3-2 異界の扉
一行は、森の開けた場所に出た。
そこは、小さな白い花が一面に咲き誇る原っぱだった。
普段なら、陽の光を受けて落ち着いた雰囲気のある場所なのだが、今は違った。
原っぱの先にある崖の近くで、円形の白い渦が神々しく光輝いているからだ。
その白い渦は、ギラギラと渦巻きながら、森へ向けて眩しい光を放ち続けている。その白い輝きを反射する様に、原っぱの花々が煌めいて発光する。
まるで、天国へ誘われるかのような美しい光景に、四人は息を呑む。
「なにこれ。」
春花は、目に映るものが受け入れられず唖然とした。
「す、凄いな…。」
勇希は、開いた口が塞がらない。
「ゆうくん、ぼくたち見つけたんだ!ホントに見つけたんだよ!」
望が、光を見つめて感激している。揃った前髪の下から覗かせる望の目は、光を反射しながら潤いを帯びていた。嬉しそうな笑顔を見せながら、両手で輝く石を大事そうに握り締めた。
彼らの視線の先には、大きな楕円形の光のゲートが宙に浮いていた。ゲートの中は、眩し過ぎてどうなっているのか分からない。
なぜ、そこに出現したのか。
なぜ、今現れたのか。
原理は全く理解出来ないが、実際に異世界の扉がそこにはあった。
「ケンくん、どうする!?」
勇希は、どうしたらいいか分からず健に指示を仰いだ。
扉の先のことは、何度も想像したことがあった。だが、実際に扉が現れた時のことなど、今まで一ミリも考えたことがなかった。
「ケンくん?」
健の反応がない。
勇希は、健の方へ尖った髪を回して振り返る。
健は、後ろの来た道の傍らにある森の中を、じっと目を凝らして見ていた。勇希の声は、まったく耳に入っていないようだった。
どうしたんだろうと思い、勇希はもう一度呼んだ。
「ケンくん!」
望と春花も心配になり、健を見た。
すると、急に健が振り向き、顔の前に指を一本立てた。
「静かに。とりあえず、あの光ってる扉?ゲート?なんだっていいが、あれの前まで行くぞ。」
健が腕を広げて、勇希たちをゲートの方へ促す。
「何か居たの?」
勇希は、健が何を見ていたのか気になって森を眺めてみた。
森では、相変わらず蝉が五月蝿く鳴いている。この原っぱ以上に、変わったところは見当たらなかった。
「ああ、嫌な予感がする。急いだ方が良さそうだ。ほら、行くぞ。」
健は、真剣な顔つきで勇希と春花のリュックを手で押した。さっきまで持っていたはずの健の荷物は、いつの間にか原っぱに捨て置かれていた。
自由になった両手で、二人の体を押し進める。
勇希たちは、白く輝く花の絨毯に土足で踏み入った。
不思議な光景に感動を覚えながらも、恐る恐る白光するゲートへと近寄って行く。
「綺麗ね。なんで花まで光ってるのかしら?」
春花は、気持ち良さそうに笑って原っぱを見渡す。荷物の重さが、さらに軽くなった気がした。
原っぱには、リンドウの白い花とたんぽぽの様なふわふわとした綿毛を付けた植物が群生していた。その白い花びらと綿毛が、白く発光しながら何かを空気中へ立ち昇らせている。
それは、花粉でもなければ、水蒸気でもない。言うなれば、生命力の輝きといったものだろうか。
「さあな。それにしても、まるで異世界にいるみたいだな。」
勇希の目もキラキラとして、感極まっているようだ。信じられない光景を、目に焼き付けようとじっくり見て歩く。ジーンズにくっ付いた綿毛までも、光輝いていた。
望が、異世界という言葉に反応した。
「あれを通れば、ホントに異世界に行けるかも!」
望は、ゲートに向かって一直線に走り出した。三人は、望を追い駆けるように足早について行く。その最中、健だけは後方の森を気にかけているようだった。
「あの中に入るの?これ、わたしも行かなきゃダメですか?」
春花が不安になる気持ちは分かる。間近でゲートを見ると、随分と大きかった。縦に三メートル、横にその半分の一.五メートルくらいだろうか。
ゲートの白い光の中では、さらに白い光が渦を巻いている。あまり直視していると、目がイカれてしまいそうだ。
「おれも無理だと思うけど…。」
眩しく渦巻く光の壁を見て、勇希は恐ろしさを感じた。
この中に入ろうだなんて、死にに行くようなものだ。洗濯機の中よりも危ない。
「なんだ?怖気づいたのか?ずっと探してた異世界の扉だろ。」
健は、臆病な二人を笑い飛ばした。
「そうだけど…。どう考えても、ヤバいでしょ。」
勇希が、ケラケラ笑う健を睨んでいると、望が振り返って言った。
「二人が行かなくても、ぼくは行くよ!」
それから望は、嬉しそうにゲートの目の前まで行って立ち止まった。そして、自分の持つ石の光とゲートの光を見比べる。
「望が一番勇気があるな。ほら、行った行った。早くしないと、消えてしまうかもしれないぞ。」
確かに、健の言う通りだ。
こんなモノが、ずっとここに存在し続けるとは勇希にも思えなかった。
いつまでこの光は続くのだろうか。瞬きをすれば、何ごとも無かったように消えてしまうんじゃないか?そんなことが、頭によぎる。
「望、どうだ?行けそうか?」
望は、平然と手に持っていた工具箱を、光の中へ突っ込んだ。さすがの望でも、自らの手を突っ込むことはしなかった。
するとどうだろう。
工具箱は、半分ほど光の中へ侵入した後、傷一つ付けずに戻ってきた。
望は、出来の良い物が仕上がった時の鍛治屋の名匠の様に、工具箱を見て頷いた。
「うん。行けると思う!」
望は、健の顔を見て笑顔で工具箱を持ち上げてアピールした。
その時、森の中で木が揺れる音がした。大量の葉が擦れ、ガサガサという音が鳴る。
望は、気になって工具箱を下ろして顔を向けた。
通って来た道の外れの、木の頭が揺れている。多数の蝉や鳥が飛び立つ音がした。
そこで春花が、森の中に何かを見つけたようだ。指を差して叫んだ。
「なにあれ!?」
森の中では、大きく木が揺れ、黒く大きな影が動いていた。木がバキバキと折れる音が聞こえてくる。
勇希がよく見ようと背を伸ばすと、大きな黒い動物が森の中から出てくるところだった。
森の影から、大きな四角い鼻先が現れる。
「なんだ?あんな動物、見たことないぞ。」
見たこともない四角い顔の動物は、大型トラックぐらい大きな巨体を持つ猛獣だった。大きなワニの様な口からは血が滴っていて、キツネかタヌキか何かの動物を咥えている。
全身は、真っ黒な虎のような体格をしていて、筋肉質で強靭そうな体付きだ。その強靭な前足には、特徴的な大きな長い爪が三本伸びている。
「森の木をバラバラにした犯人は、あいつだな。」
健が前に立って腕を広げて、三人をゲートの方へ下がらせる。まだ十分に距離はあるが、走って来られたら一瞬だろう。
黒い猛獣は、歩くだけでドスドスと、重量感のある足音を地面に響かせる。
体は猫科のようだが、顔は四角く猫とは程遠い。楽器でも入っていそうな鞄の様な口を動かし、バキバキと口の中の動物を噛み砕いて、喉へ通し始めた。
「こっちに来てるけど、どうするの!?」
春花は、周囲を見回すが退路がどこにもない。
後ろには光るゲートがあり、その先は崖だ。森まで走ろうにも、すぐに追いつかれてしまいそうだ。
幸い、猛獣は食事中で、今直ぐに襲ってくる気配はない。
それに、何故か猛獣は、原っぱへ足を踏み入ろうとはしなかった。顔を振ってバキバキボリボリと骨を噛み砕きながら、森の切れ目で左右にウロウロと歩いて、原っぱの中の様子を伺っている。
逆光で、勇希たちの姿が見え難いのか、ただゲートの光を警戒しているだけなのかは分からない。
「おれが引きつける!その間に行くんだ!」
健は、腕を広げたまま息巻いて、視線をゲートに向けて指し示した。
すると、勇希が健の肩を掴んで引っ張った。
「無茶だ!行くなら一緒に行こう!今ならまだ間に合うって!」
懸命に説得するが、健は勇希の手を振り払った。そして、真剣な目を勇希に向けた。
「駄目だ。このままだと、みんなあいつに食われちまう。」
健は、冷静に一人一人の顔を見て、ゆっくり名前を呼ぶ。春花の肩を右手で掴み、望の頭に左手を置いた。
「勇希、望、春花ちゃんも。全力で夢を追い駆けるんだ。大事な物を見失なうなよ?いいな?」
健が笑って聞くが、誰も返事をしなかった。
全員が、なんでそんなことを言うの?っと、寂しい目を健に向ける。誰も言葉が出なかった。
そして、健は返事を待たずに、望をゲートへ振り向かせて背中を押す。
「じゃあ望から。次、春花ちゃん行って。」
「でも、ケンくん…。」
望が、寂しそうな目で健を見上げた。
健は、強がった笑顔を望に向ける。
「任せとけって。引き付けるだけで、やられたりはしないさ。」
望の目に映る健の姿は、ゲートの光の効果によって、いつもの十倍は格好良く見えた。それを見た望の顔に、明るさが戻る。
「うん、分かった!」
望は、元気良く返事をして、ゲートに右手を突っ込んだ。
「わあ!」
っと、目を見開いて喜ぶ姿は、無邪気で子供らしい。
感触を確かめた望は、右手を突っ込んだまま春花を見た。
「はーちゃん、すぐ来てよ?」
「えっ。うんうん。」
驚いた春花が真顔で頷くのをクスッと笑い、望は光の中へ消えて行った。
スッと居なくなった望を見て、実はゲートの裏側にそのまま通り抜けたのではないかと、春花は疑った。あれ?っと言って、ゲートの脇から魔の抜けた望の顔が現れるのを期待したが、どこにも望の気配はなかった。
「急いで!もう時間が無さそうだ。」
「はい!」
健に急かされ、春花は意を決する。
恐怖というものが、こんなにもドキドキするものだとは思ってもみなかった。春花は、ゲートの前に仁王立ちして、大きく深呼吸して心を落ち着ける。
背中には小さなリュック。肩からは、大きな鞄をぶら下げ、手には、二つの袋。片方は、可愛い花の刺繍が入った手提げ袋だ。
結構な荷物を持っているが、どれも置いて行くという選択肢は、必死過ぎて思い浮かばなかったようだ。
なんとか心を落ち着けた春花は、心配そうに一度振り返ってから、目を瞑ってゲートの中へ飛び込んだ。
春花の姿を呑み込んだ白い光の中を、勇希は口を開けたまま見つめていた。
二人とも本当に行ってしまった。これは、ゲームじゃない。現実だ。触れるだけでも危険な存在に、入って行くだなんて――。
勇希がゲートの前で尻込みしていると、健が肩を叩いた。
「ほら、勇希。行け!」
しかし、勇希は、放心状態で健の顔をぼーっと見ることしか出来なかった。
ケンくんは、自分が死ぬかもしれないこの状況で、いったい何を言っているんだ?あの化け物の大きさを見て、どうする気だよ。それに、扉に入るにしても、置いて行ける訳ないだろ。
勇希の頭の中は、いろんな感情でぐちゃぐちゃになる。
健は、そんな勇希の両肩に手を掛け、無理やり勇希の体を回転させる。
「向こうに、なにがあるか分からない。はやく行ってやれ。」
そう優しく声を掛けながら、力強く勇希の背中を押した。
「おれがいなくても、しっかりやるんだぞ?」
そんなの嫌だ!何か方法があるはずだ!目の前の扉は、こんなにも光輝いているんだ。この先に行けばきっと――。
目の前に迫り来る光の壁を見つめながら、心の中で叫んだ。声に出来ない自分が、情けなかった。勇希は、光の中へ半身を埋めながら振り返る。
振り返ると、健は、勇希の背中から既に手を離して走り出していた。
勇希の体は光の中へ吸い寄せられ、引き返そうにも戻ることが出来ない。
健は、輝く原っぱを走りながら大きな声で叫ぶ。
「おーい。こっちだ!!」
大きく手を振って、森の方へ猛獣の注意を引き付ける。
猛獣は、その声に反応して顔を向け、足を動かし黒い巨体を走らせる。大きな爪があるにも関わらず上手く走る。
健は、背負った鞄を急いで背中から外し、猛獣の方へ投げ捨てた。鞄は上手く猛獣の顔へ当たり、突進の勢いが緩くなる。その隙に、健は森の中へと身を隠す。
しかし、猛獣は、原っぱの花を無残に飛び散らせながら、あっという間に健のいる木の場所に追いついた。大きな角張った鼻で、健の居場所を把握する。
そして、前足についた大きな三本の鋭い爪を、高々と振り上げた。
ズバッ!
振り下ろされた爪が、森ごと健を切り裂いた。その一振りで、何本もの木が綺麗に切断されて宙を舞う。
「ケンくーーーん!!」
勇希の体は光の中へ吸い込まれ、視界が真っ白となる。
勇希には、健がどうなったのか、最後までハッキリとは見えなかった。




