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 向かいのクラスの生徒が自宅の裏庭で首を吊ったというニュースを聞いたのは、翌朝学校に着いた時だった。校門にはマスコミが集まり、いつもは埃っぽくてじめじめしている吹き抜けの校内が一変して、花の香りと生徒どもの黄色い好奇心で満ち溢れていた。

 授業は漢字部首の「くにがまえ」のような校舎の中を、習熟レベル毎に教室移動するのだが、急遽全校集会に変更になり、全員が一階部分の講堂に集められた。

 教師が入ってくるまで講堂は騒然としていた。噂話に興じる者、モバイルからテレビ回線に侵入する者、携帯テレビをプロジェクターに繋いで写した壁の映像にかじりつく者。

 どのチャンネルでもこの話題でもちきりになっている。彼もギイが来て別の話を始めるまでは何となく見ていた。

 みんな何かに飢えている。そういう意味では彼もまた同類かもしれない。

 璋は我関セズ、とばかり眠っていた。



 死んだ生徒は都会からの転入生だった。見るからに弱そうで幼い少年を、誰もが異質なものだと認めていた。大人たちだけはそれを知らない。

 四枚にわたる遺書が残っており、そこには成績ばかりに拘る両親に詫びた文、そしてに危害を加えた者たちの名前が記されてあったそうだ。

 実を言えば、彼もその転校生を嫌っていた。おどおどした眼、小さく丸い背中、聞き取るのが困難な細い声など総てにムカついていた。一度だけ委員会の時に少し話をした事があったが、それ以来なのか見かける度に何故か無性に腹が立った。殴られているのを見ても止めはしなかったし(それは誰もがそうだったからとは言えないが)、あまりに機嫌が悪かった日には悪態をつく者に混じって蹴飛ばしたこともあったほどだ。

 そんな訳で彼の名前が載っていても当然だと思った。だが庇えなかった者、それすらも同罪だ。しかしそうなるとこれは学年全体の連帯責任にもなり、さすがに学校全体にまで捜査が及ぶことはないだろう。

 結局真実は隠れてしまう。


「命は大切でありそれを粗末にするのは誠に遺憾である」、と一行でまとめればいいような校長の話が終わると、教室に戻ることになった。臨時ホームルームで、担任のガリガリ(細いのとガリ勉をかけている、この学校の卒業生らしい)はいささか情に走り過ぎた校長の話に事実を補足するように話し始めた。

 数人が金を脅し取っていたことが明らかになった。金額は会社員の給料3ヶ月分を軽く超えていたそうだ。さすがにこいつは彼も知らなかったことだ。

 本当に莫迦なやつら。彼の嘆息は短かった。後で知った事だが、名前のあった“容疑者”たちは、事情聴取のため休みだった。残りの生徒もきっと誰も、自分が悪いとは思わないだろう。リストにさえ載らなければいい、載ることへの怖れさえない(だってそれは『みんなやっていた』ことだから)、群集心理の恐ろしさ。それがきっとこんな事を惹起するのだ。

 はるか昔に“いじめは犯罪”と少年法で認定され罰則が何度改定されても、結局一部の者だけが罪を負って、真実は藪の中に消えていくだけだ。

 いつも誰か生贄を求めている、ここはそういう世界だから。

 みんな異常だ。

 教師の話が淡々と進む中、彼はそっと回廊越しに、向かいの教室の机上の花を見た。



 告別式は次の日で、小雨が降っていた。彼等はクラスの代表として葬儀へ行くことになった。なんのことはない、選考は成績順だ。なんだかこういう時は貧乏籤を引いた気分になる。

 彼の名前は幸いというべきか、リストには結局載っていなかった。安堵の溜息のような、からっぽの空気が体から抜けていった。でも、遺族は本当は知っているのかもしれない。

 凝縮された緊張と不安に、どうにでもなっちまえ、と彼は口の中で呟いた。どうせみな共犯だったのだから。彼にリストに載っている者を断罪する権利はない。実際逮捕されたとしても、今のところ彼には潰えるだろう未来も特にない。


 その家はなかなか立派な家だった。両親と祖母と暮らしていたらしい。全員、どこかあの少年に似ていた。でも誰も何も彼に言わなかった。彼も言うべき言葉を持ち合わせていなかったので、それをそのまま述べた。

「この度は、何と言えばいいのか…」

 ギイはきちんと頭を下げ、

「本当にご愁傷様で…」

 そうか。そうやって言えばいいんだな。彼は感心して聞き入っていた。やっぱりこいつは一番大人なんだ。

 遺影は入学式の時のものだった。制服の詰襟をきちんと留めた転校生は、緊張した面持ちでそれでも気弱そうな笑みを浮かべていた。性格が出ているな、と彼はぽつり思った。

 璋はこういう場所は嫌いだと言って、いくら説得しても門の前から一歩も動こうとしなかった。まあ、普段も彼とギイぐらいしか口を利かない璋としては、顔さえ覚えてない同級生の葬式に出る義理はないのかもしれない。

 思った通り女子クラスの連中は皆泣いていた。あとで璋は『芝居臭くて気持ち悪い』と吐き捨てるように言った。確かに、あの中には転校生と喋るどころか、避けていた女生徒が何人もいるのを彼は知っていた。

 帰り際、彼は呼び止められた。転校生の祖母だった。

「あの子が、お世話になったそうで、仲良くしていただいて、ありがとうございました」

 小さな体を折り曲げて、ますます小さくなっている。

 何か、思い出しそうな気配があった。

 だがそれは、他の何かも思い出してしまいそうな気がして、彼にはあまり嬉しいことでもなかった。

「人違いです、失礼します」

 彼は足早に去った。まだ何か言いたげなその老女を残して。

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