恋が始まるきっかけは…
小掠由佳は数少ない女性陣の中で一番パッとしないタイプである。
髪の毛をしっかりとまとめ眼鏡をかけて言われたことをきっちりとこなす姿は陰で“お局候補生”と呼ばれていた。
男…三倉優介もそう思っていた一人で、一回だけ眼鏡を外した姿をたまたま見て『けっこう可愛いじゃん。もったいねー』とは思ったことはあっても、それだけだった。
それが変わったのは今年のバレンタインデーのせいだ。
その日、優介は腕時計のメンテナンスをしに都内のデパートまで来ていた。
学生時代に一目惚れし親に頼み込んでローンを組んでまで買ったそれを優介はとても大事にしていて、年に一回はこうしてメンテナンスをしてもらいにきている。
「そんなに来なくても大丈夫ですよ」と言われたこともあったが、優介がどんなにこの時計が大切なのかを力説するともうなにも言われなくなった。
そんなこんなで見てもらってる間は暇なので路地に面した喫茶店でコーヒーを飲んでいると、ふわふわとした可愛い女性がスキップしながら歩いてくるのが見えた。
奇しくも今日はバレンタインデー。
デートに向かってんだろうな。楽しそうだな。
と何となく見ていると近づいてくる顔に見覚えがあることに気がついた。
『あれ?あの顔って…』
優介は自分の出したら答えに驚き、近づいてくる女性をじーっと見つめた。そう、その女性は小椋由佳だったのだ。
会社ではいつもきっちりとまとめられている髪は緩く巻いて下ろされており、服装もお堅いスーツではなく薄ピンク色の膝上ワンピースを着てクリーム色のファーのついた白いコートを羽織り、ニットのロングブーツを履いている。
『お局候補生にも彼氏いるんだな…つか、あんな格好出来るんなら会社でもすればいいのに』
にこにこと嬉しそうに笑いながら歩く由佳から目を離すことができず、優介は由佳が見えなくなるまで見送っていた。
バレンタインデーなんかにメンテに来るんじゃなかった。と、もやもやする気持ちを抱えて、残りの待ち時間を過ごす。
2時間後、無事に“問題なし”と返ってきた腕時計をはめて、優介は帰路についていた。
何となく浮わついた雰囲気の街を一人でうろつく気分にもなれず、早足で駅まで向かう。
すると、目の前のデパートからさっき見た女性…由佳が何かを大事そうに抱えて出てくるのが見えた。
由佳は優介の存在に気づくことなく、鼻歌を歌い軽くスキップを踏みながら前を歩いている。その様子はどう見てもデートの待ち合わせに向かう幸せそうな女子にしか見えない。
『お局候補生なんかと付き合う物好きの顔を見てやろう』
趣味の悪いことだとは思うが向かう方向が同じだからそのついで…と自分を無理矢理納得させ、優介は由佳の後を追った。
るんたった♪とワンピースの裾を翻してステップを踏む由佳は後ろから見てもとても楽しそうで『そんなに彼氏のことが好きなのかよ』と優介の気分はどんどんやさぐれていった。
それならば後を追わなければいいのだが、何故かそうする気にはなれず不機嫌な気持ちを抱えながら後をつけると、由佳は待ち合わせ場所として有名なスポットを素通りし、駅の改札に向かっていく。
『あれ?』
優介はここで初めて違和感を持った。
そう、彼女は優介が見ている限り一度も、腕時計も携帯も見ていない。
待ち合わせなら、一度は確認するんじゃないだろうか?
気づいたら確認せずにはいられなくて、優介は小さく歌いながら歩く由佳のフードをくんっ、と、引っ張った。
「うわっ!!?」
女とは思えない声を上げて振り向いた由佳の顔が驚きに染まる。
「よぉ、偶然だな」
大口を開けたままこくこくと頷く由佳が妙に可愛く感じて顔を見ることができず、優介は由佳の服ばかり見ていた。
「何してんの?…デート?」
小さく呟くと、由佳は慌てて否定した。
「いや、そんな訳ないでしょ知っての通りお一人様よ?
今日はチョコレート買いに来ただけ。」
「んな可愛い格好して?」
「休みに何着ようと私の勝手でしょー。
似合わないの知ってるけど好きなのよね。」
“デートじゃなかった!”
その事実に自然と緩む表情筋に仕事しろ!と叱咤しつつ、優介は平静を装う。
「じゃあそれは?」
「ん?自分用よ。」
由佳の手元にあるチョコレートが彼氏にあげるものではないのなら、自分が貰ってもいいんじゃないか?
そんな淡い期待を込めてじっと見つめるが由佳に全力で拒否される。
「…あげないわよ?」
「何で」
「自分用だもの」
「バレンタインデーに偶然とはいえ出会った同僚。
自分の手元にはチョコレートがある。
さて、その時にする行動は?」
「挨拶して帰る!
そんな訳で、また明日ね」
優介の期待をバッサリと切り捨て、由佳はそそくさと帰っていった。
自分のことなど欠片も気にしてないその様子に、ふつふつと闘争心がわいてくる。
「ぜってーオトす!!」
誰ともともなく宣言した優介の戦いはこの日から始まったのだった。