【短編小説】東≠京・アクアリウム(愧)
俺を乗せた中央線は高架を降りて緩やかな坂を下り次の到着駅である中野へと向かう。
坂を下る斜めの車窓から見える景色が変化していく。
四、五階ほどの高さから地上へ。
ビルディング、アパート、一軒家。
生活、生活、生活。
黄色い骨をしたショベルカーが銀色の筋を動かしている。
生活。
そうやって黄色いショベルカーに取り壊されたアパートから運び出されなかった思い出たちが空に立ち昇っていくのが見えた。
きっと思い出たちには行く先が無いし帰るところも無い。
だから空は曇っている。
それは例えば柱に貼られたシール。身長に刻まれた日付け。
生活の苦痛。または快楽。
点と線、生活の原点、生活オブ人間、曖昧なじゃんけん。
中央線が硬い音と振動で中野駅に入っていく。
駅員室の脇、螺旋階段の下に設置された金網。室外機。または誰かが飼う悪魔。
そう言えば俺の階下に住む住人が出した粗大ごみの中にケージがあった。
飼っていた犬か猫が死んだのだろう。
しかし犬や猫が死んだ部屋は心理的瑕疵物件には該当しない。
奴らは化けて出ないからだ、たぶん。
俺は見たことが無いし聞いた事がない。
もしかしたら気づいていないだけで、そこらじゅうにいるのかも知れない。
じゃあ魚はどうだろう?
水の無い部屋で泳ぐのか?
餓死したピラニア、アロワナ、ジェリーフィッシュ。
たい焼きだって泳ぐんだ、そいつらが窓の外を泳いでいたって何も不思議はない。
ガタン、電車が揺れる。
俺の視界が揺れる。
ガオン、黄色い骨が動く。
水槽が溢れる。熱帯魚が床で跳ねる。
ガシャン、屋根が剥がれる。
風呂が溢れる。女がタイルの上で跳ねる。
ガシャン、壁が崩れる。
陰唇から精液が溢れる。俺が屋上から飛ぶ。
マンション、アパート、一軒家。
俺が飛ぶ景色が遠去かる。
飛んだ高さが高ければ高いほど落ちた時には酷い事になる。
人生。
中央線は中野駅のまま新宿には向かわない。
女が死んだのは嫌いになったからじゃないし邪魔になったからでもない。
単に夏が暑過ぎるからだ。
雨上がり乾いていくアスファルト、またはガルバリウムの屋根、リノリウムの屋上。
不愉快さが堆積している。
飛び降りた俺から見える屋上は遠く片道分の燃料である労働はすでに低空飛行だ。
人生、生活、人生、生活。
俺の部屋だけはずっと曇った空に包まれていればよい。
分厚い雲に遮られた陽の光が緩やかに届く布団の上。
俺は無駄に広いベッドの上で寝がえりを打つ。
手指には何も触れない。
俺は再び寝がえりを打つ。
咳をしようがしまいがひとり。
じっと手を見る。
握りしめた手。
隙間からこぼれ落ちた猫砂が床に散る。
猫は部屋を出ながら言った。
「どんな猫でも好きに買えばいい」
「それがあなたの幸福なら」
それでもいつだって現猫神は見ている。
俺にその気は無い。
信じてくれていい。
その黒い瞳を見開いてくれ。
黒い瞳。
ホームレスが孤独を埋める為に飼う風切り羽を取られた烏の黒く黒く澄んだ瞳が俺の心臓だとか脳味噌に刺ささったまま抜けない。
孤独と孤独が絡まった有刺鉄線に俺の思考回路が引き裂かれる。
俺には何もできない。
「煙草は吸えるか?ここら辺はクソだな、パチンコ屋はあってもソープランドが無い」
「そうだ、アンタは福祉に接続されない。俺たちは福祉に接続できた。もっと東のシティーでの話さ」
福祉に接続される。
俺たちは黙って黒いアルファードに乗り込む。そして福祉に接続される。
120分5万円。仮初の福祉。
その福祉はシャンパンタワーと言う福祉に接続される。
それは投資と言う福祉に接続される。
半熟、半ライス、半グレの福祉に変換される。
その先は?知らない。
知らない事になっている。
俺はこうやって思い出を売り払う。
思い出オフで誰かがその思い出を手に取る。
手に取ったアンタはインターネットと言う福祉でやがて俺に接続されるんだ。
円環だよ、分かるか。
そうしてインターネットの黄色い骨が俺の頭蓋骨をこじ開けた時、脳みそに詰まった思い出はどこに行くんだと思う?
貼られたシール、身長に刻まれた日付け、海馬、欠損、前頭葉と言語野。
行く先は?
お前の頭蓋も開けておいてくれ。
それとも一緒に飛ぶか?
水槽が溢れた。
精液が溢れた。
俺たちは屋上に行く。空は曇っている。遠くに見える光のオルガンがビルを刺す。
靴を揃える。鉄柵の向こうを魚たちが泳ぐ。ピラニア、アロワナ、俺とお前。
ヒトトシテ、スプレゴ、鳥にはならない。鶏骨。馬骨。
役立たず、後悔先に立たず、覆水浴槽に返らず、飛び降り自殺屋上に還らず。
俺は東京(≠your vagina)で吐く。
いつまで経っても天然の福祉には接続されないままだ。




