聖獣のもとへ
翌日、いよいよ聖獣のいる丘へと出発することになった。
「ようやく、か。」
背中に人々の声援を受けながら、ディークリフトはほぅと息をつく。
「やっと魔力を開放できる。」
魔力の多い彼は、ずっと押さえ続けるのはできないようで、時々聖域に戻っては発散していたのだ。
聖獣の元へ向かいながら、改めてそれぞれの役割を確認する。
「空姫様、大丈夫ですか?」
コウアが、固い表情のサーシュに声をかけた。それに対し頷くと、サーシュは前方に見える丘を見据える。
「……全員、配置に……。……そろそろ、だよ。」
指示を受けた男達は草影に隠れるようにして待機する。
サーシュと四人は彼らと離れ、身を屈めながら丘の上へと進んだ。頂上付近に、半透明の膜があった。これが、聖獣の魔力核だ。
ゆっくりと、長い詠唱をし、サーシュはさらに歩を進める。レイとルイがそれに続き、ディークリフトとラスカはいつでも飛び出せる体勢で様子を伺った。
「……聖獣様。」
ざわざわとその声に応じるように草が揺れ、少し離れた岩影から何かが姿を現した。
『……サーシュ……カ……』
身体を引きずりながら、巨大な狼のような獣が姿を現した。聖獣はレイとルイの方に顔を向けると、はたと動きを止める。
『……天ノ御方……』
聖獣は二人が使徒だとすぐに気がついたようで、目を見開く。ただ、その焦点は合っていない。
『……我ガ肉体、貪ラレ、已二……』
『からだじゅう、くろいたましい、ながれてる。』
聖獣は途切れながら何かを訴えようとしている。ルイは聖獣をじっと見つめ、声をあげた。
『むね、いぶつ、みつけた!……れい!』
「いくよ、かいほう!」
ルイとレイが手を繋ぎ、二人を中心に爆風が生まれる。そのタイミングで、ディークリフトとラスカも飛び出した。
「うわあっ……!すごい力!」
魔法壁の中は重圧がかかったように重苦しい。巻き起こる風に体勢を整えるラスカの隣で、ディークリフトが長いローブを取り去った。
そのとたん、さらに激しく風が吹き荒れる。
『嗚呼、呼、呼呼……?!』
「……っ!」
「サーシュさん!」
よろけるサーシュを支え、ラスカは剣を構える。サーシュを守ることが、今回の作戦のラスカの役割だ。
「……其の力、二つに別ち具現せよ。」
『否ッ!!!』
事前に詠唱していた魔法を完成させたサーシュが発動させるのと、聖獣が咆哮するのとは、ほぼ同時に起こった。聖獣からは、先程はなかった敵意が伝わってくる。
五人を、蠢く植物が波のように襲いかかる。それはもはや植物ではなかった。蔓は鞭のようにしなって地を削ぎ取り、刺が次々と飛んできては穴をあけた。巨大な花からは怪しげな花粉が降りかかる。
意思を持った、一種の生き物だった。
☆★☆★
様子を見守っていたコウアは、離れた位置で待機している男たちに警戒の合図を送った。男たちは魔法を発動し、集落との間に巨大な壁を生み出す。彼らは、万一の時に聖獣から集落を守ることになっていた。
「ぅぐ……っ?!」
聖獣の魔力核から溢れた魔力に押し倒されそうになり、なんとか踏みとどまる。コウアは魔力核の外、戦いの様子が見えるギリギリの位置にいるが、思わず冷や汗が出た。
ーー一体、中はどうなっているというのだ?!
荒れ狂う魔力の暴風の中、気味の悪い植物達が、凍らされ、斬り倒され、凪ぎ払われていく。自分なら、戦うどころか中に入ることさえできないだろう。
「コウア、そっちは大丈夫かー!」
男達の声が、背後から届いた。戦いの状況が見えないので、不安なのだ。
ーー俺達の敵う相手ではない、だが……
コウアは顔を上げ、吼えた。
「空姫様達を信じろ!俺達は、集落を守るのだ!」
☆★☆★
「ねぇ、聖獣、何も起こってないよ?!」
魔力を解放したことで元の姿に戻ったレイが、サーシュに確認する。聖獣は唸り声をあげながら口を開いた。
『決シテサセヌ。オ前ニハ、邪魔ナド……!』
前足を振り上げ、降り下ろす。しかし、斬撃はあらぬ方向に放たれた。
『クッ……コイツモ、未ダ抗ウカ!』
聖獣は自分の前足に噛みつこうとし、途中で止めたり、今度は後ずさろうとして、それを嫌がるように地を蹴ったりと、もがくような行動を取り始めた。ルイが泣きそうな顔で呟いた。
『たたかってる。せいじゅうのしろいたましい、くろいたましい。』
その間に、サーシュは再び小さな声で詠唱を始める。
『……サーシュ……』
掠れた声にサーシュは息を飲む。
敵意の消えた聖獣が、じっと見つめているのが分かった。
『……我ヲ、殺セ……』
「…っ……其の力、二つに別ち」
一瞬、詠唱が止まったが、すぐに再開して魔法を発動させようとする。しかし、それよりも早く聖獣が殺意を込めた剛腕を降り下ろしていた。
衝撃波に、ラスカは詠唱中のサーシュを腕に抱えたまま跳躍する。その腕の中で、サーシュは幻のように消滅した。
「え……?」
……具現せよ。
掻き消されたはずの詠唱が終わり、聖獣の身体から黒い何かが出てくる。
『嗚呼呼呼呼ツツッ……!!!』
「何が起きてるんだ。」
「分からないです。サーシュさんは、一体……?!」
怪訝な表情のディークリフトに、ラスカも首を横に振る。
『あ……!』
ルイが頭上を指差し声をあげる。そこには、なぜか落ちてくるサーシュの姿が。
慌てるラスカの目の前で、その落下速度を落としながら……最後はゆっくりと地面に降り立つ。
「サーシュさん、大丈夫ですか?」
「……うん」
「良かった……。」
ラスカは思わず止めていた息をはきだした。本当に焦った。口から心臓が出るかと思う程に。
すぐに聖獣へと目を向けると、黒い塊が触手のようなもので繋がっている姿がうつる。
「……そんな……分断した、はず……。」
『此、断テルハ……刃ノミ。』
聖獣は静かに首を巡らせ、サーシュを視界に捉えた。
『……断テ。我ニハ、能ワズ。』
震えるサーシュを守ろうとラスカが前に出ようとすると、聖獣は鼻に皺を寄せて牙を剥き出しにした。目が血走り、触手の先の黒い塊が激しく動く。
『……近寄ル、ベカラズ……』
肩で息をしながら、聖獣はそう絞り出す。見えない力で抑えられているように、黒い塊の動きは弱くなった。
『天ノ御方ト雖モ、我ハ敵意持タントス。平穏ナル心二アラズンバ、理性保テズ。我、汝ラヲ……傷ツケルヲ……欲セズ。』
「オレ達は何もできない、ということだね。」
レイが歯がゆそうに剣を握りしめた。
「奴はまだ力を出しきってない。聖獣がなんとか抑えているんだ。でも、こちらが刺激すると、奴が反応して抑えきれなくなるだろうね。」
『あれ、たましい、たべてる。』
怯えた目でルイは黒い塊を指差した。
「聖獣の魂を食べる……ということは、奴を抑えきれなくなるのも時間の問題か。」
黒い塊が身体の中に戻ろうとし、聖獣は唸り声をあげる。
「……聖獣様……っ!」
『……成セル……ノハ、汝ノミ。』
『じかん、ない。もどっちゃう!』
触手が少しずつ聖獣の中に戻っていくのを見て、ルイが悲痛な声をあげる。
『…………サーシュ……』
「…………」
うつむいたまま、サーシュは聖獣の元へと重い足取りで近づいて行く。携帯用の小刀を取り出すと、鞘を抜き、その刃を蠢く触手に向けた。
「…………っ!」
触手だと、思っていた。
中を流れているモノを見て、サーシュはそれが何かを理解した。蠢くような動きは、脈拍……鼓動。確かにそこに在る生命の音。
触手ではなく、聖獣の太い血管だったのだ。これを断てば、確実に聖獣はその生を終える。
「……い、や……っ!」
死んでしまう。殺したくない。
サーシュの手から、小刀が滑り落ちた。
☆★☆★
(愚か者。)
頭の奥から響く声に、サーシュは息を飲む。
ーー煌……!
今まで音沙汰もなかった煌の声。溢れ出る涙を拭おうともせずに、サーシュは唇を噛んだ。
ーー……どうしよう……助け、られない……でも、殺したく……ない……
(そうして、お主は聖獣を殺しておる。)
予想外の言葉に、ビクリと震える。
(こうしている間にも、聖獣の魂は喰われ続けておる。お主は、そうして彼の魂を、意思を、見殺しにするつもりか。)
ーー……そんなこと……っ
(なら、やるのだ。)
☆★☆★
うずくまったサーシュに駆け寄ろうとしたラスカは、ディークリフトとレイに引き留められてしまった。
「ダメだよ、ラスカ!聖獣は部外者に対して凶暴になっているんだから。」
「暴れられたら、あいつが真っ先に巻き込まれるぞ。」
「そうですけど……」
時間がない。聖獣の魂と黒い魂、互角だった力は傾きかけていた。
「……聖獣様……」
ゆっくりと立ち上がると、サーシュは聖獣の身体を抱きしめ、顔をうずめる。
「……大好き、です。……だ、から……っ……」
顔を上げたサーシュは、涙で頬を濡らしながら懸命に微笑んだ。
「……死なせ……ない……殺させ、ない……っ!」
殺すのではなく、救うために。
サーシュは、持っていた小刀を降り下ろした。
鮮血が、飛んだ。




