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とりあえず隣県まで行ってみることにして、ターミナル駅で彼等はさっきまでのと反対路線の特急シストラムに乗り換えた。追跡を避けるためにモバイルのGPSは途中で捨てた。
シストラムはあっという間に海沿いに入り始め、巨大な観覧車が目に入ってきた。遊園地だ。
「ここ、前にTVで見たことがある」
彼が言った。
「だいぶ昔に出来たんだけど、人があまり来ないからそろそろ潰すらしい」
「それって、淋しいな」
ギイが言った。
「微妙に近すぎるから1、2回くらいしか来たことないのに」
すると璋が突然立ち上がった。
「よし、降りよう」
「ええ?!」
彼とギイは顔を見合わせた。
「オレたちの門出を祝ってパーッとここで遊んで行こうぜ、どうせまだ行く宛もないんだし」
「いいけど…金あるの?」
ギイがポケットを探りながら言った。
「親父のカードとってきちゃった」
璋は悪びれる風もなくさらっと言った。
「えっまじ?」
取る?盗る?獲る?シストラムは停まり、思考も停止し…、彼等は降り立った。
「でも、もう夜だし閉まっちゃうんじゃないか?」
彼がぼそりと尋ねると、
「無人の自動遊園地だから平気だろ」
璋は意にも介さず先に進んで行く。彼とギイは追って入場門をくぐった。すると、一斉に遊園地は明かりが点き音楽が流れ始めた。彼は面喰ってしまった。
「な・なんだ?」
「お前知らないの、ここ夜はセンサーで点灯するんだよ。人が来ねえと真っ暗な訳」
璋が意地悪く笑った。
「うるさいな、夜に来たことはなかったんだよ!」
そうだ、あの時はまだ確か小学生で、付き合いで乗ったローラーコースターで母親が鞭打ちになったのだ。クレーマーの母はすぐに係を呼び、結構な騒ぎになった。それがきっかけで、なんとなく彼はこの遊園地に行くのが気まずくなったのだった。
「思い出した!ここ、全国で初めてのオートパークだったんだ。町が第三セクターで金掛けた一大事業、そんでもって今じゃ赤字続きで負の遺産。やっぱこんな田舎には所詮無理だったんだよなあ」
ギイはなぜか一人で興奮し一人で納得している。
「いラっしゃいマせ」と近づいてきたのはガイドロボットだ。
璋は3人分のフリーパスを買った。学割はなかった。ぼったくりやがって、だから潰れるんだ、と璋のお怒りはもっともだった、まだ潰れてはいないのだが。
3つほど遊具を乗りまわしたあと、喉が乾いてしまった彼等はビールで乾杯した。璋がまたしても父親のカードを使ったため未成年の彼等にも買えたのだ。
十八になればいずれ堂々と飲めるようになるのだけれど、どうやら半端ない不良両性体である璋は、煙草だけでなくアルコールも既に嗜んでいるようだった。彼もビールには先ほど苦労はしなかった。
それは、放っておいても半永久的に冷たいままでいられるという新製品の、透明なプラスチックのコップに入っていた。蟹の口から生まれる沫のように、底からは小さな気泡が絶えず湧き上がっていた。ビールはほんのりと甘みさえ感じさせた。
それはそうだ。本物の麦なんて彼等の星では生産されていない。遠い農業星からほんの僅かが高額で輸入されるだけで、一般に出回っているのはすべて化学調味料の人工ビールなのだから。それでも彼等は十分に気分良く酔った。
計画なんてなかった。明日どこで寝るかという案さえもなかった。
彼等は夜じゅう、無人の遊園地で小さな子供のようにはしゃぎ回り、馬鹿みたいに騒いだ。璋はとにかく一番ハイテンションで、絶叫系マシンには何度も乗ろうと言った。ギイでさえへたばっていたのに。
空が明るみ始め、くるくる回るティーカップで最後の仕上げをすると、遊び疲れた彼等はネオンの消えた観覧車に乗って海から昇る朝陽を見ることにした。
ゆっくりと上昇する、手持ち無沙汰な感じの観覧車の中でなんとなく進路の話題になった。璋の将来展望には本当に腹をよじらされた。
「おれは工科大かな。エンジニアになる。ジョシュは法科?」
「うん、多分。璋は?」
「オレは…、山奥に庵を結んで人知れず暮らす」
彼とギイはどんなに璋が怒ってもしばらく笑い転げるのをやめられなかった。それはまったくおかしな話だった。帰るつもりなんてなかったはずなのに。
そのうち観覧車は、かなり上まで動いていった。白み始めた空の中で、徐々に小さくなって行く地上を見ながら突然璋が言った。
「…なんか、向こうはずっと海しか見えなくて、世界の果てにいるような気がするな」
「もう?」
ギイが笑った。
「これから行くところじゃないか」
彼も言った。途端に二人がじっと彼を見たので、また変なことを言ってしまったのかと彼は焦った。
「ギイが、もう?って訊いたから」
しどろもどろに付け足すと、
「そういえばそうなるよな」
とギイがまた笑った。
「けど、なんか…。オレたちしかいないみたい」
璋はいつになく神妙に言った。
「そんな不思議な感じがする」
そして、彼等が見た朝陽はとてつもなく綺麗だった、というわけでもなく、別段取り立てて言うほどでもない普通の朝陽だったかもしれないのだけれど、彼等は、それをまるで生まれて初めてのように見ていたのだった。
ベンチの上で目覚めると日は既に高かった。
からっぽの園内でコーヒーを飲みながら、彼等は次の夜のことを考え始めた。
「ここにいたらすぐみつかっちゃうよな、カードから足がつくから」
璋が言った。
「なら、誰も知らないところに行こう」
彼はコーヒーをすっかり飲み干して言った。誰も知らない場所なら当てがあった。おととし家族でキャンプに行った時見つけた古い山小屋だ。彼はそれを二人に話し、そこに行ってみることにした。
「少しだけ待ってくれないか」
ギイが言った。
「もうここには多分来られないだろうから、この遊園地のこと、覚えさせてくれ」
その時は、なぜギイがそんな事を言ったのか彼も深くは考えなかった。
どうして、もう来れないなんて。
彼等は入場門に立って誰もいない遊園地を見渡した。途端に、なぜかとても懐かしいような感じがした。
太陽に、その巨大な鉄骨の翳を落としながら、観覧車は空のギアを音も無く廻していた。確かにこの世の果てで万物の全てを動かしているようだった。
でもここは、世界の果てじゃない。まだ。
真昼の太陽に眩しい、堅い鉄骨。空回りする観覧車は、何かに似ている。
日光がきつすぎたのか、なんだったのか――彼は、いつのまにか泣いていた。
「行こうか」とギイが言い、門の傍まで進むと、ガイドロボットが待っていた。
「おタのしミいたダけまシたでショうか?まタのごラいじょうヲおまチしてオりまス」
その調子外れな機械音声がとてもいとおしく感じられたのだろう、
「その時まで故障するなよ、ポンコツ」
と璋はロボットを軽く小突いた。
彼等は、がらんどうの遊園地を見送るように、見送られるように、シストラムの窓からそれが見えなくなるまで見続けていた。