少女と剣
結論から言うと。
少女は、いわゆる記憶喪失というものになっているらしかった。
「どうするつもり?」
レイがディークリフトに判断を促す。ふむ、と彼は腕をくみ、荷物をぎゅっと抱きしめている少女を眺めた。
「記憶が戻るまでここにいるといいだろう。何か重大な使命があってここへ来たかもしれないからな。」
それらしい理由を並べた後で、彼は最後にぽつりと付け加える。
「…それに、こいつ面白そうだからな。」
「……」
結局のところ、それが本音だ。
とにかく、大まかに今後の事が決まった。
(ディークは、君にここにいていいと言ってる。ただ、屋敷の掃除とか、いろいろと手伝ってほしい。)
本当はレイ一人でも充分できているのだが、ただ居候するというのも気が引けるだろう。
それに、仕事が分担されることでレイの負担も減る。
(どうかな?)
(はい、お願いします!)
少女がぱっと顔を輝かせる。その笑顔に、レイはぎこちなく頷いた。
(う、うん。これからよろしく、…えっと…)
「ディーク、この人のこと何て呼んでいるの?」
「……名前か。」
子猫の名前は考えていたくせに、少女は放置していたらしい。
しばらく考えたすえ、ディークリフトは少女の方へとつかつかと歩き、彼女を見下ろす形で止まった。
「お前に、名前を与えよう。」
少女は、長身で無表情なディークリフトに見下ろされても、全く動じる様子はない。
「ラスカ……だ。今日からそう名乗れ。」
(君の名前だよ、よろしく、ラスカ。)
「らす、カ……」
少女はゆっくりと、噛み締めるように何度も繰り返し呟いた。
(名前……!ありがとうございます!)
ラスカは顔を輝かせ、二人にぺこりと頭を下げる。紅茶色の髪の毛が、さらりと揺れた。
ディークリフトは満足そうに頷く。
「話は決まったな。細かい話をする前に、まずは朝食にしよう。」
日はすでに昇りきり、部屋の中を明るく照らしていた。
こうして、聖域に新たな仲間が増えた。
軽い朝食をとりながら、3人はこれからの事について話し合う。ラスカは、二階の空き部屋を使うことになった。レイの部屋を使っていたのは、ディークリフトが倒れていたラスカを二階まで運ぶのが面倒だったため、一番近い彼の部屋に放り込んだというところだ。
レイにとっては何とも迷惑な話である。
「ラスカ。場所を教えるからついてきて。」
レイはラスカを連れて部屋まで案内することにした。歩き出すレイの後を、ついていくラスカの背中には、あの大きな荷物があった。
彼女は、肌身離さずこれを持ち歩いているようだ。
「ここがラスカの部屋だよ。」
広いわけではないが、一人で使うなら充分だろう。聖域に広がる大きな森と、屋敷の庭がよく見える場所だ。
感嘆の声をあげるラスカに、レイは意を決して聞いてみることにした。
「ねぇ、ラスカ。その荷物って、何が入っているの?」
ラスカの大荷物が気になって仕方がなかったのだ。ずっと持ち歩いているから、大事なものだとは思う。
「にも、つ?」
ラスカは馴れた手つきでするすると荷をとくと、レイに中身を見せる。中にはただ一つ、それだけが包まれていた。ラスカが大切そうに取り出したそれを、レイは茫然と眺めた。
白銀に輝く、大きな剣。
それが、古びた布地の中から出てきたのだ。
ーーー
ラスカは物覚えが早かった。
言葉も少しずつ覚え始め、かたことだが話せるまでにはなっていた。
「レイ、よろしく……、です」
庭の中央で、ラスカは真剣な表情で頭を下げる。レイは苦笑いをした。
「よろしくお願いします、だよ。別に敬語じゃなくていいんだけど…」
ラスカが来てから、レイの生活も変化した。彼の仕事の量が減ったのは確かだ。空き時間にはこうして剣の練習に付き合っている。レイも楽しんでいるので、今の生活は充実しているといえる。
「じゃあ、いくよ」
「はい!」
レイは細身の剣を手に取ると、ラスカに向かって切りかかる。レイは次々と攻撃を繰り出すが、彼女はすべて防ぎきった。
ラスカが持っていた剣は、恐らく彼女が記憶喪失になる前から愛用している物だろう。彼女は覚えていなくても、身体が使い方を覚えているのだ。
「何をしているのかと思えば……」
屋敷の中からディークリフトがふらりと現れ、二人の練習の様子を眺める。しばらくして、二人はようやく彼に気がついた。
「あっ、ディーク。研究は終わったの?」
「おつかれ、です。」
「お疲れさまです、だよ。」
ディークリフトはラスカと、彼女が持っていた剣を交互に見る。少女が持つには不釣り合いな大剣だが、彼女は使いこなせていた。
「ここに来た時から練習していたのか。」
「違うよ、まだ数日。オレと実戦してるのは昨日から。」
「そうか。なら、今日は俺と戦ってみないか。」
最後の言葉は、ラスカに投げ掛けられたものである。彼女は困惑した表情でディークリフトを見上げた。青年は心配ない、とひらひらと手を振る。
「怪我をしないよう配慮もする。それに、俺も身体を動かさないとな。お前も、実戦してみたいだろう。」
ラスカがレイに攻撃をしなかったのは、彼女の大剣に少年のレイピアが耐えられないかもしれなかったからだ。本当は攻撃も試してみたくてうずうずしていた。
「よろしくおねがいします。」
ラスカは軽々と剣を持ち上げ、構えた。その動きは荒削りで、ごく自然体だ。流動線の刃が白く輝く。
対するディークリフトは剣を持たず、手を滑らかに動かした。彼のはめている指輪が、淡い光を放ち始める。
ピキピキピキピキ……
目を見開くラスカの目の前に、氷の塊が現れる。それはあっという間に大きくなり、人の形になった。目や口などの細かいパーツはないが、それには頭があり、身体があった。そして、手には氷の剣が握られている。
「すごい……!これ、なに?」
驚きと、興奮と、感動。ラスカはそれらを一度に感じたような反応を見せる。レイはそんな少女にきょとんとする。
「魔法だけど……?」
「まほぉ、すごい!」
ラスカは魔法を知らないらしい。人間界では、魔法が使われていない国の方が少ないので、彼女のような人は珍しい。
「集中しろ。お前の相手はそいつだ。」
ディークリフトは指揮者のように片手を振り動かした。それに合わせて氷の人形も動き出す。
「うごく……?!」
「当たり前だ。…いくぞ。」
氷の人形がラスカに襲いかかる。少女はしっかりと攻撃を受け止めると、思いっきり押し返す。同時に大剣を振るった。
「……えいっ!」
その一撃はあまりにも単純で、氷の人形に簡単に受け止められる。しかし、ディークリフトが僅かに目を見開いたのをレイは見逃さなかった。
2回、3回と剣が交わる度に、ラスカの目が輝き、表情が生き生きとし始めた。身体が感覚を思い出してきたのだろう、徐々に動きにたどたどしさがなくなってくる。
「……!ディーク!」
「何だ。」
少し離れたところで人形を操作しているディークリフトの隣で、レイが声をあげる。
「なんか、ラスカが……本気になったみたい。」
人形の攻撃に、ラスカが大きく後ろに跳躍しダメージを軽減したところだった。顔をあげた彼女の目には、さっきまではなかった何かが宿っている。
「今までは準備運動か。」
ディークリフトはどこか楽しそうだ。
そんな彼らの前で、ラスカそれまで見せなかった速さで間合いを詰める。振り下ろされた大剣は、人形の腕をとらえた。
キイィィ……ィン
氷は砕けちり、瞬間、ラスカの剣にまとわりつく。もちろん、ディークリフトの仕業だ。氷の分重くなったにもかかわらず、少女の振る剣の軌跡はぶれない。
「ふむ。」
ディークリフトはラスカの剣と氷の人形が触れるタイミングですっと指先を動かした。直後、少女の剣にまとわりついている氷と人形がくっつく。
ラスカの動きが封じられた。