

 そう思ってフォークをとって、ロールケーキを切り分ける。

 そしてそれを口の中に入れた。

 しっとりとしたスポンジ生地に、しっかりとした生クリーム、そしてキウイと蜜柑といったフルーツの瑞々しさが口の中に広がった。


「……美味しい」

「そう言ってくれて、嬉しいよ」


 俺とあいつの会話は、いつも淡白なものだった。

 それは昔からだったから、それについては致し方ないことなのかもしれないけれど。


「そういえば、」



 ――君は、どうなの?



 唐突にあいつは、俺のことについて質問を始めた。唐突に、とは言ってみたものの、実際はそんな展開は来て然るべきものだと言えるだろう。いずれにせよ、俺のことが聞かれる――そんなことは、重々理解していることだった。

 しかしながら、いざあいつに質問されてみると……やっぱり恥ずかしいものがある。なんだろうな。昔からの馴染みだから、というところがあるのかもしれない。


「俺は、いつも通りだよ。ここで暮らして、この町で働いているよ。……すっかりこの町も寂れてきてしまって。俺としては、寂しいものがあるんだけれど」


 それは、間違いじゃなかった。

 間違いじゃなかった、というよりかは、嘘を吐いていると言ったほうが正しいのかもしれないけれど。

 俺はコーヒーカップを手に取り、そのまま口に寄せて傾ける。熱くなっていたコーヒーはすっかり温くなってしまっていた。仕方ないといえば仕方ないけれど、あまりの熱さに舌を火傷してしまうよりかはマシだった。


「あ、」


 彼女は、外を見て何か驚いたような声を出した。

 コーヒーカップを持ちながら、俺も外を眺める。

 外は雪が降り始めていた。まだ積もっている様子が見えないから、降り始めたばかりだろうか。外を歩く人が忙しくなく歩き始めるのを見て、彼女はこちらを見た。


「雪、降ってきたね」

「……そうだね」


 雪。

 そういえば彼女と話をしているときは、いつもこんな調子だった。

 雨でもなく、晴れでもなく、曇りでもなく、雪。

 まるでこの世界がすべてクリームを塗りたくられたような、そんな感じ。

 彼女と話す機会が生まれたのは、学生時代でも、冬の時期だった。中学二年生の冬。彼女のことを名前で初めて読んだのが、その雪の降る夜だった。

 それから俺と彼女の距離感はいつも曖昧な感じで、話をしたのはその冬の数回だけ。俺も彼女もあまり干渉出来るようなものでもなくて、気が付けば、話をしていなかったということになるのだろうけれど。

 彼女は時計を見遣って、呟く。


「……飛行機の時間だ。行かなくちゃ」

「飛ぶのかい? 雪が降っているけれど」

「それは行ってみないと解らないよ」


 彼女は立ち上がり、伝票を持っていく。


「あ、俺が払うよ」

「いいよ、私に払わせて。いや、私が払いたいの。……きっと、この街に戻るのも最後になるかもしれないから」

「……何で?」


 そういえばさっき飛行機とか言っていたけれど――まさか?


「今、海外に住んでいるの。マンハッタン。五年前まではパリに住んでいたけれどね、仕事の関係で今はアメリカに住んでいるの。大統領が変わって色々と仕事も大変だけれど、それでも日本ではやれないことが色々とあるから楽しいものよ」

「海外。今、海外に居るんだ」


 こくり、と頷く彼女。

 そうか。俺が気付かない間に――彼女はあっという間に遠くに行ってしまっていた。それを、俺は、気付けなかった。


「そういえば、」


 踵を返し、俺の左手を指差す。


「何?」

「結婚、おめでとう」


 左手の薬指。

 そこには指輪が嵌められていた。

 俺も、一年前大学時代に出会った恋人と結婚していた。そして、来月には子供も生まれる。順風満帆な人生だと言ってもいいかもしれない。

 でも、それは第三者から見て――の話だ。

 俺の中には、未だ中学時代の思い出が大きく残っている。

 けれど、それを悟られることなく、俺は頷いて笑みを浮かべる。


「ありがとう」






 外に出て、彼女と別れて、一人ホテルへと向かう。この雪じゃ、車を動かしたところでまともに帰ることなど出来ないだろう。別にそれが理由ではないけれど、今日はホテルをとっていて、明日家に帰る予定だった。

 降り注ぐ雪を見つめながら、俺は考えていた。

 考えていたことは、当然ながら、先程の喫茶店でのことだった。

 十年ぶりに食べたロールケーキは、ほろ苦い。

 それがロールケーキ自体の味では無いということは、自分自身理解していたのだけれど、今はロールケーキの所為にしておきたかった。

 雪は街の景色を白く染め上げていく。

 けれど、俺の中に残るほろ苦い過去は――そんな雪にも白く染め上げることなんて、出来ないのだった。




終わり

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