出発に備えて
「あの、始めまして、ソフィーと申します。」
兄さんが連れてきたのは、20歳前後の若い女性だった。ディークリフトとラスカも、模擬戦を止めて話に加わる。
「あ、あの。私は、アンジェリカさん、の、妹で。姉を探している方がいると聞いて、その……」
視線を彷徨わせ、下を向いてしまう。突然のことで動揺しているのか、落ち着きがない。
「突然ごめんなさい。実は、アンジェリカさんのことについて聞きたい事があって。」
「えっと、その、私も、姉のことはよく知らないんですけど。住んでいた場所なら、分かります。」
荷物から地図を取りだし、印のある場所を指差す。ソフィーとアンジェリカは姉妹ではあるものの、異父兄弟で別々に育ったため、ほとんど何も分からないそうだ。
「ここからだと、馬車を使って十数日、くらいです。私も、その、そこを訪ねるところなんですが、」
「よろしければ、一緒に行っていいですか!」
「えっ?あの、はい。」
目を丸くするソフィーに、ラスカはハッとして頭を下げる。
「ごめんなさい、つい……。どうしても、アンジェリカさんについての情報が必要で。」
「いえ、その、大丈夫です。私も、お願いしようと思ってましたから。その、一緒に行ってくれるなら、心強いです。」
それから出発の日を決め、それぞれ準備のためにその場を解散した。
☆★☆★
とりあえず聖域に戻り、ラスカは剣の手入れをする。毎日行っていることではあるが、特に念入りに……
『なんで、ていれ?』
隣で見ていたルイが不思議そうに小首を傾げる。剣の手入れじたいが分からない訳ではないようで、今それをする必要はあるのか、と言いたげな表情だ。
「あ、そうですね。つい。」
遠出といえば狩りだったため、思わず武器の手入れをしてしまっていたが、今回は違うのだ。
それに、今回は駅馬車で移動するため、ソフィーを含め他者の目がある。草原の民の元へ旅した時のように、好きな時に聖域に戻って、といった方法は取れない。
「たしか、ケイシーさんの依頼の時に同じように馬車で遠出をしましたよね。」
ラスカが初めて受けた、巫女見習いの少女からの依頼の時だ。あの時準備をした物は……
「そういえば、あの時も私は何も準備していなかったような。」
依頼主であるケイシーが全て揃えていたため、剣や装備と着替えを少し持っていっただけだった。
『たべるもの、だいじ。』
「たしかに……」
初歩的な事を忘れていたようだ。
目的地までは片道だけでも十数日ということなので、保存がきく物がいいだろう。すっかり忘れていたが、固く焼いたパンや干し肉等が一般的な冒険者の食料だと、冒険者教室で習った覚えがある。
往復と、予備の分を考えて、30日分くらいだろうか。まずはそれを買い揃える必要がある。
屋敷から出ようとしたところで、ラスカは声をかけられる。
「今から準備か。」
振り返ると、猫を抱えたディークリフトがいた。
「はい。移動中は聖域に戻って来ることができないですから、食料も必要ですし。」
「それもそうか。ということは、しばらく食事は黒パンや干し肉が主に……。」
ぶつぶつと呟きながら何かを思案し始めるディークリフトの腕の中で、構ってもらえず不貞腐れたらしい猫が、ペシペシとしっぽで彼を叩き始めた。
「……あ、すまない、シャルロッテ。」
視線を向け、白い猫の耳を慣れた手つきで撫でる。満足そうに喉を鳴らす猫に僅かに目を細め、手の動きはそのままで再びラスカを見た。
ーーいいなぁ……柔らかそう。
触りたい、と思いながらその様子を見ていたラスカは、ディークリフトと目が合いドキッとする。
「……やらんぞ。」
取られると思ったのか、さっと猫を遠ざける青年に小さな子供を重ねてしまい、思わず吹き出した。
「出発予定日まではまだまだだろう。食料は後回しにして、薬草とか回復薬から優先して買うといい。」
「分かりました。助言、ありがとうございます。」
ラスカはディークリフトにお礼を言うと、鍵でゲートを開いて町へと向かう。ディークリフトは、そんな彼女の後ろ姿を眺め……その姿が見えなくなっても、しばらくその場に佇んでいた。
「一ヶ月か……」
ぽつり、と呟いた後で、ぐしゃぐしゃっと手元の猫の毛をかき撫で始める。
「あぁ~~…………」
しまいには、もみくちゃにされる猫。
されるがままになっていたシャルロッテが目を回し始めた頃、ようやくディークリフトの手が止まった。
「……さて、と。俺はとある魔道具の開発で、暫く部屋にこもる。いい子にいているんだよ、シャルロッテ。」
「にゃあ~~……」
床に降ろされた猫がこてんっと転がるが、ディークリフトはそれに気がつくこともなく屋敷の奥へと姿を消した。
ーーー
「ふんふんふーん♪」
ある日の朝。活気の出てきた街中で、鼻歌をうたっている者が一人。
「うんうん。今日もいい感じだねぇ。皆とても魅力的だよぉ。」
ふわふわと癖のある金髪を揺らしながら歩いているのは、特定の人達から『マスター』と呼ばれている青年だ。
「でも、やっぱり寒いなぁ。……ということでぇ、ちょっと中に入れてぇ?」
「鍛冶屋に暖をとりに来るのは坊っちゃんくらいだぞ。」
「照れるねぇ。」
「いや、誉めてねーよ。」
突然押し掛けられた鍛冶屋の親父は、そういいながらも青年を咎めたりせずに笑っている。
「毎日熱心だよな。朝から女性を口説きまわるとは。」
「えぇ?そんなことないよぉ?」
いいかぁい?と真剣な表情で人差し指を立ててみせる。
「僕は、書類とにらめっこするのは苦手なんだよぉ。だから、それは他の人に任せてるんだよぉ。適材適所だねぇ。」
「……それって、怠けてい」
「怠けている訳ではないよぉ?僕だって、ちゃんと散歩兼見廻りをしているからねぇ。」
「散歩兼見廻り……」
得意気に胸を張る青年に男は何か言いたげだったが、結局「まあ、いいか」で済ませてしまった。
「坊っちゃんだしな。」
「?うん、さすが僕だねぇ。……あ。」
「ん?」
何かを見つけたらしい青年の様子に、男も気になってその視線の先を見たが、いつもと変わらない光景があるだけだった。
「暖まったし、僕もう行くねぇ。」
「なんだ?またナンパか?」
「ちょっと気になる女性がいたからぁ、声をかけるだけだよぉ。」
「それを世間一般ではナンパと言うんだ。」
「厳しい世の中だねぇ。」
青年は笑いながら肩をすくめて、工房を後にした。雑踏の中を小走りで進み、とある女性の後ろ姿を追いかける。
「ねぇ、ちょっといいかぁい?お嬢さぁん?」




