悪役令嬢に転生したけど、破滅すること以外ほとんど覚えていない
その少女を見た瞬間、ヴィオレッタの脳裏に前世の記憶が蘇った。
春。
王立学園の中庭。
淡い桃色の髪を揺らす少女。
その向こうを歩く、金髪の王太子。
見覚えがある。
ものすごくある。
(知ってますわ、ここ!)
前世で遊んだ乙女ゲーム――その舞台だ。
そして、ヴィオレッタ自身にも見覚えがあった。
公爵令嬢ヴィオレッタ。
王太子の婚約者にして、ヒロインの恋路を邪魔する――
(悪役令嬢ですわ!)
まずい。
非常にまずい。
このまま物語通りに進めば、自分を待っているのは破滅である。
(確か私は最後に――)
ヴィオレッタは記憶を探った。
(…………)
探った。
(…………)
さらに探った。
(……破滅しますわ!)
そこだけは間違いない。
(どう破滅するんでしたっけ?)
(…………)
(……とにかく破滅しますわ!)
処刑だったか。
国外追放だったか。
婚約破棄だったか。
修道院送りだったか。
(悪役令嬢ものを見すぎて、全部混ざってますわ!)
落ち着こう。
前世で遊んだのは、もうずいぶん昔のことだ。
細部を忘れているのは仕方がない。
まずは登場人物を整理しよう。
ヴィオレッタは金髪の青年を見た。
(王太子。攻略対象)
名前は?
(…………)
出てこない。
(……殿下!)
婚約者なのに名前が出てこない。
幸い、この世界には「殿下」という便利な呼称があった。
その隣にいる長身の青年。
(騎士。たぶん攻略対象)
さらに、その隣にいる眼鏡の青年。
(この人、人気ありましたわ!)
名前は?
(…………)
何位だった?
(七位!)
(なんで順位だけ覚えてますの!?)
近くを通りかかった美形の男子生徒を見る。
(この人も攻略対象……?)
その隣も美形だった。
(この人も……?)
教師まで美形だった。
(…………)
(全員攻略対象に見えてきましたわ!)
だが、一人だけ絶対に間違えない人物がいる。
桃色髪の少女。
(ヒロイン!)
彼女だ。
彼女に関わるから、自分は破滅する。
ならば答えは簡単。
関わらなければいい。
「あの、ヴィオレッタ様」
「来ないでくださいまし!」
「えっ」
開始三秒で失敗した。
桃色髪の少女――リリアが固まった。
「す、すみません……」
「違うんですの! あなたに恨みはありません。ただ、あなたに近づかれると大変なことになる可能性がありますの」
「私が?」
「主に私が!」
「……?」
「ですから、あなたは何も悪くありません」
「では、どうして避けるんです?」
「将来的に怖い」
「私が?」
「私が!」
「さっきからヴィオレッタ様しか危険じゃないんですけど」
リリアが一歩下がった。
よし。
これでいい。
このまま距離を取れば――
「あ」
リリアの手からハンカチが落ちた。
「待って!」
「はい!?」
「まだ拾ってはいけません!」
「私のハンカチなんですが」
「分かっていますわ!」
ハンカチ。
学園。
ヒロイン。
(イベントでは!?)
ここで攻略対象が拾う。
目が合う。
恋が始まる。
そんな場面があった気がする。
すると、向こうから王太子が歩いてきた。
(来た!)
「来ましたわ!」
「誰が?」
「恋が!」
「人を指してください!」
王太子が近づいてくる。
ハンカチまで、あと五歩。
二歩。
そして――
普通に通り過ぎた。
「…………」
「…………」
「拾いませんでしたね」
「攻略対象としての自覚が足りませんわ」
「何の話です?」
リリアは自分でハンカチを拾った。
何も起こらなかった。
(普通のハンカチでしたわ……)
「なんでちょっと残念そうなんです?」
◇
それから数日。
ヴィオレッタの破滅回避生活が始まった。
「リリア! 止まって!」
「今度は何です!?」
「階段ですわ!」
「見れば分かります!」
「手すりを離してはいけません!」
「子供じゃありません!」
「階段から突き落とされる展開は定番ですの!」
「誰にです?」
「…………」
「ヴィオレッタ様?」
「念のため、私から三歩離れてください」
「やっぱりヴィオレッタ様が一番危ないじゃないですか!」
「違います! 私はやりませんわ!」
「じゃあ普通に歩いてください!」
別の日。
リリアが王太子と話していた。
ヴィオレッタは柱の陰から二人を観察した。
「ヴィオレッタ様」
「しっ。攻略進捗の確認ですわ」
「何を確認してるんです?」
「殿下を見て、胸が高鳴ったりは?」
「さっき走ったので少し」
「そういう身体情報ではありません!」
「そもそも、その『攻略』って何です?」
「……将来的に恋愛関係になる可能性のある男性を、こう……攻略するんですの」
「人を城みたいに言わないでください」
◇
とうとうリリアに捕まった。
放課後。
ヴィオレッタは人気のない教室で椅子に座らされていた。
「説明してください」
「何をでしょう?」
「全部です」
「全部」
「私を見ると逃げる。階段を見ると警戒する。殿下と話していたら柱の陰から監視してる」
「最後だけ聞くと嫌な女ですわね」
「全部合わせても結構嫌ですよ」
仕方がない。
ヴィオレッタは覚悟を決めた。
「前世には『ゲーム』という、自分で登場人物を動かして楽しむ物語がありましたの」
「自分で動かす物語?」
「そうです。そして、この世界はその物語によく似ていますの」
「……私たちも出てくるんですか?」
「あなたが主人公ですわ!」
「私が?」
「殿下や騎士様たちは恋愛相手候補。そして私は悪役令嬢。あなたの恋路を邪魔して、最後には破滅するんです!」
「…………」
リリアは少し考えた。
「邪魔しなければいいのでは?」
「…………」
「ヴィオレッタ様?」
「その発想はありませんでしたわ」
「先の物語より、今の自分を見てください」
「ですが、物語の流れが強制的に私を悪役にする可能性も――」
「今のところ、ヴィオレッタ様が一人で自分を追い詰めていますけど」
「…………」
痛いところを突かれた。
「そもそも、本当にその先の出来事をご存じなんですか?」
「当然ですわ!」
「では、次に何が起きるんです?」
「…………」
「…………」
「購買部のパンが、水曜日だけ二割引きになります」
「もっと大事なことはないんですか?」
◇
翌日の水曜日。
パンは本当に二割引きだった。
「…………」
「ほら!」
「本当に安くなってる……」
「信じました?」
「水曜日のパンについては」
「信頼が限定的すぎますわ!」
「でも、ヴィオレッタ様がどう破滅するのか思い出せばいいんですよね?」
「……!」
ヴィオレッタは立ち上がった。
「それですわ!」
「そこからだったんですか?」
◇
二人は記憶を整理することにした。
リリアが紙を広げる。
「その物語の中で、ヴィオレッタ様は私に何をするんです?」
「いじめます」
「具体的には?」
「…………陰湿に」
「形容詞ではなく」
「教科書を隠す!」
「新しいのを買います」
「強い!」
「公爵令嬢の嫌がらせにしては規模が小さくありません?」
「では、階段から突き落とす!」
「それで私に手すりを握らせてたんですか!?」
「湖に突き落とす!」
「この国、湖ありませんよ」
「…………」
「…………」
「別の物語ですわ」
「他人の話を混ぜないでください!」
リリアは紙に三つの見出しを書いた。
『この物語らしい』
『別の物語らしい』
『分からない』
「騎士様」
「あなたの幼馴染ですわ!」
「この学園で初めて会いました」
「別の物語!」
「魔術師様は?」
「実は王族!」
「本当です?」
「……だったらいいな、と」
「それは記憶ですらないですよね?」
「願望ですわ」
リリアが四つ目の見出しを書いた。
『願望』
「増やさないで!」
「眼鏡の方は?」
「人気投票七位!」
「何人中?」
「知りません!」
「それ、人気なんですか?」
「言わないで!」
「破滅に関係する情報は?」
「…………」
「…………」
「図書館の三段目の本棚を七回調べても、何もありません」
「本当に何もない情報ですね」
「中庭の植木鉢には十ゴールド!」
「こちらでは使えないお金でしたよね?」
「冷静に処理しないで!」
しばらくして、リリアが集計した。
『役に立ちそう 二』
『今のところ役に立たない 十八』
『別の物語らしい 四』
『願望 一』
「願望を集計しないで!」
「一番判断しやすかったので」
「私の未来知識が……!」
リリアは紙とヴィオレッタを交互に見た。
「……その物語、最後までご覧になったんですよね?」
「…………」
「ヴィオレッタ様?」
「次へ行きますわよ!」
「今、目を逸らしました?」
◇
それでも、ヴィオレッタの記憶は時折本当に役に立った。
「リリア。その花には触らないで」
「また例の物語ですか?」
「毒があります。……たぶん」
「自信を持ってください」
調べてみると、本当に毒草だった。
「当たりましたわ!」
「どうしてパンと毒草だけそんなにはっきり覚えてるんですか!?」
「私にも分かりませんわ!」
細かいことを忘れているだけ。
ヴィオレッタは確かに、この世界でこれから起こることを知っている。
ならば、自分の破滅だって回避できる。
そう思っていた。
◇
そして、春の大舞踏会。
煌びやかな大広間へ足を踏み入れた瞬間、ヴィオレッタは立ち止まった。
「……リリア」
「はい?」
「嫌な予感がしますわ」
「今度は何です?」
王太子。
騎士。
魔術師。
リリア。
主要人物が一堂に集まっている。
「こういう大広間に主要人物が勢揃いすると、悪役令嬢はだいたい破滅しますの!」
「それは例の物語の記憶ですか?」
「悪役令嬢もの全般の知識ですわ!」
「一番信用できない情報じゃないですか!」
その時。
「ヴィオレッタ」
王太子が歩いてきた。
「話がある」
「来ましたわ!!」
「何が!?」
ヴィオレッタは覚悟を決めた。
「婚約破棄ですか!?」
「違う」
「国外追放?」
「違う」
「処刑?」
「違う」
「修道院?」
「君はどこへ行きたいんだ?」
「破滅候補を潰していますの!」
「何の話だ」
王太子は困惑した顔で続けた。
「最近、君の様子がおかしいと聞いてな」
「……はい?」
「学園中の階段に、手すりを増設するよう要望したそうだな」
「必要ですわ!」
「それは実際、助かっています」
リリアが横から言った。
「それから、中庭の植木鉢を片っ端から調べているとか」
「十ゴールドが」
「何だそれは」
「私も分かりません」
王太子は心配そうにヴィオレッタを見た。
「最近、疲れているのではないか? 少し休んだ方がいい」
「正常ですわ!」
リリアが目を逸らした。
「リリア!?」
「そこは私から保証しづらいです」
結局。
断罪ではなかった。
王太子はただ、ヴィオレッタを心配していただけだった。
◇
「……おかしい」
王太子が去ったあと、ヴィオレッタは立ち尽くしていた。
「何がです?」
「ここから先が、まったく思い出せませんの」
「また忘れているだけでは?」
「違う……」
忘れているのではない。
まるで、最初から記憶そのものが存在しないような――
ヴィオレッタは前世を辿った。
一日目。
ゲームを買った。
学園へ入学した。
王太子に会った。
二日目。
騎士に会った。
魔術師に会った。
三日目。
図書館を調べた。
植木鉢を調べた。
購買部を調べた。
そして――
新作RPGが届いた。
「…………」
すべてを思い出した。
その日を最後に、乙女ゲームを起動した記憶がない。
「リリア」
「はい」
「大変なことが分かりましたわ」
「もう慣れてきました」
「私、あの物語を最後まで見てませんわ」
「…………」
「途中でやめてますの」
「…………」
リリアがしばらく黙った。
「では、その先に何が起きるかは?」
「知りません」
「ヴィオレッタ様がどうなるかも?」
「知りません」
「…………」
「…………」
「今まで何を頼りにあんなに騒いでいたんですか!?」
「途中までの知識ですわ!!」
「途中までしか知らなかったんですか!?」
「忘れていたんじゃありませんの!」
「はい」
「そもそも見てませんでしたわ!」
「それをもっと早く思い出してください!」
リリアが頭を抱えた。
そして、ふと顔を上げた。
「でも……では、どうしてパンの値段とか、植木鉢の中身とか、そんなことばかり覚えてるんです?」
「…………」
ヴィオレッタは再び前世を思い出した。
一日目。
攻略対象に会う前に、マップを全部回った。
二日目。
会話そっちのけで、調べられる場所を片っ端から調べた。
三日目。
取り逃しが気になって、同じ場所を何度も調べた。
「…………」
「ヴィオレッタ様?」
「最初の三日間、物語そっちのけで、調べられる場所を片っ端から調べてましたわ」
「…………」
「植木鉢とか」
「はい」
「本棚とか」
「はい」
「購買部とか」
「…………」
「だからパンの値段は覚えてますわ!」
「物語を見てくださいよ!!」
「だって植木鉢にお金が入っていたら、他も全部調べたくなるでしょう!?」
「その世界の常識を私に求めないでください!」
「本棚だって、一回何もなくても、後から何か出てくるかもしれませんわ!」
「だから七回!?」
「念のため!」
「三日しか見ていない物語で何をしてるんですか!」
ヴィオレッタは少し考えた。
「でも、パンは安く買えましたわ」
「…………」
「…………」
「そこだけは役に立ちましたね」
「でしょう?」
「得意げにならないでください!」
◇
未来はもう分からない。
誰と誰が恋をするのかも。
自分が破滅するのかも。
明日、何が起きるのかも。
「リリア」
「はい?」
「ここから先は、本当に何も分かりませんわ」
「はい」
「正しい選択肢も?」
「分かりません」
「失敗したら?」
「その時に考えます」
「やり直しは?」
「できませんね」
「…………」
ヴィオレッタは愕然とした。
「人生って、ものすごく難易度高くありません?」
「今さらですか?」
「攻略情報なし、正解表示なし、やり直しなしですわよ!?」
「みんなそれで生きてますよ」
「皆さん強すぎません!?」
リリアが吹き出した。
ヴィオレッタも、つられて少し笑った。
未来を知っているから、安心なのだと思っていた。
けれど、知らないなら知らないで――
「……リリア」
「はい?」
「これからも、一緒に考えてくださる?」
リリアは少しだけ目を丸くした。
そして、笑った。
「もちろんです」
「……よかった」
ヴィオレッタは、今度こそ素直に笑った。
未来は分からない。
けれど、最初に思っていたほど、それは怖いことでもないのかもしれない。
少なくとも、一人ではない。
「では、まず明日の予定を立てましょう」
「はい。何をします?」
「明日は水曜日ですわ」
「…………」
「…………」
「パンですね」
「!」
「何です、その顔」
「リリアが私の未来知識を理解してくれましたわ!」
「パンの値段だけです」




