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あんたが大将  世界バンタム&フェザー級王者 ルーベン・オリバレス(1947-)

作者: 滝 城太郎
掲載日:2025/11/30

モハメド・アリやシュガーレイ・レナード、ロイ・ジョーンズJrのように華麗な攻防のテクニックを有しながら、KOを量産するタイプは「怪物」というより「天才」という表現がふさわしいだろう。彼らに比べてオリバレスはむしろ不器用なタイプなのだが、重いパンチを果断なく叩き込む無骨なスタイルでKOの山を築いていった。傍から見ていると勝てそうなのに、いざ対峙すると物凄いプレッシャーで押しつぶされてしまう、オリバレスにはそういう怖さがあった。


 軽量級の宝庫メキシコが生んだ伝説の怪物である。

 通算十九度の王座防衛を果たしたマヌエル・オルチスの時代から、王座統一戦で日本のエース長谷川穂積をKOした三階級王者フェルナンド・モンティエルに至るまでメキシコ出身のバンタム級王者のクオリティの高さは群を抜いているが、その中でもカルロス・サラテとバンタム級史上最高のハードパンチャーの称号を分け合っているのが、ルーベン・オリバレスである。

 サラテが名人芸のピンポイントブローで数々の芸術的なKOシーンを演出したのに対し、オリバレスは酒場の喧嘩ファイトのような荒々しいボクシングでファンを魅了した。スタイルが違うため好みは分かれるところだが、メキシコの庶民にとっては、万事がスタイリッシュなサラテより、腕白小僧がそのまま大人になったようなオリバレスの方により親近感を覚えたに違いない。オリバレスの試合にはファンの血を滾らせる何かがあった。


 オリバレスはメキシコ市郊外のコロニア・バンジョーで裕福な建築家の九番目の子として生まれた。子供の頃からガキ大将で勉強などまるでやったことがなかったので、十年かかっても小学校を卒業できず、退学になってしまった。その後通った職業専門学校も喧嘩で放校処分となり近所の工場で働いていたが、ずる休みが多く典型的な怠け者だった。ただし女性に手を出すことだけは早かったという。

 そのせいか結婚したのは十六歳の時である。このままチンタラ遊び呆けていたら、まるでヒモのようなヤンパパに成り下がっていたところだが、TVのボクシング番組を観戦中、自分の友人がナックアウトされたことに腹を立て、その相手に報復するためにヨルダン・ジムの門を叩いたのがボクシングを始めるきっかけとなった。

 それまでのオリバレスは地元の草サッカーチームの主将をしており、ボクシングはズブの素人だったが、喧嘩で鍛えたパンチ力だけは玄人はだしで、アマチュアボクサーとしてたちまち頭角を現した。

 一九六四年のメキシコ・ゴールドグローブ大会フライ級で優勝すると、翌年十七歳でプロデビュー。それもいきなり二十四連続KO勝ちである。

 とはいえアルフォンソ・サモラの二十九連続KOを筆頭に、ヘスス・ピメンテルとカルロス・サラテも二十八連続KOを記録するなど、ハードパンチャー揃いのメキシカンボクサーの中では、二十四という数字自体はそれほど傑出しているわけではない。

 しかもメキシコではキャリア初期の記録の管理が杜撰で、後に記録が訂正されることも多い上、若手を売り出す際に楽勝出来る相手ばかりを選んで作られたKO記録を宣伝材料にする傾向があるため、やや信憑性に欠けるきらいがある。

 日本でも十連続KO以上を記録した選手のうちその過程において東洋タイトル以上を獲得したのは、ムサシ中野(十二連続KO)しかおらず、日本タイ記録の十五連続KO勝ちを収めた牛若丸あきべぇやムサシと並ぶ当時の日本タイ記録保持者赤井英和、デビュー以来の連続KO勝利日本記録保持者金井アキノリに至っては日本タイトルにすら届かなかったように、対戦相手の質に言及することなく数字だけを鵜呑みすることは出来ない。

 オリバレスも同様で、テクニックもまるでなく力任せに格下を次々とKOしたところで、それほど高い評価は得られなかった。試合の派手さゆえに観客受けは良かったが、当時のメキシコのバンタム級の中では、ジョー・メデル、チューチョ・カスティーヨに次ぐあたりの人気で、後にライバルとなるカスティーヨの方が将来性は高いと見られていた。


 一九六七年十月十四日、十九歳の牛若丸原田は日本人として初めてオリバレスと対戦した。二十八勝〇敗(二十七KO)一引分けのオリバレスに比べると、十七勝二敗(七KO)三引分けという原田の戦績はかなり見劣りするものではあったが、オリバレスは国内タイトルさえ手にしたことがなく、前日本バンタム級チャンピオンの原田とは対戦相手の質が違っていた。

 一発の破壊力こそ比較にならないが、兄譲りのラッシュ戦法とタフネスを誇る原田にとって、ボクシングが雑なオリバレスは勝てる可能性のある相手だった。

 一ラウンドの出だしは原田が優位に試合を進めていた。距離をとって空振りを誘いバランスを崩したところで連打を浴びせる作戦が冴え、強打が売り物のオリバレスの方がロープを背にするシーンが多かった。

 これならいけると見た原田は接近戦を挑むが、これが裏目に出た。ラウンド中盤右ショートからの返しの左フックを避け損ない仰向けにひっくり返ってしまったのだ。まさに不覚のダウンだった。

 ここでオリバレスは猛然とラッシュ。タフな原田は真っ向勝負で打ち合い、一歩も引かない。

 二ラウンド、オリバレスは得意の左を中心に仕掛けてくるが、相変わらず振りが大きく左はほとんど空を切っていた。ところがロープを背にした原田が二三発ショートを浴びたところで突然レフェリーが割って入り、オリバレスのTKO勝ちを宣言したのだ。

 バッティングで目じりからの出血があったとはいえ、明らかに早すぎるストップに呆然とする原田はこれがキャリア初のKO負けだった。

 原田戦が象徴するように、この頃のオリバレスは一撃でナックダウンを奪える破壊力こそあれ、攻撃は比較的単調でガードも甘かった。また、動きも直線的なため、牛若丸の兄であるファイティング原田のような一流のジャバーが相手だったとすれば、試合の中盤までに視界を塞がれ強打は不発に終わっていた可能性が高いだろう。

 実際、この時の弟の試合に同行していたファイティング原田は「それほど強いとは感じなかった」と評している。この時点でもオリバレスがまだ世界ランキング入りを果たせていなかったのは、強打よりも穴の多さが目立っていたからに他ならない。

 しかしオリバレスはさらなる進化を遂げた。両腕を高く上げてガードを固め、攻撃面でも大振りのフック一点張りから、ジャブで突破口を開いて接近し、至近距離からのショートアッパー、ボディブローを多用するようになったのだ。これでカウンターの被弾率が下がり、空振りの後に懐に飛び込まれにくくなったため、これまでのような中間距離からのフルスイングでのKOパターンから接近戦でのショート連打によるKOまでバリエーションが広がった。

 一九六八年三月に元フライ級王者サルバトーレ・ブルニを、同年十一月にジョー・メデルをそれぞれKOで下すに至ってオリバレスの評価は急上昇した。特にメキシコでは依然として人気実力ともに第一人者と目されていたメデルを激戦の末にストップしたことで、ジョージ・パーナサスプロモーターもオリバレスの売り出しに本腰を入れ始めた。

 関光徳対ビセンテ・サルディバル戦の興行的成功以来、数々のビッグマッチを手がけてきたパーナサスはウェルター級最強王者ホセ・ナポレスら中南米の強豪選手をずらりと傘下に置く大物プロモーターである。

 オリバレスはそんな彼の持ち駒の一つに過ぎなかったが、メデルを倒してメキシコバンタム級チャンピオンになったことでそのスター性を確信したパーナサスは、世界戦実現に向かってマッチメークにも本腰を入れるようになったのだ。

 そんな彼がオリバレスの力量を測るのに最もふさわしい選手としてピックアップしたのが、世界バンタム級二位の桜井孝雄だった。

 東京オリンピック金メダリストの桜井は世界チャンピオンの宿命を背負った男だった。「パンチはないがテクニックは超一流」と評されたが、KO率が低いだけでピンポイントブローが決まれば一流どころからでも十分にダウンを奪えるだけの力量は備えていた。

 ただし、負けないボクシングに徹するがゆえに無理してKOを狙わないところがファンには物足りず、人気面では今一つ伸び悩んでいた。

 デビューから二十二連勝してライオネル・ローズに挑戦した時は、せっかく先制のダウンを奪いながら打ち合いのリスクを避けて安全運転に徹したのが災いし、後半に巻き返したローズに僅差で敗れている。 

 一世一代のチャンスをつかみながら自ら選んだ消極策で全てを棒に振った桜井は、そのことがトラウマになって悶々とした日々を過ごしていたが、元々は勝気な性格だけに、オリバレス戦にも自信満々だった。

 一九六九年五月二十三日、敵地エル・トレオ競技場のリングに立った桜井はある誤算に戸惑っていた。

キャンバスが柔らかいのである。

 世界チャンピオンのライオネル・ローズに勝るとも劣らないフットワークが武器の桜井にとって、踏ん張りのきかないリングで戦うことはスピードとバランス面で不利なばかりか、普段以上に疲労も伴うことになる。しかも十回戦のつもりが十二回戦になったため、スタミナ面でも不安が残る。

 もちろんオリバレスも同じ条件だが、ステップがすり足なぶん桜井ほどの影響はないし、もとよりラストラウンドまで戦うつもりがない。

 ふわふわとしたリングに違和感を覚えつつもテクニックでは自分が上と言い切る桜井は、三ラウンドに右のカウンターでぐらつかせると、左ストレートを顎に叩き込み、オリバレスから先制のダウンを奪った。オリバレスのガードの甘さは計算済みであり、ここまでは桜井の読み通りの展開だった。

 問題はここからで、タフなオリバレスはこのピンチを脱すると驚異的な回復力でギアを上げてきた。

 見切りの良い桜井は顔面へのクリーンヒットこそ許さないものの、桜井曰く「スピードはそれほどでもないが、とてつもなく強く、まるで丸太で殴られているようだった」というパンチの威力は想像以上で、ガードしていても腕が痺れるほどズシリと重かった。

 オリバレスの方もディフェンスに隙がない桜井を一撃で仕留めるのは無理と悟ったのか、四ラウンド以降はボディに的を絞ってきた。リードの左だけでもKOパンチを打てるオリバレスは、本来のアップライトのガードポジションを捨て、なりふり構わぬ左右の連打で桜井に肉薄する。被弾率が上がるリスクは承知の上である。

 オリバレスが他の強打者と一線を画しているのは、スピードの強弱やコンビネーションを使わず、百パーセントの力で連打を繰り出せる点である。命中率は低くとも一発一発にウェートが乗ったボディブローは肋骨がきしむほどパワフルで、桜井のスタミナを確実に削り取っていった。

 五ラウンドが終わった頃にはさすがの桜井もこのリングでは十二ラウンドまで持たないと観念した。とにかく足場が悪いので、オリバレスの執拗なボディアタックをさばいているうちに疲労が蓄積し、足がだんだん言うことをきかなくなってきたのだ。

 ここで桜井は計算した。終盤にオリバレスの強打につかまって負けるくらいなら、ほとんどダメージのないうちにこの試合は放棄し、次回の対戦に賭けた方が無難であると。

「オリバレスはガードが甘く顎が弱い。徹底的に顎を狙えば勝てる」

 ここまでの戦いから桜井はこう分析し、目先の黒星より将来的な勝利の可能性を優先したのだ。

 六ラウンド、眠るタイミングを見計らっていた桜井はボディに手頃な一発をもらったところで自らダウンした。しかし、それほど観客も盛り上がっていないので、バツが悪くなって立ち上がった。

 さらに二度のダウンを追加されたが、レフェリーが桜井の目が死んでいないのを見てファイトを促すので、再び前のめりに倒れてテンカウントまでじっとしていることにした。

 観客はオリバレスの逆転KO勝ちに大喜びだったが、ほとんどダメージを受けずに試合を終えた桜井は、周囲を欺いた罪悪感に苛まれながらも内心ほっとした思いで帰路に着いたという。

 このような桜井の計算高さは、ある意味ボクシングを冒涜しているとも言える。しかし一方で、ダメージの蓄積によって後半生を棒に振るボクサーも少なくない。それどころかすでに戦闘能力を失っているにもかかわらず本能的に立ち上がり、とどめの一発で命を落とした例さえある。

 公認団体の分裂やジュニア階級の新設などで世界戦のチャンスが飛躍的に増えた一九七〇年代以降は、桜井のようなドライな考え方を持つボクサーも現れるようになった。三度目のチャンスで世界をモノにしたガッツ石松もその一例で、二度目の世界戦でロベルト・デュランにダウンを奪われた時、「どうせ勝てないから、このまま寝ておこう」と思ったそうである。

 ただし桜井はその計算高さが仇となった。すでに二十七歳の桜井は軽量級ボクサーとしてはピークを過ぎており、自らの肉体の衰えを計算に入れていなかった。帰国後、予定通り東洋タイトルを獲得し、世界ランキング一位にまで駆け上るが、自分のボクシングが出来なくなったことを自覚するに至って東洋チャンピオンのまま引退の道を選んでいる。

 オリバレスからせっかくダウンを奪いながら、打ち合いのリスクを回避したことが、これまでは計算どおりだったはずの桜井のボクシング人生を狂わせてしまったのだ。

 一方のオリバレスは、ランキングボクサーの中ではピカ一の技巧を誇る桜井をKOしたことで、その強さが本物であることを証明できた。そしてこの結果しか見ていないチャンピオンのローズは、過去に最も苦戦を強いられた桜井のKO負けによって、オリバレスのパンチから逃げ切ることは出来ないと観念したに違いない。

 三ヶ月後に行われた四度目の防衛戦では、むざむざ打ち合いに応じ、五ラウンドKO負けでタイトルを手放した。

 驚異的な破壊力で世界バンタム級王座を手中にしたオリバレスは、初防衛戦で原田に善戦したアラン・ラドキンを二ラウンドで沈めたことでその評価を決定的なものにした。ここまでの五十五勝〇敗(五十三KO)一引分けというレコードは、過去のバンタム級チャンピオンの中では最高のもので、「黄金のバンタム」エデル・ジョフレを凌ぐのではないかという声もちらほら聞かれるようになった。


 個人的な見解から言わせてもらえば、全盛期のオリバレスといえどもジョフレには勝ち目がないように思う。防御に穴のないジョフレを崩すには、原田のような相手を防戦一方に追い込むようなジャブの連打とインサイドに入ってからの回転の速いショートが打てることが必須条件である。

 オリバレスは晩年のメデルにもカウンター戦法で苦しめられたが、ジョフレはショートの打ち合いでも全盛期のメデルに引けを取らなかった。左の使い方にしても、オリバレスもフック、ストレート、アッパーともに自在に使いこなし、そのいずれもがフィニッシュブローになるうるほど強力だが、ジョフレのブロックを粉砕するには至らないだろう。

 逆にジョフレの避けた方向に追いかけてくるような伸びのあるロングアッパーはガードが甘く顎に欠点を抱えるオリバレスには脅威となるに違いない。

 オリバレス得意の連打にしても、一発一発に力を入れて打っているぶん、手打ち気味の原田より回転は遅い。しかも原田が一度のラッシュで二十連打以上打てるのに対し、オリバレスは十数発が限度で後半はスピードが落ちるため、カウンターの餌食になる可能性がある。 

 唯一、フットワークがベタ足気味のところは差がないが、守勢に回った時の足さばきはジョフレの方が柔軟である。オリバレスは顎さえ打たれない限りはタフネスには自信があるのだろう、少々のパンチにもひるまずに力づくで相手をねじ伏せてしまうが、ジョフレやサラテのように、的確に一撃で急所を打ち抜くピンポイントパンチャーが相手となると穴が多すぎる気がする。

 打たれ強さだけならオリバレスをしのぐサルディバルをボディ攻撃で沈めているジョフレのパンチを急所にクリーンヒットされれば、オリバレスの回復力をもってしても、そこから劣勢を覆すのは厳しそうだ。

 したがって攻撃一辺倒型のオリバレスでは、攻防兼備のジョフレを一気に攻め落とせず後手に回ってしまうと、案外簡単に詰められてしまうのではないだろうか。


 一九七〇年四月十八日、ロサンジェルス・オーディトリアムにおいてオリバレスはかつて自分よりも実力が上と見られていた同国のライバル、チューチョ・カスティーヨを迎えて二度目の防衛戦を行った。

 技巧派のカスティーヨは正面きっての戦いは避け、カウンター狙いに徹してきた。三ラウンドには右ショートでバランスを崩したオリバレスが片膝をつくダウンを取られたが、ダメージは少なく、すぐさま反撃に転じて判定で圧勝している。

「カスティーヨはいいボクサーだが、パンチは弱い。ダウンも全然効いていない」

 試合後のインタビューでこうまくしたてたオリバレスだったが、この一戦はオリバレスの怪物神話崩壊の序曲だった。

 その一つ目の理由は、ガードに難があり顎が弱いことを決定づけたこと。二つ目が、これまで長いラウンドを戦った経験のないオリバレスは、終盤になると攻撃力が低下することが明らかになったことである。

 この二点については桜井とカスティーヨはある程度把握していたはずである。しかし桜井が試合を捨てたことで、彼ら以外は先入観でオリバレスの怪物像を作り上げてしまった節がある。だからこそローズばかりかラドキンまでが打ち合いに応じてしまい、オリバレスの思う壺にはまったと考えられる。

 事実、オリバレス自身、「ラドキンは足を使ってくると思っていたのに、攻めて来たので助かった」と言っているのだ。

 つまり、「桜井のフットワークで逃げ切れないのなら、カウンター勝負しかない」という誤った結論に達した二人は強打を浴びて沈んだが、長年にわたってオリバレスを観察してきたカスティーヨは、自分のディフェンス技術をもってすれば終盤まで強打をしのぎ、体力を消耗させることが出来ると踏んだものと推察する。

 オリバレスの凋落を自身の放蕩癖に言及する意見が多いことは事実だが、彼の練習嫌いはチャンピオンになって始まったわけではない。

 メインエベンターになってからも世界戦まで三十試合以上消化しているオリバレスは、チャンピオンになる前から金回りは良かったはずなので、急に弱くなったとは言い難い。

 むしろ欠点が次々と明るみに出たことで怪物性が薄れゆき、それまでは対戦する前から名前負けしていた相手が逆にオリバレスを踏み台にしてネームバリューを高めようと思うようになった結果ではないだろうか。

 あくまでも強気なオリバレスは三度目の防衛戦(十月十六日)でカスティーヨとの再戦に応じたが、前回の対戦で手応えをつかんだカスティーヨを追い切れなかった。逆にカスティーヨは出血したオリバレスの左目にパンチを集中し、十四ラウンドTKO勝ちをもぎ取った。

 この世界戦に先立つ三ヶ月前、オリバレスがノンタイトル戦でメキシコ遠征中の千代田収司(日本バンタム級七位)と戦った時のこと。完敗はしたものの、スピードのある千代田はほとんどクリーンヒットを許さず、KOパンチを不発に終わらせた。このこともカスティーヨには怪物攻略のヒントになったかもしれない。

 六十二連勝の怪物はわずか一年二ヶ月で王座を失った。


 よりによって長年のライバルに王座を追われたオリバレスはリベンジに燃え、一九七一年四月三日、両者のラバーマッチが実現した。自信にみなぎるカスティーヨは六ラウンドにダウンを奪い、王者の貫禄を示したが、オリバレスは深追いしてスタミナを消耗するような愚は犯さず、左リードを中心にステディなボクシングを繰り広げた。

 全力で倒しにかかるオリバレスをさばく技術は持っていても、ガードを固めてじっくり構えられると、それを切り崩して倒せるだけの攻撃力のないカスティーヨは、次第に打つ手がなくなり初防衛に失敗した。

 しかし、二度目の王座に就いたオリバレスも安閑としてはいられなかった。連勝中は鮮やかな倒しっぷりに隠れていた打たれ弱さがクローズアップされたことで、これまでは強打を恐れて尻込みしていたランキングボクサーたちが、オリバレスの首級を挙げるため続々と挑戦状を叩きつけてきたのだ。

 綻びが見えてきたオリバレスにとって、強打を恐れることなく立ち向かってくる挑戦者を撃退するのは一苦労だったが、ノンタイトル戦で元フライ級王者アラクラン・トーレスをKOで返り討ちにしたのをはじめ、二度の防衛戦はいずれもKO防衛と、並の強打者とは格が違うところを見せつけた。

 その中で最も苦しんだのが、かつて難なくKOした金沢和良との初防衛戦である。乱打戦の末、十四ラウンドでようやく試合を終わらせたオリバレスの顔面はパルプのように腫れ上がり、左目上を七針も縫う裂傷を負っていた。オリバレスがこれほど打たれたのは初めてだった。金沢は負けて男を上げ、日本のボクシング史にその名を刻んだ。

 再起後は八戦全勝(七KO)と怪物の面影をかろうじてとどめてきたオリバレスも、所詮は人間であることを暴かれる日がやってきた。慢性的な練習不足と不摂生によって減量が困難になり、最悪のコンディションで臨んだ三度目の防衛戦(一九七二年三月十九日)で、ラファエル・エレラの強打に屈し血まみれのKO負けを喫したのだ。

 ふてぶてしさがウリだったオリバレスが八ラウンドにエレラの右を浴びてリングにしゃがみこんだ姿は、まるで喧嘩に負けた子供のように小さく見えた。


 怪物神話は一旦ここで完結するも、自信家のオリバレスは「フェザー級ならチャンピオンになれる」と豪語。一九七四年七月九日、WBAフェザー級王座決定戦で歌川善介を七ラウンドKOに下し、その自信が偽りでないことを証明して見せた。

 このタイトルは五ヶ月後にアレクシス・アルゲリョにKOされてあっさりと手放してしまうが、今度はWBC王座に照準を合わせると、ボビー・チャコンに二ラウンドKO勝ちで通算四度目の王座奪取に成功している(一九七五年六月二日)。

 これが怪物と呼ばれた天才強打者の最後の輝きだった。

 生涯戦績89勝13敗(79KO)3分

オリバレスのパンチはガードの上からでも骨と筋肉にダメージを与えることができた。中谷潤人は先の世界戦でオリバレスを参考にしたような戦い方を見せたが、井上尚弥に果たして通用するかどうかはわからない。しかし、オリバレスのパンチをアームガードで切り抜けようとしたら、井上も中谷もKOされるだろうと想像する(天心なら1~2RでKO負けか)。全盛期のオリバレスのパンチは急所にクリーンヒットしなくても最後には相手を仕留めてしまうほどやっかいなシロモノだったのだ。

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