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悪役令嬢に転生したけど、破滅すること以外ほとんど覚えていない

作者: ほっこり純
掲載日:2026/08/17

 その少女を見た瞬間、ヴィオレッタの脳裏に前世の記憶が蘇った。


 春。


 王立学園の中庭。


 淡い桃色の髪を揺らす少女。


 その向こうを歩く、金髪の王太子。


 見覚えがある。


 ものすごくある。


(知ってますわ、ここ!)


 前世で遊んだ乙女ゲーム――その舞台だ。


 そして、ヴィオレッタ自身にも見覚えがあった。


 公爵令嬢ヴィオレッタ。


 王太子の婚約者にして、ヒロインの恋路を邪魔する――


(悪役令嬢ですわ!)


 まずい。


 非常にまずい。


 このまま物語通りに進めば、自分を待っているのは破滅である。


(確か私は最後に――)


 ヴィオレッタは記憶を探った。


(…………)


 探った。


(…………)


 さらに探った。


(……破滅しますわ!)


 そこだけは間違いない。


(どう破滅するんでしたっけ?)


(…………)


(……とにかく破滅しますわ!)


 処刑だったか。


 国外追放だったか。


 婚約破棄だったか。


 修道院送りだったか。


(悪役令嬢ものを見すぎて、全部混ざってますわ!)


 落ち着こう。


 前世で遊んだのは、もうずいぶん昔のことだ。


 細部を忘れているのは仕方がない。


 まずは登場人物を整理しよう。


 ヴィオレッタは金髪の青年を見た。


(王太子。攻略対象)


 名前は?


(…………)


 出てこない。


(……殿下!)


 婚約者なのに名前が出てこない。


 幸い、この世界には「殿下」という便利な呼称があった。


 その隣にいる長身の青年。


(騎士。たぶん攻略対象)


 さらに、その隣にいる眼鏡の青年。


(この人、人気ありましたわ!)


 名前は?


(…………)


 何位だった?


(七位!)


(なんで順位だけ覚えてますの!?)


 近くを通りかかった美形の男子生徒を見る。


(この人も攻略対象……?)


 その隣も美形だった。


(この人も……?)


 教師まで美形だった。


(…………)


(全員攻略対象に見えてきましたわ!)


 だが、一人だけ絶対に間違えない人物がいる。


 桃色髪の少女。


(ヒロイン!)


 彼女だ。


 彼女に関わるから、自分は破滅する。


 ならば答えは簡単。


 関わらなければいい。


「あの、ヴィオレッタ様」


「来ないでくださいまし!」


「えっ」


 開始三秒で失敗した。


 桃色髪の少女――リリアが固まった。


「す、すみません……」


「違うんですの! あなたに恨みはありません。ただ、あなたに近づかれると大変なことになる可能性がありますの」


「私が?」


「主に私が!」


「……?」


「ですから、あなたは何も悪くありません」


「では、どうして避けるんです?」


「将来的に怖い」


「私が?」


「私が!」


「さっきからヴィオレッタ様しか危険じゃないんですけど」


 リリアが一歩下がった。


 よし。


 これでいい。


 このまま距離を取れば――


「あ」


 リリアの手からハンカチが落ちた。


「待って!」


「はい!?」


「まだ拾ってはいけません!」


「私のハンカチなんですが」


「分かっていますわ!」


 ハンカチ。


 学園。


 ヒロイン。


(イベントでは!?)


 ここで攻略対象が拾う。


 目が合う。


 恋が始まる。


 そんな場面があった気がする。


 すると、向こうから王太子が歩いてきた。


(来た!)


「来ましたわ!」


「誰が?」


「恋が!」


「人を指してください!」


 王太子が近づいてくる。


 ハンカチまで、あと五歩。


 二歩。


 そして――


 普通に通り過ぎた。


「…………」


「…………」


「拾いませんでしたね」


「攻略対象としての自覚が足りませんわ」


「何の話です?」


 リリアは自分でハンカチを拾った。


 何も起こらなかった。


(普通のハンカチでしたわ……)


「なんでちょっと残念そうなんです?」


     ◇


 それから数日。


 ヴィオレッタの破滅回避生活が始まった。


「リリア! 止まって!」


「今度は何です!?」


「階段ですわ!」


「見れば分かります!」


「手すりを離してはいけません!」


「子供じゃありません!」


「階段から突き落とされる展開は定番ですの!」


「誰にです?」


「…………」


「ヴィオレッタ様?」


「念のため、私から三歩離れてください」


「やっぱりヴィオレッタ様が一番危ないじゃないですか!」


「違います! 私はやりませんわ!」


「じゃあ普通に歩いてください!」


 別の日。


 リリアが王太子と話していた。


 ヴィオレッタは柱の陰から二人を観察した。


「ヴィオレッタ様」


「しっ。攻略進捗の確認ですわ」


「何を確認してるんです?」


「殿下を見て、胸が高鳴ったりは?」


「さっき走ったので少し」


「そういう身体情報ではありません!」


「そもそも、その『攻略』って何です?」


「……将来的に恋愛関係になる可能性のある男性を、こう……攻略するんですの」


「人を城みたいに言わないでください」


     ◇


 とうとうリリアに捕まった。


 放課後。


 ヴィオレッタは人気のない教室で椅子に座らされていた。


「説明してください」


「何をでしょう?」


「全部です」


「全部」


「私を見ると逃げる。階段を見ると警戒する。殿下と話していたら柱の陰から監視してる」


「最後だけ聞くと嫌な女ですわね」


「全部合わせても結構嫌ですよ」


 仕方がない。


 ヴィオレッタは覚悟を決めた。


「前世には『ゲーム』という、自分で登場人物を動かして楽しむ物語がありましたの」


「自分で動かす物語?」


「そうです。そして、この世界はその物語によく似ていますの」


「……私たちも出てくるんですか?」


「あなたが主人公ですわ!」


「私が?」


「殿下や騎士様たちは恋愛相手候補。そして私は悪役令嬢。あなたの恋路を邪魔して、最後には破滅するんです!」


「…………」


 リリアは少し考えた。


「邪魔しなければいいのでは?」


「…………」


「ヴィオレッタ様?」


「その発想はありませんでしたわ」


「先の物語より、今の自分を見てください」


「ですが、物語の流れが強制的に私を悪役にする可能性も――」


「今のところ、ヴィオレッタ様が一人で自分を追い詰めていますけど」


「…………」


 痛いところを突かれた。


「そもそも、本当にその先の出来事をご存じなんですか?」


「当然ですわ!」


「では、次に何が起きるんです?」


「…………」


「…………」


「購買部のパンが、水曜日だけ二割引きになります」


「もっと大事なことはないんですか?」


     ◇


 翌日の水曜日。


 パンは本当に二割引きだった。


「…………」


「ほら!」


「本当に安くなってる……」


「信じました?」


「水曜日のパンについては」


「信頼が限定的すぎますわ!」


「でも、ヴィオレッタ様がどう破滅するのか思い出せばいいんですよね?」


「……!」


 ヴィオレッタは立ち上がった。


「それですわ!」


「そこからだったんですか?」


     ◇


 二人は記憶を整理することにした。


 リリアが紙を広げる。


「その物語の中で、ヴィオレッタ様は私に何をするんです?」


「いじめます」


「具体的には?」


「…………陰湿に」


「形容詞ではなく」


「教科書を隠す!」


「新しいのを買います」


「強い!」


「公爵令嬢の嫌がらせにしては規模が小さくありません?」


「では、階段から突き落とす!」


「それで私に手すりを握らせてたんですか!?」


「湖に突き落とす!」


「この国、湖ありませんよ」


「…………」


「…………」


「別の物語ですわ」


「他人の話を混ぜないでください!」


 リリアは紙に三つの見出しを書いた。


『この物語らしい』


『別の物語らしい』


『分からない』


「騎士様」


「あなたの幼馴染ですわ!」


「この学園で初めて会いました」


「別の物語!」


「魔術師様は?」


「実は王族!」


「本当です?」


「……だったらいいな、と」


「それは記憶ですらないですよね?」


「願望ですわ」


 リリアが四つ目の見出しを書いた。


『願望』


「増やさないで!」


「眼鏡の方は?」


「人気投票七位!」


「何人中?」


「知りません!」


「それ、人気なんですか?」


「言わないで!」


「破滅に関係する情報は?」


「…………」


「…………」


「図書館の三段目の本棚を七回調べても、何もありません」


「本当に何もない情報ですね」


「中庭の植木鉢には十ゴールド!」


「こちらでは使えないお金でしたよね?」


「冷静に処理しないで!」


 しばらくして、リリアが集計した。


『役に立ちそう 二』


『今のところ役に立たない 十八』


『別の物語らしい 四』


『願望 一』


「願望を集計しないで!」


「一番判断しやすかったので」


「私の未来知識が……!」


 リリアは紙とヴィオレッタを交互に見た。


「……その物語、最後までご覧になったんですよね?」


「…………」


「ヴィオレッタ様?」


「次へ行きますわよ!」


「今、目を逸らしました?」


     ◇


 それでも、ヴィオレッタの記憶は時折本当に役に立った。


「リリア。その花には触らないで」


「また例の物語ですか?」


「毒があります。……たぶん」


「自信を持ってください」


 調べてみると、本当に毒草だった。


「当たりましたわ!」


「どうしてパンと毒草だけそんなにはっきり覚えてるんですか!?」


「私にも分かりませんわ!」


 細かいことを忘れているだけ。


 ヴィオレッタは確かに、この世界でこれから起こることを知っている。


 ならば、自分の破滅だって回避できる。


 そう思っていた。


     ◇


 そして、春の大舞踏会。


 煌びやかな大広間へ足を踏み入れた瞬間、ヴィオレッタは立ち止まった。


「……リリア」


「はい?」


「嫌な予感がしますわ」


「今度は何です?」


 王太子。


 騎士。


 魔術師。


 リリア。


 主要人物が一堂に集まっている。


「こういう大広間に主要人物が勢揃いすると、悪役令嬢はだいたい破滅しますの!」


「それは例の物語の記憶ですか?」


「悪役令嬢もの全般の知識ですわ!」


「一番信用できない情報じゃないですか!」


 その時。


「ヴィオレッタ」


 王太子が歩いてきた。


「話がある」


「来ましたわ!!」


「何が!?」


 ヴィオレッタは覚悟を決めた。


「婚約破棄ですか!?」


「違う」


「国外追放?」


「違う」


「処刑?」


「違う」


「修道院?」


「君はどこへ行きたいんだ?」


「破滅候補を潰していますの!」


「何の話だ」


 王太子は困惑した顔で続けた。


「最近、君の様子がおかしいと聞いてな」


「……はい?」


「学園中の階段に、手すりを増設するよう要望したそうだな」


「必要ですわ!」


「それは実際、助かっています」


 リリアが横から言った。


「それから、中庭の植木鉢を片っ端から調べているとか」


「十ゴールドが」


「何だそれは」


「私も分かりません」


 王太子は心配そうにヴィオレッタを見た。


「最近、疲れているのではないか? 少し休んだ方がいい」


「正常ですわ!」


 リリアが目を逸らした。


「リリア!?」


「そこは私から保証しづらいです」


 結局。


 断罪ではなかった。


 王太子はただ、ヴィオレッタを心配していただけだった。


     ◇


「……おかしい」


 王太子が去ったあと、ヴィオレッタは立ち尽くしていた。


「何がです?」


「ここから先が、まったく思い出せませんの」


「また忘れているだけでは?」


「違う……」


 忘れているのではない。


 まるで、最初から記憶そのものが存在しないような――


 ヴィオレッタは前世を辿った。


 一日目。


 ゲームを買った。


 学園へ入学した。


 王太子に会った。


 二日目。


 騎士に会った。


 魔術師に会った。


 三日目。


 図書館を調べた。


 植木鉢を調べた。


 購買部を調べた。


 そして――


 新作RPGが届いた。


「…………」


 すべてを思い出した。


 その日を最後に、乙女ゲームを起動した記憶がない。


「リリア」


「はい」


「大変なことが分かりましたわ」


「もう慣れてきました」


「私、あの物語を最後まで見てませんわ」


「…………」


「途中でやめてますの」


「…………」


 リリアがしばらく黙った。


「では、その先に何が起きるかは?」


「知りません」


「ヴィオレッタ様がどうなるかも?」


「知りません」


「…………」


「…………」


「今まで何を頼りにあんなに騒いでいたんですか!?」


「途中までの知識ですわ!!」


「途中までしか知らなかったんですか!?」


「忘れていたんじゃありませんの!」


「はい」


「そもそも見てませんでしたわ!」


「それをもっと早く思い出してください!」


 リリアが頭を抱えた。


 そして、ふと顔を上げた。


「でも……では、どうしてパンの値段とか、植木鉢の中身とか、そんなことばかり覚えてるんです?」


「…………」


 ヴィオレッタは再び前世を思い出した。


 一日目。


 攻略対象に会う前に、マップを全部回った。


 二日目。


 会話そっちのけで、調べられる場所を片っ端から調べた。


 三日目。


 取り逃しが気になって、同じ場所を何度も調べた。


「…………」


「ヴィオレッタ様?」


「最初の三日間、物語そっちのけで、調べられる場所を片っ端から調べてましたわ」


「…………」


「植木鉢とか」


「はい」


「本棚とか」


「はい」


「購買部とか」


「…………」


「だからパンの値段は覚えてますわ!」


「物語を見てくださいよ!!」


「だって植木鉢にお金が入っていたら、他も全部調べたくなるでしょう!?」


「その世界の常識を私に求めないでください!」


「本棚だって、一回何もなくても、後から何か出てくるかもしれませんわ!」


「だから七回!?」


「念のため!」


「三日しか見ていない物語で何をしてるんですか!」


 ヴィオレッタは少し考えた。


「でも、パンは安く買えましたわ」


「…………」


「…………」


「そこだけは役に立ちましたね」


「でしょう?」


「得意げにならないでください!」


     ◇


 未来はもう分からない。


 誰と誰が恋をするのかも。


 自分が破滅するのかも。


 明日、何が起きるのかも。


「リリア」


「はい?」


「ここから先は、本当に何も分かりませんわ」


「はい」


「正しい選択肢も?」


「分かりません」


「失敗したら?」


「その時に考えます」


「やり直しは?」


「できませんね」


「…………」


 ヴィオレッタは愕然とした。


「人生って、ものすごく難易度高くありません?」


「今さらですか?」


「攻略情報なし、正解表示なし、やり直しなしですわよ!?」


「みんなそれで生きてますよ」


「皆さん強すぎません!?」


 リリアが吹き出した。


 ヴィオレッタも、つられて少し笑った。


 未来を知っているから、安心なのだと思っていた。


 けれど、知らないなら知らないで――


「……リリア」


「はい?」


「これからも、一緒に考えてくださる?」


 リリアは少しだけ目を丸くした。


 そして、笑った。


「もちろんです」


「……よかった」


 ヴィオレッタは、今度こそ素直に笑った。


 未来は分からない。


 けれど、最初に思っていたほど、それは怖いことでもないのかもしれない。


 少なくとも、一人ではない。


「では、まず明日の予定を立てましょう」


「はい。何をします?」


「明日は水曜日ですわ」


「…………」


「…………」


「パンですね」


「!」


「何です、その顔」


「リリアが私の未来知識を理解してくれましたわ!」


「パンの値段だけです」

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