雨の中で
「……!」
ラスカを見上げる真っ黒な瞳が大きくなり、その奥が僅かに揺らめいた気がした。立ち上がった少年は、一歩、後ずさる。
「少年は、彼女に驚かされる。」
そう言うものの、少年はすぐに仮面の表情になっていた。
「なぜこんなところに?と少年は問う。」
「アンジェリカさんのお墓参りに来たんです。」
相変わらずの奇妙な口調のデュークに答えながら、持ってきた花を墓石に供える。墓石も簡素な物だったが綺麗に手入れされており、気にかけている人がいるのだと安心した。
目を閉じ、手を組んで祈り終えると、その様子を見ていたらしい少年と目が合った。彼の手にも、同じように花がある。
「まさか本当に、あの依頼でここまで来たの?と少年は問う。」
「そうですよ。」
そういえば、この依頼を受けたのは……
『今までも、これからも、変わらず少年は不幸を呼び寄せるだろう』
ラスカは依頼書を取り出しながら、デュークと初めて会った時の事を思い出し、僅かに目を伏せた。
「でも、デュークが言っていた不幸が何なのかは、分からなかったんですけど……」
二つの依頼が生まれた背景に、少年が関わっている、ということだとラスカは思っていた。だが、アンジェリカの事件と、指輪の捜索と、少年との関係性は全く分かっていない。
「『この依頼を達成できたら、不幸は無くなるか?』少年は、以前にそう尋ねられた時、こう答えたはずだった。
『無くなるも何もない、既に起きてしまったのだから。既に広がってしまったのだから』」
デュークは淡々と言葉を並べていく。それまでの無機質なものとは違い、声に冷たいものが感じられた。
「なのに、なぜ」
「ほっとけなかったからです。」
どこか冷たい態度の少年の両肩に手を乗せ、ラスカは少しかがんで彼の目を正面から見つめる。
「余計なお節介でしたか?」
「……」
少年は何も言わず、ラスカもつられて視線を落とす。
ふと、手にしたままの書類の一角に書かれたメモが目に入った。
ーー『幽霊屋敷』
依頼の一つは指輪の捜索だったが、スーとエレンからここは幽霊屋敷として有名だと聞いたのだ。そのときに、情報として書き残していたが……
思い当たることがあり、ラスカはその屋敷の住所を確認する。
「アンジェリカさんの、別荘……!」
重要だったのは、指輪ではなくて屋敷の方。二つの依頼書がようやく繋がった気がした。
「不幸っていうのは……アンジェリカさんが亡くなったこと?それとも、幽霊の噂は本当で、彼女の魂がまだ彷徨っていること?」
そこまで言って、ラスカはすぐに否定する。
「違う……デュークのせいとは思えない。」
少年は機械のように首を横に振った。
「何も間違っていない、と少年は答える。少年が彼女に出会わなければ、彼女の側にいなければ、こんなことにはならなかったはずだ、と。少年が、彼女の未来を断ち切った。」
「……でも、アンジェリカさんは救えるかもしれません。」
確か、ルイの使徒としての能力に『浄化』があった。悪霊に使われることが多いが、清らかな魂を天に還すことが本来の目的だ。
ーールイに頼んでみれば、きっと……
「……ないで…」
急に悪寒がはしり、ラスカは肩を震わせた。
「……行かないで。」
「デューク?」
様子がおかしい。徐々に忍び寄る冷気を肌に感じながら、ラスカは訝しげに彼を見た。
「どうしたんですか?」
「あの場所には行かないで。悲しみも、絶望も、集まりすぎた。彼らは、集まって、増えて、引き寄せて……もっともっと、仲間を増やそうとする。……死を誘う。」
花束を持つ少年の手が、震える。
「嫌だ。……行かないでよ、ラスカ!僕は、もう失いたくない……っ」
叫び声と共に、突風が吹き付けた。
おおぉ……
ラスカの耳を掠めていく風が、悲鳴にも鳴き声にも聞こえる。
おぉぉ……あぁ……あぁぁ………
「あぁぁ……ああぁ………っ!」
苦しげな、胸を引き裂かれるような声が混じっている。身体を縮こませながら、ラスカは薄く目を開けた。
地面は黒くひび割れ、膝をつき腕をきつくかき抱く少年の姿が見えた。
落としたのであろう花束は、先程までは様々な色に咲いていたというのに、皆真っ白に色を失い、花びらをかたく閉ざしていた。
空は淀み、黒い雲が……
「痛っ」
頬を針で突かれたような感覚に、思わずさっと押さえる。指先に、冷たい水の感触を感じたとたん、ぽたぽたとそれは降ってきた。
ーー雨、じゃなくて……針?!
雨が、凍っている。雪ではない。降り注ぐ形を保ったままで凍りついているので、まるで針だ。当たるとすぐに溶け、肌に突き刺さる程ではないが、痛い。
強くなり続ける風と雨に視界は一気に悪くなった。濃い影の中で、ラスカはすぐに神経を研ぎ澄ませる。素早く順応を終えた彼女の目は、闇の中でも少年の姿を問題なくとらえた。あの苦しげな声はもう聞こえなくなったが、頭を垂れたまま身動き一つしない。
その小さな背中を、雨が貫いていた。滅茶苦茶に貫かれた少年の身体の中からもやのようなものが溢れ出て、輪郭がぼやけていく。
それはだんだんと大きくなり、少年のいたはずの場所には一人の青年がいた。
「……!」
★★★★★
雨が降っている。
一人の青年が、まだ幼い少女を庇うように、着ていた上着をかけてやり、さらにその上から抱き抱えている。
私はそれをぼんやりと眺めていた。
私にはこの光景が見えるのに、彼らからは私は見えていないようだ。まるで、その世界から私だけ弾き出されたよう。
雨は容赦なく彼らに降りかかり、青年の肩を、背中を
貫いていった。
ーー!
思わず叫んだはずなのに、声が出なかった。
青年が、私の方向を見た。私を通り越して、ずっと後ろの方に向かって何かを叫んでいる。
私は彼に手を伸ばそうとして、それが無くなっていることに気がついた。
あぁ、違う。最初から、無いのだ。
血も、肉も、骨も、私を構成するものは何も無くて、ただ意識だけがそこにある。
その意識すらも、急に薄れていく。
それが途切れる寸前
身体中から血を流しながら、青年が、私を見た。
★★★★★
「っ……デューク!」
叫んだあと、ラスカは自分が今にも倒れそうになっていることに気がついた。一瞬、意識がとんでいた気がする。
転びそうになりながらも体勢を立て直し、少年ーーもとい、青年のいた場所に目を向けた。
初めて見る青年だったが、黒い髪に、奈落のような暗い瞳、白い肌には見覚えがある。
「ラスカ……」
掠れた声は、少年の時のそれより低くなっていた。青年は目を見開き彼女を見ていたが、座り込んだまま後ずさった。
「……来ないで。」
拒絶の言葉を聞き入れず、ラスカは一歩踏み出す。
「……来ないでよ。」
「何を怖がっているの?」
「お願い……今は来ないで……。まだ大丈夫なら、伝染する前に、離れてよ……。近づかないで……っ」
「嫌。」
走りより、まだ立ち上がっていない青年の両肩を捕まえる。
「だいたい、行くなと言ったり来るなと言ったり、デュークはわがままよ。」
「なんで……」
震えながら、青年はラスカを見上げた。
「なんで、逃げないの?なんで、泣いたり、怖がったりしないの?」
「なんでって……その理由がないから。逃げてるのも、怖がってるのも、私じゃなくてデュークの方でしょう?」
「それが僕だもの。『恐怖』と『絶望』と『悲しみ』。それが伝染して、皆いなくなってしまう。」
白く、かたい蕾となった花束を拾い、目を伏せる。そんな青年を、ラスカはそっと後ろから抱き締め、髪をゆっくり撫でる。何度も何度も、慈しむように。
「私はいなくならない。だから大丈夫よ。」
ーーー
「……ん…」
いつのまにか、ラスカはうたた寝をしていた。ふと頭を上げて、自分が少年に寄りかかっていることに気がつく。
「わっ、デューク!ごめんなさい。」
「少年は、特に気にしていない。」
ラスカが身体を起こすのを確認して、少年も立ち上がる。小さな墓石に、持っていた花束を添えた。色は白いままだが、その花びらは綻んでいた。
少年はそれをしばらく見つめ、ラスカを振り返った。
「彼女の別荘に行くラスカに、少年は一つ助言をする。」




