少年
ラスカは、久しぶりにギルドに張り出された依頼を眺めていた。
王都に帰ってきてからは日和亭で働いている。たまに魔物を狩り、素材や魔石を換金しているが、それは狩りであり、依頼とは別の扱いだ。
最後に依頼を受けたのは、草原の民の元へ旅立つ前だった。ただ、一定の期間依頼を受けていないとランクが下がってしまう。低いランクほどその期間が短く、ランク2のラスカなら半年。
ちなみに、ランクはギルドカードに記された星の数で知ることができる。星の数は5まであるのだが、最初は星なしからのスタートなので、0~5の六段階だ。
ランク1、星なしは薬草集めやポーション作り等の『採取・生産』の仕事ばかりだ。
討伐の仕事や魔物狩りができるのはランク2である星1から。だから、ランク2が実際のところの『新米冒険者』と言える。そう、今のラスカのランクだ。自由に狩りを続けられる為にも、ランクを落とす訳にはいかない。
「えっと……」
依頼を受けていない期間をリセットするのが目的のため、内容や報酬はそれほど気にしなくてもよいのだが、なんとなく全て見てまわる。
「……?」
ふと、隅っこの方に張り出された依頼をじっと見ている少年に気がついた。特殊パーティーのメンバーである兄さんと同じような黒目に黒髪。ただ、兄さんとは肌の色素が違う。少年の肌は雪よりも白く、かえって病人のようにも見える。この頃は日に日に寒くなっており、無事に冬を越せるか心配になってしまう程だ。
その横顔は人形のようだった。ただ整っているというわけではなく、一切の感情が抜け落ちた仮面のようだった。
少年に近づいた途端、周囲がズンと暗くなり、あらゆる音が遠のくような錯覚を覚える。影が落ちたような、そんな感覚だ。
「あの……?」
声をかけても無反応で、本当に人形かと思ってしまう。
「あの、大丈夫ですか?」
「……」
ぽんぽんっと軽く肩をたたいてみると、ピクンッと反応して僅かに目を見開いた。
その変化は一瞬で、すぐに仮面の顔がラスカを見上げた。
「……少年は、驚いている。」
「?」
ラスカはその変わった言い様に戸惑ったが、異国の子なのだろうか、と考えることにした。多分、『びっくりした』と言いたいのだろう。
「少年の存在に気がつく者はいない。君は誰、と少年は問う。」
「ラスカです。あなたは?」
答えながら、ラスカはその違和感に気がつく。少年はスラスラと言葉を並べていて、意図的にその奇妙な話し方をしているように見えた。
「少年に名前はない。少年は、『彼』の恐怖と、絶望と、悲しみから生まれた。」
「え……?」
「少年はまた、それらを生み出し、広げる。」
「……!」
少年の黒い瞳に、ラスカは息を飲んだ。この少年は、自分の事を『恐怖と絶望と悲しみから生まれ、それを生み出す』と言っている。もちろんそんなことは信じられないが、少年は冗談を言っているようには見えなかった。
少年の言葉は何を意味しているのか。
望まれずに生まれた子なのか。
呪いの類いでもかけられているのか。
様々な可能性が浮かび、広がっては、消えていく。
もしかしたら、悲惨な出来事が、少年の過去にあったのかもしれない。『自分』を『他人』として認識しなければ、自分を保てないほどに……自分を守れないほどに、悲しく、辛い事が。
「でも、自分を疫病神のように言う必要はないと思います。過去にあなたが原因で起こってしまった何かがあったとしても、これからもそうなり続ける訳ではないでしょう?」
もがいて足掻いていれば、未来は変えられるはず。せめて、今よりもいい状況には……
「違う、と少年は断言する。今までも、これからも、変わらず少年は不幸を呼び寄せるだろう、と。こうしてまた、生み出した。」
少年はラスカから目をそらし、再びそこにある依頼書を見つめた。この依頼が生まれた背景に、少年が関わっている、ということだろうか。
「この依頼を達成できたら、貴方の不幸は無くなりますか?」
「無くなるも何もない、既に起きてしまったのだから。既に広がってしまったのだから、と少年は答える。」
ラスカの行動は無駄なのだと言わんばかりに、少年の暗い瞳は動かない。
「幸せにすることはできないかもしれませんけど……それでも、やってみますね。」
少年の纏う闇の空気は濃く、それを払拭するのは難しそうだった。だから断言することはできないが、それでも、なんとかしてあげたかった。
見ると、何故か呆けている少年の姿があった。
「『できない』と言っておいて、なぜ救おうとするのか、少年は理解できない。」
「貴方を完全に救うだけの力があれば『できる』と断言するんですけど。自分の言葉に責任が持てないのは嫌ですし、約束を果たせなかったら貴方を余計に悲しませることになるでしょう?」
依頼書を手に取り、ラスカは少年に目線を合わせて微笑んだ。
「それでも、力になりたい、助けたいと思うのは本当なんですよ。ただの自己満足かもしれませんが。」
ラスカの行動が、少年を完全に救うことはない。それでも、少しでも慰めになれば、少しでも救いになれば、そう思った。
少年は何も言わずに踵を返し歩き始めようとする。
「待って、……」
引き留めようとしたラスカは、結局少年の名前を聞けなかった事を思い出す。
「デューク。」
歩を止め、振り返った少年は短くそう言った。
「少年を生み出した『彼』の名。そして、おそらく少年の名。」
「……デューク?」
カチリ、とラスカの中で何かが音をたてて開いた気がした。
「……?!」
思考の海に沈みそうになったラスカを、周囲の喧騒が現実に引き戻す。少年といた時にあった影はなくなり、賑やかな声がすぐ側で聞こえてくる。
はっと気がついた時には、少年の姿は消えていた。
ーーー
ーーー『かわいそうに』『辛かったでしょう』
ーーー『君を救ってみせるよ』『信じて』
今まで会った者達が口々に言っていた言葉を、少年はおぼろげに思い出していた。皆が言うのは二通りの言葉だけだった。
前者は、同情や慰めの言葉。何も知らない者のその言葉は軽々しすぎて、また、『君と比べれば、自分は幸せなのだ』と無意識に思っているのが伝わって、少年の心を切り裂く刃にしかならなかった。
後者は、励ましや約束。一見優しい言葉だが、誰も少年の元に戻ってくる者はいなかった。無責任な言葉は、果たされなかった約束は、甘い甘い毒となって少年を苦しめた。
刃と毒。ラスカは、どちらでもなかった。
ようやく会えた彼女は、やはり特別な存在だった。
ずっと会いたかった。
『彼』の名を呼び、求めていた唯一の人。
『彼』と巡り会うはずだったラスカは、よく似た名前の『青年』の元へ行ってしまった。彼女とは会えないのだと、『彼』は絶望していたけれど。
少年は、こうして会えた。絶望は、いい意味で裏切られた。
ーーラスカ……
また会いたい、と考えたところで、少年は首を降る。もう、絶望したくないのだ。
少しでも、温もりを感じてしまったら、その後の寒さがより辛くなる。足を止めていた少年に、一際強い北風がぶつかっていった。
「…………寒い。でも……」
頭を振り、突き進む。
「まだ、平気。大丈夫。」




