届いた遺志
「違う……」
ポツリと呟いたソフィーの身体が、ふらりと傾く。ラスカが慌てて彼女の肩を抱いた。
「ソフィーさん?!大丈夫ですか?」
顔を覗きこむと、死んでいるのかと見紛うほどに血の気が失せていた。乾ききった唇は何かを訴えようとしているようだが、僅かに動くのみだ。
『たいへん!でんせんしちゃう!』
ルイがソフィーの手を握ると、ほんのりと暖かい光が彼女を包む。なんとか伝染を抑えようとしているのだろうか。恐怖とは別の、良くない感情がソフィーを飲み込もうとしているのが、ラスカにも分かった。
ゴオオオォォ……
唸るような、風の音が響いた。黒い渦が視界の隅に見えたかと思うと、嵐があっというまに巻き起こる。あの墓地で遭遇したものと同じ、悲鳴にも似た感情の嵐ーー
「あわわ☆なにごと?!」
「……ちっ!」
レイは舌打ちしながらどこからか細身の剣を取りだすと、床に突き立てた。少年を中心にして魔方陣が浮かび上がる。
「中に入って!」
言われるがまま、ラスカはソフィーも抱えて魔方陣に飛び乗る。魔方陣の内側では、比較的嵐の影響が少ないように感じた。
「急いで作ったから少ししかもたない。今ちゃんとしたのを張り直しているから外には出ないでよ!」
「あ!」
声をあげたヴァルクの視線を辿ると、嵐の中に女性の影が見えた。
髪の毛を風に巻き上げながら、ゆらゆらと近づいてくる。
『出ていけ』
はっきりとしているようにも、ざわついているようにも聞こえる。とにかく不快感を感じる声だった。
「レイレイ、アンちゃんが、幽霊が来るよ!」
ヴァルクの言葉にソフィーが僅かに視線を動かして女性の霊を見た。
「あれが……」
『出ていけぇ!!』
叫び、突風が襲う。壊れそうになっていた魔方陣がギリギリで新しいものに切り替わり、なんとかそれを凌いだ。
「そうか……アンジェリカさんは、優しいんですね。」
「ソフィーさん?」
ラスカが彼女を見ると、ポロポロと涙を溢していた。虚ろな瞳には、暗い暗い影が落ちている。
「ごめんなさい……私はーーわたしはっ」
アンジェリカの悲鳴を掻き消すほど、ソフィーは叫んでいた。彼女の涙が黒いものに変わり、その背中を何かが突き破った。
闇色のなにか。異形のモノ。
翼ーーのようにも見える。
「ルイ!」
『わかった!』
一瞬のやり取りのあと、ルイがソフィーの腕を引っ張り開いていた窓から外へと飛び出していった。煌々とした輝きと嵐を切り裂くような叫びが尾を引きながら、矢のごとく飛んでいく。
そのあとを追うようにして、風の唸りが離れていった。
「……」
レイはその様子を見届けると、アンジェリカの方に向き直る。一瞬ラスカと目が合ったが、無言で視線を反らした。
☆★☆★
「アンちゃん、助けに来たよ☆」
嵐が去って見えたのは、アンジェリカと、いつの間にかその目の前に立っていたヴァルクだった。
「あの馬鹿……」
いち早く気がついたディークリフトが駆け出し、レイも声を上げる。
「ヴァルクさん!恐怖が伝染するよ!」
「どうして?」
「……!」
短く、柔らかな口調だったが、レイは思わず絶句した。青年は微笑みを崩さずに、首をかしげて見せる。
「確か、恐怖を少しでも持っていたらそれを引っ張り出されちゃうんだったよね?僕は全然怖くないから平気だよ☆だって、アンちゃんだから☆」
影の悲鳴をものともせず、平然と立っているヴァルクに、ラスカはこの青年の強さを初めて感じた気がした。想いが、真っ直ぐなのだ。暗い嵐の中だろうが折れずに突き進む、眩しい光そのものだった。
「僕にはみえるんだよ、アンちゃんの意志が☆誰も傷つけたくない、守りたいっていう意志が☆だから、恐怖を集めて身に纏って、その力を使って来る者を追い返していたんだね☆」
この地で暴走した感情は複数あった。
人を死へ導く感情もその中にあり、それらから人を守るため、恐怖を伝染させることで追い返していたというのか。
「そう……兵士が来たんだね☆……ああ、だから使用人達を……☆うんうん、それで……あの魔方陣を……」
ヴァルクになにがみえているのかは、ラスカには分からなかった。
沈黙したままの彼女の影と、相槌をうち語りかけるヴァルクの側で、ただ成り行きを見守ることしかできない。
「意志……いや、遺志が、強く残ったんだね☆でも、僕にはアンちゃんのもうひとつの遺志が見えたんだよ☆」
懐からぼろぼろの熊のぬいぐるみを取りだし、影に見せる。
「助けて欲しかったんでしょう?強い遺志に弾き出されちゃったみたいだけど、これもアンちゃんの遺志だもの☆」
『あのね』
いつのまに戻って来ていたのか、ルイがヴァルクの服の裾をちょんちょんと引っ張る。
『るーたちもね、あんじぇりかさんをたすけにきたの。るーも、がんばって、ぼうそう、おさえるよ?『じょうか』は、るーのおしごとなの。』
「ふふ☆ルイルイ、頼りになるね☆」
ぬいぐるみが、青年と影とを交互に見上げる。ヴァルクはそっと綿の出たその頭を撫で、にっこりと笑った。
「僕は、アンちゃんも、救われてもいいと思うんだ☆」
ーーー
ゆらり。
最初は、大きな揺らめきだった。
それから、枯れ葉の山が風に吹き散らされるように、アンジェリカの影が崩れていく。崩れて、細かい粒となって、溶けて消えていく。
それを見て、ルイは目を閉じてすぅっと息を吸い込んだ。
『とばりあけ ひはのぼる
ひえただいちも あたためられる
たとえあらしに あれるとも
めぶくいぶきの よろこびを』
祈りを込めた歌が、鈴の声で紡がれ、響く。それに反応するように、影が溶け消えた辺りからぽつぽつと灯りが昇っていった。
「うわぁ~、すごいね☆」
歓声をあげるヴァルクの目の前で、アンジェリカの影は完全に消え、一際大きな灯りが残る。
「人形の核だ。」
ディークリフトは、人形の核の部分を本人曰く『食べて』いる。ラスカも、以前に見たことがあった。
『これは、たべちゃだめ。』
ルイが首を横に振る。制されたディークリフトは不満げだったが、唇に人差し指を当てて見せるルイに、おとなしく引き下がった。
気がつけば、周囲に散っていた小さな灯りのいくつかが、再び核に集まり始めていた。ぬいぐるみから昇った灯りも、それらと一緒に核に吸収されていく。そして徐々に、小さく小さく……
「きゃあっ?!」
カッと、凝縮された光が弾け、ラスカは反射的に目を閉じた。それでも脳裏まで貫くような眩しさに、何度か瞬きをする。
一瞬か、永遠か。どちらにも感じる時が過ぎ、光が消えた後……
「えーっと、アンちゃん?」
ヴァルクの前に、掌程の小さな女の子がふわふわと浮いていた。




